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無明抄  作者: 輪形月
第四章

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十六夜(中)

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 犬柘植(いぬつげ)白樫(しらかし)忍冬(すいかずら)

 寄生した蔓根に絡まれ幹すらよく見定めえぬ、小高い丘上の老樹を今宵の宿の主と二人は決めた。

 樹下に寝転んで見上げるのがもっとも美しいというがその名の由来の、十六夜(いざよい)の寝まり桜は高名(こうみょう)の珍木。

 咲き初めたかたちは鞠のようだというが、身の震えるような夜闇に浮かぶ影はそのぼってりとした花房も下向きな影はいまだ固さの目立つつぼみばかりである。

 夕暮れ見上げた梢は花芽の色に紅と染まっていた。


 聞こえるは気の早い蚯蚓(みみず)の鳴く音か恋語る声か。花曇りやや惜しまれるが早春の暮れ、商う恋を楽しみに十六夜の市に来る者も多いというも、さもありなんと思わせる。

 旅する者は野宿がならい。

 市とはいえ常置の店屋が立ち並ぶわけもなく、商いの品を畳めばさらりと広い辻の道端、思い思いに集まって夕餉(ゆうげ)の火を熾すさまは、遠目に見下ろせば大きな春蛍の群れのようだ。


 右近たちが火を盛大に焚くのも久方ぶりである。

 山よりも平野にある火はいっそう目立つ。姿をひそめての道中は火を熾すこともはばかられる。雪さえちらつく寒夜には、背中合わせに互いの身から暖をとることもあった。

 初顔合わせた時の華なら騙りと骨身に知りつつも、轟天丸とてちかぢか寄れば身の温もり肌の匂い、血潮も騒いで頭に昇る。

 なれど、最後の一手が伸ばし得ぬのは、あの喰えない叔父御の一言がため。

 据膳喰わば観月の輩すべて縁戚となす、とはまったく本気でまともとは言い難いことをけろりと言ってくれたものだ。


 その胸内のくさぐさも、右近の夕餉を調える見事さになだめられては苦笑に変わる。

 蓬と母子草を茹でて粟餅と混ぜ合わせた団子こそ道々の者からもらったものだが、幅広の笹葉に乗った蒸し焼きは、陽当たりのよい斜面で地に貼りついていた蒲公英(たんぽぽ)と、しだいに丈を伸ばし、ようやく芽を出したばかりの羊蹄(ぎしぎし)ともども布に包んで水に沈めたか。

 すっかりアクの抜けきったのを灰に埋めておいたものだ。

 三寸もない土筆は生え際まで摘んで頭と袴を取り、わずかに残る肉色の茎を丹念に集め。同様に熱を通せば充分な春の味。焚き火の枯れ松葉に松脂の粉の匂いがまた野趣を添える。

 緒宇摩の衆から分けてもらった乾飯だの、ガガイモの葉や蔓を麦粉と混ぜ合わせて固く焼いて水分を飛ばした煎餅だのは、まだ出番すらない。

さすがにまだ人怖じ強く、水底を這う小魚どもは採れなかったと見えるが。

「ほれ。おぬしのぶんじゃ」

 不意に差し出された布包みは。

「温石か」

 渓流の下るこのあたりの河原は深く切れ込み、山から下ったばかりの大石がごろついている。その河原の中でも角の丸まった石を選んだか、なにやら心配りが嬉しくもある。年寄り臭いが夜の冷えにはありがたい。

 思わずいそいそ懐にしまいこめば、不意に右近の声が飛んだ。

「のう、轟天丸よ。そなたの仲間とはいかなる者がおるのだ?」

「なぜにそんなことを聞く」

 いぶかしげに顔を向ければ、けろりと黒目がちの瞳が裏なき態で見返した。

「ただ、知っておきたいから、おぬしが待つ者を案じるからではいかぬか。おぬしの頼みにするというなら、さぞかし頼りがいがある者たちであろうし」

「嫌みか、それは」

 松毬(まつぼっくり)をぽんと炎にくべ。呪歌詠みは口の端で笑った。


まことに、この姫君は一筋縄ではいかぬ。しょせん邑を離れたこともなきに等しい山住まい、山を降りなば陸に上がった河童も同然、後はこちらのものと思っていたが、いっこうに音をあげぬ。

