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無明抄  作者: 輪形月
第一章
7/27

逆転

本日も拙作をお読み頂きまして、ありがとうございます。

 火の気も人気も絶えきった、古い山小屋の板間へと投げ出された瞬間。猫のように右近は跳ね起きた。


「いきのいい姫君よ。もう気がつかれてしまったか。もちっときつめにあてておけば良かった」

 じつに楽しげに轟天丸は笑った。とうに彼は右近の覚醒に気づいていた。姫君らしくない野趣あるさまに食指を動かしたが、おびえも見せず闇をすかしみる様子は予想以上に楽しめそうだ。


「おぬし、昼つ方の呪歌詠みよな」

「いかにも。名をば轟天丸と申す。昼間は名乗らずしてご無礼を」

 手をついて後ずさる右近に、慇懃無礼なほど丁寧な礼をしてみせる。

「お主の名など知りたくもないわ」

「まあ、そう言わず。姫君に(みやこ)などご覧にいれんと存じて参じたてまつった次第でござる」

「京など行きとうもない」

 吐き捨てる姫君ににやにやと近づく。

 やりとりの間も右近がじりじりと後ずされば、小袿が乱れ袴の裾がめくれ上がる。露わになった脛の白さに轟天丸は目を細めた。

 右近の背に壁がつきあたる。

「では京へゆくよりも、もっとよいことを」

 ぐいと近づき腕を伸ばし。轟天丸はぴたりと動くのを止めた。喉に突きつけられた冷刃のためであった。


咄嗟に轟天丸は後ろに跳んだ。

 刃は遠くならなかった。

 なんと右近は轟天丸の懐にぴったりとついて二度跳んだのだ。三度目はなかった。着地とともに足払いがきまった。

 どうと後ろざまに倒れこむ轟天丸に右近はすかさず馬乗りにまたがった。左手でむなぐらをとらえ、再度白刃をつきつける。

 短いがずしりと重い山行きの小太刀である。細木さえたやすく切り払う鋭い刃をつきつけられ、さしもの轟天丸も身動きがとれなくなった。

 からからと、割れた鞘の転がる音だけがしばらく響いた。

「……なるほど」

 当て身を痛がる様子もないわけだ。ちいさがたなの鞘が身代わりとなった形か。呪歌詠みはおのれの迂闊さに苦笑した。

「桜と言うには棘のある姫君だ。さかもぎのような」

「黙れ」

 きんと冷えた声音にさすがに口をつぐんだが、なおも目に笑いを残すさまに苛立つ刃先がぐいと食い込んだ。

「いてててて!」

「ばかもの。まだ刺してはおらぬ」

 情けない悲鳴をあげてみせるも揺らがない。刺していないとはいえ、尖った鋼が皮膚に食い込むほどに押しつけられていれば相当痛い。肉が押し切られたならば血も滲む。

 だが、委細かまわぬそのさまはどうもしっくりいかぬ。

 口先だけかもしれぬが、邑の童を助けるのに暴れ馬に飛び乗ろうとしたはずの性根の甘いじゃじゃ馬姫と同一人物とも思えぬ。

 ひそかに眉をひそめた轟天丸に、右近はさらに近々と顔を寄せた。

「京に連れてゆこうとか言うたな。いずれの家より頼まれた。左大臣の桜の縁か。右大臣の橘の陰か」

「……はぁ?!」

 轟天丸の口がぱかりと開いた。

 なかなか閉じぬそのさまに焦れたのか、右近の目がさらに冷える。

 諜者とでも疑われているらしい。そうと悟ってか、呪歌詠みは慌てたように手を振った。

「おれらは……あ、いやおれは、ただ」

「ただ?」

「ただ!……馬盗みと拐かしに入っただけだ」

 真事(まこと)を言っても降り注ぐ視線にぬくみは感じられぬ。

「ごまかしは通じぬぞ」

「ごまかすもなにも、これは俺がことぞ。金づくで俺が女を犯すような下劣なやつと見えるのか?」

