十六夜(下)
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
炎の向こうからゆらゆらと硬質な光が近づいてきた。
さきほどまで見ていた犬の目の輝きとは、明らかに違う。
「何者だ」
右近が闇に問えば応えとばかり、何かが飛んできた。
掻き散らし弱くなりつつあった焚火に飛び込んだとたん、ぼうと音立てて白く高く炎が上がる。
照らし出されたのは、棒きれのような体つきの、ぎょろりとした目の女だった。
顔の造作はわからぬ。下半分に布ぐるぐる巻き付けてあったからだ。
物売り女の姿をしていたが、ひょろりと立っているだけに見える身体の構えに隙はない。
光っていたのは片手に下げた彎刀。 気づけば振動のような低い音がほのかに女のもう片方の袖端から聞こえていた。
嬉しそうに轟天丸が手をすりあわせる。
「やあっと出てきやがったな。もったいつけやがって」
「とは」
ちらと見やったときには右近もまた気づいていた。
「お主、我をも囮にしおったな」
「悪く思うなよ」
轟天丸はにやにやがとまらぬ。
仲間と落ち合っておきたいと言ったは嘘ではないし、小うるさい蠅を纏い付かせたままの道行というのも本意ではない。
だが、うかと観月の輩までも引き込もうとする右近の思惑どおり、ここまで動いてきてしまったことへの意趣返しがだいぶんにあることも確かである。
山中は右近と望輝の庭も同然。
掌でいいように踊らされ、緒宇摩の衆のようにあの剽げた望輝の口車に乗せられる羽目になったのも腹ただしい。
道中、八つ当たりにと右近に手出しょうかとも思ったが。
うかつに触れ、刀を抱いて寝る癖の、右近に内股で歩かねばならぬような羽目にされるも勘弁。そのうえ望輝の思惑に首まではまるとあらば、痛しかゆしもきわまれる。
い寝難ての夜々の数々苛立ちもつのっていたが、それも今の右近の顔を見るだけでも、罠の甲斐はあったというもの。
そこへ女の甲高い哄笑が夜闇に響いた。
「これはこれは、じゃじゃ馬姫が早速に飼い犬に手を噛まれておられることよ」
「誰が飼い犬だコラ」
剣呑に轟天丸が唸ったが、女は意にも介さず言葉を放った。
「姫の策はたやすく破れたり。望輝どのは首討たれましてございまする。御館様の命にて」
一瞬ぐらりと右近が片膝ついた。
雷鳴のように丸呑みにした言葉の毒ががんがんと響く。
まさかという疑念も浮かびもせず驚愕が舌を縛る。最も右近の怖れていた事態であった。
「姫さん、どうし」
いいかけて轟天丸は気がついた。
「この匂い…」
ひりりとした煙が風下へと流れ来る。
だが、この香りは。まさか。
「煙を吸うんじゃねえ!」
叫びもはや舌がもつれたか、半ば唸り声となった轟天丸の叫びににんまりと女術者は目を細めた。
「もう、遅い」
(しまった)
轟天丸の言葉にすれば、まさにそれ。
「ぬしらの手足はすでに石。ほれほれ心ノ臓までゆるりと重かろう」
言葉を聞いてはならぬ。そう悟りながら耳をふさごうにも手が上がらぬ。
これほど茜がいればと轟天丸が強く思ったことはない。
茜が身につけているのは鞭術に観月の女なら誰もが心得る、男とろかす媚術だけでない。
眼を強調する化粧によってさらに強まる邪視の術、媚術使えばこのような薬を使わねば効果の出ない程度の言霊などたやすく無効化できただろうに。
足掻く右近の額にもどっと脂汗が噴き出す。
「きさま、何者だ」
まわらぬ舌ににんまりと女は目を細めた。
「久々津使いの蜻蛉」
「聞いたことがねえな」
「さもあらん。観月の者どもは視界が狭い」
「て、てめえ、…天動衆か!」
「いかにも。藤御前さまにつきしたごうて、はや五年。都から緒宇摩くんだり馬くさい田舎まで下ってきた甲斐もあったかの」
「く…!」
蜻蛉はうっすらと口元に笑みを浮かべた。
山抜けて、灼岳越えていったいいずこに向かうつもりやら、夜旅を重ねる馬の足を相手に、さんざん策を弄して十六夜の市にようよう追いつけたのはおのれが衆に秀でた腕にほかならぬと内心誇っていたものを。
そう信じていたからこそ、待ち構えていたという言葉に一度はうろたえた。
