死んだらあなたと手を繋いで
救急車とパトカーと人垣の真ん中にあるのは私の体と、私を押し潰している大きな看板。
近くに倒れていた男性は、たった今救急車に乗せられる所だった。
その騒ぎを、私は上空からぼんやりと眺めている。
衝撃を感じてすぐ、痛いと思う間もなく私は死んだらしい。
あの男性は助けたつもりだったけど、救急車に乗せられたところを見ると無事ではなかったのだろう。
私は男性の今後が気になり、ついていくことにした。
身寄りのない私の体がどうなるのかはわからないが、もはや私にはどうすることもできないのだ。
あの場に留まる意味はなかった。
病院に運び込まれた男性は、現在病室で眠っている。目立った外傷は無いように思うのだが...。
暫く観察していると彼が目を覚ました。
見回りに来ていた看護師が、彼に気づく。
「目が覚めました?気分はどうですか?今、先生を呼びますね。」
ぼんやりしていた彼は急に目を見開いた。
「か、彼女は!?僕を助けてくれた人はどうなりましたか!?」
「残念ですが、あの方は即死だったそうです。」
彼は顔を歪めて呟いた。
「...そんな。」
その後、医者の診察を受ける彼をこっそり観察した。彼が倒れたのは病気のせいらしい。
こんな自分を助けて、他の人が死んでしまうなんて...と、彼は泣いていた。
彼を助けたのは私の勝手なのだから、気に病む必要はないのに。
私は彼のベッドに腰掛け話しかける。
『せっかく助けたんだから、そんなに泣かないでほしいわ。』
彼は泣いていた顔あげ、こちらを見た。ような気がする。
「あなたは...」
誰かいるのかと振り返るが、部屋には彼と私だけ。
彼は驚いたような顔をしてこちらに手をのばしてきた。
その手は私をすり抜ける。
『驚いた。まるで見えてるみたいね。どうしたのかしら。』
「見えてます。」
私の問いに彼は答えた。
「あなたは、僕を助けてくれた方なのですか?」
まさか、見えてるなんて。けれど、これはチャンスだ。彼に気に病む必要はないと伝えられるではないか。
『そうよ。私が勝手にあなたを助けたの。だからあなたが気に病む必要なんてないのよ、元気出しなさい!』
「助けてくださって、ありがとうございます。ですが、僕は申し訳ないのです。御覧のとおり、僕は病でもう長くない。あの場で死ぬのはあなたではなく、僕であるべきだったんだ。我儘を言って外出などするべきじゃなかった。」
そう言って、彼はまたポロポロ泣き出した。
『そんな事言われたら、私にしつれいじゃない。無駄死だと思わせないで。』
「すみません...。でも、僕はあなたに何も返せない...。」
『なら、あなた私の話し相手になってよ。』
「え?」
『私の事見える人なんて、他にいないもの。だから、あなたが死ぬまでここにいるわ。』
彼は私を凝視する。
『そして、あなたが死んだら私と手を繋いでくれる?』
私は天涯孤独で恋人もなく、毎日寂しかった事を話した。
家と会社の往復で、何の為に生きてきたのかもよくわからなかったのだ。
そのせいか、死んでも特に悲しいと思えなかった。
どこか現実味がなく、夢をみているような気分だったのだ。
「あなたが側で待っていてくれるのなら、僕も嬉しい。」
彼はそう言って初めて笑顔を見せてくれた。
それから、彼の闘病を見守る日々が続いた。
彼は寝込む事も多く、本当に長くはないようだった。
それでも、医師や看護師に「最近、顔色が良くて楽しそうですね。」と言われるようになっていた。
「楽しみができたんです。僕、手を繋ぎたい人が出来たんですよ。」
「あら、それって恋バナですか!お相手は私も知ってる人かしら?」
「ふふ、秘密ですよ。」
彼はそう言って、私の方を見た。
彼と過ごす日々は心穏やかで、私は生前より幸せを感じていた。
季節が変わり、彼の寝込む日は更に増えた。
苦しそうな彼を見ると、悲しくなった。私は彼を見守ることしかできないのだ。
彼の急変にナースコールを押すこともできない。そんな時ばかりは死んだことを恨めしく思った。
そうしてついに、その日はやってきた。
「........分、ご臨終です。」
『どうして泣いてるの?』
彼は私に尋ねた。
『あなたが死んでしまったからよ。』
『嬉しいの?悲しいの?』
『どっちかしらね?』
『すごく体が軽いんだ。僕は嬉しいよ。ようやくあなたと同じ場所に来れた。』
そう言って彼は手を差し出す。
『随分待たせてしまったけど、ようやく約束を果たせるね。』
私もそっと、手を差し出す。
彼は私の手を取り微笑んだ。
『逝こう。』
彼の手は暖かい気がした。