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無明抄  作者: 輪形月
第一章
1/27

流鏑馬

本日も拙作をお読み頂きまして、ありがとうございます。

 その日、南峰の天狗桜が咲いた。


 わっと人垣が崩れた。

 梅、杏、桜と咲きあう花さえも。嵐と蹴散らす勢いで。

 馬装束した若駒数頭、その後を美々しく装束した乗り手らが形相変えて追ってゆく。

 流鏑馬(やぶさめ)は名だたる馬の邑である緒宇摩(おうま)の祭りにつきものだ。

 鞭が風に鳴るより早く、(のぼり)めがけて矢継ぎ早。飛び出しゆくは人馬一体。

 色とりどりの吹き風流(ふうりゅう)に目も眩んだか、高ぶる気負いに手がふるえたか。

 流れ矢の先に――手綱も飾りたてられた鈴馬の群。

 運悪く尻に矢を突き立てて。一頭の悲鳴が風にのる。

 瞬間、群のすべてが怯え狂った。


 ただでさえ人も馬も興奮の極地にあったもの。

 声嗄らし、必死になだめんとすがる馬勢子(うませこ)らすら跳ね飛ばし、四方(よも)へと散りぢりばらばらと。白木なる齋柵(いつきのさく)すら蹴破れば。

 血走る巨大な眼をまじまじと間近に見た人の悲鳴が言祝(ことほ)ぎの場にこだまする。

 人の恐怖に怯えも伝染(うつ)る。ますます若駒どもは泡噴いて、支度途中の裸馬どもまで駆け散り駆け去り馬鐙が舞う。祝い装束の鈴がけたたましく鳴り渡る。

 何を血迷ったか。喧噪の人波まっすぐに駆け込んだ暴れ馬一頭に、わっと蜘蛛の子が散った。

 恐怖に足がもつれたか。逃げ遅れた童がその蹄下にまろんだ。

 我が子の危機に悲鳴すらあげられぬ母親が、目を覆って倒れかけたそのそばを。

 吹きすぎたのは。風、二陣。

 ひゅっと鳴ったつむじ風が蹄下から小さな身体をさらいあげた。

 それと交錯するように山吹色の風が疾った。

 白い翼を婆裟羅(ばさら)と広げ、幼子の影を血走る馬の眼より覆い隠す。

 狂い馬は鉾先を邪魔者に向けた。

 ひらりひらひら、からかうように。三尺はあろうかという白大蝙蝠扇(かわほりのおうぎ)は、いきりたった馬を逃げる人群れより巧みに引き離しにかかった。

 あたかもそれは舞いに似て。馬を(いざな)う軽捷さに見とれたか、怪我負った者のうめきも鎮まって。

 カツカツという焦れた蹄の音と荒い鼻息ばかり、鎮守前には響き渡る。


 不意に馬がいななき、扇をもみつぶすように突進し、跳ね、竿立ちになった。

(だん)ッ、と怒濤のように逆落としに蹄が扇を踏み潰す!


