第63話 もう既に詰んでいた
「本当にごめんなさい。また傷を増やしてしまって......」
「いや、まあ......気にすんな」
風呂から上がった俺は来架ちゃんに手当してもらっている。それは腕の傷もあるが、たったさっき出来た背中の擦り傷の手当でもある。
途中から来架ちゃんがぶつくさ何かを言っているのはわかっていたが、シャワーの音で聞こえなかったし、来架ちゃんも俺の声が聞こえてなかった感じだ。
まあ、実際俺には何の非もないわけだが、そもそもあの時点でしっかりと断っておけば問題なかったとも言えるので.......はあ、存外自分は場に流されるタイプだな。
「背中終わったので腕やりますね」
「よろしく頼む」
ベッドで隣同士に座りながら背中を見せていた俺は姿勢を元に戻すとそのまま腕を掲げる。その傷口を簡易救急キッドで来架ちゃんが治療を始める。
......っ! もう血が止まったから大丈夫だと思ってたけど、やっぱし消毒は沁みるな。痛った。
「大丈夫ですか? それにその右腕大丈夫なんですか?」
ついに気付かれてしまった。まあ、いずれバレると思っていたし、ここまで上手く隠せていたぐらいが不思議なぐらいだ。
「大丈夫だ。これは能力を使いこなせていない代償みたいなもので、来架ちゃんが気にすることはないよ」
「この裂けて火傷している傷を見て放っておけわけないじゃないですか! この腕もしっかり治療しまします!」
「はい」
それから、しばらく無言の時間が続く。
先ほど風呂場で事案が発生していたのだ。特にそういう耐性が低そうな来架ちゃんは長いクールタイムが必要だろう。
それに俺もクールタイムが必要だ。来架ちゃんを見ると先ほどの濡れ透け姿を思い出しかねない。
「......私はあの選択肢で良かったと思います」
「?」
銃弾で掠った左腕の傷を治療を終えた来架ちゃんが、右腕の治療に入ると来架ちゃんが突然口を開いた。それに思わず耳を傾ける。
「私は殺したくないし、殺せないんです。たとえそれが憎き相手であっても」
「......それは過去のトラウマのせいか?」
「自分でもよくわからない感覚ですが、恐らくそうですね。自分ではもう割り切ったつもりなのに、体が未だ割り切っていないというか......最初から死なない攻撃だとか、当たったら死ぬけど明らかに自分より格下だった場合は手加減出来て、特に体がこわばんないんですよね」
来架ちゃんに刻まれているのは過去に操られて仲間を撃ち殺した時の感覚。それが自分より強い相手だとわかるとフラッシュバックしてくるということか。
「だから、その、何が言いたいかというと私の気持ちを察してくれた凪斗さんに感謝の言葉を改めて言いたかったんです」
「そっか。なら、俺はそれを受け止めるだけだ」
来架ちゃんが今回の一件で自分の気持ちとどう見つめ直したのかはわからない。
けど、少なからず今の来架ちゃんの柔らかに笑う表情からは少しは吹っ切れているのではないかと思う。そう願っている部分もあるのかもしれない。
「凪斗さん。凪斗さんが自分のことをどう思っているかわかりませんが、十分にすごいと思います。それは能力とか仕事に関してではなく、人としての気持ちの在り方というか、保ち方というか。それがしっかりしてて尊敬します。そんな凪斗さんに助けていただき、本当にありがとうございました」
来架ちゃんは深々と頭を下げる。いつものようなハツラツとした元気ではないが、清楚な雰囲気を漂わせる感じもまたいい。
今回の仕事は大変だったし、後悔することもあったけど、救えた人もいるような感じだった。それはそよかさんも然り、来架ちゃんも然り。
それに来架ちゃんの他に違った一面を見れたのは個人的にも良かったのかもしれない。もっと仲良くなれるということだから。
「さて、寝るか。風呂から上がって程よく体が冷えてきたせいかとてつもない睡魔が襲ってきているような予感がする。それに明日にはこのホテルを出るしな」
「それじゃあ、私はシャワー浴びてきます」
「俺はもう寝るよ。体が持たなそう」
俺は大きく伸びをするとベッドに入り、来架ちゃんは脱衣所へと向かった。
ベッドに入るとこれまでの疲労が一気に抜くように体が脱力し始めた。まるで体が溶けてスライムにでもなりそうだ。
......シャワーの音が聞こえる。やばい、またフラッシュバックしてきやがった。あ、待て! 俺の睡魔! さっきまであんなに襲いたそうにしていたのにどこへ行くんだ!
