唖然茫然 1
目が覚めてから、ものすごく大変だった。
ロズウェルドの王宮の侍従も、こんな感じなのだろうか、と思うほど大変だったのだ。
(本当に、なにからなにまでじゃん! ていうか、手をかけ過ぎじゃない?!)
起きるとすぐに朝食。
まず、昨夜、着替えをした部屋とは反対側にある、食事専用の部屋に行く。
時間が決められているのかは不明だが、すでに食事が用意されていた。
縦横が30センチ×40センチほどのトレイに、20センチくらいの脚がついた台に、大小の皿。
テスアでは、こういう食事の出しかたをするらしい。
(ハシ役って聞いた時に、ちょっと、ん?と思ってはいたんだよね)
その脚つきのトレイには「箸」があった。
実のところ、ティファは「箸」を知っている。
屋敷とは別にある、祖父母が使っていた森の家で、愛用していたものだからだ。
ティファ自身、祖父母には会ったことがない。
けれど、小さい頃、よく父に連れて行ってもらった。
その際に、使いかたも教えてもらっている。
それ以上に、ティファは、多くのことを知っているのだが、それは父にも内緒にしていた。
だから、箸など、ちょちょいと使える。
のだけれども。
(まさか、セスに“あーん”するはめになるなんて……箸役……うーん……)
昔は、ロズウェルドの王族も、服ひとつ着替えられなかったと聞いてはいた。
なにからなにまで、侍従が世話をしていたからだ。
現宰相の父であり、元王族のユージーン・ガルベリーの遺した著書に、そういう記述が見られた。
靴紐の結びかたや着替えかたを覚えるのに3日もかかったのだとか。
実は、このユージーン・ガルベリーが、ティファも愛用する「民言葉の字引き」の編纂者であり、その手伝いをしたのがティファの祖母なのだ。
そのため父からも、よく王族関係の話は聞いていた。
さりとて、並んだ料理を口に運ぶだけの役など聞いたことはない。
著書にも、そんなことは書いていなかった。
ロズウェルドより過保護なのではないか、という気がする。
セスを食べ終えさせるまで、自分は待つことになるのか、と思ったティファに、交互に食べればいいと、セスが言った。
時間が惜しい、という理由でだ。
理由はともかく、食事ができるのはありがたかったので、その提案を快諾。
セス、ティファと、交互に料理を口に運んだ。
セスは、なにやら苦笑いをしていたようだったが、ティファは気にせずにいた。
なにしろ、お腹がすいていたのだ。
テレンスに叩かれたせいで、お茶会では、ほとんどなにも口にできなかった。
その後、テスアに飛ばされて以来の食事となっている。
(でも、箸役はマシだよ。別に難しくはないしね。召し替え役……これ、大変過ぎじゃないかな……タキシードなら、まだなんとかなったと思うけど……)
セスに、あれこれと言われつつ、着替えの手伝い。
これが「召し替え役」だ。
だが、ともかく服が、ロズウェルドとは、大きくかけ離れている。
昨夜の「寝巻」は、まだしもガウンに似ていたけれども。
その薄手のガウンっぽい服を、上に何枚も被せていく仕様。
上になるにつれ、生地が厚く、豪華になっていく。
金糸銀糸で縫いこまれた刺繍は、とても美しい。
が、しかし。
寝巻とは違い、腰紐だけでは、当然、押さえが利かない。
タキシードで言うところの、カマーバンドみたいな「帯」と呼ばれるものが必要となってくる。
これを締めるのが、ものすごく難しかったのだ。
ただ巻き付ければいいというものではない。
あっちにこっちにと、セスの周りをぐるぐるしながら、ようやく捲き終えた。
帯が重いため、終わった時には、ティファは、へとへと。
自分の着替えなんてできる状態ではなくなっていたのだ。
(だからって……なにも、セスが、私を着替えさせなくても……だったら、自分の着替えを、自分でしてくれればいいのに……)
ここまでに、かなりの時間を要してしまっている。
着付けが終わる前に、昼食を取ったぐらいには。
(えーと、あと、なんだっけ? 共寝は一緒に寝るだけで良かったから安心だし、箸役も、“あーん”すればいいだけ。召し替えは、大変だけど……まぁ、覚えれば体力勝負みたいなもんだよね。ヒザ役……ヒザって膝? 膝の役って……なに?)
意味がわからない。
イメージもわかない。
セスの身の周りのことであるには違いない。
が、セスの膝代わりになる自分を想像できなかった。
背負ったりするような役だったらどうしよう、と不安になる。
「これより目通付があるゆえ、貴様は、いくつかの役をこなさねばならん」
ちょいっと、セスがティファの前髪を指先ではらった。
その手が、頬に移ってくる。
なぜか、しばらく、じぃっと見られた。
(時々、こうなるけど……なに考えてんのか、全っ然、わかんないや)
セスが、じぃっと見てくるので、ティファも、じぃっと見返す。
貴族社会では高位の者を正面から見るのは、失礼にあたることだ。
が、ここはテスアであり、セスに叱られるでもない。
なので、セスを見つつ、毎回「なに考えてんだか」と、呑気に思っていた。
ふっと、セスが表情を緩やかにし、口を開く。
「よく聞き、覚えよ」
「今、すぐに……ござ……?」
これにも、まいっている。
セスは、昨日の約束をしっかり覚えていた。
北方の言葉は、昨日1日限り。
今日は、朝からテスアの言葉を使わなければ、凄まれる。
「さよう。あまり時がない。さほど難しくもなかろうよ」
ティファは、疑わしいといった目つきで、セスを見た。
着替えの時にも、それほど難しくはないと、言ったからだ。
「目通りの間まで、俺を導くのが控役だ。宮の中では、俺の前を、外では俺の後ろを歩けばよい」
「それであら、あれば……できるに、ごじ……」
「目通りの間では、俺は、お前の膝を支えとし、臣下の声を聞く、これが膝役だ」
ティファの目が、ぱちんとする。
セスを背負う役でなかったのは、ひと安心だけれども。
(それって、完全に膝枕じゃん?! 朝の“あーん”といい……テスアの文化って、いったい……)
「なんだ? 難しくはなかろう?」
難しいとか難しくないとかではなく。
ものすごーく微妙な気分にはなるが、とりあえず、うなずいておく。
できないと思われて「寝所役」を言い渡されてはかなわない。
「最後に口伝役」
セスが、なぜか、ニッと笑った。
とても嫌な感じがする。
なにか理不尽なことを言われる前兆としか思えなかった。
「俺は、臣下と、直にやりとりはせぬ。それゆえ、お前を介して話すのだ」
「は……? 私を介して……それは、できぬれ、できぬん……」
「しかたなかろう。お前は、俺の世話役ではないか。やれぬのか? ならば……」
「やれまし、やれまる……やれましる!」
うむ、と、セスが満足そうに、うなずく。
無理難題を押しつけて、自分の心を折りにきているのだろう。
世話役ができなかったのだから寝所役をしろ、という口実を作るためだ。
あの笑みは、そういうことだったに違いない。
(この理不尽国王! もうどうなっても知らないからね! 人前で恥をかくのは、私だけじゃないんだから! 世の中にはね、任命責任ってものがあるんだよ!)
ロズウェルドの言葉、いや、民言葉で怒鳴りたかったが、我慢した。
セスに凄まれたくなかったというより、もはや、意地だ。
とにかく、できるだけのことはやった、と言えるように。




