誘戯
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
不断街道は山裾をめぐり邑々をつづり合わせるように伸びている。
山かげに出たり入ったりの道は、遠くからは続いているのかもおぼつかなく見える。
それゆえにこその、あえての名づけか。
このあたり一帯の大街道は、しかし静かであった。
欅や櫟の若樹が道際までせりだした山裾を埋め、さほど太くはないが、どの小枝にも狐灯のように淡緑の葉がゆらいでいる。
峠の向こうからちりちろと聞こえてくるせせらぎの音に、うれしげに物売り女が振り返った。
「ちょいと、水浴びでもしてこうよ」
「先を急ぐ。暇などあるか」
「根津丸ってば。そんなことをいわないで、ねぇ」
甘えた声に、しかたもなさげに馬追姿の根津丸が足を止める。
それを目で確かめるや、にんまりと茜は笑った。
茜にとって女が男に甘えるのは男を籠絡する手段にすぎない。男が女に甘えるのは女を自分のものであると金焼するようなものだ。
ひとつひとつわがままを通すたび、根津丸がおのれのものになってゆくのが茜にはひどく楽しかった。
下りきっただらだら坂の下は、わずかながらも川ゆえに空が開けていた。
白じらと向こうに見える山裾は梨だろうか。みどり葉にいっそう鮮烈に白が映える棚畠である。
馬に水を飼うと、根津丸はさっさと木の根方に腰を下ろした。木陰に入ればするりと鎌のような爪ばかりが目立つ鼠か鼬鼠のような妖が懐から滑り出る。
それを横目に見つつ、茜は巻髪の布をほどいて頭を振った。
川端は明るくあたたかい。土埃よけの布を巻いてはいるものの、たまにはゆっくり時間をかけて髪の一つも梳きたくなるというものだ。
雪解け水とはいっても、緒宇摩の里のようなまったくの山中とは打って変わって、陽光吸ってほどよく温もった細流の水は潺々と煌めく。
思い切りよく掬って顔を洗い、ふところから手ぬぐいを取り出したところで、茜はもっとおもしろいことを思いついた。
物売り女姿の短裾をたくし上げ、帯に挟めば太腿のつけねまであらわになる。その格好で水面に屈みこむのだ。
ちらと見返れば慌ててそらした根津丸の眼のふちがほんのり赤い。
茜は見えないようにぺろりと舌を出した。
この陽気にもかかわらず、汗ひとつかかぬ根津丸の姿はいかにも異様。
それも幼子であった時、天地の理外のモノである妖に憑かれたゆえとは茜も知っている。
彼の影が今も磯巾着のように木の影と一体になって小さく揺れているのもそのせいだ。
闇に触れた者は何かしら「変わる」。
観月の輩の中にもわずかながら妖使いはいる。
なれど、いずれも年々歳々人間離れしてくる者ばかり。
身体が毛に覆われている者。
身ごなしが獣のように速い者。
傷もあっという間に癒える者。
人の言葉を喋らなくなり、獣の唸り声しかたてられぬようになる者。
闇を受け入れることで己も闇の一部となるためか。
結句、人の世からは落ちこぼれ、観月衆のごとく日の目もくぐる道行きをたどる者ばかり。
無口な白皙はおとなしやかに荒事など縁のない風情だが。
根津丸も闇の縁を渉く者の例に漏れぬ。
もともと、恬淡としておらぬ妖使いなどおらぬのだが。
妖は憑いた者の情を吸う。
忌み子となったその日から、人と向かえば情も動くが、その喜怒哀楽が身を削る。
理知にて己に枷を填め、心を揺らさず動かさぬ修練は妖使いの第一歩。
人として生を全うしたくば、妖が誘う闇に呑まれてはならぬのだ。
それゆえ人を避けようとする者も、妖に憑かれた者には多いともいう。
なれど、人まじわりもせぬ者は人にあらず。おのが闇を見つめるばかりとなりぬれば、かえって呑まれることにもなりかねぬ。
