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無明抄  作者: 輪形月
第三章
14/27

偽計

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

望輝(もちてる)さま、おひさしゅうございまするぅーっ」

「まあまて廿楽(つづら)

 平伏しようとする物頭を望輝は押しとどめた。

高砂(たかさご)灼岳(やけだけ)の衆はいかがした」

 顔を上げた廿楽はにんまりと笑った。そのような表情になると、四角い達磨のような、なんとも奇妙な愛嬌がある。

 だが口にした仕置きは痛烈なものだった。

 すでに丈夫な蔦蔓(つたかずら)、それぞれ持っていた縄を集めて縛り上げ、見張りを付けて、とんと雪解けの滝の瀬へ突き落としておいたというのだから。

 (ふち)は浅けど雪解け水の冷たさに、頭上からは滝飛沫。おまけに沢蓋木(さわふたぎ)(さえぎ)られては、こちらの盗み聞きとてかなうまい。

「それこそ肥壷にでも漬けておきたいところでございますが、今しばらくはこれでようございましょう」

「上出来じゃ」

 顔見合わせて幼馴染み二人、いたずら小僧の笑みを浮かべる。

 後ろに控えた郎党どもも笑いをかみ殺しかねて背が震えていた。


 右近は廿楽を見直していた。

 殺せば恨みは一族に及ぶが、恥辱は口に出さねば本人しか恨みを抱かぬ。

 結びつきも複雑な近隣の武邑は数々あれば、無用な敵は作らぬのが鉄則。

 だが、なにもせねば騙され殺されかけた恨みは消えぬ。

 そこを見切って命は助け、郎党どもをうまくなだめる手腕はさすがであると見た。


「これ以上の仕置は緒宇摩(おうま)へ連れて行ってからにするがよい。総領たる望満兄上、いや御館様にもはからんでなんとする」

「いかにも、叔父上の申されるとおり。高砂にも灼岳にも、そののちゆるりと丁寧に挨拶を申し上げれば良ろしかろう」

 望満にすべて押しつける気まんまんの望輝に、右近もひどく似た笑みを浮かべた。

 生気を取り戻したのは緒宇摩の衆である。

「さすれば姫さまもお戻りなされまするのか」

「いや。今は緒宇摩に戻らぬ、いや戻れぬのだ」

「それは、いかなるゆえにございましょうか」

 廿楽に剛直な目を真っ直ぐ向けられ、右近はためらった。

 これまで思っていたような、四角四面で融通のきかぬ人物ではないとは知ったものの、廿楽やその配下をも巻き込んでよいものか。

 思わず目を向けると、望輝は励ますようにかすかにうなずいてみせた。

 右近はすばやく腹を決めた。

 すべてではないにせよ事情を明かし、緒宇摩に味方を作るには、これもまた確かに好機。

「今の緒宇摩は危ういのでな。戻らば、我もさらに狙われよう」


 高砂の者が襲ってきたということは、婚儀の話が進めばさらに右近の身が危険にさらされるということでもある。

