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無明抄  作者: 輪形月
第一章
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蕾桜

本日も拙作をお読み頂きまして、ありがとうございます。

「やれやれ、腹の探り合いも時には面白いが、底の浅いものは疲れるばかりじゃ」

「右近さまっ!」

 声高な右近をあたふたとおしとどめた女房は、声をひそめた。

「声が大きうござります。祭ゆえに客人も参られるのでございますから、今少しお静かになさいませ」

「声が高いは生まれつきのものじゃ。大きうて悪かったな」

 あららかに床板を踏みならし姫装束に似合わぬ大股で歩いてゆくが、どかどかという荒れた音にならぬ足音は踊りの高拍子のようでさえある。

 足早な右近に必死についてゆきながら(まゆみ)は半べそをかいた。

「まったく、何ということを申されます。檀の肝は胡桃ほどに縮んでしまいました」

「思うたことを言うたまでじゃ。しかも間違ったことは言ってはおらぬ」

「道理にはずれぬからといえ、言って良いことと悪いことがございます!」

 思わず檀の声も癇走る。

「では、思っていても良いのだな?」

「そ、それは……」

 ぐっとつまった檀の様子に、右近はくすりと微笑んだ。

「物言わぬは腹がふくるる。まっこと腹黒くば口にはださぬさ」

「ともかく、お館様だけでなく、高砂の太翁(たいおう)さまにまであのような」

「相手が太翁でなくば言うものかよ。……あんの(ふくろう)ぢぢいめ、わざわざ己で緒宇摩(おうま)に乗り込んできた訳くらいとうに知れておるというのに。くねくねもぞもぞと底の見え透いた世辞を並べくさって。ああ胸底まで痒うなる」

 最後には言葉を噛みつぶす。


自分の部屋に戻ると、投げ鞭も投げ出して座った右近は行儀悪く片膝立てて肘ついた。

「檀、麦湯をくれ」

 ぶつぶつ言いながら支度する檀をながめつつ、稚桜は木肌でも噛んだような苦い顔になった。

 あの太翁の口ぶりでは、はなしは相当進んでいると見てもよかろう。むしろ、太翁が出てくること自体が、すでにはなしが確定から既定へと変わりつつあるということでもある。よほどのことがなくば、はなしは壊れぬ。