妖使いが修行の甲斐なく、激情にかられ完全に闇に飲まれたならば、おのれも妖になるとかいう噂の真偽はさだかではないが。根津丸も仲間で群れようと距離を取るきらいがある。
それもまた闇を背に負う道行きのためか。
まわりの者の情に引きずられては妖すらも意に従わぬ。人の激発を押さえ込むなら、さらに過激な手をいち早く打つも効用。
緒宇摩で女に目をつけた轟天丸の喉元に、刃を擬したも雉丸の血を冷ますため。
なれど、根津丸自身がわざとせずとも、側にいるだけで重圧を感ずるのはいつものことだ。
仲間も根津丸とは一歩を隔す。われからじゃれかかるのは轟天丸か茜ぐらいなものだ。
おそらく女とてまだ知るまい。
そこが茜にしてみればむしろかわいい。
根津丸の無表情と平板な声は激昂しやすい己を隠す盾だと知れば、わかりやすくすらある。
笙哉も雉丸も同じくわかりやすい男ではある。少し誘いをかけてみせれば、見る間に変わる眼の色々。
だが、それゆえ茜には喰いたりぬ。
身を任せてなどやる気になれぬは、己が手に簡単に入る者には興味の持てぬ性ゆえのこと。
といって巫は苦手にすぎる。
白拍子の姿して男を誑かすのがうまいせいか、年下なくせしてあの何もかも見透かすような眼を爪で搔き潰してやりたくなることがある。
笙哉と絡むときは年相応の少年らしくも見えることもあるのだが。
それでも、おのれと同じことをする相手と寝たいと思うほど酔狂ではない。
轟天丸もわかりやすくはあるが、昔裸で共に川遊びした、三つにもならぬころの茜を今も見ているような目つきがまた腹ただしい。女を見せつけても態度が変わらぬのだから。
それゆえ他の男にあてつけるには丁度よいのだが。
おのれの媚術にかからぬは、まだまだ童子である証と、腹立ちなだめていたものの。
「轟天の餓鬼め、あたし以外の女に色気づいてんじゃないのさ」
いつか五つも年かさの鷹女が誘って寝たと聞き、そのときはさすがに胸が煮えた。
鷹女は媚術で睨んでやった。
当の轟天丸はといえば、風呂にでも入ったようにさっぱりした顔していたが、ただそれだけだった。
その後も鷹女に狎れかかるわけでもなく、茜に向ける目に男が混じるわけでもない。根津丸のように情をひた隠しに隠している様子もないのを見て、とうとう茜はさじを投げた。
男心の動きをとらえるのは、男を蕩かし手中で転がす媚術のわざの第一歩。
得意中の得意であるはずだが、轟天丸の心だけは茜の手中におさまらぬ。
寝ても手管にかからぬ、心底女に惚れたことのないやつとみた。泣くも笑うも、すべては一時夢まぼろし。よろず執着する根津丸とはいい対照だ。わけのわからぬ悔しさは覚えるが、けっしておもてに出してはやらぬ。
どうせ女を攫うというも、珍奇なものに惹かれてのことに違いない。飽きたらそのあたりで捨てていつもの顔で返ってくるに決まってる。
茜は束ね直した髪をまとめて、もう一度顔をよく洗った。
「ああ、気持ちいいねぇ。せいせいするよ」
眼に飛び込む光に小手をかざしながらふと思う。
仲間うちで群を抜いて術に秀でていたのは轟天丸と根津丸だった。
巫の告依は己の思うにまかせず、雉丸らは腕っ節も芸もそれなりに達者ではあるが術者ではない。
おのれも媚術の使い手であるから術者に心惹かれるのか。
それとも力ある術者を己の手中に収めんとする、術者としての対抗心とでもいうべきだろうか。
わざとくつろげた胸元を拭きつつ横目で確かめる。
根津丸はたった今背中を向けたばかりであった。
くくと茜は含み笑った。
確かにそんな心根もあるが。
悪い女であるのもまた娯しいものではあった。