くそ、思い出して変に目が覚めてきやがった。しかし、こういう時はとりあえず目を瞑っていれば大体勝手に寝てる。
......今度はドライヤーの音だ。技術進歩で結構消音になったはずなのに僅かに聞こえてくるのが気になる。聴覚が発達したせいか。それと僅かに別の音が聞こえる。
これは.......鼻歌? もしかして来架ちゃんは鼻歌しながら髪を乾かしているのか。なんとも可愛らしい......っていかんいかん。はよ寝なければ。
......なんかすごいいニオイが漂ってくるんだが。ああ、来架ちゃんが寝るために移動した時の風に流されて漂ってきたのか。
しかし、それが分かったところで安心して寝れるかどうかは別問題だ。変に鼻腔をくすぐってまた目が冴えてきた気がする。
あれ? 同じホテルのシャンプー使ったはずなのにどうしてこんなにいいニオイがするの? おかしくね?
いや、気にするな。アロマの香り辺りで認識しとけ。
「......失礼します......」
.......すんごいいいニオイが近くまでやってくるんだが? それに小声で“失礼します”って聞こえたのは気のせい.......じゃないことはすぐに理解できる。
掛布団がもぞもぞと動く音、隣からニオイ強烈な風呂上がりな香り。間違いない。何やってるの来架ちゃん!
「起きてないですよね?」
すまんがバリッバリ起きてるいる。
「凪斗さん、少しだけここにいさせてください。ちょっとでいいから温もりを感じたいんです。私の友達は私の憧れでもありました。その憧れを自らの手で消してしまったことは今でも後悔しかありません。もっともっと強ければと思う日はありませんでした」
「......」
「でも、そんな私にまた少し憧れが出来ました。優しくて、頼りになって、でもまだ感情の制御は出来なくて、それ以上に元気をくれる人。挫けそうになった私を助けてくれた人。本当にありがとうございます。キャリア関係なく、尊敬できる人だと思います」
来架ちゃんはそっと俺のTシャツの裾を掴む。
しばらくして、来架ちゃんはそのまま眠りについたのか横から寝息が聞こえる。
裾をちょこっと掴んでいた手は今や俺の腕に絡んでいる。まるでもう“憧れの人”を放さないように。
当然ながら、こんな可愛らしい子にあんなことを言われて、すぐに寝れるはずもなく.......
「あぁ、こりゃ寝れねぇな」
****
「たっだいまでーす!」
「少し長くなりました」
翌日、俺と来架ちゃんは事務所へと辿り着いた。そして、所長の前まで移動していく。
「今回はご苦労だったな。違法ホルダーとの戦いでよく無事に戻って来てくれた」
「来架ちゃんのおかげですよ」
「いえいえ、凪斗さんのおかげですよ」
「いやいやいや」
「いえいえいえいえ」
「なんだ随分と仲良くなったじゃないか。やっぱり同じ部屋に止まったからか?」
「まあ、そうなのか......え? なんで知ってるんですか?」
俺が思わず聞き返した言葉に所長はニヤッと答える。その笑みにゾゾゾッと身の毛もよだつ恐怖を感じた――――――後ろから。
あ、やられた。カマかけられた。
「まあ、私が聞くまでもなく、お前達が同じ部屋に泊まっていたことは知っていたがな」
所長は後ろを指さす。その後ろをギギギッと油を刺し忘れた機械のようにぎこちなく振り向くと――――
「まあ、まさか一回目がラブホだとは思わなかったが」
「ねぇ、凪斗。これは......一体?」
黒々しい目をした結衣がスマホを掲げて俺に見せる。そのスマホの3Dマップには俺達が泊まったラブホの建物が映し出されていた。
これはもう悟しかない。チェックメイトだと。
「どうしてその場所を?」
「凪斗のスマホにはGPSがついてるからね。凪斗が不埒者じゃないと信じていたけど、念のため見ていたんだよ」
「え、なんでGPえ―――――――」
「そしたら、初手からオオカミになってる。これは再教育が必要。痛みによる粛清を」
目にハイライトのない結衣が実写版貞子のようにふらふらと証拠を見せつけながら迫ってくる。
ああ、これはないだろ。
「粛☆清!」
「あああああああ!」
事務所周辺には俺の阿鼻叫喚の声が響き渡ったという。
読んでくださりありがとうございます(*'▽')