「どれだけ打った手はきいたものやら……」

 吐息に肩を落とせば。

「あねうえ……?」

 ひょこりと、戸口から切りかむろの頭がのぞいた。

「おもどりなさいませ」

「お…稚房(わかふさ)か。入れ」

 複雑な翳が右近の眼にちらりと動いた。が、笑みを浮かべて手招きする。 

「我ほどに賢うて、顔が良くて、才がありすぎるというのも、考えものじゃの」

 もう少し物が見えなければ。

 ただ、父の寵愛を弟が奪ったと思えるならば、このいとけない弟を憎むこともできただろうに。

「あねうえ?」

 てててと寄ってきた童子に見上げられて、右近は苦笑した。 

 稚房とは、母親が違う。

 右近は実の母の顔を知らぬ。

 美しいが影の薄い女人であったとは聞いたことがあるので、自分とは全く異なる女性(にょしょう)であったことは間違いがないとは思う。

 産後の肥立ちが悪く、母者人が右近を生んですぐ亡くなった後に、父はまたもや(みやこ)から後添えを迎えた。それが今の母上だ。

 白鷺のような姿に教養の深さ。器量好みな父上が迎えただけあって、藤御前とは継子(ままこ)ながらも仲は良かったと思う。

 向こうはどう思っていたかは知らぬが、右近は本当の母のように思っていた。

 それが変じたのは五年前のことである。

 それまではどうがんばっても、母ではなく姉のように接していた藤御前は、我が子のために「母」になったのだろう。

 そう考えると自分の子を、自分の子の幸せだけを念じて生きる継母を憎むもなにやらばからしい。

 ただ、自分を外に出そうという父の意向の一番の支持者であることを聞いたときには眼が眩んだが。

五月蠅(うるさ)くしたか。こりゃすまぬ」

「いつものことにございます」

 右近は破顔した。

 こちんと行儀良く座り、真面目な顔の弟に言われては、ひたすら苦笑するしかない。

「口争いはいやにございます。あねうえはいさかいごとがお好きとははうえが申しておりましたが」

「吾もできればしとうはない。が、避けても通れぬのじゃ」

「なにゆえにござりましょう?」

 心底不思議そうに問う弟を、実の父にも見せないような優しい目で相手する右近を、檀は微笑ましく見ていた。

「それはな、(いさか)いとは一人ではできぬからじゃ。こちらがしようと思わぬとも、相手がしかければ、受けて立たねばならぬ時もある。……今のようにな」

「今がそのときなのでございまするか?」

 あくまでも大まじめな稚房である。

 右近はこの年が離れた弟をひどくかわいがっていた。十近くも年が離れた、乙子(末っ子)ゆえになおいっそう不憫がかかる。

「まあよい、こっちのことじゃ」

 頭をぐいとふりやって、右近は微笑んだ。

「やあ、やっと笑ってくださった。あねうえも、ちちうえのような難しい顔をなさらなければよろしいのに」

「こんな顔か」

 ふざけて渋面をつくってみせると、稚房は若紅葉のような手を叩いた。

「それ、そんな顔。あねうえには似合いませぬ」

「似合う、似合わないではなく、こんな顔にならねばならぬ時もあるのだよ」

 若房は首をかしげた。

「まつりのときにも?」

「ああ、そうだな」

 右近はにっこりと笑ってみせた。

「祭のときくらいは、こんな顔にはなりたくもないの。稚房、祭は楽しいか?」

「はい。騎射(のりゆみ)は好きにございます」

「そうか」

 ふと思い出して振り返る。

「檀、あれを稚房に」

「もう用意してございます」

 檀も素直でいとけない稚房が好きなので、いそいそと高坏(たかつき)と稚房のぶんの麦湯までいわれずとも運んでくる。

「あがりなさい。高砂からいただいた珍しい菓子じゃ」

 紙を敷いた高坏の上には、山里には珍しい干菓子が並んでいた。

「あねうえ、ありがとうございます」

 ぺこりとお辞儀をして手を伸ばしたものの、稚房は懐から懐紙を出してごそごそと包みはじめた。

「食べぬのか?」

 稚房はぷるぷるとかぶりをふる。

「ははうえが、あねうえからもらったお菓子は見せてたもとおっしゃりました。あとで、ははうえといっしょに食べます」

「……そうか。稚房は言いつけを守ってよい御子じゃ」

 右近は微笑んで弟の頭を撫でた。その笑いはどこか昏かった。


「ご無礼申し上げまする」

 入り口に藤御前の侍女が手をつかえていた。

「こちらに稚房さまはおいでではござりませぬか」

「あ、槇の葉……」

 とたんに稚房が居心地悪そうな顔になる。

「稚房ならここにおる。いかがした」

「藤御前様がお呼びにござりまする」

 そう言って、ちらりと稚房を見る槇の葉の目は山の水より冷たかった。

「黙って義姉上(あねうえ)さまのお部屋にいらしてはなりませぬと申しましたのに。なぜことわけてくださりませぬ」

「稚房はよいお子じゃ。遠慮のう遊びにと、藤御前さまにも」

「ありがたくお伝え申し上げまする」

「稚房、母者人によろしう申しておくれ」

 こちんと礼をして出て行く弟の姿が見えなくなったとたん、小声で叱りつける侍女の声が遠ざかる。

「やれやれ…」

 足音が聞こえなくなるまで主従はなんとなく無言でいたが、右近は思わずため息をもらした。

 檀の方はもっとあからさまである。

「稚房さまもお年に似合わず大人びていらっしゃいますが。どうにも心からうち解けてくださらない様子がさびしゅうございます」

「そうか?」

「そうでございますよ。せめて麦湯くらいは召し上がっていただきたいもの。支度のし甲斐がございませぬ」

 手をつけぬまま残された椀に、檀は憤懣やるかたない様子である。

 如何に子どもの好みそうなものをすすめても、『手を出すは作法にかなわぬことと。ははうえがもうされました』と、礼儀正しく拒絶されてしまうのだから。

「母者人の言いつけを守って、ほんによい御子ではないか」

「なれど、うるわしすぎるしつけは行き過ぎだと!」

「いや。違うな。あれはしつけではないのだよ」

「ではなんだと?」

「自衛のてだてよ」

 きょと、と檀が見やると、右近は弟が開け放していった戸口を見つめていた。

「毒飼いを畏れてのことだな」

「そんな……」

 檀をみやった右近はひっそりと笑った。

「毒など、吾が稚房に飼うと、本当にお思いなのであろうかな」

 苦いその笑みを、檀は肯定も否定もできぬ。肯定すればあまりにも事実は苦い。しかし、否定は確実な洞察に反し、かえって鋭敏な右近を傷つける。

「何心ない稚房が、いっそ羨ましいかぎりじゃの」

 右近のつぶやきは、そのまま檀の思いやもしれぬ。

 ほう、とついたためいきはどちらのものであったか。

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