茜射す御廟
深刻な交通渋滞が発生している顔面の交通整理……つまり、お化粧を丁寧に落としてお湯を浴びると、永世中立国の元首の皆さんへ手紙をしたためた。
連日の寝不足のせいか、途中で集中力が途切れそうになったけど、なんとか筆を乱さずに書き終えられた。
大事な三通の書簡を、明日の朝一番で各国へ向けて発送するよう指示を出すと、少しだけ目を閉じられる時間ができた。
ベッドで横になると、朝まで眠ってしまいそうな気がしたので、机の上に顔を伏せてしばらく目を休めた。
疲れているはずなのに、頭は明日の首脳会談や演説のことを考えて、ずっとぐるぐる回り続けていた。心もざわついて落ち着かないままだった。
だから、休めたのは本当に目だけだったけど、身体のどこか一か所だけでも、動かさずにいられる時間が取れてよかったと思う。
明け方というにはまだ早い時刻、机の上で硬くなってしまった身体を起こすと、ある場所に向かった。
トゥリンクスからユートレクトを救う手段を聞いてから、ずっと訪れたかったところに。
護衛の兵士に行き先を告げると、どうしてこの時間にそんな場所へという顔をされたけど、行くのをやめるつもりはなかった。
空はまだ夜の闇に包まれていて、朝の気配は感じられない。冷気が針のように頬を指す。
王宮の敷地内にある目的地は、厳かな静寂の内にあった。
二十四時間体制で警備している兵士達をねぎらうと、重い扉をゆっくりと押し開けた。
ここはセンチュリア王家の霊廟……初代から先代までのセンチュリア国王四十四柱の御霊が眠る場所。
壁と天井が淡い緑色の光を放っているのは、埋め込まれているオーリカルクがろうそくの灯りを反射して輝いているから。
ここに入ったときは、いつもこの幻想的な光景に息を飲む。
祭壇の背後……黒ヒルバで作られた格子戸の向こうに、歴代国王たちの墓標が立ち並んでいる。
日中だとうっすら墓標の影が見えるのだけど、夜明け前の今は、漆黒の闇に包まれていて何も見えなかった。
その神聖な空間から言い表せないほどの重圧を感じると、自然と膝が落ちた。両の掌を合わせて祈りを捧げる。
……私がこれからしようとしていることは、本当にわが国のためになることなのでしょうか。
私の判断は正しいのでしょうか。
わが国はこれからも、国民が平和に暮らせる国であり続けられるでしょうか……
答えの得られないことを、四十四柱の御霊に問うてしまう自分が情けなかった。
こんな弱い私だから、歴代の国王たちに向き合っただけで、おののいてしまったのだろう。
ユートレクトが『世界機構』からの通達で、いわれのない罪を着せられてしまったことは許せなかった。
通達に反論しても、通達の発令者に握り潰されて、事実上取り消しを求めることさえできないことも。
通達が出された原因だって……フォーハヴァイ前国王の私怨だなんて、とんでもないことだと思う。『世界機構』に表立って抗議しても、何も後ろめたいことはない。
それでも、ユートレクトを救うために彼と婚姻関係を結び、国王になってもらうことが本当に最善の策なのか、決断した今も自信が持てなかった。
一度、配偶者を共同統治者として認めてしまったら、たとえ今回のことは特例としても、後の世でその資格のない人が国王や女王になるかもしれない。
そのとき、よからぬ先例を作ったのは私ということになる。
そんな愚かな共同統治者が生まれてしまったとき、私はその時代の人たちに、なんと言って謝ったらいいのだろう。目の前の歴代国王たちと同じ場所に眠る資格なんてない。
だけど、あの人をどうしても助けたい。ずっとそばにいてほしい。
私の個人的な思いだけでなく、今のセンチュリア国民の幸せを考えるなら、絶対に失ってはいけない人だった。
それに、あの人には国王にふさわしい品格も才覚もある。少なくても私はそう思っている。
救える可能性が高まるなら、どんなことでもしたい。
これが偽りない本心だからこそ、私はあの人を夫に……そして国王にすると決めた。
あの人は望んでいないはずなのに。国王になりたいなんて考えている人じゃないのに。
『結局、おまえは自分が一番大切な人間だ。今のセンチュリア国民の幸せを考えて、などと綺麗ごとを言っても、後の世に災厄を招きかねないことをするのに変わりはない』と言われたら、その通りだった。
それに、私が愚かなのに、国民に『愚かな主君が愚かな配偶者を政治に参加させようとしたら、止めなさい』と言って、誰が聞いてくれるの……?
そういう不安だらけのことを、私はしようとしている。
今回のことで、国民から反感を買ったとしても。
たとえ私が殺されるようなことになっても。
私は最期のときまで、この国と国民とあの人を守る……
違う、私が守るなんておこがましい。
私の持てるものすべてを捧げます。
どうかこの国と国民と……あの人をお守りください。
そんなことを思い巡らせながら、どれくらいの時間が経っただろう。
視界の上の方が明るくなったような気がして、祈りに伏せていた顔を上げた。
窓から射してきた朝の光は、まだ地表に現れたばかりの弱々しく薄い茜色だった。
それなのに、格子戸の奥に眠る四十四柱の墓標は、間近で陽の光を浴びているかのように、荘厳な黄金色に輝いていた。




