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無明抄  作者: 輪形月
第四章
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八汐(弐)

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

「姫さんよ…。ちと吞み過ぎではないかいな」

「そちらから『呑まぬか』と押しつけておいて何をいまさら」

「いやまあそうだが。ちっとは加減せい」

 右近が鬼姫であるだけでなく蟒蛇(うわばみ)でもあると知らなんだは、轟天丸が失策。

 酒瓶を傾ける速さにははらはらと気をもむが、かなり自業自得ではある。

 とはいえ、右近が我から呑むは観月衆が八汐(やしお)の酒。口当たりこそ搗き混ぜた種々の薬草がために柔らかいものの、なみの酒よりはるかに強い。

 だが、右近の所作には乱れも見えぬ。

「確かに、そちらの酒であったな。気づかぬことであった」

「そういうわけでもねえんだが」

 酒瓶を返してよこさば。まあいいか、と苦笑して轟天丸もちびりと飲んだ。

「夜寒に身体をぬくめるに、酒は幸いとも言う。憂いの玉箒(たまははき)という別名もあるそうだが」

「すべての憂いを払うてくれるような、さような玉箒でもあればよいがな」

 なかなかに、さはたやすくゆかぬがこの世のさだめ。


「姫さんは飲み慣れとるようだが。緒宇摩(おうま)じゃ酒はよく飲むのか」

 清水に恵まれ稲作さかんな富邑でもなくば、なかなか酒は造るまい。武邑(たけむら)によくある糟酒(かすざけ)は、(かも)すに時をかけぬゆえ、酒気は少なく足も速い。すぐに酸っかく吞まれぬものになるものだが。

「緒宇摩で呑むは、山の木の実で醸す猿酒じゃ」

 右近の言葉に納得がいく。

 山里ゆえ、わずかにしか穫れぬ米は人の口にはそうそう入らぬ。

 銭に変えられ戦支度に備えられるがつねのこと。

馬以外、名物たるものとてない小邑は貧しきものである。


「……なあ。なら、なぜ、さまで緒宇摩にこだわる」

ぽろりと転げたうたがいは、轟天丸もやや酔いが回りかけたか。

「貧しい貧しいというならば、執着するにも意味が見いだせん。何より邑も継げぬがさだめの長が娘ならば、他所へ嫁ぐもさだめであろ。ならばいずれは必ず緒宇摩を離るることになろうが」

 だのになぜ、緒宇摩を守る、それだけの力が欲しいとひたすらに我が身を虐め、果ては父親に反旗を翻す。

 轟天丸にはそれが不思議でならぬ。

「あの叔父上殿もいるなら、何も内からのみ守る必要もなかろうに」

 心強い後ろ盾がいるのだから。そう考えて轟天は苦笑した。存外己はあの喰えない叔父御を買っているようだ。

「我が緒宇摩を離るる気はない」

 右近はきっぱりと言い切るが。

「縁談が来とるというではなかったか」

「気になるか」

「……そりゃまあ賭けにも関わりのあること」

 ばかばかしい、と右近は肩をすくめた。

「縁談など、何度来たとて我がこの手で潰してやればよいことだ」

 そこまで緒宇摩を離れまいとするは。

「そりゃまた、あの陰険父上どのへのあらがいだけか?桜を増やさぬがためといえども、責は長へと返るだろうに」

「……なぜ、桜の話をする」

「それもまた忘れていたか。姫さんが、その口で言うたでないか。叔父上殿の前でな」

 怪訝なまなざしに轟天丸がため息をつけば。蒼白になった右近のおもてより、表情というものが一切抜け落ちた。


「……思い出したか」

「ああ」

 忘れていたは、忘れたきこと。

 それこそが、右近が動く根源と呪歌詠みの勘が射貫いた。だが。


「なら改めて訊く。己を生かさぬ緒宇摩が里に、なぜそうも心を砕く、その身を血に染めんとする?」

 血のつながりは縁と別物の轟天丸には、やはりそこがよくのみこめぬ。

 桜が増うるは人が死ぬこと、人の死を隠されること。

 なれどともに育った乳姉妹との縁、喰えぬ叔父御との血縁、邑に暮らせる人が桜にされるを防がんとすれば、必ずやその動きが、彼らも争いに巻き込み傷つけうる。そのこともまた、右近は承知の上だという。

 ならば、なにゆえ。


「……我が、緒宇摩の衛士でならねばならぬからだ」

 血を吐くような声だった。


「このまま父上がお振る舞いを許さば、緒宇摩そのものが戦乱に磨り潰される。緒宇摩絶えなばわが母上の塚すら砕かれん。そを防ぐには、緒宇摩を守らねばならぬ」

 緒宇摩の衆を弔う地所は邑内にある。山の斜面を削った小さな埋葬の地だ。

 総家の墓所はその大部分を占めるも、右近の実母、御衣黄(ぎょいこう)が墓はそのはずれにわずかに形ばかり石を詰んだものでしかない。

 かたちばかりの葬儀ののちは、父望満(もちみつ)は冷淡に黙殺したという。総家の長にならうがごと郎党どもも、藤御前(ふじごぜ)を迎えたのちは最初から御衣黄など緒宇摩にいなかったように振る舞うばかり。

「我が緒宇摩を守らねば、誰も母上が塚を守らぬ。邑を守るというは本意(ほい)ではあれども建前でもある。母上が儚くなられるまでこの世にあられたその証、それを守らんという我執がために、邑すら血に染め、桜を増やすも覚悟の上よ。愚かと笑わば笑え」

 右近がひそかに訪れた時には、塚に珍しい萌黄桜が散りかかるほど間近く生えていた。

 あれよと教えてくれたは祖父が大殿、右近が伝えたは叔父が望輝(もちてる)

 そして御衣黄がことを右近が語り合いうる者は、二人の他にはたれもなく。

 目をかけてくれた大殿がみまかり、望輝が緒宇摩を離れて五年は、右近一人がただ折々に詣でるばかり。


「……墓守がためだったかよ」

 墓のない観月の身に、墓を守らんとする右近の嘆きはやはりわからぬ。

 だが同じ観月の輩を死んでも忘れることはない。

 呆れを笑いに変えんとして失敗した轟天丸は、そっと酒瓶をさしだした。

「利口すぎて、バカだなあんた」

「言うに事欠きバカとはなんだ」

「愚かと笑えと言ったろうが」

「うるさい」


 ひったくろうとした指は意に反して動かず。はっと右近は目だけで睨んだ。


「何を吞ませた」

「何って。酒に決まっとろうが」


 酔えば身動き取れぬが八汐の酒。ようやく効いたかと轟天丸は片頬を歪めた。

 右近は鞘巻(つかまき)を抜かんとすれど、やはり(つか)にも指は届かぬ。かっと(たが)が外れた舌は怒りを炎と吐き出した。

「愚か者めが。盛り潰してこのまま我を襲えば、賭けも無為となろうものを」

「もともと賭けを持ちかけてきたのは姫さんだろうがよ。だが、今は押し倒す気はねえ」

 ごろりと隣に横になるのは。

「俺も酔ったな、身体が動かん」

 轟天丸も吞みのみ右近の相手をしていたのだ、すっかりと動けぬほどではないものの、確かに手足は鈍りつつある。

「このざまで、姫さん襲って浄身(たまなし)になるほど酔狂じゃねえや」

「……バカバカと人を罵るが、おぬしこそ実は大バカ者であろう」

「ちげえねえ」

 くっと吹き出す声がした。それはどこか泣き声のようでもあった。

ミイラ取りがミイラというか……。

ダブルノックダウンというオチ。おそまつ!

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