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無明抄  作者: 輪形月
第三章

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13/27

灼岳

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

 灼岳(やけだけ)とは山の名であると同時に、その内輪にまたがる、緒宇摩に同じく馬養うがたつきなる武邑(たけむら)の名でもある。

 その名の通り、火山の上に広がる牧は硫黄の煙の立つせいか、盛夏でも草もまばらにしか生えぬという。

 晴れれば朝まだきといえども急峻な山肌に落葉松と岳樺(だけかんば)の林が背高く影を落とすさまが頭上に美しく見えるだろう。

 されど、仰ぎ見れば頂上は雲の上につきいでて、雪の降らぬ乾燥しきった岩々も朧に翳む。

 這い寄る霧から風化した溶岩がところどころ岩礁のように突き出し、遠くに小さく窪んで見えるのは地塘(ちとう)だろうか。

 外輪のさらに外にある緒宇摩より高地の、畑作をするにも石の多い痩せた領地をかすめるように三人に増えた一行は歩き過ぎんとしていた。


 馬を放すくらいしか使い途のない原だ。

 とはいえ、高山ゆえに風は乾いて冷たく吹き過ぎ、春は遅い。馬を飼うのも楽ではなかろう。

 三日月のように弧の鋭い内輪山は険阻である。山杖つきつき胸を膝に負い、這うように登ってはきたが、ここもまた難所である。

 望輝らの目から見ればひどく攻むるに難い邑と見える。だがそれゆえか人影もなく、小人数で山越え牧野の縁をじりじり回る分には存外気づかれにくいように思われた。

 邑は戦の陣に似て、道筋川筋に向かうため、正面は柵に濠など拵え侵入者に備えもするが。こうも邑の背後さえ自然の要害のただ中にあるさまは、なにやら邑の性格を顕している気配すらある。

 雪まだ多しというに、はや馬を放したのか牧野辺は、萌えなしたばかりの草も駆逐され、残るは人にも食べられぬものばかり。

 雄羊歯(おしだ)のように堅く食べられぬもの、馬酔木のように毒持つものが多くなるのも土壌のせいか。


「だが毒は薬となる。逆もまた真なりじゃ」

 山野辺邑々を渉猟する望輝の話によれば、灼岳は牧を開き、馬飼うようになってから、ようやく餓死者の出なくなったと聞くほど貧しい邑であるという。

 薬草を売ればもっと豊かになるのだろうが、知識をもたねば食えもせぬ、馬に食わせもならぬ毒草としか見えぬだろう。

「なればこそ金掘、薬師の糧を得る場所ともなるのだが」

「あンたみてえのな」

「儂は金掘でも薬師でもないぞ」

「似たようなもンだろが。道々の者にしちゃぁ毛色が違うがな」

 言い合う間にも望輝が手を伸ばす、山芍薬(しゃくやく)碇草(いかりそう)走野老(はしりどころ)に春竜胆。季節(とき)さえあえば花鮮やかな鳥兜(とりかぶと)も今はわずかな葉芽しか見えぬ。

 石や草の臭いを注意深くかぎ、薬効を右近らに説きながら、かくしから取り出した小袋にしまい込んでいた望輝は不意に遠くの空を見上げた。

 つられて二人が見上げた空の上、じゅりじゅりと囀る鳥の声が不意に絶え。

 石のように影一つ墜落する。


「ああこりゃいかぬ。風上を行こう」

 慌てて風を読んだ望輝の先導で三人はその場を離れた。

 氷の粒と化した雪に足を取られては、見渡せば地塘から立ち上る朝靄か、硫黄の湯気か死煙か。

 気は焦るが道はすすまぬ。


 番小屋のないのもこのためか。近づけば生命に関わる箇所もないわけではないと知れば、望輝がいたのは僥倖であると轟天丸すら掌の汗を拭った。


 山歩きに慣れた者のつねとて、山毛欅や榧の実など食べられる木の実や野草、蓬などの薬草の食べ方使い方は右近でも知っている。

 しかし、見知らぬ草木風物に、郷里を離れてなんと遠くへ来たかと感慨にふけるよりも糧食の心配が先になる。水も気をつけて汲まねばならず、食すは膝を隠すほどに伸びた笹藪から巻葉を取ったものばかり。

 わずかな乾飯はみるみるうちに減ってゆく。それを思えば山越えにこれ以上日数はかけられぬ。

 とはいえ、足を早めれば負けず嫌いの轟天も顎を出すほどの難行の道。ぼろぼろした溶岩と残雪に悪い足場はざらざら崩れ、もろもろとした土は水を含みやすく見る間に泥濘に変わる。岩に吸い付く草鞋でこしらえた足下も危うい。


