第50話 恐怖の空間
「教祖......」
俺は静かに呟く。背後から現れた教祖に対して戦慄のような感覚に襲われる。
時間がゆっくりになったかのように静かな空間に教祖が歩く足音が響き渡る。
教祖は空間の中心にいる菅野さんの存在に気付いた。気づいたが、僅かに目を見開くだけで声を出して驚くようなことはしなかった。
「菅野さん.......一体何をしているのかい?」
「何も、してない.......俺は、何も!」
「しかし、すでに今のありさまが事の真相を物語っているように思えるんだが?」
「これは!......これは弓原さんが勝手に起こしたことで、僕は弓原さんを助けようと.......」
「だ、そうですが、他の方はどうなんだい?」
教祖はやや鋭くした眼差しで周囲にいる信徒たちを見る。信徒たちは少し怯えたような表情をしながらも、一人の信徒が指を向けた。
その指先には菅野さんがいる。すると、もう一人の信徒が菅野さんに指を向ける。
次第にその数は増えていき、また一人また一人と最終的に俺と来架ちゃんを除く全員が菅野さんに指を向けた。
まるでいじめがバレた小学生が一人に罪を擦り付けるように。
「なるほどなるほど、それで君たちは?」
教祖は口を隠すように手を当てて考えるような仕草をすると変わらぬ温度の瞳を俺達に受けてきた。“どうして指を向けないんだ”と言わんばかりに。
こんなの同調圧力以外の何ものでもなかった。本当に菅野さんが殺したかどうかもわからない状況で、皆が菅野さんに指を向ける。
見たという人もいたが、それが本当なのかも怪しい今でやっていることは多数決と変わりない。その議題は美咲さんを殺した菅野さんを断罪するか否か。
こんなの.......こんなの間違っている! 確かに、真実はわからないかもしれないけど! 俺は何も見ていないけど! だからといって、この場で菅野さんを犯人にするのはおかしい!
俺はやや速くなった鼓動を感じながら、大きく息を吸っていく。そして、教祖に向かって講義の言葉を投げかけ―――――――
「天渡君! 信じてくれぇ! 僕は、僕は......僕はやってないんだぁ!」
「ちょ、菅野さん!?」
俺が言葉を発しようとした時、菅野さんが俺の足にしがみついてきた。その顔は泣きじゃくっていて、菅野さんの手についていた乾ききっていない血で服が赤く染まっていく。
より血の濃いニオイが鼻腔へとつんざくように流れ込んでくる。
菅野さんはしがみついて何度も俺の名前と“やってない”と叫んでいく。訴えかけるように足をがっしり掴みながら何度も何度も。
そして、次第に足から上着の方へとよじ登るかのように手を伸ばしていく。
「違う! やってないやってないやってないやってない!」
必死に訴えかける。その表情はまさに鬼気迫るものがあった。
―――――瞬間
「放れろ!」
「がふっ!」
菅野さんに胴体に教祖の強烈な蹴りが入った。それによって、菅野さんは吹き飛ばされ、地面を転がっていく。
その無惨にも寝転がる菅野さんの姿を見ながら、教祖は汚れを払うかのように軽く足を振って告げる。
「菅野さん、見損なったね。君は神が現れるこの場所で殺人を犯したにもかかわらず、その罪を認めようともせず、あまつさえ他人に罪を擦り付けようとした」
「! そんなことはやってない!?」
「なに、彼の服に美咲さんの血をつければ少なくとも、新たに来た第三者には疑われることにはなるでしょう? それを擦り付けようと言わずになんと言うのか.......君は神に祈りを捧げてその存在を身近に感じながらも、神に敵対する悪魔のように残虐非道の行いをした。これは神はなんと言うでしょ―――――」
「神なんていないんだ!」
教祖の言葉に菅野さんは大声を上げて抗議した。いわばこの宗教においてのタブーに触れるような言葉を吐き捨てて。
その言葉に対して教皇は.......
