心情十色 3
「セス」
セスは、ティファに髪飾りのひとつでも買ってやろうと思っていた。
道の先に、そうした女用の小物を売っている店があるのだ。
が、ティファは足を止めている。
その視線の先を、セスも追った。
「あの女の人、どう思いますか?」
言葉に、うなずく。
確かに、挙動がおかしい。
あちこちを見回し、ひどく不安そうにしている。
その女には、見覚えがあった。
すぐに話しかけることにする。
「行くぞ」
ティファの手を引き、女のほうに近づいた。
向こうが先に気づいて、頭を下げてくる。
清潔ではあるが、貧しい身なりをしていた。
薄茶けた髪は寝乱れたままで、同じ色の瞳には不安が色濃く漂っている。
「挨拶は不要だ、ヤンヌ。どうした? なにかあったのか?」
ヤンヌは、町で手拭きの布を作ったりしている女だ。
夫のルンデが、山で山菜などを取り、それらを売って生活をしている。
この2人の婚姻に、少しばかり手を貸したことがあった。
以来、ヤンヌの手拭き布を、セスは愛用している。
「ルンデが帰って来ないんです」
「いつからだ」
「昨日は山に出ていたので、帰らないのはわかっていました。それで、先に寝たのですが……起きても帰って来ず……この時間になっても……」
山に行ったのなら、夜中遅くの帰りになるのはしかたがない。
この辺りは、まだ宮に近い、平地なのだ。
ルンデは歩いて行っているはずなので、往復するには、かなり時間がかかる。
それでも、翌日の昼前になっても帰らないということはない。
とくに、ルンデは、ヤンヌをとても大事にしている。
寄り道などするはずがなかった。
「山で、なにかあったのかもしれない。詰所には行ったのか?」
「行きました……」
ちっと、セスは小さく舌打ちする。
テスアには、大小はあれど、あちこちに「詰所」と呼ばれる警護所があった。
民の困り事なども、そこが対処することになっているのだ。
そこから、セスに報告があがってくる。
ティファの勉強中は、そうした報告を受ける時間にあてていた。
本当は、ティファに膝役をさせたかったのだけれど、それはともかく。
「ルーファス!!」
「は、控えております、陛下」
「あ! ル……お、大取、いたのですね」
セスは、ほんの少しティファを睨んで牽制する。
そうでもしておかなければ、すぐにルーファスを名で呼ぶからだ。
ともあれ、言い直したので肯としておいた。
「すぐにルンデを探させろ。今日中に見つけなければ、全員、罰する」
「直ちに手配いたします」
ルーファスが体を返し、詰所のほうに走って行く。
セスは、ヤンヌへと顔を向けた。
目に涙を溜めている。
「心配するな。この辺りの山は、そう深くはない。ただ、怪我はしている。そうでなければ、お前の元に、ルンデが帰って来ない理由がない」
「陛下……」
「お前は、家に帰り、ルンデを待て。ルーファスが医者の手配もしているはずだ。戻り次第、治療に当たらせる」
「あ、ありがとうございます、陛下……ありがとうございます」
何度も頭を下げるヤンヌの頭を、軽く撫でた。
贔屓ということではないが、セスは、宮仕えの者たちより、町の者たちを大事にしている。
彼らがいなければ、結局のところ、国は成り立っていかないのだ。
町の者たちこそが額に汗し、苦しい労働に耐えていると、セスは知っている。
「ルンデが戻って来たら、ゆっくり休めるように整えておけ」
「はい! それでは、失礼いたします」
ヤンヌは安堵の表情を浮かべ、走り去って行った。
とたん、セスは浮かべていた笑みを消す。
厳しい顔で、このあとの対処を考えるセスの袖を、ティファが引っ張っていた。
「あの女の人の夫がいなくなったのですか?」
「今時分は、山道がぬかるんでいて足元が悪い。足でも滑らせたのだろうな」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫でなければ、詰所の奴ら全員を処罰する」
ティファが、目を見開いて、セスを見つめてくる。
驚いている様子に、セスは顔をしかめた。
内心では、ひどく腹をたてていたのだ。
「俺の民を蔑ろにするということは、俺を侮るも等しい」
「そ、そうですね……」
「民あっての国だということを、理解していない愚か者が、俺は嫌いだ」
言い捨ててから、我に帰る。
離していたティファの手を握り直した。
せっかく町に来たが、これではティファとの「逢瀬」は難しい。
「買い物と昼食は、取りやめる必要がありそうだ」
ルーファスが滞りなく手配するのは、わかっている。
とはいえ、セスは、自分の目で見て確認しなければ、気がすまない性分だ。
町に来てまで仕事になるなど、ティファは、さぞがっかりするだろう。
そう思ったのだけれども。
「そのほうがいいです。私は、あの女の人の家で待っていてもいいですか? 1人では、なにかと不安です」
「では、一緒に行くとしよう。報告は、俺のところに来る。ヤンヌも、状況を知りたがるはずだ」
「それなら、急いで、あの人を追いかけます」
少しも、がっかりした様子はなく、ティファが駆け出す。
走る必要はないのだがと思いつつ、手を引かれるようにしてセスも走った。