 子どものように口を尖らせて不平を鳴らす轟天丸の。顔を冷ややかに見つめたあげくにぼそりと一言。

「金づくでなくとも。人を拐かし、馬を盗み、館に火をつけ、女を犯す卑劣漢には見えるがの」

「う」

 まことであるからぐうの音も出ぬ。

「馬盗みも拐かしも重罪ぞ。仕損ずれば、袋叩きか縛り首にあうくらいは覚悟の上であったろうに?」

「仕損じた後まで考えて盗みができるか!」

 やけくそで開き直った轟天丸の上に、呆れた声が降った。

「馬鹿な上に脳天気な男だの。ぬしほど脳天気に生きている男は見たことがない」

「脳天気で悪かったな」

「馬鹿にしていないわけではないぞ」

「ああぁ、そぉ。……ってをいちょっと待てをいこら。それは馬鹿にしてるってことじゃねぇか、思いっきり!」

「気づいたか。まあ思うたことをそのまま言ったまでのことじゃ」

 右近はちらりと苦笑を浮かべた。

「うぁぁ。腹の立つ姫君だな」

 轟天丸は鼻に皺を寄せたが、思った以上にこの姫君は腕が立つ。体術もかなりの心得があると知ればひるみもあった。

「……まあ、よい。一応信じてやろう」

 すっと刃が離れたと気づいたときには。組まれぬ用心か華衣は宙を舞い、七尺は遠のいていた。

「何も知らぬ、迷い者じゃというなら、それも幸い。去ね。邑の者らには、我が斃したことにしておいてやろう。死体がなくば、父上もさぞ悩み疑られるであろうしの」

「なんだそりゃぁ!」

「おそらく明日には街道に異変の知らせが走る。逃げるならば山を越えて不断街道を北西へゆけ」

 逃がそうというのだ。わけがわからない。 


「おいこら、人の話を聞きやがれ、どういうことだかさっぱりだ!」

 思わず詰め寄るその剣幕に、さしもの鬼姫も一歩退く。薄く開いた窓からさしこむ月光のもと。二人の視線が絡み合った。

 転瞬、引き寄せたのは右近の方だった。顎を両手でぐいと窓へねじまげられて。

「く、くくくくび首がもげるわ!」

「おぬしの首がそれほどたやすく抜けるものかや?」

 まるで(すすき)の穂じゃとふざけたことを言う手を振り払えば、存外真面目な顔がそこにはあった。

「お主、重瞳(ちょうどう)か」

「……変わった姫御前だな」

 月や星の光差さねばそうと見知られぬものではあるが、常人にはないもう一つの瞳を持つものを重瞳という。見えぬものを見、まやかしを見抜くその眼を邪眼であると忌み嫌うものも少なくはない。そうと知ってまじまじとのぞき込むとは。

 すっかり毒気を抜かれて座り込んだ轟天丸をよそに、右近はなにやら考え込んでいたがぽんと膝を打った。

「よし。おぬし、轟天丸とか言うたな。我の知る限りのことを教えてやってもよい。ただし」

「ただし、なんだ」

 轟天丸はうす笑いを浮かべた。

「言うておくがな、馬盗んだ者の名を言えというなら今断る。観月の(ともがら)は仲間を売らぬ」

「観月衆か。おぬしら」

 いつのころよりか、芸人や職人など放浪を重ねる者の中にも束ねとなるものが表れた。そのうちの一派が、たしか日の目を見ぬゆえをもって、観月衆とみずからを称してはいなかったか。

「さようなことは申さぬ」

「じゃあ、何せよと」

「我を連れてこのまま逃げよ。逃げておぬしの長に我を会わせよ」

 呪歌詠みは目を剥いたまま、しばらく黙っていた。あまりのことに声もでなかったのだ。

「おぬしは我を攫ってゆくつもりであったのであろ?それにわれから合力(ごうりき)してやろうというのじゃ、都合もよかろう。ああ、(うべな)ったと見せかけそのあたりで放り捨ててみよ。馬盗人として艪櫂(ろかい)の及ぶ限り、我がじきじきに追いかけ報いをくれてくれよう」