「くくく、ふはははははは! おかしなことを言う。その存在を皆で一緒に見ときながら、起きた現象を否定すると? 皆さんはどう思うのかな?」
教祖は両腕を高らかに上げて周りの信徒に尋ねる。笑いが抑えきれないのか言い切った後も大声で笑い始めた。
すると、どこから“ぷっ、クスクス”という失笑気味の笑いが聞こえてきた。その笑いは伝染していくように周囲に広がり始め、次第に大合唱するように腹を抱えて笑い始めた。
もうこの現場は恐怖でしかなかった。人が死んでいるという場面で惜しげもなく大声で笑う姿はもはや人間性が欠如しているようにしか思えなかった。
妄信的で狂信的にして残虐的。
もしかしたら、自分が間違っていたのかもしれない。ここにはすでにもうまともな人ほどほとんどいないのではないかということを。
「さあ、たっぷり笑わせてもらったところでそろそろ決議をしましょう。菅野さんに有罪の人は拍手を、無罪の人―――――――」
「「「「「パチパチパチパチ」」」」」
「はは、早いですよ。皆さん。でも、これで決まりですね」
教祖が言葉を並べている途中で信徒たちが一斉に拍手し始めた。その顔は憑き物が取れたかのように明るい顔をしていて、まるで人が死んでいる光景が何も目に入っていないようだった。
ひたすらに菅野さんを断罪することだけに愉悦を感じているような顔。もうこいつらは人間ではないのかもしれない。
俺は場の空気に飲まれ未だ上手く声が出せない。こんなのは間違っているとわかっているはずなのに、今まで感じたことのないような恐怖が体中を駆けずり回る。
一見明るく見えるようなこの場の裏に隠された鋭く刺してくる冷たい恐怖。薄ら寒い感覚が拭えなかった。
「菅野さん。あなたは信徒としての、いや人間としての領分を逸脱した。その罪はとても重い。罪を償うことをおススメ――――――っとそんなに震えてどうされました?」
教祖の目線の先にいる菅野さんは蹴られた胴体を手で押さえながら、四つん這いのような体勢でプルプルと震えていた。地面に突き立てた手は悔しそうに拳が握られている。
「.......さない」
「え?」
「お前だけは本当に殺してやるううううぅぅぅぅ!」
「ちょっ、待ってく―――――」
菅野さんは突然動き出すと美咲さんの血で染まったナイフを手に取り、素早く教祖へと動き出した。そして、心臓を突き刺そうと両手で持ったナイフのまま突っ込む。
教祖はナイフが突き刺さる前にナイフを掴んでいる手を掴むことで刺されることを逃れた。しかし、勢いまで殺すことは出来ずにそのまま押し倒される。フードが外れ、額に傷があったことが露わになった。
「うぐぁ、ぐううぅ.......」
「死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」
菅野さんは体重を乗っけてナイフを押し込もうとする。
菅野さんと教祖の体重差はかなりある。教祖は見た目からして60キロ前後だ。対して、菅野さんは恐らく80キロ前後ある。
20キロもの差があるのだ。普通ならそれで押しつぶされてもおかしくない。にもかかわらず、必死に耐えれていた。
死の危機に瀕して火事場の馬鹿力が出たのだとしても、教祖は肘が曲がっていて明らかに力が入るような体勢には見えなかった。
そして、教祖は叫ぶ。
「誰か! 助けて! 誰かーーーーーーー!」
「!」
叫んだ瞬間、変化が起こった。
教祖を殺そうとしていた菅野さんが突然教祖から離れたのだ。そして、教祖に向けていたナイフを突然自分に向ける。
「え、どうして!? 体が、体が動かない!」
そのナイフはゆっくりと自身の心臓に近づいていく。
「なんで!? どうして!? 嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ! 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない! ぐあああああああぁぁぁぁ!」
菅野さんの必死の抗議も虚しく、断末魔の叫びとともに自ら心臓へナイフを突き立てた。
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