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無明抄  作者: 輪形月
第四章
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十六夜(上)

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

「はーりぃ糸布布ぉ~丈夫な針糸布布っぉ~」

「堅塩細塩雪塩、砂一粒も入っとらん塩だよぉーぃ」

声はりあぐるは薪女、針売り塩売り干魚(ひお)売り、犬芸人。

 市の外れの河原にまでわんわん響く声に、右近は眉をひそめた。

 これなるは、山々の根を回る不断(ふだん)街道と、東海(とうかい)街道の交わる無主(むしゅ)の大辻。

 月の十五日に立つ(いち)も。夜っぴて騒ぐ者すべて、翌夜の月の出を待って発つほど賑わうがゆえにその名を十六夜(いざよい)という。

 行き遭った市の外れに右近のみ、ひとり時を費やすにも訳がある。


 木は山の中とか言いならわすが、旅なら旅なす商人(あきんど)職人(しょくにん)のうち、人多き市に紛れ込めば目立たずにすむ、というわけにもいかぬという轟天丸が言い分にも一理ある。

 一目でそれとわかる呪歌詠みとその連れが、客も集めず呪歌も詠まず、馬にて稼ぎの場を素通りするとは疑ってくれと触れ回るようなもの。

 かといって、奇矯な姫と名を売った右近が素面にて人群れに立ち混じれば、それと見分けられる(おそれ)も高い。

 望輝ら一行と別れし時には潤沢に糧こそ緒宇摩(おうま)の衆より分けてもらえはしたものの。

男ばかりに衣の替えまで気も付かぬ。

 身なりを変えようにも華衣脱いで束ねた髪を布で覆い顔を汚し、山がつを装うがせいぜいとあっては、早々に立ち去らねばと気も焦る。

 なのに、市に入ったとたん。呪歌詠みがずうと根を生やしてしまったのだ。


 芸をする者らが集まる一帯は、市の中でもなお華やかに人目を惹く。

 それゆえにこそ、呪歌詠み姿のままの轟天丸も目立たなくなってはいるのだが。

 うかつに寄れば、今度は右近が目に立ってしまうとあらば、出立を催促するもままならぬ。

仕方もなく市の様子のうかがえる河原にて洗い物などしつつ待ってはいるものの、馬櫛持って近づけば、右近に懐いたよしろですらもそっぽを向く始末である。

 くるくると刈られた(たてがみ)は法師髪、櫛もすでに五回も全身くまなく入れられ、油を塗ったように艶光りしていれば無理もない。

 たまりかねた右近が市を通り抜ける(てい)にて様子を伺えば。

 なんと、轟天丸は道々の同輩と車座になってうまそうに湯気たつ椀を抱えていたのだから腹が立つ。鍋すら持ち歩きかねる身にすれば、飯はぬくいだけで馳走である。

 いっそ首根っこ掴んでその場から引きずり出してくれようかとも思ったが、それでは目くらましの意味がないと胸をさすり、その場はそしらぬ顔で通り過ぎたがものの。

 ぺきりと手にした粗朶(そだ)折れば、馬どもの後ずさる気配がした。

朔夜(さくや)よ。案ずるな。気は急くが、あやつの尻に火をつけてやろうとはまだ思っておらぬゆえな。今少しおとなしゅうしておれ」

 ふっふっふという不気味な笑いに、胴震いした星ある黒毛が鼻を鳴らした。


「なにょぶつぶつ言っていやがる」 

 振る声に振り返った右近は驚きの声をあげた。

「どうした、その格好は」

 水を何度もくぐって花色になってはいるものの。こざっぱりとした水干に目立たぬ黒の揉烏帽子(もみえぼし)という姿に(なり)を変え。轟天丸はぽんと包みを投げてよこした。

「遅くなったが、着替えだ」

 ほれこれもだと食糧らしき包みに吸筒どさりと置くのは。

「分けてもらったのか」

 道々の同輩とあらば損得抜きの助け合いかと問えば、男はかぶりをふった。

「いんにゃ。道行く者にゃ銭の算段。客寄せに呪歌を詠んでやったのと(いのち)(ぜに)のおかげでよ」

 聞き慣れぬ言葉に首傾げれば、轟天丸は帯裏や袂や懐から短い(さし)を取り出してみせた。多くは青く錆び浮いた(びた)に近いがわずかに混じる銀の色。

「山行に身守と言うて、必ず肌身に乾飯持ち歩くようなものか」

「客寄せは銭になんねえんだがな」

 時を潰したのもこのためか。得心するに右近にもぼやいた轟天丸は目も向けず。

「悪ぃが、今夜はここで宿る。俺が仲間をしばし待つ」

「消息でも聞けたのか」

「いんにゃ、さっぱり」

 とぼけた(いら)えに、さすがに知らず知らず声が尖った。

「ならば、あれだけ道を急いだは何のためじゃ。灼岳の(ためし)もあれば緒宇摩の領内抜けたとて油断はならぬというに」


 兵法にも兵は巧遅より拙速を重んじるとかいう。

 だからこそ、望満らの目の届く所より、はやばや抜けんとひたすらに星を(かづ)いて不断街道沿いの間道を抜けてきたのだ。

 いらただしげに睨むも答えず。呪歌詠みは懐から取り出した小さな袋を放ってよこした。

「姫さんも喰うか。物売り女がの、味見じゃというて、炒り豆をばたんとくれたと。放下師(ほうげし)どもらが分けてくれた」

 口動かすは物喰うて、時を潰す訳さえ言わぬ気ゆえとおのずから知れる。

 苛々炒り豆を噛みつぶしてから、右近は眉間に皺を寄せた。

「仲間が心配か」

「……へまはしとらんと思うがよ。それよりゃここから先はあやつらがおれば通るも楽だ」

 観月の者なら、つねに仕込み衣装の二枚や三枚持ち歩く。糸引き抜けば袖丈も自在に変わり、表と裏では模様も色も異なる、それさえあれば変装もしやすい、人にたやすく紛れもできる。

 なれど、さすがに人盗むのに重荷はまずいと預けてきたのだと轟天丸は嘆息した。


「装束変えても中身が変わらねば意味がなかろうに。行商人なら符丁の一つも知らねばならぬ。関所の抜け方振る舞い方、博労と油売りではまるで違かろう。芸人とて、呪歌詠みとでは異なろうものを」

 右近の言葉に轟天丸が笑った。

「なに、たいていの観月の者は、芸はいくつかこなせるものよ。手玉剣とり、軽業に舞いの一つやふたつ。たいていのことは一通り扱えてこその輩よ。俺とて呪歌師の他にも二つ三つは芸がある」

 笛に(ささら)、旅芸人の楽は一通り使うもかなう、塩売り干物売りなら口上も仕込んであると胸を張った拍子に遠くで鈴鉦太鼓がぴたりと止んだ。

 笊を抱えて一巡りせば、ちりぢりばらばら鐚も降ろうと。轟天丸は心底もったいなさそうに溜息をついた。

「いつもなら、よほどな稼ぎ時なのによ」

 苦笑した右近は豆の袋を投げ返した。

「じきに市も閉まろうほどに、さて今宵はいずこに宿る」

「へ」

 鉛白の小さな円となった日ははや、まだ頭の白い西の山脈の稜線に触れようとしている。

 夜旅も続けば休みを取るのは悪くない。


 宿りを捜すということは、少なくとも明日の朝まで。

「待たしてくれるのか?」

 ありがてえ。降らねえでくれりゃもっと助かるんだが、と轟天丸が独りごつのをよそに。

 最後の豆を口に放れば、粉山椒か。

 香り塩が、右近の舌にもひりりと響いた。

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