だが、観月の男が言葉ははったりと見破った。
それが証に、男は蜻蛉の術中に底まではまっているではないか。
市じゅうにばらまいた炒り豆にたき付け。
どちらも薬をしこんであるが、片方だけではまず無害。
だが、二つ重なれば人の心は手中の卵。握りつぶすも茹でるも焼くも思うがまま。
さらに加えて刃にちらちら光を映し、蜻蛉の名の由来でもある振り笛振って、いかな豪傑であろうともあらがいすらできぬよう心を操りきっているのだ。
それでも、心にまったくないことは動かせぬ。情動かずば言の葉も、ただひらひら口より散って残るものなし。
だからこそ、呪歌詠みの口は早く塞ぐ必要があったのだ。蜻蛉自ら囮になっても。
見上げれば、月が顔を出していた。
飛礫に散った花が枝に帰るがごとく。春蛍ふわと漂うさまは意外なほどに目に付く。
では、情なき夜の姫王の下、とどめを刺してやるも一興。
腕の立つというじゃじゃ馬姫にその護衛らしき観月の男さえ、どちらも酔い萎えたるは薬と言霊がため。
舌はともあれ、骨まで痺れては指一本上がるまい。
仕込みにずいぶんと気を使うが、この蜻蛉、決して狙いを外しはせぬ。
「そうそう傅役どのも。河久万どの、河津に檀、塩竃の統まで戮されたとやら。皆々すべて右近どののせいと恨まれて!」
不自然も感じることができぬ右近の耳に、蜻蛉は異様なほどに執拗に、ねつく息を吹き込んだ。
ゆるゆると身体を縛り付けていた毒煙とはまるで違う、舌より滴る激烈な言葉の毒に右近はがくがくと人形のように崩れ落つ。
「近習どもの血族も皆たいそうなお憎しみ。それもこれも男の形して緒宇摩の衆を殺した姫君がせい」
ぐう、と右近の背が小さく丸まる。
「それと、藤御前さまの仰せでございます」
楽しそうに術者はさらにこってりと悪意を塗りたくった言葉を口にした。
「女の身で総領の座を奪わんと、弟殺させんとする悪道者。邑を割り、家を壊す忌み子には、己が血を分けた稚房けして殺させまいと」
「違う!」
「いやあ、そないな戯れ言信じられますかいな」
右近を見下ろすその目には愉悦の脂ぎった光だけがあった。
「稚房どのはその顔、二度と見たくないとな」
歌うように。
「緒宇摩の邑を守るには。いらぬいらぬは災いびとよ。死人の上に根を下ろし桜桜と己の春を得んがため、戦を起こす横着者、死穢まき散らすが喜びか」
「そんな」
「今しておるのはそういうことではないかいな。お手前は緒宇摩にいらぬお方と思われよ」
(ちがう)
反論も心の底に潰れたか、水面に映る花影のように宵闇朧にかすみゆく。
「お、おい姫さんよ」
轟天丸の声も耳に届かぬ。
「この手で殺してやりたいほどじゃが。けがらわしいゆえ見もせぬことにするとかや。いやいやたいしたお憎みようにございます」
蜻蛉は高々と笑い声を上げた。
誇張はあるが嘘は毛頭言ってはおらぬ。
蜻蛉にとって、穢れ仕事を押しつける藤御前も憎いが右近はそれ以上に憎い相手だった。
己の持ち得ぬ宮腹の高貴な血筋を引いており、漢籍すら読む才あれど。
女ながらも馬に乗り、衛士と自称し武術に励むあらけなさ。
己でさえそうなのだから、下流とはいえ貴族の身である藤御前には降嫁の屈辱。
ただぎりぎりと歯を噛めど。腹立つほどにも心を開き、相手は義母と慕うのだ。
望満ごときと並べられ、母上母上と言われれば、己が百の齢を重ねた老婆にもなったような無惨な思いになるだろう。その一端なりと晴らせると思えば、このような仕事も苦にはならぬ。
望郷の…望京の思いはむしろ藤御前より強いという自負がある。
右近らを追ってきたのも、京へという望輝の言葉を聞き取ったが蜻蛉の足に翼を生やした。
延々追っていったことにして、しばし久方ぶりの京の匂いなりとも嗅ごうかと思っていたが。
境のような地にゆくならば、わざわざ仕事を遅く仕上げることもない。
観月の者もしきりに動こうとするが、足は微塵揺るぎもしない。
そろそろ舌も痺れ果て、すでに声も出ぬ頃と、蜻蛉は唇の端を吊り上げた。喉の奥からつぶつぶと笑いの泡が弾けてたまらぬ。
豆に手出しをした以上、この蜻蛉の煙陣より逃れることはできぬ。