 よもや望満はそれも計略のうちにいれていたわけではなかろうが、それに乗せられる手はない。

 そして狙う相手の居所がわからぬほど、やりにくい暗殺はない。

 そのことは廿楽も郎党たちもよくわかっている。


「もしや、姿をお隠しなされたのも」

「皆には心痛をかけ、いたくすまぬことではあったがな。馬盗人の騒ぎに乗じて、呪歌詠みどのに緒宇摩より連れ出してもろうたのじゃ」

 緒宇摩を離れてさえ刺客が襲ってきたのだ。説得力は確かにある。

 胡散臭げなものが混じっていた轟天丸への視線がこれで一気にやわらいだ。

「姫さまの近習どもの姿が見えませなんだのも。ひょっとして」

「…我の口からは言えぬ。すまぬ。じゃが、父上がみなご存じじゃ」

「ではお屋形様は何もかもご存じの上でこの婚儀を行うと。いったい何を考えておいでか」

 じわりと怒りの籠もるその声に、答えず右近は目を伏せた。


 嘘は一言も言っていないが、真実ではない。

 むろん、窟の桜を思えばそうそうすべてを打ち明けるわけにもいかぬ。だがおのれの身を案じて憤激してくれる廿楽の情の熱さがひどくつらい。

 近習を殺されたのがまことでも、父から子へ決別を告げるならともかく、その逆では緒宇摩の衆の心は右近より完全に離叛する。

 それゆえどれほどおのれに非があろうともそれを認めるわけにはいかぬとはいえ。


「我が姪御の身が危ういのは見ての通り」

 望輝が轟天丸を前に立たせながら口を挟んだ。

「そしてこの呪歌詠みどのが信頼できるお人であるは、わしが保証しよう。年は若いが呪歌の腕がたつ。偶然道中でおうたが、いやあ、わしも熊より助けてもろうたほどじゃ。それゆえ轟天丸どのに、我が姪御の身柄を預け、しばし緒宇摩より隠そうと思う」


 望輝も嘘は言っていない。たださりげなく親しげな様子を作って見せ、轟天丸と旧知の間柄であるかのように見せているだけである。

「なれど…お屋形様には。いかように申し上げれば」

 困惑した態の廿楽に望輝が笑って云った。

「儂が戻ろう。右近と命の恩人どのの代わりにの」

「叔父上」

「右近には、儂の代わりに都へ行ってもらうのじゃ。本草学の本を取りにな。そういう訳じゃ」

 しれしれと。行き先さえも庇いだてる口先はどこまでつるつる回るやら。


「して、望輝どの御帰参の訳は」

「故郷の桜も見たく久方ぶりに参上つかまったと、そう兄上には申し上げるさ」

 茶目っ気たっぷりに片目をつむって笑う望輝に、右近は無言で頭を垂れた。

「してまことは。右近さまはいづこにおいでなさるおつもりか」


「…ん?」

 それまで半眼のまま黙って見ていた轟天が不意に首だけで振り向いた。

「どうした」

「いや。どうやら山の獣のようだ」

「獣など。嵐がおるから安心せい。恐ろしいのは獣より人じゃ」

望輝が話を引き戻す。

「ともあれ、わしも兄上に諫言申し上げてみるつもりじゃ。人心を失わば、緒宇摩そのものも危ういと。皆の者、すまぬが兄上を、いや緒宇摩を援けると思って力を貸してくれぬか」

