それぞれの思惑
第一王妃であるエリザベスの懐妊は嬉しい出来事ではあったのだが、のんびりと王宮で過ごしていたルーチェは急に忙しくなってしまった。
王都で展覧会が開催される時や新作劇のこけら落としの日などには、たいてい国王と王妃が招かれる。
今まではエリザベスがレクスのパートナーを務めていたのだが、彼女は今、つわりで起き上がれない状態だ。第二王妃のクリスタルはもう臨月になる。今にも御子が産まれそうなので、とてもじゃないけれど外出はできない。
そこで滅多に公の場に出なかった第三王妃であるルーチェが彼女たちの代役を務めることになった。
王立劇場の正面玄関に煌びやかな馬車が止まり、周囲を護衛の騎士たちが固めると、従者によっておもむろに馬車の扉が開かれた。
馬車から出てきたレクスが、下に敷かれた赤い絨毯の上に降り立つと、近くに集まってきていた民衆から大きな歓声が上がった。
「レクス陛下!」
「キャアーーーッ!!」
「レクス様~!」
すごい、まるで有名な役者のパレードの時みたいなファンの悲鳴ね。
うう、ここに出て行かなくちゃならないのか……
ルーチェは重たいドレスのスカートを右手でつかんで、エスコートしてくれているレクスの手に、自分の左手を添える。
無事に地面に降り立った時にはホッとした。
「第三王妃殿下!」
「え、あの人が三番目のお妃さま? ちっさいのね」
「へー、エリザベス様がご懐妊されたから、代わりに出てこられたのか」
エリザベスが第一王妃の「演技」って言ってたわけがわかったかも。
ルーチェにしても公爵令嬢だったので、そこそこの社交はこなしてきているという自負があった。
しかし国王とか王妃というものは、唯一無二の存在だ。
とにかく周りの人たちからの興味関心の目線が半端ない。一挙手一投足を見られているという感じで、どこに行っても視線が突き刺さってくる。
ルーチェは低い背をできるだけ伸ばして威厳があるように見せながら、にこやかに周囲に笑顔を振りまいていた。
こういう時は、もっと背が欲しいなぁ~
レクスの方は巨大な猫を被り慣れているので、平気な顔をして劇団の主催者から挨拶を受けている。
「王陛下、第三王妃殿下、ようこそおいでくださいました。どうぞ、こちらへ。陛下、今日は妖精役にカリナという新人女優を起用しております。どうか見定めてやってくださいませ」
「ん、わかった」
劇場の支配人がルーチェたちを貴賓室に案内してくれたのだが、支配人とレクスは二人だけにわかるような目線を使って会話していた。
どうやら、ここの劇場にはレクスがだいぶ関わっているようだ。
王家が使用する貴賓室は、公爵家が使っていた所よりも位置がいいようで、とても良い角度から劇を観ることができた。
へー、こういうところは役得ね。
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ルーチェが王妃としての慣れない仕事を頑張っていた時、同じ劇場の侯爵家の貴賓室では、苦虫を噛みつぶしたような顔をしたリチャードが座っていた。
先日、妹と一緒にルーチェに会った時には、今までと同じような気安さを感じていたが、王妃としてレクスの隣に並び立つ愛しい人の姿を見てしまうと、腹の底がかき回されるような不快感を感じてしまう。
どうにも手を出せなくなってから知らされたルーチェの結婚。何度も納得しようと努力したが今でも諦めきれない。
実際に父親を締めあげてしまったのだが、父の決定はどうしても覆らなかった。
ソーレ公爵にのらりくらりとかわされていた婚姻の申し込みもそうだ。せめて無理矢理に婚約式だけでもしていたらと、悔やんでも悔やみきれない。
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後ろでギリギリと歯を食いしばっている息子のことがわかっているのか、前列に座っていたシャイン侯爵夫妻も観劇の間中、気持ちが落ち着かなかった。
特にシャイン宰相は、ルーチェがなかなか妊娠しないことで、自分の判断を半ば後悔していた。
もしもルーチェが子どもの出来ない体質だったら、息子の思いを踏みにじってまで彼女を第三王妃にしてしまったのは失敗だったかもしれない。もしかしたら、二人の人生をただ棒に振らせるだけで終わったのか……
いや、あの時にもう一度戻れても、自分は同じ判断を下すだろう。
オディウム公爵夫人が生きて策略を巡らせている間は、すべての手を打って国を守らなければならない。
あの女は悪魔の化身だ。
大義のためなら、私事を優先させてはならない。
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シャイン宰相に悪魔だと言われている女は、奇しくもこの場に姿を現しており、劇場の王家の第二貴賓室に座っていた。
本来なら彼女はオディウム公爵家が予約している部屋にいるべき人間だ。
しかし堂々と我が物顔で王家の部屋を使っている。
オディウム公爵夫人は、まだ若い我が子が心配だったので一緒に嫁ぎ先へ押しかけることにした。
結婚の儀が終わると、気が利かないファサートの正妻に指図し、娘や陛下のために心地よい家庭を整えた。
「偉そうに、あなたはいったい何様なの?!」
そうファサートの正妻や他の妻たちに詰られたが、皇太子を産むことができずにファサート様を王位から引きずり落とした、バカな女たちが言うことなど聞くつもりはない。真っ向から戦ってやる。
しかし争いの絶えない屋敷が嫌になったのか、ファサートの妻であった女たちは、次々にあちこちの別邸に出て行ってしまった。つまりファサート邸は今やオディウム公爵夫人の天下になっている。
娘を国母にするためには、年老いたファサートを何とか使いものにしなければならない。
そのため、最近は公爵夫人も子作りに協力している。
オディウム公爵夫人は艶やかに微笑みながら、娘のシビルよりもよほど妻らしい態度でファサートの隣に座り、前王の年老いた腿を物憂げに撫でていた。
「これこれベラ、劇に集中できないではないか」
「んふふ、だぁって役者が恋を演じていたらファサート様のことが恋しくなるのですもの。ねぇ、シビル」
「はい、お母様」
成熟した女性と初々しい若い女に挟まれて、ファサートは鼻の下をデレッと長くしていた。
もう少しの辛抱よ。
シビルの月のものが、今月はまだきていない。
必ず、必ず皇太子を産ませてみせる。
あの小憎らしいレクスがあの席に座っているなんて、神に唾を吐く行為じゃないの!
正統な王は、こちらにいらっしゃるファサート陛下に他ならない。
あんな貧相なソーレ公爵家のチビガキに何ができるものですか!
これから生まれるベラ・ビルデ・オディウムの孫が、この国の王位継承者となるのです。
それぞれの思惑を乗せて、夏の観劇の夜はふけようとしていた。
その頃、王都を馬で三日ほど離れた町の宿で、ある不幸な出来事が起こっていた。
ほんの小さなこの事件が、これから国の方向を決めてしまうことになるのである。