人踏み慣らした道に出て、谷に葛橋(かずらばし)がかかっているのを見たときには、望輝すらほっと声を明るくした。

「ともあれ、ここまでくればまず緒宇摩側から人はこぬだろう」

 逃げる者は楽に距離を稼げる道を選ぶ。まさかに悪路を選ぶとは思うまい。

 安堵に右近が胸を軽くしたその時。


「あ、まずい」

 不意に轟天丸がつぶやいた。

 山霧の向こうに滲んだ人影、それも十や二十ではきかぬ。

 右近は目を細めた。

「巻かれたか」

 多くの勢子が逆方向から追い立てて、山中に逃げたのを街道に追い下ろし、待ち伏せていた者が捕まえる。もとは狩猟の手法である。

 馬盗人ではなく、右近を捜してということか、それとも追っ手が街道から灼岳へと昇ってきていたということか。

 いずれにせよ、やるなら緒宇摩の所領の中であろうと思っていただけに、読みが甘かったかと右近は舌打ちをした。

「しかしこれほどなりふりかまわぬとはな」

 総領姫が攫われたなど、邑にとっては恥中の恥。

 それを周囲の邑に漏れてもかまわぬということか。

「誰がなにゆえになりふりかまわぬのかはわからぬぞ」

 望輝がぼそりと言い、轟天丸と右近は顔を見合わせた。

 これが邑の、というか邑の長たる己が体面を気にして望満の意思によるものでないならば、右近の身を案じてここまで追うてきた者らと望満とのあいだに間隙があるということになる。

