王子様の欲しいもの
ある国にとても優秀な王子がいた。
国中の女性が羨むつやを持つ銀髪に、海のように深い色をした瞳。その愛らしい姿は、女性だけではなく、同性からも、感嘆の声が漏れるほどだ。
さらには小さい頃から文武ともに優れているだけではなく、魔力を多く保有し、難しい魔法すら使えた。
いわゆる、王子――レイン・ロワ・セレジェイラは優秀という言葉で追いつかないほどの天才であった。
レインの父である王は、そんな息子を素晴らしいと思う反面、末恐ろしく感じていた。
年の割に成熟しているため、幼子が喜ぶおもちゃをプレゼントとして贈っても、ただ彼の部屋に飾られるだけ。
遊ぶことよりも学ぶことが好きなのか、本を与えれば、幼子のように喜んで読む。
喜び方は、は年相応だと周囲は感じてはいたが、何よりもほかの幼子と違うのは、彼は、”欲しがらない”のだ。
同じ王族である王でさえ、小さいころは物を欲した。愛を欲した。
けれど、その王の息子であるレインは何も欲せず、与えられるがまま享受し、なければ生み出すのだ。子どもとしては、異常だった。
そんな王子の5歳の誕生日に、王は問うた。――欲しいものは、やりたいことはないのか、と。
返答があるなんて、期待をしていなかった。結局は、いつもどおり、定型文の返答が来るものだと思っていた。
「父様、あの子がほしいです。ぼくが、育ててみたい。」
感情の揺れが少ない王子が珍しく高揚させながら指した先には、ひとりの少女が母親のドレスにしがみついていた。
思考停止した脳を、なんとか動かし、王は記憶の中で少女を探した。……あれは、公爵家の末子。公爵が挨拶回りをしていた際に、だいぶ落ち着いてきたので、顔見せにと連れてきていた愛娘だ。名は公爵が自慢げに語っていたので、よくよく覚えている。エステル。エステル・ペーシュと。
突然の名指しに、おびえ、少女――エステルはつかんでいた母親のドレスにしわが残ることも気にせず、さらに強く握った。
「彼女は、ペーシュ公爵家の令嬢でしたよね。名前は、エステル嬢でしたか。ペーシュ公爵家には、アイル・ペーシュ、長男、跡継ぎがいたはずだ。だったら、その子をぼくがもらっても、差し支えはないですよね。」
動揺で動けずにいる観衆を傍目に、王子は歩き出す。
自分の欲を、我が儘を叶えるために、正論を振りかざして。
「それに、外聞が、ということであれば、彼女はまだ社交場にもデビューしていないし、婚約者もいない。」
怯える少女に、王子は歩み寄る。
母親は、すがりつくエステルを助けたいと思う反面、相手は王族。逆らえば娘だけではなく、家族、自分にすら被害がある。
そう、考えてしまえば、足は地面に張り付いてしまう。娘の助けを求める手にすら、応えられない。
「に、兄様……!」
いつもなら助けてくれる母親が助けてくれず、かといって、元凶が遠のくわけもなく、むしろ近づいてくる。
視線を右往左往させながら、少女が探すのは、自分より何でもできて、しっかりしていて、憧れる王子様のような兄。アイル・ペーシュ。
いつもは優しい母親に怒られたときだって、兄が助けてくれた。
寂しくて泣いたときも、兄が慰めてくれた。
そんな兄を探すも、見当たらず、目の前に迫ってくるのは、本物の王子様。
「……うん、いいね。ぼくのことも兄様と呼んで?」
王子は、少女のもとへかしずき、手を取って微笑んだ。
少女の目尻は滴がたまっているのも気にかけず、ただ、ひたすら、自分を突き通す。
泣かない少女の姿に戸惑うどころか、レインは感銘を受けていた。まだ幼い少女が泣かずにいるのは、教育がしっかりしているから。では、自分が彼女を育ててみては、どうなるのか?
――少女の涙に王子の好奇心は止まるどころか、さらに加速した。
まずは、彼女の縋る先である”兄”になればいい。
そして、彼女を自分色に育て上げれば、彼女はどうなるのか。
ゆっくりと、悩めるごとく、王子の中で欲が膨らんでいく。
「ああ、もちろん、彼女をいただけますよね、とうさま。」
普段ならば、絶対に出さないような子どもらしい声をあげ、彼は微笑んだ。