市に集まった者どもにかけた術が解かれたのは誤算だったが、それもじゃじゃ馬姫もろとも観月の者も、この手で死止めてから、再びかけなおせばいいだけのこと。
何かの盗人に仕立て上げ、自分たちが叩き殺したと思わせておこう。
あとはそのまま緒宇摩に戻り、『右近の死骸のありか』を藤御前に申しあげれば仕事は終わる。
いかな言霊使いの力が優れようとも、勝つのは自分であれば、それでよい。
がっくりと男も膝をついたを見て、蜻蛉は彎刀を取り直した。
念のため、近づく前に顔へと刀子を投げてみる。
ぴっと頬に血の筋浮かぶも男は動かぬ。いや動けぬ。
首の肉が盛り上がったは力を入れたがため。だが微動だにできぬと見澄まして。
蜻蛉はその名の通り音無く右近の背後にまわりこんだ。
かたかた震えて動かぬさまを見れば、十分毒はまわりきったと思われた。
が、油断はしない。
「ささ、右近どの」
にいと笑えば細い刃が炎に光る。
「この世とは申しませぬ。せめて藤御前さまにおさらばを申し上げなされませの」
背後からねつく囁けば。
「おまえがな」
ふいに脇から冷えた声を振り向こうとしたとき、蜻蛉はおのが脾腹に奇妙なものを見た。
垂直に太刀の刃が生えている。
稚桜の太刀を奪った呪歌師が刺した、そう気づいたときには背後から蹴り離されていた。
胴の中をずるりと刃が抜ける感触に蜻蛉は絶叫を上げた。
「なぜだ、なぜ動ける」
苦し紛れに弱々しく振り回される刃はやすやすととっぱずし。動けぬはずの轟天丸は歯をむき出して笑った。
「あいにくとな。でかい目玉で睨まれようが、妙な薬を仕込まれようが幻のたぐいは効かねえ身でよ」
息を呑んだのは抉り引き抜かれた刃のせいではない。青く濡れた夜闇の中、太い笑みを浮かべた黒瞳は、確かに蒼く月色に縁取られていた。
「まさか。きさま、重瞳……!」
蜻蛉と名乗った女術師が無惨な末期の痙攣に目もくれず。
太刀に血振りをくれた轟天丸は咳払いした。
幻術は効かねど毒煙は確かに効いている。
手足の動きも鈍いのは、言霊暗示の術にかかりやすくするだけでなく、軽い痺れももたらす薬であったようだ。
「あー、まったく」
してやられた、とは声に出さずに吐き捨てたことである。
大口は叩いてみたが、二段構えで毒を仕込み、己は解毒を含んでおいて陽動となるとは、思ったよりも知恵の働く。手勢がさらに伏せてあったら危うかったやもしれぬ。
豆とて一応毒味はしたが、市の者らが食べているのを見てつい油断した。毒煙も蜻蛉とやらが平然としていたのにだまされた。我ながら重ね重ねの失態に腹も立つ。
「姫さんよ、無事か?」
掠れ声にも我ながら力がない。
それより応えもないのが気にかかる。
「のんきに気でも失ってられると困るんだがな」
一人ごちつつ轟天丸は、汲みおいた水を力の抜ける手で苦労して持ち上げた。
ざぶりと焚き火を濡らせば煙も薄らいだ。これで毒煙の効力は失せるはず。
そう思っていたが、あたりがしんと闇にくるまれても右近の動く気配はない。
「おい、どうした?」
気付けに軽く頬を叩こうとした手を轟天丸は思わず止めた。
かすかな滴の音が膝の上に滴っているではないか。
轟天丸は、無言のまま刀を蜻蛉の袖で丁寧に拭うと鞘に収め、袿の膝に置いた。
右近はそれでも動かぬ。
「……ともかくずらかるぞ。仲間を待つにもこれではどうにもならぬ。ここは夜駆けで離れるが上策だ」
答えはない。
轟天丸は右近の顔をのぞき込み、すぐさま目をそらした。
魂の抜けたような両の眼より滂沱と流れる涙ふたすじ。轟天丸には苦手なものだ。
手早く馬をなだめては荷物を背中に積んでゆき。
なすがままの右近を鞍前に乗せ、空馬と手綱を繋いだ馬に己もまたがったころには、気まぐれな十六夜月も雲居に暗く、風は強くなりつつあった。
「ち。とうとう降って来やがった」
ざあっと風に翻る若葉の匂いに湿り気混じり、轟天丸は何も見えぬ天を仰いだ。
「…やあれやれ。華に仇の雨かいな」
春霖は手弱女の泣くがごとしというものの。
確かに、しとしと切れ間のない降りになりそうではあった。
春霖は春の長雨、のことです。




