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軽井沢の遠い日の村の霧のかなたへ  堀辰雄と立原道造が愛した軽井沢幻想、、、、、。小夜物語第94話

作者: 舜風人





この二人の作家(詩人)は私が愛してやまない作家です。






堀辰雄といえば




軽井沢、そしてサナトリウムという言葉がまず、、


ついて出ます。




「風立ちぬ」が代表作でしょうが、、、、




私はなんといっても、




「美しい村」ですね。




これは戦前の昭和10年前後の、、軽井沢の実際の記録としても出色です。




そこは、、、野薔薇咲く林間の小道、




そしてそこからふと、、、ひょいっとあらわれる西洋人の少年。




これがメルヘン?でなくてなんでしょう?




堀辰雄に、薄汚い「下町小説」なんて似合いません。




現実離れした?、これでいいのです。


軽井沢で結核療養した堀辰雄、、、


今彼のロッジは移築されて保存されているのだとか?






そして、、、、立原道造と言えば




「萱草に寄す」という詩集ですね。




これは「風信子叢書」、第一篇になります。






、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、






夢はいつも帰っていった。


山のふもとのさびしい村へ




水引草に風が立ち




草ひばりのうたいやまない




しづまりかえった午さがりの林道を




、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、




抒情詩とはまさに、、


こういうものを言うのでしょうね。




この純粋な抒情性は




けだし日本の詩にあっては稀有です。






このふたりに




土俗性やら




リアルな現実性を




要求しても意味はありませんね。




それはそうですね、、ファンタジー映画を見て、現実離れしてるから駄目だというようなものです。




だって?現実離れしてるからこそファンタジーなのですからね。




この二人には




ひたすらな




抒情性を求めればそれでいいのです。




そしてその抒情の




世界で揺蕩たゆたえばそれでよいのです。




そしてそのかれら、、「四季派」の文学は




軽井沢という日本の中でも特異な異国性のエアポケットでしか




育まれなかった抒情なのかもしれません。




そこは異国のフィーリングが高原の風にふきわたり、


西洋人(古い言い方ですね)がチャペルで集い


瀟洒な木造のチャーチが林間にたたずみ、、まさに異世界?ファンタジーワールドだったからです。


白樺林のコテッジには


金髪の老女が、バルコニーでユリ椅子でくつろぎ


西洋書を読みふける


そして、、


ロングドレスで乳母車を押して散歩する西洋夫人の姿も、、、、


あるいは


西洋人のまだ来ていないコテッジの庭に無断で入って、ベランダに腰掛け


野の花に見入る堀辰雄の姿、


よく見ると、空き別荘のの玄関にかかっている木札に下手な日本語で


「無用の者は入るべからず。マッコイ」


と書かれていた、、、。


水車の道を散歩しているとチェッコスロバキア公使館の別荘から快活なピアノの音が聞こえてきたり、、


村の掲示板には「コリイ種の仔犬を紛失す、発見された方は、172番アンドリュース方まで届けられたし、相当の謝礼をお上げします」


と、、張り出されたり、



そんな風景が昭和10年の軽井沢には当たり前にあったのです


そうです。まるで別世界でした。



昭和10年ころの戦前の、、今からなんと、80年以上も前の軽井沢では、、、。




ところで、、、


私が、、、、堀辰雄


立原道造の、、、




彼らのポエムや小説と出会ったのは




いつ頃だったろうか?




高校生のころには名前だけは知っていましたし幾つかの詩は読んでもいました、


本格的に出会ったのは?


多分?大学時代?


大学図書館の古びた蔵書からだろうか?


それとも週に一度は通っていた神田の古本屋街の店頭の露台に並んだ一冊からだっただろうか?






かれらの、、その抒情性や




音楽性




はたまた、




青春の傷心は




今こんな老人と成り果てた「私」には




いささか気恥ずかしい?




青春の追憶にも似ていると言えるのだろう。




だからこそ逆にそこには永遠に色あせない


青春そのものが封印されて


閉じ込められてもいると言えるのだろう。




夭折者たちの封印された青春は、、


それは夭折ゆえにより一層


濃縮されて


まるで


それは


「希釈用飲料の濃縮原液」


つまり


「コンク」のように




濃純に封印されたままで




いつまでも全く腐敗も


劣化もせずにそこに存在し続けるのでしょう。






ところで、、、




私がポエムの魅力に取りつかれたのはあれは18歳くらいだったのだろうか?




誰でも一度は取りつかれるそれは「はしか」みたいなものだったのか?




それとも神の啓示?だったのだろうか?




