首脳会談1*
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霊廟から戻ったときには、ちょうど身支度をしないといけない時間になっていた。
呼鈴で侍女に来てもらうと、ヨーグルトと野菜ジュースを朝食に出してくれるよう頼んだ。
昨晩は食欲がなかったはずなのに、気がつけば明らかに食べ過ぎていたと思う。
朝食を摂って少しすると、衣装美容担当の侍女レイラがやって来た。
私の目の下ですくすくと育ったくまを見て眉を八の字にしたけど、昨日と同じく、くまが目立たないよう綺麗にお化粧をして、髪を結い上げてくれた。
今日の衣装は、緑色のワンピースと少し短い丈の白色のジャケットだった。
どちらも飾り気のない意匠だけど、私でもとてもいい生地が使われているのがわかるほど、手触りと着心地がよかった。
この色の組み合わせには心が引き締まる。白と緑……センチュリアの国旗と同じ色使いだから。
身支度が終わった頃には、『センチュリア最高貴族選定結晶会議』に向かう時刻になっていた。
昨晩、クラウス皇帝との非公式会談が終わってすぐ、ベイリアルに今朝一番でこの会議を開くよう連絡を取っていた。
いつも御前会議を行っている『青雪の間』には、眠そうな顔をした『センチュリア最高貴族選定結晶会議』のお偉方が集まっていた。
私と十一名の王族と有力貴族、そしてホルバンを除く重臣四名が今朝の会議の構成員だ。
会議の開会を宣言し、急な招集に応えてくれたことにお礼を言うと、早速本題を……『世界機構』からの通達のことも含めてすべて話した。
意外なことに、ユートレクトと婚姻関係を結ぶこと、彼を国王として共同統治を執ることに、反対する人はいなかった。彼の政治手腕だけでなく、クーデターを起こすような人ではないことも、信頼されているようだった。
ただ、それを事実上、ローフェンディアの後ろ盾を得て行うことを不安に思う声は、複数の人から挙がった。気持ちはよくわかるから、強く説得しようとは思わなかった。
他の永世中立国の元首の方々には、今朝書簡を出して、決してローフェンディアに特別な便宜をはからないことをお伝えしていると説明すると、なんとか納得してくれたように見えた。
王族貴族たちが、センチュリアが永世中立国であることに誇りを持っていることが、改めてわかった。
ひととおりの意見交換が終わったところで、採決を取った。表情を見る限り、温度差はあるものの、全員が賛成に挙手してくれた。
その中には、私にもしものことがあったとき、王位に就いてくださることになっている方もいらした。
この方が真っ先に手を挙げてくださったからこそ、他の王族貴族たちも賛同の意思を示してくれたのだと思う。
重臣たちも、王族貴族たちが反対すると考えていたのか、この方が挙手してくれたとき、心からほっとしたような顔を見せた。
『陛下、センチュリアをどうぞ宜しくお願い致します』
会議が散会した後、その方は私にこう声をかけてくださった。
短くてありふれているようにも思える言葉に、責任の重さを感じた。
ご自分よりずっと若くて未熟な私に、センチュリアの未来を託してくださった信頼に応えたい。
時計を見ると、首脳会談の時間が近づいていた。
そのまま昨日……というか、数時間前までいた国賓室へ向かうと、室内には既にクラウス皇帝がいらした。
「おはようアレク。少しは休めたかい?」
「おはようございますクラウス、おかげさまで休むことができました。クラウスはいかがでしたか?」
「私はあれからすぐ落ちたよ。まあ、私は昼から馬車の中で休めるから構わないが、あなたはきっとそうもいかないだろう。無理をしてはいけないよ」
「お気遣い、恐れ入ります」
などと話しながら互いの席に着くと、侍従たちが外から扉を閉めた。首脳会談の始まりだ。
「次のご訪問国は第一公領でしたか……いよいよ北方地域に入られるのですね」
「ああ、今回は北方地域を重点的に回ろうと思っているんだ。頻繁に行けるところではないからね」
「そうですね、八つの公領と四つの部族の居住地……北方地域のすべてを訪問なさると資料で拝見しました。
クラウスこそご無理なされず、お疲れの出ませんように」
北方地域は、八つの公領と呼ばれる地域と、四つの部族の居住地で成り立っている。
ララメル女王がとてもお気に召していらしたホーンアイル公爵は、第五公領の領主だ。
公領の領主は公爵が務めている。
公爵というからには本来は貴族で、国家元首ではないのだけど、北方地域の公領は国家として世界に認知されている。