 轟天丸は口の端で笑った。

「ちったあ、姫さんにも人望があるんじゃねえか」

「父上に人望がなさすぎるだけかもしれぬがな。なれど、ならばまだ手のうちようはある」

 間隙のあるを邑うちに大いにふれてまわるか、すくなくとも望満にそう思わせれば。最低限でも噂の鎮静に動く人数を増やし、追っ手をその分減らすことができる。

 頭を働かせ始めた右近を放っておいて、意味ありげに轟天丸は望輝を見た。この食えない叔父上殿は、ただ一言で右近の考えの幅を広げて見せたのだ。

 ともあれ今は目の前の、追っ手を何とかせねばなるまい。


 霧を透かせば影の一つは横幅には見覚えがあった。

河久万(かわくま)廿楽(つづら)どのがおる」

「ほう、廿楽か。久しぶりだの」

 じつに楽しげに望満は顎をさすった。

「緒宇摩の衆か」

「ああ」

 頷く右近は先とはうってかわって苦い千振(せんぶり)を土瓶一杯飲み込んだような顔である。

「物頭のお一方じゃが、熊狩りでは右に出る者はおらぬ手槍の達人じゃ。ついでに言うなら顔も身体も四角いが、頭はもっと四角いぞ」

「げ」

「ついでに申すと、おぬしが当て落とした檀の父殿じゃ」

「でぇーっ!?」

 轟天丸はげっそりと谷を見下ろした。


 蔓橋は隠れもできぬ滝上にあり、引き返しでもせぬかぎり逃げ道などない。

 丸見えを承知、二人が無言でくるりと踵を返す。

 その首根っこを望輝はわしっと掴んでひきとめた。


「まあ、まて」

「待てと言われても、こりゃ三十六計最上の策を決め込むしかなかろうが」

「いやいや、逃げるには遅すぎるか速すぎる。今少し待つがよい。さもないと」

「さもないと?」

 真面目くさった顔つきで望輝は告げた。

「欠け落ちだというぞ」

「叔父上」

 姪にじろりと睨まれて。咳払いした望輝は滝壺脇の平場を指さした。

「まあ、ここでは足場も悪い。今少し進んで下りてやれ」


 淵の端よりじろりと見上げる数十の目。その真ん中にいる者の容貌に轟天丸は少し感心した。

 娘と似ても似つかぬくろぐろとした太い眉も四角いせいか、こちらをにらまえるでかい目玉まで四角く見える。

 武士が狩猟の上手であることは必ずしも同じからず、されど狩猟の上手はなまなかな名のある将より恐ろしい。

 皮衣の上に紐回し、腰に佩くべき太刀を背に負い、柄の短い熊槍を杖に突いた山姿。

 洗練こそされていないが荒々しいほどの覇気に満ちて、相当な腕前と見た。

「お探し申しましたぞ、姫さま」

 答えず右近はぐるりと見渡した。

「見知らぬ者がおるの」

「高砂の者と灼岳の衆にござる。道の案内(あない)と手勢にと頼み申した」

 四角い目玉で廿楽が示せば緒宇摩の衆十人ほどをぐるりとりまく、てんでばらばらな格好をした三十人近くが一斉に小腰をかがめた。

 山歩きに慣れて居らぬのか、腰に大太刀ぶらさげて、大弓担ぐは高砂邑の者らであろう。

 古ぼけた蕨手の山刀を皮衣の腰の後ろに差すは灼岳の衆か。

 いずれも窃視するような目つきが妙に気になった。

「ご無事でなによりにございます。よもや姫さまが盗まれるとはおもいませなんだのも我らが不覚」

「廿楽よ。頭を上げよ、ぬしらが不覚というなら我こそ最も不覚をとった」

 右近は顔の皮に力をいれた。恥辱に強張ったと廿楽らは見たかもしれぬが、ここで苦笑に口元弛めるわけにもいかぬ。


「まぁ、俺には関係のねぇこった」

 あえてのほほんと周囲を見回したのはもう片方の当事者である。

「迎えの方々も来られたことだ、それゆえここでお別れしよう。…というわけで、俺だけでも通してくれんか?」

「これ。しばし待たぬか。欠け落ちしようとあれほど口説いたのはおぬしであろうに」

「誰がだよ」

 半眼でつっこむ右近に轟天丸が裏拳で返す。がらりと口調もかわったやりとりに追っ手は思わず顔見合わせた。

 灼岳と高砂の者にとっては隠すべき面をさらし、男のみなりの右近にめんくらったこともある。

 音に聞こえたじゃじゃ馬姫の姿そのものは、緒宇摩の衆には見慣れたものではあるが。

 なにより祭りで馬を鎮めた呪歌詠みと同行している訳が分からぬ。

 姫君を拐かした慮外者にしては、肝心の右近に敵意も殺意も感じられぬ。盗まれる途中に助け出されたかといえば、対等に敬語も使わずぽんぽんやりとりするさまは、恩も感じぬ色めいたものも見えぬ。だが奇体に息の合った雰囲気はなにゆえか。

 さすがに廿楽も困惑の態で口を挟んだ。

「呪歌詠みどのにもご足労を願おうか。緒宇摩に戻り、御館様の前にて、なにゆえ姫さまと道をともにしたか語ってもらわねばならぬ」

「面倒くさいんでやりたくねえな」

「我も面倒じゃな」

 さすがに轟天丸も呆れた目になる。

「それでいいんかい。いいかげんな姫さんだな」

「おぬしが言うな」

「無礼者、姫さまを愚弄する気か!」

「まあまあ、そう青筋立てずとも。双方落ち着かれよ」

 後ろで大笑いをかみ殺すに手一杯だった望輝が進み出た。笑い涙の滲んだ顔でなだめるように手をひらひらと振ったが、緒宇摩の郎党どもの激昂はおさまらぬ。

「なんじゃきさまは、胡乱な奴ばらめが」

 のんびりした口調にかえって苛立ったのか、手槍を突きつけようとする郎党どもを制して廿楽が前へ出た。

 