「それで俺にかどわかしで捕まれと?」

「実際拐かしたのだから当然じゃ。いやならここで悲鳴を上げる」

 この状況で邑から追っ手がかからぬわけもない。ならばおとなしく従ったほうがよいというものだ。そう拐かした相手に胸を張られて轟天丸は唸った。

 だが、その目が虎目石のように光り始めていた。


 どういう訳かわからぬが、この姫君はおのれを邑から攫いきってみせよというのだ。

 おもしろいものには人にも揉め事にも無条件で惹かれるたちである。我ながら厄介な性分だとも思うがしかたがない。

 ふといたずら気を起こして問うてみる。

「おれが断ったらどうする?逃げても捕まるんじゃ意味がねえ、だったらここで存分にいい音を上げやがれと言ったら?」

「踏むぞ」

「踏む?」

 姫君の足が座ったままの轟天丸の股間に入る。

「知っておるか。荒馬は清い身にしてやると、おとなしくなるものじゃ」

 いかな女性の重みといえども、からだ全ての重みをかけたならば潰れるものも男にはある。思わず轟天丸は尻で後ずさった。

「イヤいやそれはちょっと待てぇ!」

「ならば承知か?」

「いや、それもちと」

「では踏むぞ」

 轟天丸は思わず叫ぼうとした。その口へ手早く袿の袖をつっこんだ右近はぷっと笑った。

「ばかもの。()(ごと)に決まっておろう」

 思わずくたくたとひっくりかえる。容赦なく追い打ちが降ってきた。

「今潰しては、案内に歩くこともできまい?」

「算盤づくかよをい。勘弁してくれよ……」

 思わず冷や汗を拭う。

「だいたいおれらが長に会ってどうする気だ。邑を捨てて観月の者にでもなる気か?」

「いや」

 右近は言い切った。

「観月の者に用がある。たった今できた用がの。なに、只でとは言わぬ。ひとつ賭をしよう」

「…なんだと?」

「日数に切りを定めよう。その間に、おぬしらの長がもとまで無事たどり着けたならば、我をくれよう。抱くなり売るなり好きにいたせ。文句は言わぬ、おぬしの元から逃げもせぬ。……なんじゃ、その顔は」

 揉烏帽子(もみえぼし)をいじくりまわしていた轟天丸は、ふかぶかとため息をついた。

「色気も何もありゃしねえ。そんな引き物みたいな言われ方。萎えるんだがな」

「なにがじゃ。役立たず」

「俺が言ってんのは気持ちのこった!ナニのこっちゃねぇ!」

「誰がいつさような事を言うたか。色惚けめ」

「言ったじゃねえか、思い切り!」

 脳天の桃色めいた靄はとうの昔に消えている。昼間の華のような艶姿は騙りだとつくづく骨身に沁みた。

「だいいち、それまでに、たどり着けねばどうしろと?」

「おぬしをもらうぞ。我のみに仕えてもらおう」

「主なしの観月衆に主を持てだと?」

 次第に頭がぐらぐらしてくる。呪歌詠みは思い切り額を叩いた。だがその口元には笑いが浮かびつつあった。

恐ろしいことにこの姫君は本気である。

 たとえようもなくおもしろかった。

 我が身すら無造作に投げ出すいさぎよさが。自分を拐かそうとした男を使おうとするその剛胆さが。

 賭けとやらをもちだして、長にできた用とやらが成らざる時のため、この轟天丸をおのれのもとに取り込もうとする狡猾(こうかつ)さが。

なぜそこまでするのか、わけなど知らぬ。ただ、若武者にも劣らぬ鋭い眸がたとえようもなく気に入った。


「よかろう。なれど、追っ手を避けてゆくのだ。馬で街道をとばすようなわけにもいかぬ。一月半はかかるぞ」

「遅すぎる。徒歩なれば、抜け道などいくらでもあろう?十日にせい」

 無茶を言う。

「一月。確かに抜け道はあるが、山の中だ」

「十五日。山道は慣れておる。おぬしとて、さほど足弱というわけではあるまい」

 右近は轟天丸の目をのぞきこんでくすりと笑った。黒目がちの瞳に轟天丸は歯を噛みならした。

「……ああもうくそ、姫さんの口車にのってやろうじゃねえか。二十五日で行ってやろうじゃねえか!」

「よし」

 話の固まった(あかし)にぱん、と互いの手を打ち合わせる。轟天はその手をひきよせてのしかかった。

「なにをする!」

「知れたこと、案内賃を先払いでちともらう!」

 そうでもせねば割にもあわぬ。腕を押さえつけてにやりとした轟天丸の下。姫君はおもいっきり身をひねった。

 肉を打つ音がした。

「~~ぁ……っ!!!!」

 轟天丸は硬直したまま転げ落ち、声も出せずにのたうちまわった。

 男の(たま)が潰れたわけではないが、骨身に響ける除夜の鐘。煩悩消しとて痛すぎる。


 悠然と身繕いを追えた右近は声をかけた。

「騒ぐと人が来るぞ。突き出されたくなくば、声をたてるなよ」

 立場とせりふが逆である。


 しばし悶絶したのち、ようやく起きあがった轟天丸の目尻には、ほんのり涙が痕になっていた。

「ったく、なんてぇ姫君だ」

「我はさかもぎゆえにな」

「さかもぎどころか」

 鼻で笑われ、轟天は痛みに歪んだ顔でなんとか笑いかえした。

「逆棘な上に毒まできっちりついていやがるじゃねえか」


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