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無明抄  作者: 輪形月
第一章
3/27

策謀

本日も拙作をお読み頂きまして、ありがとうございます。

 山里の陽は暮れるも早い。

 雪残る峰は蒼く光れど、()彼時(がれどき)の春の空。あわあわと細い月も朧にかすみ。何まつるとも知れぬ(ほこら)も、半ばは月光に浮かび半ばは闇に溶ける。

 しんと冷え込めば、鎮守より聞こゆる笛の音も絶え絶えに。格子戸より漂い入る中、思い思いの格好で立ち坐りおる流れ者。

 芸にて世渡る彼らには、祭りの夜こそ稼ぎ時。それがなにゆえ祠に(つど)う。

 戸のそばにて大あぐらかきあくびする、たっつけ袴に短袖(みじかそで)。色とりどりの模様を(えが)き、もとの容貌(かたち)もわからぬ顔の、(かぶ)き姿の大童(おおわらわ)

 腰にたばさむ袋を見れば、笛吹きなるべしと見当はつく。

 その隣にこちんと座るは白拍子。月光に紅袴の色まで消され、青く冴えたかんばせの、唇だけがぬらりと光る。

 いらいらした様子であかりとりから外の様子をうかがうは、片身替わりの傀儡子(くぐつ)の姿。昼間雉丸と呪歌詠みに呼ばれた男。

 その足下にしゃがみこみ。射し込む月光を胸の神鏡に受け。猿女の君は目を縁取る異様の化粧に筆を念入りに動かす。

 黒塗の笠も神の憑代(よりしろ)のあかしである笹の枝も脇に投げ出したままだ。

 居並ぶだけでむうと覇気立ち上る、山中の獣ほど野性の生命にあふれている奇妙な一行である。


 しかし、その祠の奥だけしんと空気が冷たい。

 ご本尊すら押しのけて。壁によりかかったまま、ものうげに独鈷杵(とっこしょ)をもてあそんでいるのは踊り坊主か弱法師(よろぼし)か。墨染の袖をたくしあげ、首の後ろで結んで二の腕剥き出し、五房残した髪を結うは生悟りの雛僧であるとの(しるし)である。

 眉は薄いが悪相というわけでもなく、むしろ端正ですらある顔立ちなのだが。

 どこか狷介(けんかい)な印象を与える上、影が強いのは、ただ月光から遠いからではない。

肩から胸にかけ、鼠に似た形に闇が(こご)っている。

 (あやかし)である。

 天地の理外に在って獣血を啜り、人の影をも呑み喰らう、(うごめ)く闇と触れあうからにはこの雛僧、妖使いであるらしい。

「……遅い」

 つぶやきが踊り坊主の口から漏れた。

 ふと気づけば、踊り坊主の影だけが壁一面に膨れ上がり、怪物の触手のようにぐねぐねと不定形にうねっている。息苦しさに見回せば、ゆるやかであった動きも次第に激しさを増しているではないか。

「焦れるなや。根津丸」

 笛吹がことさらのんびりと声をかけた。

「いや。遅すぎる。月が檜の枝にかかった」

 雉丸がいらいらと舌打ちをした。

その瞬間、(かす)かに戸を叩く音が聞こえた。

 ぴくりと全員が緊張する。

(たれ)

