火中の栗~今日は何の日短編集・3月7日~
今日は何の日短編集
→今日は何の日か調べて、短編小説を書く白兎扇一の企画。同人絵・同人小説大歓迎。
3月7日→消防記念日
1948(昭和23)年のこの日、「消防組織法」が施行された。
明治以来消防は警察の所管とされていたが、これにより、条例に従って市町村長が消防を管理する「自治体消防制度」となり、各市町村に消防本部・消防署・消防団の全部または一部を設置することが義務附けられた。
これを記念し、2年後の1950(昭和25)年、国家消防庁(現在の消防庁)がこの日を消防記念日とした。
参考
http://www.nnh.to/03/07.html
虚栄心はかくも深く我々の心に錨を下ろしているので、兵士も、徒弟も、料理人も、荷役人足も、それぞれ自慢し、人の賞賛を得ようとする。哲学者でさえも、それを得ようと欲する。栄誉に反対した論者も、よく論じたということで、それを得ようとする。また、それを読む方も、読んだということで栄誉を得ようと欲する。こんなことを書く私も、おそらく同じ欲望を持っている。そして、おそらくはこれを読む人達も─。
─ブレーズ・パスカル/17世紀フランスの哲学者・数学者
「宵月市揚羽町1124-5で火災!出動せよ!」
一人暮らしを始めた娘の家で火災が起こった。40年近く消防士という職をやっていて、一番驚愕と恐怖に包まれたアナウンスだった。
午後22時。現場に到着した。小さな、けれども可愛らしい戸建から火柱が上がっていた。
「この家には栗子一人だ!まだ出てきていない!迅速な救助を!」
了解!仲間達は大きな子で返事をした。ホースが引っ張られ、放水が始まった。俺は一刻も早く家の中に入る。中は本でいっぱいだった。『デッサンから始めるイラスト』『どうして貴方は人気絵師になれないのか』『絵は9割が色で決まる!』─絵好きのあいつが買いそうな本がごまんとあった。しかし、その本がこの家を何よりも燃やしているとはあいつも考えていなかっただろう。
入ってすぐのリビングに向かう。中央に置かれた小さなちゃぶ台の下にあいつは寝そべっていた。俺は華奢な体を抱えて、外に出る。中ほどではないが、依然として煙臭い。スマホで取ったり顔を見合わせたりしている野次馬を押しのけ、救急車に連れて行く。娘の体は焦げていた。肩を叩く。瞑った目は開く気配がない。
「ご同行お願いします」
救急隊員は近づいてきた。いいよ、いってこいよ。仲間達は俺の背中を押した。俺はそのまま病院へと向かった。
気が気ではなかった。栗子が生まれてすぐ、妻と病気で死別した。男手一つで育てた娘だ。反発もしたし喧嘩もしたが、それでも大切な我が子だ。
病院の手術室へ運ばれる。俺は病院の待合室の椅子に座り込み、祈りを捧げた。普段、神などは信じないタチだったが、この時ばかりは指を組んで本気で祈った。
数時間後、その祈りは徒労に終わった。医者は冷淡に死の宣告を告げ、冷たい目で俺を見下ろしていた。俺は、俺はただ─二度と動かない、汚れちまった娘の手を握って泣き崩れた。
☆
葬式を開いて20日間、俺は家に閉じこもった。いよいよ1人になったのだ。孤独感は尋常じゃない。
警察によると娘の家の火事は事故ではなく、放火だったらしい。犯人を探してくれと言ったが、警察は「近くにあった防犯カメラの映像に写っていた人間は帽子を深くかぶって顔も見えそうにない。時間がかかる」と語っていた。
俺は冷めたお茶を飲み干す。苦味が舌と喉を伝う。
悔しい。
どうしてあの子がこんな目に遭わなきゃいけなかったのか。
そして、何故犯人は娘の家を狙ったのか。ただの愉快犯か、それとも何か娘とトラブルが遭ったのか。
成人してから、俺は娘とそんなに会話していない。会話しようとしてくれなくなったのだ。タブレット端末で、ずっとインターネットとやらをやっていた。
ネット。俺は古い人間だからよく分からないが、何だか危ないらしい。ひょっとしたら娘はそれに巻き込まれたんじゃないか?そこに犯人がいるやもしれない─
☆
「というわけで、インターネットについて教えて欲しい」
「すみません、こんな重い前置きでインターネット教えること初めてっスわ」
休日のカフェ。後輩の田原はコーヒーを吹き出しそうになっていた。
「インターネットって言っても広いっスからね。何のサイトかどうか分かりません?」
「俺が前に見た時は、トリッターっていうサイトを開いてたな」
「トリッターっスか。まぁ、定番のSNSですね。アカウント名とかわかります?」
「あ、赤とんぼ?何だそりゃ」
