第105話 事件現場の鉄パイプ
「......」
「......」
「......行こうか」
「......そうですね」
気まずい。せっかく良くなってきた空気感が逆戻りしたような感覚だ。
まあ、昨日あんなことがあって、俺も一端の男だ。意識しないはずがない。
だが、それはある意味想定通りのことだった。
好感度を上げようと必死の俺なのだ。あの躓きを後悔しないはずがない。
しかしそれでも、どうにか立て直せると思っていた。
多少は後ろに後退してしまったけど、昨日のことなんて氷月さんはケロッとして仕事一筋の会話をすると思っていた。
そう、俺の誤算は氷月さんの反応だ。
「そ、それで、今日の現場はとりあえず被害者がいた事件の現場なんですよね?」
「そうなるな」
氷月さんはややどもり、目線を露骨に合わせようとしない。声も張りがなく、どこかしおらしい。
最初こそ、目を合わせないことに出会ったときみたいになってしまったかと落ち込んだが、今や戸惑いの方が大きい。
これは......氷月さんも昨日のことを意識してるということか?
まだわからないし、勝手な憶測で変な方向に進んで過ちを犯すのも嫌だから、言葉には決して出さないけど......そうとしか思えない。
そもそもこんなしおらしい氷月さんを今まで見たことないから戸惑うのだ。
いつもならキリッとした鋭い眼光で俺の目を射抜くように見つめ、自信に溢れている様子が態度から伝わってきて、そして何かと一人で焦って成し遂げようとする感じだ。
しかし今や、目は全く合わせようとしないし、自信がないわけじゃないだろうけど以前よりもその雰囲気を感じず、一人で先走って行動しようとせずおとなしい感じだ。
そのあまりの違いにそう感じてしまうけど、ここは安易に突かない方が吉って感じなんだろうな。
藪蛇だろうし、何より俺自身もこの空気感には堪え切れない節があるから。
「と、とりあえず、現場までの間にサラっと事件のおさらいでもしようか」
「そうですね。そうしましょう」
「確か事件発生時刻は午後23時37分。現場は東月宮区の建設中の建物内で発生」
「被害者は二人。そのうち最初の一人目の名前は高田洋一。その建設中の建物で働いていた建築作業員らしいです。
その時間にその建物に向かったのは自分の道具の一つを置き忘れたからという感じですね。その方は毎日夜中に自身の道具の手入れをしているらしいですから」
「で、その人が真夜中の建設現場に浮かうと怪しげな連中がたむろしていたと。
その人は正義感と仕事場が荒らされている怒りからかその連中を追い払おうとするが逆に返り討ちにあってしまう」
「そして、二人目の被害者が東月宮区小梅町の交番職員である橋森巡査。その方はたまたま別の見回りで夜遅くに戻る途中に、建設中の建物の近くにあった高田さんの車を発見しました。
その車を調べるためにパトカーを近くに止めて、車をのぞき込むが誰もいないことに気付きます」
「それから、周りを見渡していると僅かに建物内から声が聞こえてくるにも気づいた。
それで近づいてみると人影らしきものが動いたので、建設途中の建物に入り、高田さんを襲った連中と出くわす。
橋本巡査は倒れている高田さんに気付くとすぐに連中を捕まえようと動いた」
「橋森巡査は倒れている高田さんからその犯人達を追い払うために動いたらしいですが、それが逆に仇となりました。
犯人の一人が遠くから鉄パイプを投げて橋森巡査を狙ったのです。避けたものの回転した鉄パイプが頭に直撃し気絶しました」
「その後はその連中が警察のパトカーを奪って逃走......ってところまでが一連の事件の流れだな」
そんな会話をしていると俺も氷月さんもややほぐれたような顔つきになった。
いつもなら仕事以外の話が出来たらと考えていたが、まさか仕事の話をすることで助かるなんてことがあるとは思わなかった。
ただまあ、さっきの調子で終始いられるのよりは全然マシと言うべきだろう。
実際に捜査の途中で犯人に出くわしたときにそんな浮ついた気持ちでは危険に身をさらす羽目になるしな。
そして少し歩いたところで、俺達は目的の建設現場にたどり着いた。
その建設途中の建物はブルーの落下用防護ネットで覆われた姿をそのままに「keep out」と書かれた黄色いビニールテープが張り付けられている。
俺達はその中に入っていくと現場を調べ始めた。
建設しようとしていたのは恐らくマンションってところか。横幅がそう感じる。
そして、完成したら5階以上はありそうなその建物は現在ではまだ3階部分までしかない。
簡単な外づくりはしてあるが、中は当然のようにすっからかんだ。
「ここですね。被害者二人の現場は」
氷月さんの声がする方に目を向けると白いビニールテープで人型に形どられたものが2つあった。そのうち一つには頭の近くに血痕が残ってる。
別に死んだわけじゃないが、被害者がどういう風に倒れたのかを記録しておくためだろう。
俺はバッグからタブレット端末を取り出す。そして、資料を再び漁り始めた。
「えーっと、東を向いてうつぶせの方が高田さんで、そこから90度北向きに回転させた位置で寝ているのが橋森巡査。
恐らく、犯人側が建物奥に距離を取ったところで、橋森巡査は高田さんを庇おうとこの位置に立っていたって感じだな」
「使われたのがこの建物に使われていた鉄パイプ......それなりの重さがありますね。大体5キロぐらいですか?」
氷月さんが近くに落ちていた鉄パイプを指紋をつけないようにグローブをした手で持ち上げる。
「そうだな。そのぐらいの重さのものをあり得ない速度で投げたというらしい。ん? 追加情報がある......どうやら橋本巡査が意識を取り戻したようで、その巡査によるとまるで野球ボールが投げられたように高速で向かってきたんだと」
俺は昨日までにはなかった資料の一文を読み上げる。
その文はわかりやすく赤文字になっていて、目を覚ました巡査の情報をこっちに伝えるように再編集してくれたということだろう。
昨日は「少しは働けって意味合いなんだろ?」とか言っていたが、完全に投げやりなわけではなくこうして自分達にわかりやすい情報を端的にすぐに伝えてくれる辺りはさすがだと思っている。
なんだか今ならすごくわかるぞ、警察のすごさが。
そんなことを思っていると氷月さんはその鉄パイプの重さを腕を上下させて確かめながら、軽く俺に向かって構えた。
「今から軽く投げますけどいいですか?」
「ああ、いいよ」
俺はタブレットを左手に持つと氷月さんの体の向きに合わせた。
すると、氷月さんは軽く振りかぶるとブンッと鉄パイプを放り投げた。
それはやや放物線を描きながら、鉄パイプがぐるぐると目まぐるしく立て回転しながら俺に迫ってくる。
その動きを見極めながら、余っている右手で簡単にキャッチする。その瞬間、少しズシンと衝撃と重さが伝わってきた。
軽くって言ってたが、明らかにそれなりの速度で向かってきたんだが。本当にこれが軽くなのか?
いや、これが一般人ではないと判断した理由なのだろう。
5キロの物体を一般人がそうそう投げられるはずがない。陸上の砲丸投げだって野球の投手のフォームでは投げないのだ。
しかし、先ほどの氷月さんはまるでソフトボールでキャッチボールをするように軽く投げて見せた。それであの右手にかかる衝撃......。
「どうでした? 速度の感じは?」
「思っていたよりも結構早かった。それで確かにこの事件が特務の事件であることを理解した。次の被害者が出る前にすぐに別の情報も集めよう」
俺と氷月さんはその現場を後にした。
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