転換点
婚姻を結んだら、三日間は相手のもとへ通うという慣習があるので、あれからレクスはキッチリとその努めをはたしていた。
「陛下、今日は……」
「ま、待て。今日はお前と話をしようと思ってきた」
へぇー、何だろ?
くすぐりっこ勝負、カードゲームと勝負ごとが続いたので、違うことがしたくなったんだろうか?
「そのな……」
「はい、何でしょうか?」
レクスはどこから話を始めるべきか悩んでいたようで、顎に手を置いてしばらく逡巡していたが、まずは今回の婚姻について話すことにしたようだ。
「君が我が第三王妃になったのは、オディウム公爵の娘であるシビルが、伯父上に嫁ぐことになったからだということは聞いてるな」
「ええ、承知しております」
「シャイン宰相たちは、過度に心配し過ぎているのではないかと私は思っているんだ」
あらら、臣下の人たちと陛下の間には温度差があるようね。
「今日も『我が娘よりもルーチェ様との御子を優先させてくださいませ』とわざわざ言いに来るほどの念の入れようだ。第一王妃であるエリザベスより先に第三王妃のお前との間に子を作れなどと、ふざけているだろう? それでなくともエリザベスがピリピリと神経を尖らせておるのに、実の父親がそんなことを言ってきたと知られてみろ、私の方が針の筵に座らされるようなものではないか」
なるほどね、陛下の言われることももっともだ。
本来なら第一王妃に男子誕生があって、後継ぎ問題が片付いた時に、初めて御代が安定する。
けれどそれは平和な情勢下での話であって、今回はちょっと違うのよね。
「陛下、ちょっとお聞きしますが、ファサート先王陛下はどうして譲位されたんですか?」
「伯父上か……公には健康上の問題で退位したということになっているが、伯父上には娘しかできなかったというのが一番の原因だな。一の姫と二の姫は他国に嫁いだからよかったのだが、三の姫であるミランダ姉様の嫁ぎ先がマズかった。かつて大将軍と謳われ、国軍をも脅かす独自の軍隊を持っているノルディス辺境伯は、王家の姫を降嫁させるには最悪の相手だったんだよ」
「なんでまた、よりにもよって……」
「だよなぁ、いくら好きになったから嫁に行きたいと娘に請われても、普通なら諦めさせる。その時も重臣たちは皆、反対したが、伯父上としたらそれを機会に重責から逃げ出したかったのかもしれない。ちょうどおあつらえ向きに、弟の子である私が皇太子として育てられていたという背景もある」
「そんな裏事情があったんですか……」
先王陛下の譲位があった頃は、ルーチェはまだ13歳ぐらいだった。
レクスはその時、ギリギリ成人年齢に達していて、15歳になったばかりだったと思う。
レクスが王位について三年が過ぎたが、先王の重臣だった者たちはまだまだ現役復帰できる年齢だし、現王に後継ぎも生まれていない。つまり今の態勢は、レクスにとって盤石とはいいがたい。
「陛下、ハッキリと申し上げますが、陛下が王を続けられるおつもりなら、私との子どもが不可欠だと思います」
「お前まで、そんなことを申すか……」
レクスはルーチェの上申を聞いて、辟易した顔をした。
「続けられるおつもりならですよ」
「ん? 私に選択肢があるような言い方だな」
「ええ、伯父様のファサート先王陛下にもう一度王位についていただいて、オディウム公爵を中心とした旧臣たちにこの国を明け渡すというのも、一つの考え方です。どっちつかずになって王位を争う方が国が荒れます。そこのところをもう一度、よくお考え下さい」
「……お前は、ハッキリとものを言うな」
ルーチェはにっこりとして、返事を返した。
「はいっ、生まれた時からそれだけは褒められてきました!」
それって、長所か?
レクスが苦笑いになったのも仕方がない。
そして寝る段になっても、ルーチェはサッサと独り寝をしてしまうのだ。
私との子どもが不可欠だなどと、どの口がいうのかと呆れてしまう。
レクスは王位にたいした執着はない。
政治は臣下の者に任せてしまっているし、レクスとしては権力に対してそんなに興味はひかれない。幼い頃からお前は王になるのだからと言われ続けていたので、そんなものなのかなと受け入れてきた。
音楽会を開くことができたり、絵を描いたり、芸術の才能がある者を後援することができるのなら、それだけで満足なのだがな。
むしろ今は、公爵の娘を娶らされたことによる弊害の方で頭を悩ませている。
そう、今夜レクスがルーチェに頼みたかったのは、第一王妃であるエリザベスとの関係改善だ。
何がどうしたのか途中から話の方向が変わってしまったので、肝心なことを言い出しづらくなってしまった。
「続けられるおつもりなら……か」
続けないなら、エリザベスやクリスタルとの逢瀬を優先していいということか?
この第三王妃は、仲間として議論したり遊んだりするには気持ちの良い相手だが、閨の相手としてはいまいちだ。
レクスは今夜もため息をつきつつ、クリスタルの部屋に向かっていた。
二つ年上の第二王妃であるクリスタルは、煩いことを言わずにただ甘やかしてくれるので、レクスにとっては一番付き合いやすい相手であった。
この時のレクスの考えは、これから起こる騒動のもとになってしまう。
王宮での春の宵は、将来への不安をはらみながら静かに更けていこうとしていた。