なので、公領の領主は『世界会議』には国家元首待遇で招待されるし、今回クラウス皇帝となさる会談も首脳会談扱いになる。
北方地域の公領がどうして『なんとか国』という国名になっていないのか、とか話し出すと長くなるからやめておくわね。このへんの話も覚えなくていいわよ。
それはさておいて。
クラウス皇帝は心配そうにしている私の顔を見て笑うと、アレクも今日は早く床に入るんだよ、とおっしゃってから、
「北方地域は、もっと発展していっていいところだ。
それがなかなか進まないのは、あの寒冷な気候のせいもあるが、あそこにもマレイ・アスの手が回っているからなんだよ」
考えてもいなかった固有名詞を出された。
マレイ・アス氏の名前を耳にすると、またいやな気持ちになった。この人は世界のどこにまで、魔の手を伸ばしているんだろう。
「まさか、北方地域も、南方のエルニアーサ共和国と同じような状況なのですか」
「いや、まだそこまで深刻ではないけれどね。
今は……例えば、土地の掘削機械などの重機に、フォーハヴァイ製のものを買ったのはいいが、すぐに壊れて使い物にならないらしい。
各公領は早急に代替機を送るよう申し入れているが、いっこうに送ってこない。そういうことが、あちこちで起こっているそうだ」
「それは……」
いい加減すぎる。北方地域の皆さんに同情するわ。
「フォーハヴァイは南方の国だ。暖かい土地の重機が、北方地域の寒冷な気候に合わなかった面もあるだろうが、そこは北方地域も最初から懸念していて、事前に確認したらしい。
重機が破損した場合は、すぐに修理するか、代替機を送る契約を結んだそうだよ」
「それなのに、フォーハヴァイは早急に対応しないと」
「今はオルリナ女王が担当者を急かしているそうだが、マレイ・アスの息がかかった奴らは、のらりくらりとかわして動こうとしないらしい。オルリナ女王もとんだ遺産を受け継がれたものだ」
「あの国の新しい国王に、オルリナ女王がご即位されてよかったと思います。他の方でしたら、もっと深刻なことに……」
「そう、北方地域も、第二のエルニアーサに近づいていたかもしれない。その前にマレイ・アスを退位させられたのは、本当によかったよ」
クラウス皇帝はこれから世界を、悪業の通じない公正なものに変えていかれるだろう。
それがみんなの目に見えてわかってくるにつれて、フォーハヴァイの……オルリナ女王の手腕が問われることになる。
私が偉そうに言える立場ではないけど、マレイ・アス氏が積み上げた負の遺産を取り除くのは、今の北方地域で起こっていることを聞いただけでも、相当大変な道のりになると思う。信頼できる側近や大臣たちと協力して頑張ってほしい。
「実は、北方地域でも『世界機構』が暗躍していてね」
クラウス皇帝のお言葉に心臓が跳ね上がった。もしかして……
「わが国のように、重臣に冤罪が課されたりしたのですか」
「そう」
前から少し不安に思っていたことが、現実に起こっていたのがとても残念だった。
重臣に冤罪がかけられるなんて、センチュリアだけでよかったのに……と思った途端、更に悪い予感が頭をかすめた。
「もしかすると、その方々は」
私のかすれた声に、クラウス皇帝は私が感じたことをわかってくださったかのように頷かれた。
「フォーハヴァイが強引なやり口で重機を売り込んでくるのに、疑念を唱えた重臣たちもいたんだ。
そういう人々の領主のもとに、ある日『世界機構』から通達が届いた。どんな内容かはわかるだろう?」
「はい……」
「無論、領主は『世界機構』に抗議したが、返答はなかった。抗議文ごともみ消されたんだ。
そればかりか、通達を発令されたことも、公表してはならないと脅しをかけられたそうだよ」
これもどこかで聞いたような話だった。
「『世界機構』が告発した者を強制連行できる期日が来た瞬間、冤罪をかけられた国の重臣たちは、『世界機構』に連れていかれ、帰らぬ人となった。
どこの公領かは言わないでおくが、一つだけではないし、連行されたのが一人だけでもないのも確かだ」
だから、ホルバンやユートレクトは何をしても無駄だ、というようなことを言っていたんだ。こういうことが実際にあったから。
「だが、今日からはそんな脅しは通用しなくなる。そうだろう?」
クラウス皇帝の力強い声に、私は大きく頷いた。
今日の演説には、重要なことをいくつも盛り込んでいる。
センチュリアの共同統治のことだけでなく、こういういわれない冤罪から、世界の人々を守るためのものでもある。そのことを忘れてはいなかった。
「そもそもなぜ、『世界機構』に永世中立国の出身者を入れてはいけないんだ?