「望輝さま、頭をお上げ下さいませ」

 頭を下げられ郎党どもは皆慌てた。邑の長の弟御に、こうまで下手にでられてはいかんともしがたい。

「われら一同、これより望輝さまに従うてまいりますゆえ」

「すまぬな。では、燧谷(ひうちだに)を降りるかの。廿楽、案内を頼むぞ」

「は」

 郎党たちが散ってゆく。水漬けにしていた数珠繋ぎの捕虜を引き上げにかかろうというのだ。

 霧もようやく晴れたとはいえ、雪解け水にさんざん浸かれば、さぞかし歯の根も合わなくなっていることだろう。


 望輝も立ち上がったところにぼそりと轟天丸が囁いた。

「あんた、意外と策士だな。姫さんもそうだが」

 望輝と右近の舌先三寸、おもしろいようにころころと掌中に転がされる郎党たちを見れば思わず眉に唾を塗りたくりたくもなってくる。

「今頃気づいたか」

 にやりと見返す望輝は皮肉げな笑みを刻んだ。

「長の家など虚々実々。都人から見ればさぞかし単純粗野に見えよう武人でも、そうそう腹の中まで竹のようにはならぬのさ」

 さらりと流して真顔になる。


「ところで姪御の話じゃが、わしも観月の長どのと話がしたい」

 怪訝に轟天丸は見返った。

「あぶない話は姫さんだけで手一杯だがな」

「危ないことはない。商いの話だ」

「商い?」

「兄上とは違うやりかたをせねば緒宇摩はたちゆかぬ。馬借を始めるに手を借りたいと。『塩竃』の者が言っておったと伝えてくれぬか」

「それがあんたの策ってやつか」

 轟天丸は望輝を見直した。望輝はにやりと笑んでみせた。

「おそらく右近も同じであろう」


 馬の機動力と運搬能力は戦において軍勢の力を数倍する。だが、それはなにも兵力に活かすしか能がないわけではない。

「緒宇摩の馬と、塩竃(しおがま)の川運、それに観月の道知る知識。どれもうまく噛み合わせればかなりの力となるとは思わぬか」

 塩竃は緒宇摩にもっとも近い川沿いの集落であり、緒宇摩の領地の一つである。

 街道とも近く、互いに曲物箍物塩物干物、特産品と行商の品のやりとりがなされる交易の場でもある。

 その名を緒宇摩の長の弟が名乗りにつけるということは、その後見たる烏帽子親が塩竃の者であるということだ。縁が深けば動かすこともかなうだろう。


「なるほどな」

 しばらく下唇を吸い込み考えていたが、轟天丸はふいと目を上げた。

「だがなぜ俺にそれを云う。姫さんは俺には言わぬというていたが」

「それはな」

 目を笑わせて望輝のいわく。

「もう一つ話があるゆえじゃ。緒宇摩と観月、姪御どのとおぬしの婚礼、新たに結びつきのできるは、いやあ、めでたい」


 轟天丸は思い切り足を滑らした。谷下りに雪の残る急斜面、ふりまわした手で手近の幹にしがみつけば、辛夷の花びらはらはらと降る。

「情深いわりに抱きつく相手にしては色気のないことよの」

 髭の中で笑いをかみ殺す望輝を振り返り噛みついた。

「ちょっと待て、なぜそうなる!」

「おや、これは異な事を。右近はおぬしに身を任すと約したのであろ?我が姪御どのは一度口にした約定は破らぬぞ。おぬしも右近につきおうて命を張っておる。いやなかなか見所のある婿殿よの」

