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無明抄  作者: 輪形月
第一章
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双蛇

本日も拙作をお読みくださいまして、ありがとうございます。

箒木(ははきぎ)。いかが思う、右近様を」

 太翁(たいおう)は影に控えていた者へと声をかけた。

 これは商の町、境の出身ではあるが、今は大邑(だいゆう)高砂に居を構える有数の馬商人である。

「聞きしにまさる雅なお美しさ。右近様は年々御衣黄(ぎょいこう)様に良く似てこられましたと邑内(むらうち)でも評判にございました」

 女の声が答えた。

 ということは、この者は毎年緒宇摩(おうま)に入りこんでいたということになる。だが太翁にも緒宇摩の頭領たる望満(もちみつ)にも、そのことに不審を覚えた気色はない。

 盃に落とす黄ばんだ三白眼の陰気な目つきといい、こけた頬といい、望満(もちみつ)という名を、むしろ望不満(もちみたず)と変えた方がふさわしいのではないかとさえ思える容貌(かたち)は、緒宇摩という小邑とはいえ、長たるに足る人品を備えているとも思えぬ。

 右近とはさして似ておらぬのが救いであろうか。

「さてもさても、お美しいだけではなく明敏な姫君に恵まれて。望満様にはお喜びのことと申し上げます」

 にこにこと柔和な笑みを浮かべていれば、本気の賞賛にきこえなくもない。しかし声音と目は冷え切っている。

「なれど姫君があのような態度をとられるとは、いやはや。この縁談はなかなかに姫様のお気に召されませぬようですな」

「あれは我が子ながらも名うてのじゃじゃ馬。なれど心配は無用。その悍馬(かんば)を馴らしえてこそ、優れて見事な乗り手といえよう」

「いかにもいかにも」

 納得した体で、太翁は大仰に何度も頷いた。

「馬には乗ってみよ、人には添うてみよとも俗に申しますな」

高砂(たかさご)の。次郎蒼玕(そうかん)どのに乗りこなせるかは……」

「次郎どのの腕技次第というわけですかな」

 声をそろえて二人は笑った。

「では、例の話は」

「承知、とお伝えいただきたい」

 (はじ)麻呂がもの問いたげにあるじを仰ぎ見た。が、望満は(ぶよ)ほどにも気にもとめなかった。

 

 このたびの春駒商いを口実に、太翁がやってきたのは右近と高砂の次郎君(じろうぎみ)との縁談を取り持つためである。

 かれは最初からこの話に積極的であった。熱烈に歓迎したと言ってもよい。

 我が子の縁談とは、彼にとって人脈を作り、他の邑との関係を和やかにするための手段にほかならぬ。

 (みやこ)から迎えた妻が没するや否や、すぐさま次の妻を同じく京から迎えたのもそのためだ。どちらもやや身分は低いとはいえ、宮腹の血筋をひく姫君である。それを手がかりに、いづれは宮家とも近づき、帝の姻戚となることももくろんでの布石と言えば人は正気を疑うだろう。なれど望満は真剣であった。たかが山里の武邑の長では終わるまいとの決意は固かった。それゆえに権力を欲した。

 京の朝廷は昔日ほどの力はないが、いまだに無視しえぬ隠然たる権威を持っている。恭順の意を示すには足らぬが、建前としてはこれほど重きを為すものもない。

 同時に近辺の武邑(たけむら)との結びつきを強めようとした。いくら建前が肝心とはいえ、実力なくしては犬の空吠えにも等しい。

 誤算だったのは十年近く右近しか子が生まれなかったことである。いたしかたなく右近を嗣子(しし)とし、他の武邑から婿を取り、孫の代まで自分の采配下に置いてくりょうと目論んでいたが、五年ほど前にまこと都合良く待望の男子が生まれた。

 ならば、当然右近を外に嫁がせた方がよい。

 そこに渡りに船の縁談である。高砂が縁談を申し出てきたのは、おそらく緒宇摩の馬を欲してのことであろうが、そこはむろん承知の上。特産物で益の出る邑は、どこの者にものどから肩まで手が出るほどもほしいもの。

 ましてや戦の要ともなる、馬を育てることにかけては及ぶ者なしと謳われる緒宇摩である。

 このたびの春駒商いを口実に太翁がやってきたのは、その準備もあってのことである。

 今日は右近を初目見得させ、太翁から高砂へと良く喧伝させるつもりであった。

 より高い価値を売りつけようとしてのことである。

 だがその望満のもくろみは、見事右近に粉砕された。


 いまいましく思う望満の胸中はしかしながら、太翁にしてみればどうでもよいことであった。

望満の娘であればかまわないのだ。重要なのは緒宇摩と高砂との姻戚関係をつくり、そしてそれに盛大に貢献し、高砂に恩を売ること。

 それによって、縁談成った暁には、緒宇摩の馬の商いを一手に握るつもりであった。

 緒宇摩のごとき小邑が、そうそう巨大な高砂に抗うべくもない。

 もともと緒宇摩がこれまで独立を守ってこれたのも、周囲の邑の力が拮抗していた余録にすぎぬ。ただひとのみに高砂に飲み込まれるだろう。そう太翁は見ていた。

 それに京の血筋が高砂に入るは言うまでもない。 


むろん、そのことは有る程度は望満も承知している。ただ望満は、緒宇摩が高砂にのっとられたふりで、逆に高砂をのっとってしまえると考えている。

 京と武邑の勢力を互いに相殺することで、緒宇摩の力を高めようというのだ。

 その上、右近が子を生めば、それは高砂を継ぐ子となる。つまり、望満は継嗣の外戚として高砂をも操るつもりなのだ。

 きつねとたぬきの化かし合い以外の何者でもない。

 というか、当事者の意志を無視してよくまあこうも身勝手な予測が立てられるものだとこの場に右近がいたならば苦々しげに吐き捨てるであろう。

 かたりと太翁が杯を置いた。

「されば、それがしは名物の温泉(いでゆ)をいただきまして。明日にでも立ちましょう」

「早いの」

「よい知らせは早く届けに上がるがよしというもの。つまらぬ(くちばし)()れたがる鴉も何羽かおりましょう」

 望満ごとき底の浅い男とつきあうのはほどほどでよい。むしろ近隣の武邑や京が気にかかる。確かに緒宇摩の馬を狙う者は少なくはない。だが、逆に高砂の殷賑を妬む者も、いやそちらの方が遙かに多いのである。

「ご案じめされますな。この箒木(ははきぎ)が連絡役をあいつとめまする。いかようにもお身近でお使いくださいませ」

「う、うむ」

 馬袴姿の美女が媚びを込めて礼をする。たちまち望満の鼻の下がでろりと伸びた。

「藤も高砂とのつながりが強まるのを喜びこそすれ、悋気(りんき)をおこすこともなかろう」

「藤御前さまが承知なされても、右近さまが(うべな)われますかな」

 何気ない軽口に、ずっと凍れる湖面のようであった目の奥にぴしりと罅が入った。

 垣間見えた憎悪と憤怒の燐光に光る氷上にへとたちのぼる。

 おのれの力と立場に、ひとすじの疑いすら許さぬ妄執の気配に。太翁は、軽く見ていた緒宇摩の邑長に、ぞくりと背に氷塊がきしむのを感じた。

「心配は無用に願おうか」

「こ、ここ、これはご無礼を」

 平伏するまるっこい背中を眺めながら、望満は底光りする眼で杯を干した。

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