「アカウントっスよ。ログインする権利のことっス。まぁ、こんな風に」
田原は薄いスマートフォンの画面を俺に見せてくる。ピンボケする老眼の視点を何とか合わせながら見る。そこには丸く切り取られた写真と自己紹介文、180字程度の文章がずらずらと並んでいた。写真の横にはパスタハラと書かれている。
「パスタハラ?お前の名前は田原だろ?」
「トリッターは基本匿名っスよ。有名人とかを除いてはみんな偽名使ってます」
「何だそりゃ。じゃあ分からないじゃねぇか」
「だから、なんか手掛かりが欲しいんですよね。アイコンがどういうのだったかとかどういう呟きしてたかとか」
「ミスコン?」
「アイコンです。アイコンっていうのはこの写真のことっス」
田原は指で丸い写真をつつく。どこのカフェかレストランで撮ったかは知らないが、香ばしそうなペペロンチーノが載っている。
「あ、そういや」
「なんか思い出しました?」
「なんか栗のキャラクターがこういう風になってたような」
「栗のキャラクター?娘さん、ひょっとして絵とか描く人っスか?」
俺はうなづく。田原はスマホに何かを打ち込む。しばらくして、テーブルにスマホが置かれる。画面を除くと、栗のキャラクターが笑っているアイコンのアカウントが表示されていた。俺が前に見た奴と一緒だった。写真の横にはマロンロンと書かれている。
「これだよ、これ!よく分かったな!」
「分かりますよー。トリッターでアイコンを栗のキャラクターにしている絵師さんはマロンロンさんだけですから」
「絵師?葛飾北斎とかそんなのか?」
「素晴らしいイラストや漫画を描く人のことです。マロンロンさんなんかすごいですよ!ほら、フォロワーが20万人も!」
「ふぉろわー?」
「その人の活動を追う人のことですね。平たくいえばファンのことです」
「それが20万人いるのか!?すげぇな!アイドル並みじゃねぇか!」
「でも、最近マロンロンさんは炎上してるんです……」
「炎上?なんだよそれ」
田原は目を伏せる。なんだよ、どうしたんだよ。俺の言葉に、指でスマホを上になぞる。180字ぐらいの文章の羅列があった。
〈ガンが治る水!超すごいよ!みんな効くよ!〉
〈ゴキブリ解剖動画!はっじまるよー!〉
〈宇宙の鼓動を感じてみませんか?スピリチュアルカウンセラーNANAが森羅万象の息吹をあなたに〉
どれもこれも危ない奴だ。栗子が絶対にやらない奴だ。
「どういうことだよこれ」
「僕も分かんないっス。突然絵を描くことなく、こういうことばかり言い始めまして……だから」
田原はガンが治る水の文章の部分を叩く。拡大された文章の下には大量の酷い言葉が並んでいた。
〈マロンロンさん、そういう人だったんですね。見損ないました〉
〈ろくに絵も上げないくせにステマですか〉
〈マロンロン終わってるwwww〉
「なんだよ、これ……」
「こういう風に大量の批判コメントが来ることを炎上って言うんです。突然こんな風になって、僕もおかしいと思ってたんです。娘さん、本当にこういうことしませんよね?」
「しねぇよ!あいつは絵だけが生きがいなんだから!」
「だとしたら……乗っ取りかな」
「乗っ取り?」
「えぇ。アカウントにはメールアドレスとパスワードで登録するんですが、普通それは他人には分からないんです。だからこそ、本人だけがこのアカウントを使えるんです。しかし裏を返せばそれが分かれば本人じゃなくてもこのアカウントを自由に操作できてしまう。最近は技術が発達したんで、特殊な方法を使えばそれが分かるんです。それをアカウントの乗っ取りって言うんです。娘さんもそれに遭ったのかも……」
「でも、同じパスワード使ってるんだろ?だったらまたログインして乗っ取られていた時の文章を消すとかできるだろ?これ、消す機能あるみたいだし」
「娘さんもそれは考えていた可能性があります。でもそれをしなかったということは、乗っ取り犯は乗っ取った後にパスワードを変えて本人を立ち入らせないようにしたんでしょう」
「なんだよ、それ……そんな理不尽な話あるかよ!」
俺は立ち上がって、机を叩いた。置かれていたスマホとコーヒーが一寸法師ほど飛び上がった。
「でも、乗っ取りだと分かったんで、警察にこのこと話せば乗っ取り犯を特定してくれると思いますよ」
「だけど、乗っ取り犯が放火したわけじゃないよな?放火しても何のメリットもないじゃないか」
「そうっスね。これから放火犯を探さないと……」
結局振り出しか。俺はがっくしと肩を下ろして、椅子に座る。田原はスマホをいじり始めた。眼鏡の中の目が一瞬大きくなった。
「放火犯……この人かもしれないっス」
