第51話 一時の昂り
「菅野......さん?」
「あ、がぁ、うぐぅ.......がはっ」
俺の視線の先には自らの心臓の刃を突き立てた菅野さんの姿があった。
菅野さんが着ていた白いポロシャツは途端に真っ赤に染め上がり、ドクドクと傷口からも溢れんばかりの血が流れる。
口からも吐血して、あご先に伝った血は床に向かって滴り落ちる。
「菅野さん? 菅野さん!」
やがて力が入らなくなったのか胸に刺さったナイフを抜こうともせず、突き刺さったまま腕を脱力させ、次に膝から崩れ落ちる。
そのまま後ろ向きに倒れる菅野さんに俺はすかさず抱えに入った。それによって、直撃を避けたが、どう考えてもそういうレベルではない。
「救急車! 救急車を!」
「何を言っているのかな?」
「何って......今、人が死にかけてるんですよ!?」
「自ら死にに行ったのに?」
「目の前で死のうとした人を止めないんですか!?」
「それがその人の意思――――――いや、神の意志かもしれない」
「.......は?」
俺は意味不明なことを言い始めた教祖の大して思わず呆れた声が漏れた。いや、これは漏らしてもいいことだ。たとえ目の前で自ら死のうとする人がいて、それがその人の意思だからって止めないのか!?
それにそもそも刺す直前の菅野さんの様子はおかしかった。それでも自殺したのはその人の意思だからとかほざけば、たとえ神の意思だろうと許さない。
「何をそんなに驚いているのかな?」
「菅野さんは自らナイフを刺すのを嫌がっていました。泣きじゃくりながら、必死に叫んでいました。それのどこが自殺と言うんですか?」
「自殺は自殺だろ? その人は自らの意思で心臓にナイフを突き立てたのだから。しかし、確かに刺す直前の様子はおかしかったのは事実。となれば、一つしかないだろう?」
「......それが神の意思とでも言うつもりか?」
「ああ、君はまだ来てから間もないからね。あまり信じていないのだろう。といっても、最初に神を見ておいて未だ信じていないというのも不可思議な話だけどね。とはいえ、これが神の意志でなくてなんというのだ? 人間、恐怖の前では素が出るものだ。あの人が僕を殺そうとしたのがいい例。なら、刺す直前のあれがあの人の素だと言うのかい?」
「それは.......」
それは確かに違う。
周りに弾圧されて耐えきれなくなって、菅野さんが教祖に襲いかかったあの感情は確かに本物で、刺す直前のあの恐怖で震えた叫び声も確かに本物だった。
だが、感情と行動があまりにもリンクしていない。だから、説明がつかない!
「説明できないんだろ? しかし、あの疑問に唯一解をもつとすればそれは“神の意思”の他に何があろうか。神は罪を犯した信徒を許さなかった。そして、二度も僕を殺すという罪を犯そうとしたことを許さなかった。だから、僕が刺される直前で働いたのだよ。人間を作りし、神の強制力が!」
「神の.......強制力?」
「神は慈愛で慈悲な存在だ。そして、信心深い者は特に慈愛で包んでくれる。これまで受肉された女性のように! そして僕の危機に瀕して助けてくれたように! とはいえ、その反面で非情になられる時もあるのだ。神はこの世界の唯一無二の為政者だ。故に、見過ごせなかったのだろう。人間が、あまつさえ神を敬愛する信徒が同じ信徒を殺めることなど」
「わけがわからない.......早く救急車を」
「ここら辺はもっと信仰心の深い者の在り方だから、まあわからないのも仕方ないのかもしれない。だが―――――その無粋なものを捨ててもらおう」
「!」
俺は教祖の話を無視してポケットからスマホを取り出す。僅かに手が震えて捜査に手間取る。
なぜなら、反対の手で抱えている菅野さんの体温が明らかに冷たくなっているからだ。心臓に突き刺さったナイフから溢れ出る血は止まったが、今度は血を失ったことで失血死になりかけてる。
