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無明抄  作者: 輪形月
第四章
26/27

八汐(壱)

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 かすかなる遠雷が、肌に聞こえた。

 花の頃にはよくあることだが、急に冬へと季節が逆戻りしたかと思うほどに、しんしんと地面から冷気がのぼってくる。

 避けんと鎮守の(やしろ)がきざはしに足をかければ、のっと丈高い杉の梢ごしに関山から蘆野へ、くろぐろと雲が薄墨色の空に流れゆくのが見えた。

「やンれ、このまま足止めか」

「よい雨ではないか」

 膝の上に舞い込んできた花びらを拾い上げれば、傀儡(くぐつ)使いと笛吹きのやりとりが小耳に流れる。

 しかし、右近の表情は動かぬ。

 轟天丸と日限(ひぎり)の賭けをした。我が身と彼の身を賭料(かけしろ)に。

 さまでして、日に夜を継いだは、観月衆が長に用があったはず。

 しかし、いかなる用であったか。

 そもそも緒宇摩(おうま)を立って何日が経ったか。

 月の満ち欠け見ればわかろうかとも思ったが、それもこの雨の気配ではかなわぬか。


 沈思もかなわず見渡せば。情は欠けても目は勝手働き。

 月の見えぬ淡墨(あわずみ)が地の利と損を淡々と拾う。

 三春滝河がほとりより小高いあたりに立つ邑は、風野が邑々とはやはり違って見えた。

 屋敷森もない家々は、山の曲屋(まがりや)とも違うコの字型。晴れなば開けた内にも日の射そう。板塀ではなく、垣根が多い。山のごとく板にできるほどの木が少ないこともあるのか。

 他人事なれば住まう人に寄せうる熱もなく、右近はただ眺めくらした。


 どれほど時が経ったのか。

 陽が落ちきったかと思うほどあたりは暗い。動く気にもなれず、高くもない高欄に座り柱に寄りかかっていた右近に、轟天丸がのそりと寄ってきた。

「雨は嫌なもんだ」

「道行く者には、か。山では喜ぶものではある。とりわけ春の雨は、草木の根を音立てて伸ばすというほどに」

「そりゃまた、縁起がいいような」

 銭の音は失せるがな、と隣に座った呪歌詠みは、呑むかと風変わりな陶瓶をつきだした。

 炒り豆の件が頭を過ぎれば、伸ばしかけた手も止まるものの。

 轟天丸はぐしゃっと顔をしかめてみせた。

「こいつぁ雉丸が飲み飲みきた酒だ。ちっと酸っかくなってるが毒など入ってねえよ」

  (あかし)だてるように、我から口つけ大きく飲んでみせた。

「炒り豆もそうだったが、それでは防げなんだな」

 うっすらと冷めた笑いを浮かべたが、右近も受け取ると大きく飲んだ。

「それでも口をつけるのは。おれに心を少しは預けたか」

「預けるようなものがあったか。少なくとも、我を殺しも棄てもせで、おぬしがここまで来たはまことであろう。なれば今更我に毒など飼うまい」

 気まずそうに轟天丸は頬を搔く。

 今まさに与えているのは八汐(やしお)の酒だ。毒ではないが薬とて、効き目過ぐれば毒とならぬわけがないことくらいは知っている。

 魂振(たまふ)るための呪歌もまた同じ。

 喜怒哀楽、人の想いの強きものは陽より陰に籠もることが多い。ゆえに、虚を満たす最も手っ取り早い方策は激怒するようしむけることなのだが、それも過ぐれば刃傷沙汰ともなりかねぬ。

