心情十色 4
(いやぁ、大怪我だったけど、命に関わることがなくて良かったよ)
夕暮れ時までかかったが、あの女性の夫は、無事に見つかっている。
セスの言っていたように、山道で足を滑らせ、崖から落ちていた。
幸い、それほど高い崖ではなかったらしく、手足と肋の骨折ですんでいた。
もちろん大怪我には違いないが、命を落とすことはない。
(それにしても、めっちゃ怒ってたな。あの詰所の指揮官?みたいな人、真っ青になってたし……後日、上司?みたいな人も宮に呼ぶって言ってたっけ……)
セスの怒る姿を見たのは、初めてだ。
イフなんとかという女性には、怒るというより「殺す」という感じだった。
今回は、明確に、セスは怒っている。
男性が治療を受けたのを見とどけたあと、詰所に行って、その場にいた全員を、怒鳴り上げたのだから。
(すっごい国王だよね。民のために、あそこまでするなんて……ちょっとびっくりした。セスって、いい国王じゃん。ていうか、民には理不尽じゃないんだな……)
ロズウェルドでは、領地で問題が起これば、まず領主が対処する。
対処しきれない場合は、王宮に請願が上がってくる。
国王は政に関与しないため、状況を知ってはいても、対処方法について口を挟むことはないのだ。
ロズウェルド王国は大国だ。
テスアのように、国王自らが動くのは難しい。
領地が広大に過ぎて、目が行きとどかなくても、ある意味、しかたがないのだ。
テスアとは環境も状況も違う。
(それは、わかってんだけどさ。テスアのほうが、統治としてはいいのかも。町の人がセスに、あんなふうに話しかけてくるのもわかる気がしたもん)
あの距離感の近さには、好感が持てた。
セスは嫌な顔ひとつせず、むしろ、楽しげだった。
ティファも感じているが、セスにとっても、宮は窮屈なのかもしれない。
「俺は、時々、思うのだ」
2人は宮に帰っている。
湯もすませ、寝所にいた。
が、セスは窓の桟に腰かけ、開いた先に見える町を見ている。
ティファは布団の上に座っているため、セスの横顔しか見えない。
「魔術師とは、どういう者なのであろうか、とな」
「え……あの……それは……」
「魔術師なれば、かような折にも、素早く対処できよう? 魔術は、怪我も治せると聞く。俺に魔術の心得があれば、痛みとて癒してやれたものを……」
その言葉に、胸が、きゅっとなった。
実は、それは、ティファが長年に渡り、かかえてきた悩みでもあったからだ。
ティファは、ローエルハイドという、ロズウェルド内でも特異な魔術師の家系に生まれながら、魔力顕現していない。
魔術も使えなかった。
周囲は、彼女を過保護に守る。
剣術や武術を、いくら身につけても、あくまで、それは万が一の時のためだ。
要は、自分の身を自分で守れない、と言われているのと等しい。
加えて、誰のことも守れないのだ、と。
父は、よく「魔術は万能ではない」と言う。
その意味を、ティファは、誰よりも理解していた。
死んだ者を生き返らせる魔術はない。
母は、ティファを産み、そして死んだのだ。
父に「母の忘れ形見」として大事に、慈しまれているのは、わかっている。
それでも、自分のせいで母は死んだのだと、思わずにはいられなかった。
その上、魔術師にもなれず、周りに迷惑ばかりかけている。
時々、ひどく息苦しくなるのは、そのせいだった。
大事にされているとわかっていながら、逃げ出したくなる。
それもあって、我儘だと知りつつ、学校に行くことを望んだのだ。
「魔術は万能ではない、と聞いたことがあります。死んだ者を生き返らせることはできないそうです。あの男性は、命が救われました。セスは……今でも、十分に、いい国王です」
「ティファ……?」
セスの銀色の瞳に、ティファが映っている。
月明りに照らされて光を放つ、銀色の髪。
この人は国王なのだ。
テスアという国を、その一身に背負おうとしている。
火事の時も、今日も、そうだ。
国を想い、民を大事にする。
セスは、そういう国王なのだ。
ティファは、セスの瞳を、まっすぐに見つめ返した。
いい国王であるからこそ、知っておいてほしいことがある。
「ですが、すべての民を救えはしません。それは、たとえセスが魔術師であっても同じです。セスは、公平な人です。私も、その公平さの恩恵にあずかっています。それでも、絶対的な公平さを保とうとすれば、それは、不平等も生みます」
「不平等だと? 公平であることは、平等でもあろう」
ティファは、首を横に振った。
似ているようでいて、この2つは、常に共存しているわけではない。
反発し合うこともある。
その狭間に、セスが立たされることが心配だった。
「私が、ここに来た日、じゃんけんをしました。私は、負けました。あの時、もし私が、セスは反則をした、と言い出していたら、どうしましたか?」
「今一度、3回勝負のやり直しをしておったであろうな」
「では、その再勝負で、今度はセスが負けていたら、どうなりますか?」
セスは、言わないとわかっている。
だが、普通なら、最初に勝っていたのは自分だとか、再勝負で相手が反則をしただとか言い始める者のほうが多いのだ。
大事な物を賭けていれば、いるほどに。
「それで、また再勝負をしますか? でなければ、不平等です。片方には再勝負を許し、片方には許さない、となります」
「誰かを救った場合も同じ、と申しておるのだな」
「そうです」
セスの行動は、尊敬に値する。
称賛されるべきことだ。
とはいえ、ほかの誰かが困っていて、その者を救えなかったら?
「あいつは助けたのに、自分は助けてくれなかった、と言われます」
「すべての民を救うことはできぬゆえ、そこに不平等が生まれるか」
誰も彼もを救うのは不可能なのだ。
セスが、いい国王であればこそ、その狭間で苦しむことになる。
ティファは立ち上がり、窓の桟に座っているセスに近づいた。
たらりと垂れているセスの手を取る。
「私の家に、こういう言葉があります」
ルーファスから聞いていた。
テスアの国の基盤。
一君万民。
ロズウェルドの国王より、遥かにセスの責任は重いのだ。
たとえ、テスアがロズウェルドより、ずっとずっと小さな国であっても。
「人は守りたい者しか守れない」
セスの瞳が、わずかに見開かれた。
その目を見つめて言う。
「セスは1人しかいません。頑張るのは、それなりでいいです」
ふっと、セスが笑った。
ティファの手を引き、腰を抱き寄せてくる。
なんとなく、抱きしめ返した。
胸の奥が、わずかに痛む。
民を想い、臣下に腹を立て、己の力のなさを憂いている姿が、せつなかった。
だから、ティファは、独りですべてをかかえているセスに、そんなに頑張らなくてもいいよ、と言ってあげたかったのだ。
「たったひと月おっただけで俺に説教とは、自惚れも、たいがいにいたせ。だが、今宵は疲れておるゆえ……羊を12匹以上、数えよ。さすれば、無礼を許す」
「あまり……自信はありませんが、それなりに努力します」
「それなりか」
「それなりです」
わざと真顔で答えたティファの体を、セスが抱き上げた。
ちょっぴり、ティファは心配している。
(どうだろ……羊の数……最近まったく数えてないんだよね……無理かも……)




