虹の見える島
「大丈夫だった、夏奈!?」
いのりが夏奈に駆け寄った。
「うぅっ……怖かったよ〜! いのりぃ…」
夏奈は半泣きでそれに答えた。どうやら、怪我ひとつないらしい友人を見ていのりも胸をなでおろした。
「あの二人は、あっちの方のコンビニから逃げてきた強盗だったらしいね。……ま、なんにせよ夏奈が無事でよかった! じゃ、帰ろっか!」
いのりはまだへたり込んでいる夏奈に笑顔で手を差し伸べる。
「うん!」
夏奈はその手を取り立ち上がった。
「あれ? 雨止んだんじゃない?」
夏奈は鉛筆をしまいながら空模様の変化に気づいた。
「確かに、言われてみたら……」
いのりもそれに同意した。
「よーし、走るよいのり!」
夏奈はとても嬉しそうに言うや、小躍りするように駆け出した。
「ちょっと夏奈!? 傘、傘忘れてる! ちょっと!」
いのりは夏奈が忘れていった開きっぱなしの傘を拾い上げ彼女を追いかけた。
「はぁはぁ……間に合って良かった……」
走り終わった夏奈の姿は大鈴漁港のすぐ近くの高台にあった。彼女はそこから海の水平線ギリギリのところにある大きな島を眺めた。
その島にはまるで七色の橋のように美しい虹が、悠然と架かっていた。
「やっぱり綺麗だなー。虹美島にかかる虹は……」
――”虹美島”――それが水平線に見える島の名だ。雨上がりによく虹が見られ、それが息を呑むほど美しいため、この名が付けられたとされている。実際その光景は見る分には美しく、写真家や芸術家もよく訪れている。
「はぁ、やっと追いついた……」
いのりが夏奈に忘れていった傘を手渡す。
「あっ、持ってきてくれたんだ? ありがとう」
「後でなんかおごれ、あんた……」
いのりは息切れ切れで返した。
「ねえいのり、次はいつ雨が降るかなぁ?」
「……なんか前線がどうたらって言ってたから明日かあさってにまた降ると思うけど。それにしてもあんたホントこの虹好きねー」
「うん! 今日は朝から姉妹ゲンカしたり、消しゴムが爆発したり、反省文押し付けられたり、強盗に襲われたり散々だったけど……この虹を見たらまた明日も頑張ろうって思えた!」
夏奈は嬉しそうに笑う。
「うん、ホント綺麗。モンスターがうじゃうじゃいる島とは思えない」
いのりもそれに同意した。
500年程前のこと世界各地で、普通では考えられない巨体と戦闘力を持った生物たちが出現した。それらの生物は“モンスター”と呼ばれるようになった。人類にとって幸いだったのは、彼らはほとんどが滅多に人を襲わない温厚な性格の持ち主であることであった。こちらから余計なことをしなければ、見た目ほど有害な存在ではなかったのである。そのため人間たちは彼らと共存することができた。それでも完全に安全な存在というわけでもなく、モンスターたちが密集して生息する場所は“モンスタースポット”と呼ばれ、基本的に立ち入り禁止となっている。
虹美島もそんなモンスタースポットのひとつであり、“見る分には美しい島”と言われる要因のひとつである。しかし虹美島がそう言われる所以はそれだけではない。
とにかく不気味な言い伝えや都市伝説が多いのだ。――飲むと体が虹になって消えてしまう毒薬、かつて悪魔が住んでいたという言い伝え、島の遺跡に住み着いた幽霊……、ついには自分はあの島で数百年前に生まれたなどと言ってテレビに出演するものまで現れた。
このように不気味な噂がたくさんあるため、多くの者は島の虹に見惚れこそすれ、上陸しようなどとは考えないのである。
「あらー夏奈ちゃん、やっぱり来てたのね!」
港の方から両手にプラスチックパックを持った緑のエプロンの50代くらいの女性がこちらへ歩いて来た。
「網木のおばちゃん!」
彼女は網木のおばちゃんこと網木正子である。大鈴町の漁業協同組合で働いており、両親を亡くした夏奈一歩姉妹によく目をかけてくれている。
「偶然夏奈ちゃんを見かけてね、そういや今日は早いね?」
「今日は定期テストだったんで早いんです。まあ、明日もテストなんですけど」
「へー、そうなのかい。あっ、そうだ、二人とも。はいこれ、おうちで食べて」
彼女は持っていた焼き魚の入ったケースを夏奈に渡した。
「え、いいんですか!?」
「いいんだよ。どうせ形が崩れて売り物にならないやつだし」
「ありがとうございます! いただきます!!」
二人はぺこりと頭を下げ礼を言った。
「じゃあねテスト頑張って〜」
網木のおばちゃんはそう言うと仕事場へ戻っていった。
「さてとそろそろ帰りますか。勉強しなきゃだし……、あっ、夏奈は反省文もあるしね!」
いのりが少しからかうように夏奈を見る。虹の橋はもう消えていた。
「ム〜、そういやそうだった、すっかり忘れ……あっ……、あああーーー!!!」
カバンの中を見て何かに気づき絶叫した。
「び、びっくりした〜。なによ、いきなり叫んだりして?」
「紙……地図にして渡しちゃった……。反省……文……用の…………」
夏奈はまるで魂が抜けたかのようにそう呟いた。
「……アンタってやっぱ抜けてるよね……。どこか致命的に……」
いのりは半ば呆れて言った。
「ねぇいのり、あなたにちょっと相談があるんだけど……」
「なに?」
「今から一緒に生徒指導部室行かない?」
「やだ」
こうして夏奈は一人で学校へ戻り、再度用紙をもらいに行った。……彼女に雷が落ちたのは言うまでもない。