 さて、どこがこの鬼姫の逆鱗か。


「何考えてた」

 とうとう高欄にも風が斜めに雨を叩きつけてきた。早々煮炊きを止めた三人は、別の御堂(おどう)雨止(あまや)みを待っていることだろう。


「覚悟は、の」

「うん?」

「とうに決めておったつもりだった。我が父上と争わば、必ず緒宇摩(おうま)に傷はつくと。ゆえにずっと考えておった。なぜあの女の言葉が刺さったのか」

「さだまっとらんかっただけでないか」

「いや。端から目を背けておっただけと気づいた。敵は父上だけではない。義母…いや、藤御前(ふじごぜ)もだと」

 蜻蛉(かげろう)とかいったあの女術者の言は、たばかりのみではない。

 稚房を遠ざけんとするは、我が毒を与うと思うてのことだろう、そのくらいは見極めがついていた。

 幾分かのまことがあると知れば、害さるるおそれを知るは、害意明らかにあるがゆえ。あのとき向けられたほほえみもおそらくは偽りと見当がつく。

そのことにも目をつぶって、稚房に毒を飼うなど誤解だと、藤御前が心をやわらげんと手を尽くしたは。さまで憎まれていると思いたくなかっただけではないか。

 されどそれは右近が甘さ、弱さゆえ。

「そりゃまたずいぶんしおらしや。姫さんは自信満々のように見えておったが」

「そのように見えたというなら、やはりその大きな目は節穴じゃの」

 む、とへの字口になった轟天にうっすらと右近は笑んだ。

 喜怒哀楽、魂振り動く情が見えれば無理に怒らすこともない。轟天丸は軒の雨だれがごと、途切れ途切れの右近が言葉を待つことにした。


「山吹と。ともに道ゆく合間に幻を見た」

「どんな幻だ」

望輝(もちてる)叔父上が亡骸。廿楽(つづら)(まゆみ)は打ち伏しに血に沈み。稚房はこちらを能面のような顔で見たまま動かず。藤御前は扇の向こうで笑むばかり。父上には何度も刺され、首を絞められ」

「……早く言えやそんなもん!」

 轟天丸は思い切り板間を殴りつけた。

 十中八九あの女術者が仕業の果て。ならばその術を防げぬ己が非力よ。右近が我から呪縛を抜けねば、わざも震えぬ呪歌師とはいえ。

 轟天丸には誇りも泥土に塗れた想いも。

 右近にとっては、己が企てし損じなば、あり得る景色とも覚える。父と争わば、右近と望満が間で磨り潰される人がいると、目をそらしていたものをぐいと眼窩に押し込まれたように思われて。


「あの蜻蛉とかいう術者のせいではあるまいよ。海ほど流るる血をば覚悟の上とせねば、緒宇摩は守りえぬのだと示す幻」

 なれど守ろうとすれば、傷つくことも覚悟せねばならず。

「……だがなぜそこまでして緒宇摩を守ろうとする。緒宇摩はお前の、なんだ」

「同じ事を聞こうではないか。観月衆は、そなたの、なんだ」

「おれが魚なら、観月衆は川の流れ。時に虚空へ飛び跳ねることもないではないがな」

「魚に川が守れるか」

「馬に牧が守れるか、か。確かに川は魚を、牧は馬を生かしてくれる。だが緒宇摩は姫さんを生かしてくれたのか」


 右近は黙した。

今の緒宇摩を食い潰さんとす、邑の総家が長とその連れ合い、封じて桜を増やさぬが正しき道と一度は断じた。

望満の求める争う力よりも争わぬ力を求めることに、あやまちはないと今でも信ずれど、正しさだけでは望満を排斥できぬこともわかってはいる。

 望満は邑の長で、右近の父で、男なるゆえ。

 されど右近は長の娘にすぎぬ。女ゆえに家督は継げぬ。

 嫡男の身でもあったなら、時が過ぎなば老いた父をば籠め置いて、おのれが長になることもたやすかったろうに。

 だが、女の身では時を味方にするもままならぬ。

 それゆえか、右近は己の持たぬ力に貪欲だった。

 祖父である大殿のつけてくれた者らに師事したのもそのため。


「投げ鞭もか」

「あれは緒宇摩の衛士がわざだ。牧の馬を捕らえるのに使う」

強くなりたかった。ゆえに歯をしっかと食いしばり、騎馬(のりうま)印地打ち(飛礫投げ)、ちいさがたなの扱い組み討ち。

 師事した者らも傅役も、大殿すらも口を揃えて賞賛してくれた。

 『女にしてはなかなかの腕前』『女とは思えぬほど』『男でないのが惜しい』と。


 彼らの双心ない褒め言葉。

 だがその裏に、女であるがゆえ、決して右近を頭と見られぬ彼らの有り様をしかと見た。

 双心ないのがわかるからこそ、何も返せぬ。

 強くなるのに男も女もあるかと思ったが、同じ年ごろの者にはその思いすら隠すを覚えた。

 一つには、右近が身に近づけ過ぎた者らが消し去られることもあったが、競えばその者を面子を潰したと憎まるると知ったがため。

 その目は何事も一切言を及ぼしもせなんだ望満がものによく似ていたがゆえに。


 女だ男だと一言も口にのぼせなかったは、望輝叔父だけだった。

 ために、右近が手本とするは望輝叔父しかいなかった。

 五年前まで、緒宇摩に戻ってくるたび望輝叔父は学ぶことを教え、書物を与え、考えを引き出し、おのが頭を持たせてくれた。

 大殿がみまかり叔父が戻らなくなってから。右近はその知も隠すを決めた。

 己を弱く見せかけ策謀と根回しで敵を腐らす女の戦い方とは知りながら。

 それでも力が欲しかった。父上に潰されぬだけの力が。

 緒宇摩を守るための力が。

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