永世中立国も『世界機構』の加盟国なのに、おかしな話だと思わないか?」
クラウス皇帝は話の切り口を変えられたようだった。
確かに、永世中立国の国民が『世界機構』の職員になれないのは、公平でないと思うのだけど、実はセンチュリアには、国を出て働こうとする人がほとんどいないので、問題になっていない。
ただ、弁当箱ことブローラ首相のフォレイト連邦共和国や、アンリ国王のアクロニム王国は、学問が盛んで政治や経済とかの知識を持った人もたくさんいるから、国際機関で働きたいと思う人も多いかもしれない。
そういう人たちのためには、『世界機構』の門を開いてほしいと思う。
私がそのような意味のことを申し上げると、クラウス皇帝は真剣な口調でこう返された。
「そうだね、フォレイトやアクロニムには優秀な識者が多い。彼らが『世界機構』に入れば、公正な国際機関になるのも早くなるだろう。
そこに、フリッツも力を貸してくれれば言うことないんだが」
「それならば」
あのことをお願いするなら、今しかないと思った。
たとえ、クラウス皇帝のお心を翻すことができないとしても、言わずじまいでは済ませられない。
「アンウォーゼル捜査官の処罰をどうか……国際裁判所に軽減を求めてくださいとは申しません、極刑を要求することだけでもおやめ」
「アレク」
急激に温度を下げたクラウス皇帝の声が返ってきた。
予想していたから驚きはしなかったけど、怖いのには変わりなかった。
「私はあなたの武器を強化するとは約束したが、この件を譲るつもりはない」
「私もそう理解しています。ですから、改めてお願い申し上げたのです」
私はまだアンウォーゼル捜査官の処罰について、クラウス皇帝からいいお返事を頂いていなかった。
アンウォーゼル捜査官にはとても申し訳ないのだけど、昨晩は他にも考えなくてはいけないことが多過ぎて、今までずっと触れられずにきてしまった。
他のことも十分不安だらけだけど、このことは確約をもらっていないだけに余計怖かった。
クラウス皇帝の表情は明らかに不快そうだった。
昨晩から今までずっと、アンウォーゼル捜査官の処罰のことには、あえて触れられなかったのだと確信した。
「昨日申し上げたことをもう一度繰り返しますが、あなたが皇帝として、夫として、男性として、アンウォーゼル捜査官を赦しておけないお立場とお気持ちは、十分承知しております。
それと同じように、ユートレクトにとっても、アンウォーゼル捜査官はかけがえのない親友ですから、彼を救いたいと願うでしょうし、私も共同統治を執ることになる……フェアラスルインの親友の命を繋ぎ止めたいと思う気持ちは変わりません」
恥ずかしかったけど、フェアラスルインという言葉をあえて使った。
共同統治に踏み切ったのは、クラウス皇帝が私の『武器を強化する』と約束したからこそだった。
「国際裁判所の判決が、極刑やそれに類するものになってしまったなら、覆してほしいとは申しません。それでは世界の公正さを欠くことになってしまいます。
ですから、せめてあなたから、極刑やそれに類する処罰を要求されることをおやめ願えないでしょうか。
アンウォーゼル捜査官には余罪があると仰せでしたが、それらも極刑に値するほどの罪なのでしょうか」
残念だけど、クラウス皇帝の表情から、アンウォーゼル捜査官のことは聞き入れてくれないことが読み取れた。