 一度は泣き面見てみたしと、女の足には無理なほど、急ぐ日数を言い訳に。わざと最低限の休みしかとらずにここまできたというに。キレは変わらずそれどころか食い物や気配りでこちらの気を緩めさせておいて、嫌みついでに何気なくこちらの勢力を推し量りにくる。

 その鋭さはいっそ小気味よくすらあるとあっては、妙に男に対するような敵愾心すらそそられもするのだ。


「やはり教えてくれぬか」

 さもあらん、と。しらしら頷くさまに何かが臍を曲げた。

「いんや、少しは知っときゃ姫さんも心丈夫だろ。また襲われたとて敵も味方もわからぬでは、背を預けようにも困ろう」


 この逆手には右近も一瞬目を見開いた。轟天丸は肩を揺すって笑った。

 気は許せども心は綻びも見せず、己の足場にぴんと背筋を伸ばして立つ者は数あれど。右近ほどに歯ごたえのある相手など、轟天丸にもついぞ覚えはない。いささかなりとも出し抜いたという思いが気分を良くするほどに。

 観月の輩を売ろうとは欠片も思わぬ。だが山中にて、馬追の夜、緒宇摩に起こったことのあらましは二人ともすでに廿楽(つづら)の口から聞いている。

 底の割れた手は切り札にならぬも自明の(ことわり)

 ならばせいぜい腹いせ混じり、今はこのかけひきの緊張感を楽しんでやれという気になりもする。

「名までは教えん、今はな」

 言霊使いらしい念の入りようではある。

「緒宇摩におったはおれを含めて六人(むたり)きりよ」

火を掻きたてる手を止めて、轟天丸は梢を見上げた。


 昼間はあるかなきかの風にも揺れ、絶えずさざめき続けていた花の雲も。夜はただ(すが)しい花蜜の香だけがしづかに降り行くばかり。

 濃雲まだらに散る空の、月は隠れて見えぬ間に。

 一昼の暖かさでずいぶんと咲き拡がった花明かりは、宵闇に互いの顔をくっきりと浮かばせた。

「まず一人は言葉は足りぬが頭の切れる。思いは色にも出ぬゆえに誤解もされやすいが、あれはおのれを生かすための砦か」

「砦?」

「人に寄れば情が動く。人が寄れば情が騒ぐ。騒げば妖に影を喰われる」

(あやかし)使いか」

右近は得心したように頷いた。

 高砂(たかさご)の者の亡骸の、磨いたような切り口というも、さこそと思われた。太刀傷ならばよほど手練れの利刀といえ、肉が弾けて反り返る。

 だが敵とするも味方とするも。

「妖使いは力に呑まれ、いずれ必ず狂うと聞くが」

「そうというな。だが、あいつにだけはそんなこともねえ。妖を使えるよりも大局見定め策に優れるがやつの強みさ。…が、それもあいつがからむとどうもなぁ」

「女か。白拍子がおったと聞くが」

「いんや、あか…っとと、ありゃ根っからの猿女(さるめ)よ。一人きりの女だが」

 猿女は、()る女の(いい)でもある。

 道々行くの者のひとくさではあるが、底抜けに陽気で猥雑な姿は一夜の恋を売る者と右近すら知っている。

 それが紅一点というならば。

「白拍子もおったと言うが。そちらは女ではないのか」

 のされた見張りも気の毒に。そうは言いつつ右近もかすかに苦笑する。

 轟天丸は火にもう一つ松毬をくべた。

「白拍子と笛吹きやってたぁは、口寄せと依童(よりわら)もやる。息のあった相方よ。血の繋がりゆえかな」

「珍しきことを」

 夫婦はあっても子の親はない。子はすべて道々同輩の子となるゆえ、大人はすべてが親ともいえる。逆に実の親子も兄弟も知らぬが。二人はともに捨てられていた子だったと聞いた。

「おれは父も母も知らぬ。育てた爺は知らんでよいと言いやがった」

「羨ましいか」

 男はしばたいた。

「考えたこともない。それに、血分けた兄弟以上のやつも俺にはおる。口やかましいが腹のきれいな男さ」

傀儡(くぐつ)師か」

 誇らしげな口ぶりに右近はしみじみと男を見た。

「信頼しておるのだな」

「ああ。俺の仲間よ。もっとも俺も負ける気はない」

「それは、羨ましいな」

 その声音には、轟天丸に息を引かせるものがあった。

 ぎくと見やれば、右近はしずかに足下の(なずな)を見ていた。

 その横顔に言霊使いともあろうものが、言葉を失った。


 右近にはない。比肩する輩などない。

 思えば緒宇摩の衆と別れた時も。あえて行く先くらますと告げ、裏切られぬために信じぬ優しさを見せていたのは。己より年上であろうがなんであろうが、右近は矢面に立って、おのが父から邑の者をすべて守ろうとするがためではなかったか。