しかし、俺が助けようとしたことをここの信徒は許さなかった。
教祖が言葉を告げた瞬間、背後から一人の若い女性が俺のスマホを蹴り飛ばしたのだ。そして、そのスマホを履いていた靴のヒールを叩きつけた。何度も何度も使えなくなるぐらいに。
思わず唖然とした。頭の中がだんだんと白くなっていくように、考えがまとまらなくなってくる。
そして、その女性は告げた。
「信徒が神によって殺されたのならばそれは極楽の地よ。変な真似をして極楽へ行けなくなったらどうするのよ」
「......ごく、らく?」
「言ったでしょう? 神は慈悲でもあると。たとえ罪を犯した人であろうとも、信徒であったことには変わりない。故に、自ら手で命を絶たせることで、信徒の汚れた魂を救済したということだよ。本来なら世界中に溢れんばかりの汚れた魂がはびこっていて、その魂を救済するのに忙しいという身でありながら、しっかりと僕達のことを見ていてくれたのだ。ああ、何と慈愛深い方だ!」
「神様、バンザーイ!」「ああ、私はこの時代に生まれてよかったわ」「これでやっと安心した老後を送れる」「私は生まれ変わっても、もう一度この時間のこの人生を歩みたい」「神様がいなかったら、俺の人生はどんなにつまらないことになっていたか「こうして幸せなのも神様のおかげね」
「.......菅野さん?」
咄嗟に測っていた脈が消えた。位置によって感じずらいこともあるかと思って、何度も変えてみたが反応が全く感じられない。
恐怖でしかなかった。この場に起きていることが惨過ぎて、もう周りの顔がまともに人間の顔と判断できなかった。
たった今二つ目の死が起きているにもかかわらず、楽しそうに談義している周りの人たちが、それを斡旋するような教祖の存在があまりにも不愉快だった。
ふつふつとどす黒い感情が湧き起こっていく。なんか視界が暗くなっていくようで、気持ち悪くて、でもどうしようもなく楽になれる気がする。
もうこいつらは人間ではない。改めてそう思う。人の死があるにもかかわらず、救済を求めてることが腹立たしい。
思わず握っていた拳に爪が食い込んでいく感覚がわかる。くいしばっていた歯が軋むような感覚がわかる。
でもそれ以上に、あまりにも酷過ぎるじゃないか! 惨過ぎるじゃないか! 可哀そうじゃないか!
だから、ずっと使わないようにしていたアストラルを解放てもいいよな。一般人だからどうなるかわからないけど、死なないように殴ればいいだけだし。
感情がどんどんと昂っていく。頭に血が上り、体中が発熱しているように熱くなっていく。
憎しみや悪意といった良くない感情が体を纏っていくようでとても気職が悪いけど、どこにも発散できそうにない気持ちを発散するにはここはあまりにもいい場所じゃないのか?
―――――――ピーピーピーピー
その時、突然警報のような音が鳴り響く。
その音源はどこかわかる。俺の首に巻いてあるチョーカーからだ。それは赤い点滅を繰り返しながら、警報を鳴らし続ける。
その音に一瞬静かになったと思うとその警報の音源を探すようにあたりをキョロキョロと見渡し始める。
耳の近くでうるさくなり続ける音によって思わず感情の高ぶりから集中が外れた俺は少しずつ気持ちが落ち着いていく。
どうしてあのタイミングで鳴ったのかはわからない。しかし、完全にあの感情はやばかったということは俺自身でもわかることだったので、丁度良かったのかもしれない。
さすがに一般人にアストラルを解放することは禁じられているから。完全に冷静じゃなかった。
すると、一人の人物がこっちに向かって歩いてくる。視界が段々と広がってきた俺がその人物を見るとそれは来架ちゃんであった。
そして、来架ちゃんは右手を大きく振りかぶると―――――――思いっきりビンタした。
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