これは一体なんですか? 1
セスは、ティファの膝に頭を乗せ、いつものごとく手を握っていた。
朝から昼過ぎまで、毎日、目通付を行っている。
立て込んでいる日は、夕暮れ時まで続くこともあった。
それでも、1年に1度も顔を合わせない者たちがいる。
(すべての臣民を救うことはできない、か。確かに、それはそうだ)
上がってくるものに関しては、目を光らせていられるが、上がってこない報告は知りようがない。
なるほど、ティファの言うことは、正しい、と思う。
とはいえ、民の苦境を救えないのは、国王としてどうなのか、とも考えてしまうのだ。
今のままでも良い国王だと、ティファは言っていたけれども。
「顔を上げなさい」
ルーファスの言葉に、1人の臣下が顔を上げる。
詰所を取り仕切っている臣下だ。
国に散らばる詰所は、それぞれに仕切り役がいる。
その仕切り役をまとめているのが、今、目の前に座っている男だった。
非常に真面目で規律正しく、私利私欲に走らない性格を見込んで、その役を担わせたのだ。
とはいえ、昨日の件については、見過ごしにできない。
詰所は、民が安心して暮らすためにある。
その宮仕えたちが、民の言葉を聞き流すのは、役目を放棄しているのと同じだ。
(どのような差配をすべきか。責がないとは言えないが……)
この男にしても、セスと変わりはないのだろう。
報告が上がって来なかったために、正しい指示ができなかったのだ。
だからといって、責任がないことにもならないわけで。
「あの……ル……大取、お訊きしたいことがあるので、直接、このかたと話してもいいですか?」
「かしこまりました」
ルーファスがティファに会釈をしてから、男に告げる。
男は、顔をすっかり蒼褪めさせていた。
ティファが、ルーファスを通さずに問い質す、というのは、セスが問うのと同じ意味合いとなるからだ。
「ご下問である。心して応えよ」
セスは、ティファがなにを訊くのか、そこに興味を持っている。
ひと月余り、目通付の「口伝役」をしてきたからか、ティファは、ただの伝言をするだけでは、物足りなくなったようだ。
もとより、頭のいい女でもある。
自分で考え、判断したくなったのかもしれない。
「どうして、詰所の人は、ヤンヌの言葉に耳を貸さなかったのですか?」
「申し訳ございません。すべて私の責任でございます」
男が、両手を床について、頭を深々と下げる。
ティファは、その姿に困った顔をした。
「いえ、理由を訊いています。詰所は民からの訴えに耳を貸す場です。その詰所の人が、民の訴えを聞かなかったのは、なぜですか?」
再び顔を上げた男のほうも、困った顔をしている。
報告がなかったからだと言えば、言い訳になると思っているに違いない。
テスアでは「言い訳」は、好まれないのだ。
「では、訊きかたを変えます。こういうことは、よくありますか?」
「いえ……あの……」
おそらく、答えは「わかりません」だろう。
詰所からの報告が、どう選別されているのか、男は把握していない。
セスは、心の中で、溜め息をつく。
自分も似たようなものだと、感じていたからだ。
「うーん……困ったなぁ……詰所の人の自己判断が多いとヤバいよね……」
ティファが、何事か、ぶつぶつとつぶやいている。
男は、なにを言われるのかと心配そうに、体を縮こまらせていた。
セスは、成り行きを見守っている。
どう片をつけるのかに、関心があった。
「ええと……とりあえず民からの訴えには、すべて対処をお願いします。きちんと出向いて調べを行ってください」
「かしこまりました」
「その中で、事の大きさと、解決したかどうかで選り分け、詰所の仕切り役の人に報告をします。その人が、ひと通り目を通し、間違いを正してから、あなたに報告をして、さらに、あなたが見て、間違いがあれば正してください」
ティファは、どの訴えが重要かの判断を繰り返し行え、と言っている。
1人の者の判断では間違いが起きるからだ。
悪くない案だ、と思った。
「かしこまりました……ですが……私の判断に誤りがあれば……」
今回のことで、男は、相当にまいっているらしい。
真面目さが裏目に出ているのか、自信を失っている。
罰せられるのが怖いというより、間違うことを恐れているのだ。
「それは、陛下が正してくださいます。ただ、陛下は、お1人です。すべてに対処できるわけではありません」
昨日、セスが言われたことだった。
今まで「それなりに頑張る」などと考えたこともなかったので、驚いたのだ。
が、そう言われると、なんだか少し気が楽にもなった。
(人は守りたい者しか守れない……魔術を持ってしても、万能ではない、というのだから、それは、そうなのだろうな。人1人にできることなど知れている)
ティファの言葉により、自分が身の丈に合わないことをしていたと気づかされている。
あたかも、万能であるかのように振る舞っていた。
テスアでは、セスの言葉は「絶対」だからだ。
セスが「右を向け」と言えば、みんなが、右を向く。
たとえ、間違っていたとしても。
「だからこそ、あなたがたが必要です。まして、あなたは詰所の総仕切り役を陛下に任じられています。それだけ、陛下の信頼が厚いと……ぅへ……っ?」
ティファの奇声に、セスは、自分の思考を断ち切る。
見れば、男が、ほろほろと涙をこぼしていた。
「え? 嘘……私、そんなキツい言いかたした……っ……?!」
狼狽えているティファをよそに、男が平伏する。
床に頭をこすりつけるようにして、涙声で言った。
「わ、私は……っ……そ、そのように考えたことはございませんでした……」
「え?! なんで?! あたり前じゃん! あ、いえ……陛下は……」
ちらっと、ティファが、セスに視線を投げてくる。
本当は言いたくないけれど、といった目つきをしていた。
その視線を、すぐに外して、男のほうへと向ける。
(最近、どうにも目の調子が悪いようだ。これほど可愛げのない女もいないのに、なぜか可愛く見えるのだからな)
本当に、セス自身、わからずにいた。
ティファの、つんっとした態度は、ちっとも可愛くはない。
なのに、ともすると、ぎゅっと抱き締めたくなるのだ。
言葉にはできない、奇妙な「可愛げ」を感じる。
「陛下は、軽々しく役を任じられるかたではありません」
「真に……真に、仰る通りにございます……これからは陛下の信頼にお応えすべく精一杯に努めさせていただきます」
「が、頑張ってください。む、無理はしないように……あなたが倒れると困りますから……」
「かしこまりました」
ティファが、ルーファスに視線を投げる。
ルーファスは平然としているが、並んだ臣下たちは、うっすら涙目。
その男が言われたことは、自分たちにも言えることだと感じたのだろう。
(そんなことは、言わなくてもわかると思っていたのだがな)
わかっていたのは、ルーファスだけだったようだ。
信頼していない者、分不相応だったりする者を、その役につけたりはしない。
相応しいと思っているからこそ、任じている。
が、わざわざ言葉にはしてこなかった。
(俺のほうに、信用がないではないか)
ちょっぴり不機嫌になる。
それを感じ取ったのかはわからないけれども。
(……俺を子供扱いするとは……あとで仕置きしてやる)
セスが握っていないほうの手で、ティファが、セスの頭を撫でていた。
その感触に、目通付をさっさと終わらせて、息室に戻りたくなる。
ほかにも役目があり、実際のところ、ティファと2人きりの時間は少ないのだ。