焦りとやり切れなさが、長々と話して痛む喉を一層刺激する。
私が口を閉ざすとすぐ、クラウス皇帝はためらうことなく一言おっしゃった。
「それはできない。最後の質問は、あなたには答えられない」
これがクラウス皇帝の決定なら、
「では、ユートレクトを『世界機構』の改革に協力させるわけにはまいりません」
私も妥協はできなかった。あの人のためにも。
この最悪のタイミングで、コーヒーが運ばれてきた。
チョコレートとクッキーが乗った、お上品な小皿まで付いていた。
クラウス皇帝甘党説は厨房にまで浸透したようだけど、私の心は甘い気分とは遠くかけ離れたところにあった。
落ち込むのは後にしよう。他に攻め方はないか考えなくては……
失望感をねじ伏せながら、寝不足の身体にコーヒーを入れたときだった。
「無理なことを他人に頼むときのやり切れなさは、私もわかるつもりだ」
クラウス皇帝が思いがけないことをつぶやかれた。
「私も上皇陛下に陳情するときは、同じ気持ちを味わったよ」
今の私の気持ちがわかる、とでもおっしゃりたいの……?
それなら、私のお願いを聞いてくれたらいいじゃない!
反射的に気持ちが声になって出てきそうになったけど、国家元首として、まさかこんなことは口にできない。どうお返事していいか困っていると、
「だが、帝位を継いだ今ならわかる気がする。
同じ国家元首であるあなたに言うのは失礼かもしれないが、ローフェンディア皇帝は、世界最多の民の生命と尊厳を背に負うている。
私は皇帝として、あのように臣民の生命と尊厳を脅かした者を、赦すわけにはいかない」
臣民の生命と尊厳を脅かしたもの……それはアンウォーゼル捜査官のこと?
確かにアンウォーゼル捜査官の罪はとても重い。
フォーハヴァイに不正な武器や材料の流れがあることを、知っていながら黙認したせいで、フォーハヴァイとペトロルチカの軍事力が膨れ上がった。
ローフェンディアに不正な武器が入ってくるのも、わかっていたのに止めなかったせいで、リースルさまとお子さまのお命が危険にさらされた。
だけど、直接ローフェンディアの国民を何人も殺めたわけではないし、ここまで言われることをしたとは思えないのだけど……
もしかして、アンウォーゼル捜査官の余罪が、それほどまでに酷いことなの?
そう思い至った途端、あの光景がまぶたによみがえった。
あの光景といっても、実際に私が見たものではない。
勝手に想像したものだったけど、話を聞いただけなのに鮮明に浮かんで、頭から離れなくなった光景。
十年前の『バルサックの悪夢』。
どうしてあの事件のことを思い出したんだろう。
アンウォーゼル捜査官のことを考えたからなのか……わからなかったけど、今はそんなことはどうでもよかった。
あのときのアンウォーゼル捜査官の悲しみと、恋人の痛ましさを思うと、胸と喉が締め付けられた。
あの事件さえなかったら、アンウォーゼル捜査官だってマレイ・アス氏に手を貸すことはなかったはず。そうすれば、これからも『世界機構』の捜査官として、ずっと活躍していけたはずなのに。
どうにかできないの、どうにか……
「……あなたの大切な臣民が、同胞の愚かで卑怯な行為で殺められたなら、どうなさいますか」
私はとうとう最後の賭けに出ることにした。
*2021.6.4 一部修正(削除)しました。