青年詩人の、誰でもそうであるように




私が詩に開眼したのも、




まさに立原道造のポエムに出会った時からだったと言えるでしょう。






青春を甘く郷愁こめて




詠った立原道造には少年詩人の私は傾倒しました、






、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、








のちのおもひに




           立 原 道 造   「萱草に寄す」より               














「夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に


水引草に風が立ち


草ひばりのうたひやまない


しづまりかへつた午さがりの林道を




うららかに青い空には陽がてり 火山は眠ってゐた


――そして私は


見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を


だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた




夢は そのさきには もうゆかない


なにもかも 忘れ果てようとおもひ


忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには




夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう


そして それは戸をあけて 寂寥のなかに


星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう」






、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、






甘くて抒情性に満ちたソネット形式のこの憧憬詩集は




私の青春の旅情にも




大きく影響しました。












そして、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、








立原の師匠?といえば




軽井沢文学の先駆者




堀辰雄をを忘れるわけにいかない。






堀辰雄といえば




軽井沢、そしてサナトリウムでの療養生活




「風立ちぬ」が代表作でしょうが




私はなんといっても、




「美しい村」ですね。




これは戦前の軽井沢の記録としても出色です。




野薔薇咲く林間の小道、を早暁、散歩してると




そしてそこからひょいっとあらわれる金髪碧眼の西洋人の少年。


キイチゴを摘んでた金髪の少年。




これがメルヘン?でなくてなんでしょう?


昭和15年ころこんな風景にに出会えるなんて軽井沢しかありえないでしょう。






堀辰雄に、薄汚い下町舞台の人情小説は似合いません。


というかまずありえないです。




現実離れした、軽井沢舞台の、これでいいのです。






、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、






美しい村


                    堀辰雄






天のこう気の薄明に優しく会釈をしようとして、


命の脈が又新しく活溌に打っている。


こら。下界。お前はゆうべも職を曠うしなかった。


そしてけさ疲が直って、己の足の下で息をしている。


もう快楽を以て己を取り巻きはじめる。


断えず最高の存在へと志ざして、


力強い決心を働かせているなあ。




ファウスト第二部










序曲




六月十日 K…村にて


 御無沙汰をいたしました。今月の初めから僕は当地に滞在しております。前からよく僕は、こんな初夏に、一度、この高原の村に来てみたいものだと言っていましたが、やっと今度、その宿望がかなった訣です。まだ誰も来ていないので、淋しいことはそりあ淋しいけれど、毎日、気持のよい朝夕を送っています。


 しかし淋しいとは言っても、三年前でしたか、僕が病気をして十月ごろまでずっと一人で滞在していたことがありましたね、あの時のような山の中の秋ぐちの淋しさとはまるで違うように思えます。あのときは籐のステッキにすがるようにして、宿屋の裏の山径などへ散歩に行くと、一日毎に、そこいらを埋めている落葉の量が増える一方で、それらの落葉の間からはときどき無気味な色をした茸がちらりと覗いていたり、或はその上を赤腹(あのなんだか人を莫迦にしたような小鳥です)なんぞがいかにも横着そうに飛びまわっているきりで、ほとんど人気は無いのですが、それでいて何だかそこら中に、人々の立去った跡にいつまでも漂っている一種のにおいのようなもの、――ことにその年の夏が一きわ花やかで美しかっただけ、それだけその季節の過ぎてからの何とも言えぬ佗びしさのようなものが、いわば凋落の感じのようなものが、僕自身が病後だったせいか、一層ひしひしと感じられてならなかったのですが、(――もっとも西洋人はまだかなり残っていたようです。ごく稀にそんな山径で行き逢いますと、なんだか病み上がりの僕の方を胡散くさそうに見て通り過ぎましたが、それは僕に人なつかしい思いをさせるよりも、かえってへんな佗びしさをつのらせました……)――そんな侘びしさがこの六月の高原にはまるで無いことが何よりも僕は好きです。どんな人気のない山径を歩いていても、一草一木ことごとく生き生きとして、もうすっかり夏の用意ができ、その季節の来るのを待っているばかりだと言った感じがみなぎっています。山鶯だの、閑古鳥だのの元気よく囀ることといったら! すこし僕は考えごとがあるんだから黙っていてくれないかなあ、と癇癪を起したくなる位です。