 白拍子が押し殺した声をかける。

「俺じゃ、轟天よ」

「よし、入れ」

 僅かに開いた隙間から、鼬鼠(いたち)のようにするりと呪歌詠みが入ってきた。

「ちょいと、遅いじゃないのさ」

 下くちびるをつき出すように猿女の君が近寄った。 

 胸の前で腕を組み、挑発的な上目づかいのまますりよるさまは。媚びを売っているようにみえるが、相手はいつものことのように平然としたものだ。

「すまぬな。褒美くだされのついでにの。ひとさし舞わされておったのでな」

 奥へ進むにつれて空気が動く。笛吹きが顔をしかめて大仰に手で払った。

「汗くさいぞ、お前」

「後で水でも浴びておくさ。しばらくは我慢せい」

 水をかぶったような顔をつるりと撫で、轟天丸が踊り坊主に目をやれば。

「首尾は」

 ぼそりと感情のない声音が奇妙に冷え冷えと響いた。

「高砂の馬商人の、太翁(たいおう)をば客人に」

「ほう。あの太翁が出張ってきたか」

「おおよ。宴がゆるりと終わる頃。戌の刻になれば家人も寝静まるだろう」

「よし。それでは」

「おおっと、待った」

 踊り坊主の言葉を手を挙げて轟天丸は遮った。


「悪いが根津丸。この後は。おれがことは抜かせてくれんか」

「なんだと?」

 ざわりと場が異様にうごめこうとした。

 瞬前、ひらりと坊主の独鈷杵が動いた。

「おいおい……」

 雉丸が鼻白む。刃は飾りではないらしい。

「なぜだ、轟天。いまさらになって抜かせろとはどういうことだ?」

 仲間の喉元に白刃を突きつけているとは思えぬほど、根津丸と呼ばれた妖使いの口調は穏やかだった。

 かわりに骨のない千手観音のような影の動きが激しさを増す。それにもまして、行動の過激さと淡々とした変わらぬ口調の落差があまりにも異様である。

「観月衆のともがらを売る気などないわさ。そんなことならこの場で舌切られても文句は言わぬ」

「本当か?」

「ちょいと、根津丸ってば。あんまりじゃないのさ」

 ねっとりと猜疑(さいぎ)の目を向ける雛僧に呆れたように猿女の君が口を挟んだ。

「いよう、茜は時の氏神」

「ふざけてんじゃないよ。轟天も轟天だ、いざって時に怖じ気づいてんじゃないのさ」

 踊るときはへそまではだける白い千早をきっちりとあわせた胸には水晶の数珠、朱紐の鉦と神鏡。

 豊かなふくらみに揺れる(きら)めきに、思わず根津丸の視線すら吸いつく。

 その隙に指先で白刃をつまんで、そうっと首筋からひきはなそうとした轟天丸だが。戻った視線に苦笑しながら手を離す。

「どういうわけなんだ?ことと次第によっちゃぁ、俺も見捨てるぞ」

(かんなぎ)までそんなこと言うなようぅ」

 冷たい白拍子の視線に情けない声を上げてみせる。

「遊んでる場合じゃねえぞ」

「落ち着け、笙哉(しょうや)

 笛吹をおさえに回ったのは意外にも根津丸であった。その目がじろりと見渡すだけで、皆、しぶしぶと静まってゆく。それを確かめると妖使いは呪歌詠みに眼を戻した。

「訳を言え」

「ことわけすれば、馬はいらぬようになった」

「馬がいらぬ?」

「馬より欲しい物を見つけた」

「女か」

 轟天丸は照れたように笑った。

「へん。助平め」

 ちかりと目を光らせた茜がそっぽを向く。


しばしの沈黙のち。

 鼻を鳴らすと根津丸は独鈷杵を引いた。慌てたのは雉丸である。

「おい、根津丸よ。止めんでいいのか」

「動かそうとも動く気もないのに動くかよ。とめてとまるか。この阿呆が」

「わかってくれるか。いやあ、さすがは根津丸は偉い」

 破顔したのに無言で根津丸はじろと睨みをくれた。

「わかってるって。俺だって、何もまったく動かんとは言わぬさ」

 どかりと座り込んだ轟天は、床に手早く指を走らせた。


 春蛍を潰した汁で、ぼんやりと闇に浮かび上がったのは屋敷の間取りである。

 都の貴族の館ほど複雑でも広大でもないが、それでも裏手に山を背負い、二重三重に塀と濠を設けた邑の長の屋敷である。この地方独特の、母屋と馬小屋がひとつながりとなった鉤型の間取りは、離れを建て増し外側から見ただけではつくりがわからぬようになっていた。

「ここに、」

 と轟天は台盤所(だいばんどころ)を呼びさした。

「俺が火をつける。その隙に忍び込めばいい。邑の長の厩ともなれば、名物逸品も揃いに揃っていよう」

「騒ぎを起こして、隙を作るつもりか」

 笙哉が納得したように頷いた。豪胆な策に感嘆する響きさえあった。動かぬどころか一番危険な役でもある。

 命を下す頭領が混乱すれば最上の攪乱ともなる。おまけに子馬が生まれる頃だ。追っ手の使える馬は少ない。

「もともとの企ては、牧に全員で忍び込んで奪い、飛び乗って逃げるつもりだったが、この方がよくはないか」

 牧に忍び込むには邑を牧から邑口まで走り抜けねばならぬ。逃げ出すには同じ事を馬でやらねばならぬのだ。

 馬盗みを言いだした根津丸を皆が伺う。

「むう……」

 根津丸は腕を組んだまま動かない。

「じゃが、おぬし、顔が割れとるじゃろが」

 雉丸がぶつぶつと言う。

「へまはやらぬさ。そのかわり」

「おまえは放っておけとか。……おもしろい」

「じゃが」

 根津丸は、文句を言いかけた雉丸を一瞥した。棒でも飲み込んだような顔で傀儡子は何も言わなくなった。

「よかろう。巫と笙哉は邑の城門を。轟天は火。馬は俺、茜、雉丸でいいな」

「おう」

「しかたもあるまい」

「えぇー……」

 それぞれうなずく顔の中。茜だけがぷっとふくれた。

「少しは働け、茜」

 根津丸の目が僅かになごんだ。表情がやわらぐと、年若どころか幼くすら見える。

 もっとも、この連中自体、いって二十と春秋を数える者はおるまい。

「いやあ、みなもすまんの」

「悪いと思うなら最初(はな)っから言うな」

 頭をかいてみせる轟天丸の、その頭を雉丸がぺんと叩いた。

「戻ったら、みなに酒買え」

 と笙哉がさらに胸をどつく。

「いかにも酒買おう」

「だめさ、轟天丸は買った酒はみんな自分で飲んじまうんだから」

 懐に素早く茜が手を差し入れた。

「のわ、何しゃがる。茜の助平」

「ばぁか、いま銭よこしっての。あたしが預かって酒にしたがずんと確かさ」

「ちげえねぇ」

 皆がげらげらと笑った。

 ただ、茜にまとわりつかれる轟天丸を。見つめる根津丸の目だけが、笑っていなかった。

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