「その方、何者ぞ」

「見て分からぬか廿楽どの。我が叔父上じゃ。無礼は許さぬ」

「げっ?!」

「叔父上だと?!」

「まさか……もしや、望輝さま?!」

「む、この髭ではわからぬか。剃っておけばよかったかの」

 まじまじと見れば見るほど古き家子郎党どもにはまぎれもない。

 慌てふためき、次々彼らが片膝突くのを望輝はにやにや笑った。

「のう、河久万よ。えらい格式張ったことをするではないか。変われば変わるもんじゃな、いっしょに父上を肥だめにはめたこともあるおぬしがのう」

「なんですと?」

「大殿を?」

 郎党どころか轟天丸さえ振り返って望輝の顔を見た。

「忘れもせぬわ、あれは数え三つの我らが武勲(いさおし)よ。おぬしらが知っておるかどうかは知らぬが、わしとこやつとは、たんと父上から拳固を頂戴した仲じゃ」

「い、いや、その、それは」

 緒宇摩一番の堅物がしどろもどろに雪焼けた様に赤くなる。思わず右近も噴き出した。


 なごみかけた空気に慌てたのが灼岳の者たちである。

「ええい、緒宇摩の衆、高砂の衆、騙されやるな。なんでう姫さまの叔父御どのが、姫を攫うに手を貸すか!」

「姫さまをたぶらかすとは、この狼藉者!」

 口々に言いも果てず。

 ぴゅっと空を切り裂く矢一閃、払うは華衣。

「あーあああ。もったいねぇ。高そうな袿に傷がつくじゃねぇか」

「阿呆」

 心底からの気持ちを込めた嘆息を短く切り捨て、右近は小太刀の柄に手をかけた。慌てたのは廿楽である。

「姫さま、何をなされます」

「先ほどの矢、殺気がこもっておった。しかも向きが違う。我を狙ったものか流れ矢か、わからぬ我ではないぞ」

「なんと?!」


 驚愕に緒宇摩の衆は振り向いた。強張った顔で水際(みぎわ)まで下がったのは。

「灼岳の衆よ…」

「高砂の衆まで。おぬしら、もしや」

 のほほんと髭にまみれた顎をさすりながら望輝は口を開いた。

「同じく馬を養う身じゃ。高砂に緒宇摩の姫が輿入れともなれば、焦りもしよう。結びつきが強くなるほど灼岳には不利になるとも思えば、阻止したくもなろうな。たとえ殺してでもと考えつめて。手を組むとなればむろん高砂の中にも不満のある者はおろうし。嫁御が消えれば話は消える。うむ、八方丸く収まると思いたくもなろう」

 男どもは無言のまま刃を次々抜きつれる。殺気の強さに小鳥が飛び立った。

 さしもの廿楽らも得物を握る掌に汗が滲むが、望輝の笑みは変わらぬ。

「なれど惜しむらくは後のことまで考えておらぬこと。我らを殺してその後どう始末をつけるおつもりかな」

「問答無用!」


 討っ手が走り出した瞬間、轟天丸と右近は右後に跳んだ。

 下りてきた山道ではなくその脇の急斜を氈鹿(かもしか)さながら駆け上がる。三十人近い討っ手が相手では、十人ほどの緒宇摩の手勢と三人だけではやや手にあまる。

 このような時に固まるのは愚の骨頂。押し包まれれば数量で負ける。右近はみずから囮になったのだ。

「だが、それにつきあうとはな。轟天とかいうは存外付き合いのよい男のようだの」

 にやりと望輝の笑みが深くなる。緒宇摩の衆は上り道へするすると後退し、右近らと同じく距離をとる。わざと分断されたように見せかけ、どちらへ行くか迷わせるためである。

「やれやれ、わしに抜かせるとは面倒な。納めるのはもっと面倒なのだが、かかってくるかな?」

 山歩きの拵えに背負った聖柄の太刀は、ひとたび抜いたら鞘を背から下ろさねば納めにくい。それゆえの言を望輝の大言壮語と聞いた手勢が殺到したとたん、廿楽の叱咤が飛んだ。

「石弓撃てい!」

 すぐさまぴしぴしと飛礫が飛ぶ。

 背に差してあれば、二尺程の竹に革のついた弦張ったとしか思えぬ小弓だが。手で投じるよりはるかに小さい砂利粒のような小石が眼で追い切れぬほどの速度で飛ぶ。

 坂の上、射下ろすには絶好の位置からの連射とあってはたまったものではない。

 敵勢が顔を覆い動きが止まったと見るや、廿楽と望輝が飛び出した。

 その間も石弓は止まらぬ。緒宇摩の衆は狩勢子のように道の脇に散開しつつ前進した。

 なおも頭上から小石の雨を降らし続ける。しかし追うのは、得物ではなく二人の先鋭。


 廿楽と望輝は呼吸の合った動きで細い道を二人並んで突き進んだ。山の細道、迎え撃つ側も二人並ぶが手一杯。とてもでないが得物を振り回すほどの余裕はないと見て、水際までひきさがろうとしても石弓に射すくめられては思うようにゆかぬ。