 悲鳴が錯覚した惨劇は虚構。

 山吹の袖は――

 ひらりと前足をかいくぐり、暴れ馬のその背に飛び乗っていた。

 馬は驚くまいことか。狂い(いなな)き、後ろ足を蹴上げながらぐるぐる回る。

 息呑む人の輪から、再度悲鳴が洩れかけた。

 手を滑らしたか、若衆の上体が馬の首に纏わるようにぐらりとゆらいだのだ。


 (たてがみ)に指を絡めしがみつくならばともかく、裸馬の首に抱きつくなど言語道断。

 いかに力を込めて腕をまわそうと、手のかけようもない太首になど張りつけば、あっというまに振り落とされる。

 今度こそ、蹄に踏みしだかれて血反吐を吐くは必定。


 誰しも思った、その瞬間。

 しきりと頭をふりたてる馬の耳に。囁くほどに静かな小さな声がそそぎ込まれた。

『時は今』

 ぴくりと竹を削いだような馬の耳が震えた。

『荒ぶることも失せければ』

 蹴上げようと揃えた後足が止まる。

『馬頭観音鎮まりたまへ』


 ぴたり。

 それまでの暴れようが嘘のように、馬は彫像に変わった。

 しんと静まり返った場に、ぶるぶるという馬の鼻息だけが響く。

 ひらりと山吹が馬の背からとびおりて、一瞬の静寂。

鎮守の社を歓声が揺らした。


「その男」

慌てて駆け寄る馬勢子に、火がついたように泣く子をだきしめる母。わっしょわっしょと爺達にもみにもまれる山吹の狩衣の耳元。

 呼び止める声は、清げに響いた。

 若衆が振り返った先で人波が割れ、一つの垂衣笠(たれきぬがさ)が、おやと思うほどの大股で歩み寄る。

 山里暮らしゆえにか。その豪奢な華小袖(はなこそで)に合わず、元結(もとゆい)のみにまとめあげた髪も腰までなきほどの短さだが、豊かに美しい。

 右近さまじゃ、姫さまじゃというささやきがたちのぼる。どうやら、この邑の総家(そうけ)の姫であるようだ。

 紅梅の(かさね)は背の高い立ち姿によく映えて艶に見ゆるが、その上衣の裾からのぞくは革の行縢(むかばき)。手にあるもまた革の投げ鞭。祭りの場とて何の酔狂か。

 繊手というにはしっかりとした指先が、平伏しようとする若衆を押しとどめた。

「よしろをよくぞ止めてくれた。礼を言う」

 与四郎か、四白か。

 人にも似た名を馬につけるは、この緒宇摩の里のならわしであるらしい。

「あれは気弱ゆえ、すぐ物に驚く。手綱を短にして離すなと言いおいたのだが。そちのはたらきで幼子が蹄にかけられずにすんだ」

「どなたさまにも怪我がのう、ようござりました」

 邑人を案じる言葉に若衆は儀礼的に笑んだ。

 おとなしやかに片膝ついて、貴人への礼をとってはいるが、精気に溢れたまなざしと太い眉が一筋縄ではいかぬ気性を匂わせた。

「なれど。それは姫さまが手の冴えゆえのこと。わたくしごときが礼をお受けする筋にはござりませぬ」

 垂衣の奥からからりと笑い声がした。

「眼の早いこと。気づいていたか」

 姫君の投げ鞭は飾りではない。さきほど子どもを蹄の下から宙に巻き上げ、助けたのもこの鞭である。

 だが、それをあの数瞬に見取っていたとは。

「したが、そちがよしろを鎮めてくれねば、他の者も怪我をしたであろう。重き祭装束でなくば、我が真っ先によしろに飛び乗って止めるつもりだったがの」

 言ったが早いか、姫君が垂衣をうるさげにはねのけたには、さすがの若衆も度肝を抜かれたか、口が一瞬ぱかりと開く。

「えい、やはり垂衣ごしではまどろこしくてかなわぬわ」

 無礼を忘れて見上げた顔は春の光に照り映えて。五分咲きの山桜かと思われた。

 装束の華麗さから、都まねびによく化粧じているかと思いきや。

 すずやかな額にきりりと意志毅げなる眉を抜きもせで。なまじ化粧ずるよりも清らなおもざしに男は思わず見とれた。

「右近さま!」

 そこへようよう追いついた、乳姉妹(めのとご)らしき女房があわててたしなめた。

 男、それも里人ではない者と直に言葉を交わすだけでも考えられぬことであるというに。

「顔をお隠しなされませ。はしたもない」

「かまわぬではないか。顔と顔を見合わせもせで、まこといかなる話ができようか」

 小言も文句もなんのその。気にもかけぬ風情にて、けろりと返す姫君の答え。

 はあ、とつき慣れているらしい女房のため息をよそに、小腰をかがめた姫君もまたしげしげと男の顔を見た。溢れんばかりの生気に黒目がちな瞳がきらと輝く。

「その装束、その手並み。おぬしは呪歌師(まじうたし)よな」

 問いかけではない。確認である。

 鮮やかな紺の(あお)を片袖脱いで山吹の(うちぎ)も露わに、短めの大刀をたばさんだは、まだ祭の装束といえよう。朱の揉烏帽子(もみえぼし)の奇矯さも、まだ何ほどのことがあろう。

 その背に挿した長さ三尺にも及ぼうかという一柄(ひとつか)の大蝙蝠扇にくらぶれば。

 巨大な蝙蝠扇は呪歌師の証である。人々の願いを表す歌を詠み、言霊によって天地をも共振させ、祈願内容を現のものとする力ある歌詠み人。

 韻と律をあわせもつ言の葉を綾織り、人の心、すなわち「想い」をたねとして、天地に満ち充てる万象の気にはたらきかける。力ある者は天候をも左右し、豊饒をもたらさんがため、邑々を巡って祭祀を(つかさど)りもする。