 西洋人はもうぽつぽつと来ているようですが、まだ別荘などは大概閉されています。その閉されているのをいいことにして、それにすこし山の上の方だと誰ひとりそこいらを通りすぎるものもないので、僕は気に入った恰好の別荘があるのを見つけると、構わずその庭園の中へはいって行って、そこのヴェランダに腰を下ろし、煙草などをふかしながら、ぼんやり二三時間考えごとをしたりします。たとえば、木の皮葺きのバンガロオ、雑草の生い茂った庭、藤棚(その花がいま丁度見事に咲いています)のあるヴェランダ、そこから一帯に見下ろせる樅や落葉松の林、その林の向うに見えるアルプスの山々、そういったものを背景にして、一篇の小説を構想したりなんかしているんです。なかなか好い気持です。ただ、すこしぼんやりしていると、まだ生れたての小さな蚋が僕の足を襲ったり、毛虫が僕の帽子に落ちて来たりするので閉口です。しかし、そういうものも僕には自然の僕に対する敵意のようなものとしては考えられません。むしろ自然が僕に対してうるさいほどの好意を持っているような気さえします。僕の足もとになど、よく小さな葉っぱが海苔巻のように巻かれたまま落ちていますが、そのなかには芋虫の幼虫が包まれているんだと思うと、ちょっとぞっとします。けれども、こんな海苔巻のようなものが夏になると、あの透明な翅をした蛾になるのかと想像すると、なんだか可愛らしい気もしないことはありません。


 どこへ行っても野薔薇がまだ小さな硬い白い蕾をつけています。それの咲くのが待ち遠しくてなりません。これがこれから咲き乱れて、いいにおいをさせて、それからそれが散るころ、やっと避暑客たちが入り込んでくることでしょう。こういう夏場だけ人の集まってくる高原の、その季節に先立って花をさかせ、そしてその美しい花を誰にも見られずに散って行ってしまうさまざまな花(たとえばこれから咲こうとする野薔薇もそうだし、どこへ行っても今を盛りに咲いている躑躅もそうですが)――そういう人馴れない、いかにも野生の花らしい花を、これから僕ひとりきりで思う存分に愛玩しようという気持は(何故なら村の人々はいま夏場の用意に忙しくて、そんな花なぞを見てはいられませんから)何ともいえずに爽やかで幸福です。どうぞ、都会にいたたまれないでこんな田舎暮らしをするようなことになっている僕を不幸だとばかりお考えなさらないで下さい。


 あなた方は何時頃こちらへいらっしゃいますか? 僕はほとんど毎日のようにあなたの別荘の前を通ります。通りすがりにちょっとお庭へはいってあちらこちらを歩きまわることもあります。昔はあんなに草深かったのに、すっかり見ちがえる位、綺麗な芝生になってしまいましたね。それに白い柵などをおつくりになったりして。……何んだかあなたの別荘のお庭へはいっても、まるで他の別荘の庭へはいっているような気がします。人に見つけられはしないかと、心臓がどきどきして来てなりません。どうしてこんな風にお変えになってしまったのか、本当におうらめしく思います。ただ、あなたと其処でよくお話したことのあるヴェランダだけは、そっくり昔のままですけれど……」




、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、




以上「美しい村」から、冒頭部分の、すごい長い引用になりましたが




この軽井沢の在りし日の、、戦前の昭和16年ころの、、雰囲気の一端でも感じていただけたでしょうか?












立原道造の詩集では








「萱草に寄す」が代表作でしょうか。




これは風信子、(ヒヤシンス)叢書、第一篇になります。




、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、






SONATINE


 No.1




 はじめてのものに






「ささやかな地異は そのかたみに


灰を降らした この村に ひとしきり


灰はかなしい追憶のやうに 音立てて


樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた




その夜 月は明かつたが 私はひとと


窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)


部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と


よくひびく笑ひ声が溢れてゐた




――人の心を知ることは……人の心とは……


私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を


把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた




いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか


火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に


その夜習つたエリーザベトの物語を織つた」




、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、






抒情詩とはまさに


こういうものを言うのでしょうね。




この純粋な抒情性は




けだし日本の詩にあっては稀有です。






このふたりに




土俗性やら




現実性を




要求しても意味はありませんね。




ファンタジー映画を見て、現実離れしてるから駄目だというようなものです。




現実離れしてるからこそファンタジーなのですからね。




この二人には




ひたすらな




抒情性を求めればそれでいいのです。




そしてその抒情の




世界で揺蕩えばそれでよいのです。




そしてその四季派の文学は




土俗性を一切払しょくしえた


あの異人たちの避暑地である




軽井沢という日本の中でも特異な異国性のエアポケットでしか




育まれなかった抒情なのかもしれません。






夭折者たちの影  それは、、、




 立原道造と堀辰雄 




彼らが愛してやまなかった軽井沢はその幻像とともに




今こうして老いさらばえてしまったこんな


老人の私にも、、




永遠に私のこころの深淵に


息づき続けることでしょう




それは


まさしく


永遠の青春をとどめて


あっという間に夭折してしまった


あの


星と菫の青春詩人たちの幻像 でもあるからなのです。








、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、












立原道造の詩は


ネットの「あおぞら文庫」で無料で読むことができます。


https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person11.html#sakuhin_list_1




堀辰雄の全作品も同様に無料で読めますので、、どうぞ、


https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1030.html#sakuhin_list_1





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