 殺気荒涼とした廿楽の槍先ぎらりとせまり、慌てて避けた一人がまだしもくみしやすしと見てか望輝へと斬りかかった。

 望輝の剣は典雅といってもよい。廿楽の槍のような剥き出しの殺気こそなけれども、洗練された太刀筋で胴を狙い、鋭く繰り出す突き突き突き突き。

 みるまにぱらりと山袴がずりさがる。

「おぬしらの尻など姫君には目の毒。とっとと見苦しいものをしまうがよい」

 たたらを踏んで青ざめた衆におおどかに言い放つ。

 人を喰ったもの言いに、攻め手は皆腹を立てたがいかんともしがたい。

 袴を斬られては、片手はふさがり裾ふんづけて転ぶのがおちである。いやそれよりも恐ろしいのは袴だけを斬り、毛筋一つも身を切らぬ腕前。


 あらかた敵の勢い失せて、さて二人はいかんと目をやれば。

 右近は剣を抜かず、肩に巻いていた投げ鞭を握っていた。杉が密集している状況をわきまえて、二つに折ると双尾鞭として振り回す。

 片方の端を避けても次が間断なく唸りを上げれば、寄せ手は急斜面を駆け上がるもならずたじたじと固まった。同じ山の邑である灼岳の者らはまだしも、平野の高砂の者どもは、ずるりと滑る山土の急斜は昇るも下るも不得手である。走り寄ろうにも足に大太刀の鞘が絡む。

 一方右近らは足の滑らぬ下枯れを足場に、根曲がり杉を盾なしており。距離をつめるも難しく、一斉にかかるもならぬと見て取って一人が叫んだ。 

「弓だ、弓よこせ」

「そうはさせるかよ」

 長弓で狙われては分が悪い。

 轟天丸は弓手めがけつぎつぎ飛礫をふるった。印地打ちの腕前は右近にもひけをとらぬ。

 腕を打たれて矢を取り落とし、廿楽と望輝に切り崩されてはたまらない。

 高砂の衆は弓も刀も捨て投降した。

 だが灼岳の衆は諦めぬ。なおも蕨手刀を抜き、急斜めがけて突進をする。

 右近さえ斃せばなんとでもなるというような、捨て身の様に轟天丸は音高く舌打ちした。

 

「ああもう、商売道具が痛むじゃねえか」

 なんでどいつもこいつも命惜しみをしねえかな、と軽口を叩きながらも白扇を背から抜く。

「馬鹿め、呪歌詠みが扇一つで何ができる!」

 侮った一人が正面から駆け上がろうとしたが、急坂で殺げた勢いなど、敵うべくもない。

「なんと、ま」

 望輝が感嘆した。

 足を踏ん張り轟天丸が大上段に構えた白扇を奮った瞬間、刀を飛ばして相手は二間も転げ落ちたのだ。思いもかけぬ威力に他の郎党たちも唖然とした。

 扇といっても二尺余りもある大物だ。骨は太く、張ってあるのは高価な紙と見せかけて丈夫な麻布である。

 呪歌詠みの持ち物とはいえ要所要所に鉄を仕込んであるため、閉じれば木刀なみの威力があるとは、観月の者ならで知る人のなきことではあった。

「くそ!」

 やぶれかぶれに灼岳の郎党一人。離れた場所へと斜めに坂を走り上がってくるを見て、右近は投げ鞭を捨てた。

 同じ高さの足場に地の利は消えて、稚桜の得物は山刀に近い厚刃の直刀。

 斬り合いにその短さは不利と見て。血相を変えて走りだそうとした緒宇摩の郎党たちを望輝が止めた。

 腕前は仕込んだ師匠が一番知っている。

「お命頂戴!」

 銀閃にふわりかぶさる華衣。

 顔をぴたりと被うあでやかな目くらましごと斬った、と思った間合いだったが。

 刃先が食い込んだは人ではない。もっと堅いものである。


 刀の抜けぬ焦りが手首に力を込めた瞬間。不意に頭上に柔らかいものがてんと弾んだ。

 頬貫(つらぬき)の毛皮の感触か。では、気配も見せず頭上に跳んだか。じゃじゃ馬姫は天狗か。

 その一瞬の惑いが仇となった。

 足首をぐいと取られ、天地さかしまに引き倒されると同時、股間へと衝撃が降る。

 口から泡噴いて悶絶した討っ手の様子に轟天は苦笑して望輝に顎をしゃくった。

「ありゃ俺を押さえつけた技だな」

 なんと右近は足払いをかけて倒した相手の股間を思い切り踏みつけたのだ。

「姪御どのに押し倒されたか。それは重畳」

「なにがだよ」

 横目で見やると望輝は真顔で見返した。

「おぬし、浄身(たまなし)にされなんで助かったな。よほどに手加減してくれたのであろう。さなくば、今ごろはあやつ同様内股で歩かねばならぬようになっておるわ」

 冬眠中を邪魔されたとおぼしき山鼠(やまね)を拾い上げ、右近が振り返ったのは。

 轟天丸がなんとも玄妙な表情になった後のことであった。


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