 意味が違う。大いに、激しく違う。

「おいこらこの髭親父、てめえ、なに考えてやがる」

「決まっておろう。姪御のしあわせ」

 じろりと睨みあげたが、微塵ゆるぎもせずにけろりと返され、思わず轟天丸は頭を抱えた。どこまで本気か読み切れぬ。

 このくらくらする話の流れには覚えがある。厭なくらいにとても覚えがある。

「ああ、風流(いろ)好みはほどほどにしたがよいぞ。今度姫君の機嫌を損なわば、まず間違いなくそれは潰されるであろ」

「間違いないのは、あんたがあの姫さんの叔父御どのだってことだろが」

 轟天丸はただただ唸るしかなかった。


 それは、すでに別れの時であった。

 残雪日陰に残る谷下り、谷水が勢いよく流れる赤松林を抜け、街道へ出る細道筋へたどりついた時には、日も暮れかけて星朧。

 しっとりとした、どこかほのあかるい、闇というより二藍の空になまめかしく散る銀砂子が美しい春の夜である。

 上弦の月にまとわりつくわずかな雲も(うすぎぬ)と、たなびき流れる(かぐ)の羽衣のもと。

「では……」

「うむ、気をつけてな」

 もはや、語る言葉とてすでになく、ふかぶかと頭を下げる姪に望輝はあたたかい目を向けた。

 互いの形見とばかり、華やかならねど望輝が細身の聖柄の太刀と小刀を進ずれば。

 何よりのものと微笑した稚桜は、愛用の山行小太刀だけでなく、差し添えの小刀も差し出した。

「叔父上どのも。御身お気をつけくださいませ」


 落ち着かなげに廿楽が重い声を出す。

「姫さま、いつ緒宇摩にはお戻りか」

「わからぬ。今はな」 

 右近は緒宇摩の衆が心づくしの馬にまたがった。轟天丸も差し出された馬に乗る。

「なれど、そなたらに誓おう。吾は、再び必ず戻ると。緒宇摩のためになすべきことをなすと」

「ならば、せめてこれだけは教えてくださりませ。まことはいづこへ行かれるおつもりか」

「申してよいのか?」

 見下ろせば。物頭はその重みに耐えきれぬようによろめいた。

「我とてまことを申せば、我が身を案じてくれるおぬしらには腹蔵なく申しておきたい。なれど申さばかならず父上の耳に達しよう」

「姫さまには情けのうございますお疑い。我らこの指を切られても喋りませぬ。長殿にもきっと申しませぬ」

「控えよ、河津(かわづ)

「なれど、廿楽どの」

 たまりかねたように口を出した若い家子(いえのこ)を見やり、右近はむしろ優しい声音で穏やかに言った。

「のう、河津よ。まことに果たせぬことは言わぬがよい」

「そんなことは」

「ない、と申せるのか。おぬしの弟の指を切られたとしても」

 青ざめ黙る家子を見る目に哀切な光があった。

 ひそかに轟天丸は舌を巻いた。

 血気にはやってとはいえ、その若党は真剣だった。指切られてもとはおそらく腹から出た言葉。

 右近もむろんそれを疑ってのことではない。だが、黙ることを許す父親でもないことをよく知っていた。

 だからこそ、そのような邑の者を守るには先手を読んで判断しなければならぬ。

 この異形の姫君は、ずっと一人でそうしてきたのだろうか。これからもそうしていくのだろうか。


「父上に告げよ。『お諦めなされ』と。右近がことも。高砂がことも。いづれも緒宇摩がためにはならぬと。これが右近の最後の諫言と」

「姫さま…」

 震える声に右近は物頭を見下ろした。

「廿楽どの。檀に(とが)はない。どうかいたわってやってほしい」

「は……」

 乳姉妹の父親は、馬の尾が空を薙ぐのも平伏したまま聞いていた。

「皆の者も、達者でな」

 残した言の葉も、空馬のごとくかるがる鳴った馬蹄の音もみるまに遠く消えてゆく。


 ふと我に返ったように、虚脱したような一同を望輝が見渡した。

「さ、我らも行くぞ。緒宇摩の里へ」

「は…」

 一行は悄然と動き出した。そのうちから抑えきれぬ歔欷(きょき)が漏れた。

「廿楽。男の泣き崩れたのは見苦しいぞ」

「…わかっておりまする。十分承知のこと。なれど情けない、あまりに口惜しうござりまする。右近さまのみ悩まして、我ら一同大の男がなに一つできぬとは」

「いや。我らには我らにのみできることがあるではないか」

「とは、何を」

「決まっておる。右近の戻る緒宇摩の邑を護ることじゃ」


 廿楽のみならず、郎党たちは皆打たれたように身を震わせた。


「右近は約したことは破らぬお子じゃ。ならば戻りよくなるように緒宇摩を整えることが泣くより先ではないかの」

「は…」

「そう、山の桜木もそうではないか。藤蔓に絡み取られては桜の花芽もたまるまい。今少し手入れも必要だの」

 はっと顔を上げた廿楽がなにやら得心したようにひとつ頷いた。

「望輝さま、なれば」

「今は言うまい、な、今は言うまいぞ」

 数珠繋ぎの虜囚を目でさし意味ありげなことを言われては、緒宇摩の衆の口も塞がる。


そして列は粛々と不断街道を行く。

「朧月夜に如くものぞなき……」

 笑みを含んだ望輝の唇から、しみじみとうたが流れてゆく。

 一行の姿が見えなくなった後も余韻はどこまでも微かに響いていた。


それに誘われるように。街道端の一本の赤松から影がふわりと離れた。

 しばらく立ちつくしていたが。ためらうように行きつ戻りつ。

 逡巡するような動きを見ていた月も松の枝から山の端に移ったころ。

 影は、ようやく心を決めたように走り出した。

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