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 最悪だ。

 本気で、そう思った。

 

(宿がないなんて……どれだけ遅れてんだか……女性の泊まる場所もないって……王宮とは、まったく違うんだな……)

 

 国王の住居のようなので、ロズウェルドの王宮のようなものだと思っていた。

 王宮は、王族の住居兼(まつりごと)の中心となっている。

 重臣たちの執務室もあれば、教育の場、それに社交の場もあった。

 重臣の中には女性もいるし、それこそ社交の場は女性のほうが花形だ。

 

 爵位によって出入りが制限されているものの、この「宮」とは意味が異なる。

 むしろ、王宮には「アソビメ」のような女性もしくは男性は入れない。

 貴族が放蕩しているサロンにだって入れないだろう。

 

 その「アソビメ」が、どういう立場なのかはわからない。

 が、ロズウェルドでいう「娼館」にいる女性のような印象があった。

 だとしても、貴族は、娼館には行かないものだ。

 差別意識が強いため、娼館に行くなど「外聞が悪い」としている。

 

 どんなに低い爵位の貴族であれ、無理をしてでもサロンに通っていた。

 娼館は、主に民が利用する施設という扱いなのだ。

 

(この部屋を1歩でも出たら、私は、アソビメと思われて、街に出たら襲われて、外に出たら雪嵐で死ぬ、ってことだよね……最悪じゃん……)

 

 そうなると、この部屋から出るわけにはいかない気がする。

 さりとて、この部屋で「陛下の愛妾」になる気もない。

 呼びかたや相手は違えど「することは一緒」だからだ。

 

「それなら、私に役目を与えてください。メカケではない、ほかの役目です」

 

 せめて「愛妾」でなければ、と思う。

 ロズウェルドに帰ることができるという目途が立つまでは、ここに(とど)まらざるを得ない。

 しかも、この部屋にいなければならないのだ。

 

「それもできぬと言うておろう」

 

 すぱんっと、あっさり弾き返される。

 言われてすぐに思い出した。

 

(そうだった……役があって出入りはできても、泊まれないんだっけ……)

 

 なにしろ「宿泊」の壁が厚い。

 厚過ぎて、突破できそうになかった。

 ティファの頭の中には「最悪」の2文字しか浮かんで来なくなる。

 

「なにが、さように不満か? 俺の妾になりたがる女は腐るほどおるというに」

 

 うわぁ…と、ティファは、顔をしかめた。

 自信満々、傲岸不遜な言い草に、うんざりする。

 確かに、国王ともなれば、相手には事欠かないのは、間違いない。

 だとしても、ティファは、この国の者ではないのだ。

 愛妾にしてやると言われたって、喜べるはずもなかった。

 

「私は、愛のない相手に、体を委ねることはできません」

「…………愛……」

 

 いや、そんな「微妙」という顔をされても。

 

 面倒なので、国王のことは、セスと呼ぶことにしたのだが、そのセスは、意味がわからない、といった表情を浮かべていた。

 というよりも、わかるような、わからないような、わかるけれど納得できない、というような、本当に「微妙」な顔つきをしている。

 

「セスは、大勢の女性と体の関係を持っているのではないですか?」

「むろんだ。誰を贔屓にしたなぞと、騒がれてはかなわぬのでな」

 

 さらに、うわぁ…と、なった。

 自惚(うぬぼ)れだとは思わない。

 きっと事実、そういうこともあるのだろう。

 なにしろ、セスは国王だ。

 テスアが、どういう国かはわからないが、国王が国の頂点たる存在であるのは、ロズウェルドと変わらない。

 

(きっと、モテてモテてしょうがないって感じなんだろうね。イケメンだし、国王だし……けど、自分で言うのは、どうかと思うよ……)

 

 この、あたり前という言い草に、ドン引きする。

 ロズウェルドで、こんなことを言えば、ただの「痛い奴」だ。

 が、それを、どう伝えればいいのかが、わからない。

 そもそも、文化が違う。

 自分の「常識」が、相手のそれとは合致しないから、理解に苦しむのだ。

 

「お相手の女性たちも、望んでいることだと思います。それでも、私には、到底、受け入れられません」

「貴様の村の風習はどうなっておる? 長たる者が1人しか相手にせぬとなれば、ほかの者から不平が出よう? その1人とて身が危うきことになりはせぬのか?」

「不平は出ませんし、身が危うくなることもありません」

 

 言ったあと、その両方が有り得ることだ、とは思った。

 高位の貴族の間では、正妻の座を争うのもめずらしくない。

 その渦中で命を落とす女性もいる。

 だからと言って、それを「常識」とすることはできなかった。

 命を落とすほどの大事(おおごと)になる事態は、ごくごく稀なのだから。

 

「だが、貴様には、もう関わりなき話ぞ」

「なぜですか?」

「我が地のやりように従わねば、ここでは生きてゆけぬ」

 

 ティファは、髪を撫でていたセスの手を振りはらう。

 落ち着きを取り戻していた感情が、また波立っていた。

 当然という言いかたに、腹が立ってしかたがない。

 

(こんなわけわかんないとこで、わけわかんない理屈で、愛妾になったりしたら、お父さまが、どれほど悲しむか……あ、いや、怒るか……)

 

「もう結構です」

「なにを怒る? 俺は、貴様を助けておるのだぞ?」

「こんな助けなら、必要ありません。外に出て、雪嵐で死ぬことを選びます」

 

 本当は、もっと手厳しい言いかたをしたかった。

 ただ、北方の言葉での言いかたがわからなかったのだ。

 ロズウェルドの言葉でなら、セスをどれほど罵倒していたかしれない。

 

「本気で申しておるのか? せっかく助かった命を、むざむざ放り出すと?」

「かまいません。死にます」

 

 セスが、銀色の瞳を細める。

 心の端っこが、ちょっぴり、ギクっとした。

 あの凄味のあるまなざしに変わっていたからだ。

 それは、怒っている、ということを意味している。

 

「さように、ソルという男がため、未練がましく貞操を守ってなんとする」

「ちょ……っ……なに言ってんの、このドスケベ男! 私が純潔かどうかなんて、あなたに、わかるはずないじゃん!」

 

 つい勢いで「民言葉」を使ってしまった。

 所詮、北方の言葉では感情を伝えきれないのだ。

 言いたいことを言えないのが、精神的な負担となっている。

 

「また俺に悪態をつきおったな。俺がわからぬと思うておると痛い目にあうぞ」

 

 低い声が、空恐ろしい。

 緊張に震えるティファを見て、セスが鼻で笑った。

 

「貴様が生娘かどうかくらい、ひと目で見抜いておるわ。誰が貴様のような不器量な女の相手をしたがるという? おるわけがなかろう」

 

 ティファの中で、恐ろしいと腹立たしいという、2つの感情が混じり合う。

 が、腹立たしいのほうが勝り、逃げ出す気力をかき集めた。


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