田原は俺にもう一度画面を見せてくる。刑察官という名前のアカウントだった。
〈罪を犯した人間に罰を。正義の味方〉
と、ものものしい自己紹介文が書かれている。田原が指で画面をなぞる。
〈マロンロン、成敗〉
そういう動画付きのメッセージがあった。田原は指で動画を叩く。紛れもなく、娘の家の燃えている様子だった。
「この人、どうやらネットでやらかした人間を過剰な罰で追い詰める人らしいっス」
「過剰な罰って……犯罪だぞ!?」
「本人にとっては天罰、正義のための行いだから致し方ないって思ってるみたいっスよ?」
「くだらねぇ。こいつも特定できるのか?」
「できますよ。それより、この上のメッセージを。今日書かれた奴なんスけど」
田原は指でなぞる。
〈明日、本当の敵を倒しに行く。マロンロンの乗っ取り犯〉
「この刑察官ってやつも乗っ取りだって分かったってことか?警察じゃないのにか?」
「技術さえあればどうってことないんですよ。ネットの世界は」
「乗っ取りだと分かったなら何故娘の家に火をつけたんだ?」
「その後に分かったんでしょうね」
「じゃあ何故謝りもしないんだ?」
「こいつの正義は所詮そういうものなんですよ。風向きだけで相手を叩いて、本質なんて知らんこっちゃないんですから。こいつだけじゃない。ネットの人間の大半はそうですよ」
田原はコーヒーを飲む。カチャと皿にカップが置かれる。風向きだけで相手を叩くのが正義か?信じられない。正義なら人を殺していいのか?色んな思いがこみ上げてくる。
「とりあえず、警察に連絡しよう。ありがとう田原」
「どういたしまして」
田原は眼鏡をクイッと上げる。そんな大変な世界に立たされていたんだな、あいつは。俺は天井を見上げた。シミがあいつの顔のように思えた。
☆
「瑠璃市菊梅街423-2009!火災です!」
次の日。娘の時と同じ時間帯に、そのアナウンスがかかった。その住所を俺は一度聞いたことがあった。警察にもらった、なりすましの犯人の住所だった。
午後22時。現場に到着した。酷く地味で、こじんまりした家だった。
俺が入る前にドアを開けて、人が出てきた。ボサッとした髪に、ヨレヨレの赤いジャージを着た40近い男が這ってくる。
「お前が、マロンロンのアカウントを乗っ取ったやつか」
俺は男の前に立ちはだかる。
「お前、誰だよ!」
「あいつの父親だ。娘がどんな想いだったか分かっているのか!」
「知らねぇよ、天才絵師の心持ちなんてよ!」
男は地面に膝をつけて叫ぶ。周りを取り囲む野次馬は大きくざわめく。そのうちの一人に、丸眼鏡をかけた長身の男がスマホを俺の方に向けていた。間違いない。刑察官だ。
「おい、そこのお前!刑察官だろ!」
男はスマホをしまい、逃げ始める。追いつき、取り押さえる。
「なんで追いつくんだよ。消防士の服って結構重いんじゃねぇのかよ」
「こちとら毎日トレーニングしてんだ。消防士なめんじゃねぇぞ」
ほら、お前もそこ座れ。刑察官を乗っ取り野郎の隣に正座させる。身長がまるで違う。
「で、乗っ取り。なんでお前はこんなことした」
「俺は絵を描くことが好きだった。ネットでもイラストを描き始めた。だが、あいつはずっとずっと高い評価をもらっている。俺より若いはずなのに。だからアカウントを乗っ取った。乗っ取って、有名になりたかった。悪いコメントがいくら来ても……いや、それが嬉しかった」
「だから私はこいつに天罰を下したんだ!常識をわきまえない、非常識な野郎に!」
「非常識な野郎はお前も一緒だろ。正義は人を守るためにある。人の家に火つけたり殺そうとしたりするのはただの暴動だ。お前がその行動をして喜ぶ奴はこの世にいるのか?」
刑察官は丸眼鏡の奥の目を伏せた。
「後、乗っ取り野郎。お前の絵のレベルはどれほどだか知らねぇが、うちの娘は大量に絵の本を買って勉強していた。努力していた。お前はそれほどやったのか?」
ボサボサ頭の下に目を隠す。
「評価されたいという感情は仕方がない。だが、努力しないで認められようとするのはただの怠慢だ!覚えておけ!」
はい。二人は頭を下げて、涙を流す。乗っ取り野郎の家は鎮火された。すぐに警察が来た。二人は連れて行かれた。
俺は空を見上げた。黒い汚い煙は夜空に吸い込まれるように登っていった。この時、俺はようやく星空をまともにゆっくり見上げることができた。
ご閲覧ありがとうございました。本当はサウナの日でもあるのでサウナ関係でやろうと思ったのですが、あまりに思いつかないんで消防記念日にしました。サウナ入らないからマジで分からない。
本当に、ここまで読んでくれてありがとうございました。