 さればこそ。この若衆もまた暴れ馬をもたやすく鎮め得たのだと、ざわめきは納得の色を刷く。

「効き目良き呪歌(うた)は詠めるのだな?」

「う、右近さまっ」

 乳姉妹は常磐(ときわ)色の小袿の袖を思わず額に当てた。

 あまりにむきだしの問いである。世を渡る呪歌の才を疑ってかかるような問いを、こともあろうに呪歌師当人に向かって面と向かってするとは。

 なれど男は二皮眼をちかりと笑わせたのみ。

「それはただいまごらんの通りなれば。効き目のほどは確かめられたかと」

「うむ」

「名も無き地下(じげ)の呪歌詠みにございますれども。この轟天丸も」

 凜と声を張る。周りに聞かせるためである。

「緒宇摩の祭りを言祝(ことほ)ぎ申し上げんと、かくは参じましてござりまする。なにとぞ、呪歌捧ぐる許しを頂戴いたしたく、御願い申し上げまする」

 馬を鎮めてみせたのも、早い話が己の腕の披露であると明言してのけたのだ。不遜な言葉に自信と余裕がほの見える。

「ようもゆうた。馬の耳に念仏は効かぬとも、呪歌は効き目があったか」

 まったく姫君らしくない姫君は、声を上げて笑うと、ふと面をあらためた。

「なれば、後刻。良き子馬の生まれるように呪歌を詠んでもらおうぞ」

「ははっ」

「屋敷は邑の者に訊ね来よ」

 深々と頭を垂れた呪歌師に、あわてて女房が付け加えた。

「屋敷の者に申せばお館様より褒美がくだされましょう。かまえて、右近さまのもとをじかに訊ねきたってはなりませぬぞ」

 女房の言葉を聞くうちにあけっぴろげの笑みがむっと膨れた。じつにころころと表情のよく変わる姫君である。

「一言多い。行くぞ、(まゆみ)

 くるりと身を返す姫君は。どこへ行くかと目で追えば。

 重たげな装束にもかかわらず。身軽に馬具もなにもつけておらぬ、鎮まったばかりの馬に飛び乗って。

 邑人もこころえたもので人垣がさあっと割れ。

「はいっ!」

 かけ声一声、馬は走り出す。女房の顔が情けなそうに歪んだ。

「あああああああ、もう、右近さまっ!お待ちくださりませ!」

 どっと邑人らが笑い崩れた。

「苦労するのう、檀」

「それそれ、はよう行かぬとますます右近さまが遠くなるぞ」

 口々にはやしたてる声に、またも女房は溜息をつきつき小走りになった。右近という姫君の破天荒ぶりは日常のことであるらしい。

 そを見守る邑人たちもまた、呪歌詠みが祭に加わったことを喜んで、三々五々と散ってゆく。

 中にはようやくわれに帰ったか、さっきまで晴れ着もかまわず地に跪いて子を抱く母の。

 泣くやら笑うやら、半狂乱に呪歌師に頭を下げる姿もあった。


 人だかりが散ったのち。

 呪歌師にすりよる影ひとつ。抱えた舞々人形(まいまいにんぎょう)に負けじ劣らじ派手な格好の小柄な男である。

「轟天よ、お召しにのるつもりか?」

「いかにも。呪歌師が呪歌の頼みを受けたのだ。行かいでか」

「顔が割れるぞ」

 心配げな忍び声に、轟天と呼ばれた男は笑った。

「承知の上よ。褒美に目が眩んだというわけではないが、もともと俺は馬もさほど欲しいわけでなし」

「し、声が高い」

 あわてふためいて人形遣いは周囲に眼をやった。その様子を轟天丸はにやにやとおかしげに見やる。

最初(はな)っから気づけ、雉丸。聞いている者などおらんわな」

「石にも目ありと言うじゃろうが!」

 むすっと雉丸はへの字に口を曲げた。

「まったくおのれは堅いこと石にもまさる。物事が決まったとおりに動かぬが、それほどカンに障るか」

「おぬしは物事が道理からはずれるのが楽しいんじゃろ。こンの天邪鬼めが」

 にやにや笑いのままに答えぬさまに、ますます雉丸のへの字が曲がる。

 苦笑しながら呪歌詠みは手を振った。

「言うてくれるな。楽しみは多いがいいが、決めごとは守っとろうが」

「……当たり前だ」

 ようよう腹をおさめたか。雉丸は、真面目なおももちで囁いた。

「轟天丸」

「なんだ」

「的を忘れるなよ」

「わかっておるわな。根津丸には中の探りもしておくと言っといてくれ。こうなったなら、俺がそれもしたが手間も省けるじゃろ」

「ならよい。酉の三刻、道祖神祠でな」

「応」

 道に人影さすかささぬか。目敏く見つけた傀儡師(くぐつし)がすうと離れ。

 何気なさげに轟天丸が目をやれば。ぱたぱたと稚児竹馬にまたがって。やってきたのは邑の子ら、雪柳の枝をムチにして駆け抜ける。

 ふるうたびに雪にまがいて散る花を、見やりながらもひとりごつ。 

「馬盗みの手伝いなど、つまらぬことと思っておったが……」

 ぱき、と重たいほど若葉と蕾のついた山桜の枝を折り。

「なにやら、おもしろくなりそうな」

 にっ、と野太い笑みを浮かべたその顔つきは、陽気な虎か唐獅子のごと。

 姫君の前でのすましかえった姿と裏腹に、猛々しいほど精気を帯びた。

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