唖然茫然 4
セスは、内心の怒りを、これでも抑えている。
ティファは、セスの決めた「妾」だ。
それは、ティファが「妻」となる女であることを意味する。
テスアでは、国王以外は臣民であり、王族であれ、身分が高いわけではない。
国王に並ぶ者がいるとするならば、それは、王妃のみなのだ。
国王の代理を務めることもあるし、国王が、唯一、相談する相手でもあった。
妻を迎えたのちは、何事も、2人で決め、国を治めていく。
それほど重要な立場であるため、寝所役から妾、妾たちから妻と、選別の段階を踏む風習があった。
とはいえ、現在、妾はティファ、ただ1人。
選別をする必要がない。
しかもセスは決定を覆す気がないので、ティファの立場は自然と確定している。
その女を、こともあろうに、主の前で罵倒したのだ。
叩き切っていてもいいくらいの気持ちがあった。
イファーヴは、従姉妹という立場を勘違いしている。
優遇されているとでも思っていたのだろう。
(これだから、この家の者は嫌いだ。血筋を権力と取り違えている愚か者め)
平伏し、イファーヴは、ガタガタと震えていた。
その姿を見ても、セスの怒りは鎮まらない。
重ねて、問い質す。
「応えろ、イファーヴ。お前は、俺の法を蔑ろにする気か」
「け、けして、そのようなつもりは……」
「異国の女ごとき、と言ったな? それこそ、お前ごときが、俺の妾を侮るなど、許されることではない。命を以て償うか?」
顔を上げないイファーヴを、冷ややかに見下ろした。
ここで、イファーヴが自死をしても、誰もとやかく言わないはずだ。
事の大きさを、全員がわかっている。
テスアは、男女の別が、あまりない。
女が国王となる世代があったことからも、それは明白だった。
そして、国王の妻は、国王と同等の立場。
まだ正式に「妻」ではないものの、ティファは、事実上、妻同然。
国王と同等に敬われてしかるべきなのだ。
そういう立場のティファを、イファーヴは罵倒した。
それは、セスを罵倒したも同じと見做される。
テスアの臣民として、許されざる行為だ。
「あ、あの……私は、異国の女……間違いでは……」
セスは、肩越しに、ティファに視線を投げた。
ひどく戸惑った表情になっている。
自分がなにかやらかした、と思っているらしい。
(まだ、テスアの文化に馴染んでいないからな。なにが起きているのか、わかっていないのだろう。お前が悪いわけではないのだが)
言葉の問題はあるにしても、ティファは、できるだけのことをしていた。
なにも間違ったことはしていないし、言ってもいない。
確かに、セスの「妾」は、ティファ1人なのだ。
それを、イファーヴが、勝手に悪意と捉えたに過ぎなかった。
ふ…と、セスは息を吐く。
ティファにとって初めての公務で、混乱させるのは本意ではない。
それだけの理由により、イファーヴを見逃す気になった。
「ルーファス」
短く、ルーファスに声をかける。
平伏していた、ルーファスが顔を上げた。
視線の意味を理解したのだろう、小さくうなずく。
「イファーヴ・クスタヴィオドッティル、退がれ。処遇は、のちほど通知する」
ルーファスが、冷静な声で、そう告げた。
イファーヴの立ち去る気配がしたが、セスは見ずにいる。
不機嫌に、座のほうへと戻った。
見逃しはしたものの、気分の悪さはおさまっていない。
ティファの手を握り、その顔を見つめる。
怯えさせてしまったのではないかと、少しだけ心配だったのだ。
が、その表情に、怯えは浮かんでいなかった。
(怯えてはいないようだ。それなら、いい)
いずれにせよ、ティファを妻に迎える。
これは決定事項だ。
だとしても、本人も婚姻に前向きなほうがいい。
変に怯えて、後ろ向きになられては困る。
「気分を害した。今日の目通付は、これで終わりだ」
ティファが、慌てたように、きょろきょろしている。
助けを求めるかのごとくルーファスを見ているのが、気に食わなかった。
「戻るぞ」
「え……ですが……」
「戻る、と言ったのだぞ」
握った手は、そのままに、セスは座から降りる。
足音も荒く、ずかずかと戸に向かった。
サッと、左右に戸が開く。
とたん、ティファが、あたふたしながら、前に立った。
控役の役割を覚えていたらしい。
このままでは、歩きにくいと考え、ティファの手を離す。
来た時と同じ廊下を歩き、玉宝殿に戻った。
玉宝殿は、国王のための屋敷のようなものだ。
いくつもの部屋が、用途に応じて、あつらえられている。
「よかったのでござりゅ……ござし……?」
「なにがだ? お前も、もっと怒ることを覚えろ」
「怒ることではござれ、ござりゃん……」
怒るほどのことだ、と思ったが、言わないことにした。
ティファの不器量で間の抜けた顔、それに、おかしな言葉遣いに、怒りが鎮められたのだ。
「まぁ、いい。こっちで、ひと息つくぞ」
入り口から最も近い場所が、人と会う「宝玉の間」、最も奥に寝所がある。
寝所の両脇に、召し替え部屋と飯所。
召し替え部屋の隣には、湯殿があった。
宝玉の間と寝所に挟まれた部屋が、息室と呼ばれている。
なにもすることがない時や、休みたいが寝るほどではない時などに使う部屋だ。
言うなれば、国王の控室のようなものだった。
やはり、座する場所は、床より高くなっている。
「膝役をしろ」
目通りの間と似たような造りなので、今度は、ティファも、すぐに座った。
どさっと体を横にして、ティファの膝に頭を乗せる。
同じように、右手を右手で握った。
「役目を途中で投げてよろしゅし……よろしょる……うう……」
語尾がうまく発音できないのが、もどかしいらしい。
顔をしかめ、口元をもごもごさせている。
セスは、じいっと、その顔を見つめた。
(何度、見ても、どう見ても、不器量なのだが……見飽きることはないな)
それに、少々、語尾がおかしくても、意味は通じる。
少なくとも、セスにはわかるのだ。
ティファはもどかしく感じているようだが、意思の疎通は図れていると思う。
今はまだ、それで十分だった。
「あの女が、俺の気分を害したのだ。気分が悪いまま、役目など果たせるか」
「…………国王でしゅる……?」
「国王とて人だ。気に障るものは、気に障るし、気が乗らないこともある」
本当は、叩き切ろうと思っていた、と言ったら、ティファは呆れるだろうか。
それとも怯えるか。
どちらも良い感情ではないので、やはり言うのはやめておく。
「このまま夕食時まで寝る」
「このまま?! あ、あの……私の膝……」
「お前の膝が痺れようと、俺の知ったことか。お前は膝役だろう。役目を果たせ」
言って、セスは目を閉じた。
ティファの小さなつぶやきが降ってくる。
意味はわからないが、悪態なのは、わかっていた。
「このドS……ジコチュー……いばりんぼ……」