 孤影に奇妙な苦みがこみあげた。真っ向勝負をしかけたくせに弱みにつけこんだような。


「何だ?」

「いや。とまれ、今宵はとっとと食べて寝とけ。明日は早い」

 慌てて焼石入れて湯にした竹筒をぐいと右近につきだしたそのとき。不意に雲が斬れた。


 びょうびょうと底籠もる犬の吠え声が響く街道筋に、春蛍ではない光の点が浮かんだ。それが一つ、二つと増えた。

 無言で望輝(もちてる)より受けた聖柄(ひじりづか)の太刀を手にとると、右近は闇を透かし見た。眼を細めた轟天丸も一瞬息を引いた。


「なんだぁ?…」

 呟きも微かである。

 昼間見かけた顔もちらほらと。四十人近い男女が(ひし)めいて、二人が宿りの桜を指して丘に近づいてくる。

 しかしその様はなんとしたことか。

 石を嵌めたような目をかっと見開き宙に据え、一言も発さず息するかさえ曖昧に。

 青白くまだらに春蛍の光に照らされたさまは、言葉も通じぬ亡者の群れかと思われる。

 首に縄を巻いた犬を牽き連れているのは犬芸していた娘である。近づいてきた光の点はこの犬どもの目玉であったろうか。

 犬どもは今も吠えたて続けてはいるものの、その尾を股にはさみ、吠え方にもとまどいとおびえが滲んでいる。


 右近も轟天丸も気づいてはいなかったが、二人が身には嵐の匂いが移っている。

 幼いとはいえ、山犬は犬にまさり、犬は狐にまさる。

 犬が怖じけるのも無理はない。

 だが、犬がかえりみる主の顔は喜怒哀楽好悪疑信、いずれの念のゆらぎも見えぬ。


「轟天丸よ。いかな術にかけられておるかわからぬか。人さえ正気に戻せば収まりはすまいか」

「試してみんと、なんともいえねえな」

「試しもせぬまま、手をこまねくばかりか」

「ずいぶんと容易く言ってくれるじゃねえかよ」

 舌打ちするも。言霊は魂ふりうごかすものなれば、心失せたる相手には効きはせぬ。

 てんでに棒だの鎌だの物騒な得物を振りかざす人波にじりじり押され。焚き火を壁に寝まり桜に近寄れば、馬たちが落ち着かなげに地面を掻いた。

この人数が相手では。右近得意の投げ鞭と太刀でもそうは効かぬ。

 いっそ馬に飛び乗って蹴散らそうかとも思われたが、それもぐるりを囲まれては。

せめてもと、焚き火掻き散らせば火の粉が大きく舞い散るさまに、一斉に人の動きが止った。


「なるほど、これか」

 にやりと太い笑みを刻み。焚き火から大きな燃えさしを取ると轟天丸は大きく振り回した。

 (ごう)、と音立て、視界を灼くほど大きな炎の動きに目が吸いつく一瞬を狙い、言霊を放つ。


「『時は今 火の粉ふるふる己が荷も焼くれば稼ぎの灰となりける』」

 轟天丸は燃えさしをぽんと上に軽く投げ上げた。

「それ、火の粉が降ってくるぞ、さあさあ荷を守れ、水がいるぞ」

 はやし立てれば石を埋めたような目にも光が宿る。

 僅かに示した仕草は確かに懐の銭を、腰の袋を気にしていた。

 利に動き損を怖れる心も心、ささやかなりとも、思いさえ一点に集めればたやすく力をゆるぎいだすということか。

 空の容器に水汲み上げるように、呪歌に男達の感情が満ちてゆく。くるっと背を向け走り出す、その後を犬どもが追う。

 見る間に闇は静けさをとりもどした。


「たいした呪歌詠みよな、おのれは」

 火のないところへ水煙、空をもって実となすなどなまなかな術者ではできぬ真似。安堵の息吐いて、太刀を納めようとした右近を轟天丸が制した。

「次が来たようだ」

 顔を上げれば、ただひたひたと足音だけが近づいてくる。一人分だけ。

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