共に歩むもの5
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席を立って外に出ると、控えている侍従に、紅茶のおかわりと気軽につまめそうな軽食めいたものを頼んだ。
気軽につまめそうな軽食めいたものって何かというと……甘いものばっかりだと、辛いものが欲しくならない? 私はなるのよね。
そして、無限の甘辛ループに突入して、次の日体重計に乗って後悔するところまでがお約束なのだけど。
そういう乙女のちょっとした欲求を満たしてくれるもの……例えば一口サイズのサンドイッチとか、カナッペみたいなものを作ってくれると思う。
晩餐会のときはあまり食欲がなかったのに、今は夜遅く食べるのは美容によくない、なんて考えは頭の片隅にも浮かんでこなかった。
暖炉の火は会談の前と変わらない勢いで燃えている。
私の精神力は燃え尽きる寸前だけど、もうひとふんばり、いやもっともっと頑張らないといけない。
「ユートレクトは元気にしていますか」
席に戻って椅子に腰を下ろしてから、クラウス皇帝に訊ねてみた。少し空気が和らいだ気がしたし、先ほどからの話の流れでも聞いて構わないだろうと思った。
「ああ、うるさいほど元気だよ」
「ありがとうございます。ほとぼりが冷めるまで、どうぞ宜しくお願い致します」
言いながら少し不安になった。
ほとぼりが冷めるまでって、いつまで? 本当は今すぐにでも戻ってきてほしいのに。
どんなところで寝起きしているんだろう。独房みたいなところか、もう少し自由の効く場所なのか……気になり始めると止まらなくなるから、そろそろ考えるのはやめよう。クラウス皇帝との会話に集中しなくちゃ。
「きっと暇にしているでしょうから、どうぞ『世界機構』の上層部を一層するお手伝いでもさせてやってください」
武闘派の手から匿っているのだから、表立ったことはさせられないだろう。
でも、彼のことだから時間を持て余しているだろうなと思って、冗談半分で言ってみた。
だけど、クラウス皇帝は私の軽い気持ちの発言に、予想しなかった深刻な表情になられた。
「そうさせたいのはやまやまなんだが、あいつは頑固でね。レシェク・アンウォーゼルの処罰が軽減されないのであれば、一切協力しないと言って聞かないんだ」
わが最強の宰相閣下は、自分の持てる力を最大限に利用して、アンウォーゼル捜査官を極刑から救おうとしているらしかった。
でも、クラウス皇帝……というかローフェンディア帝国なら、本気を出せばユートレクトの協力がなくても、上層部を一層するなんて簡単にできるんじゃないかしら。
と思うのだけど、クラウス皇帝の表情は明るくない。
もしかしたら、ローフェンディアの諜報部隊って、私が思っているより充実していないのかしら。人手が足りないとか、信頼できる人が少ないとか……だとしたら、ここが突破口になるかもしれない。よく考えて話を持っていかなくちゃ。
私は冷めた紅茶を一口飲むと、また口を開いた。
「率直に申し上げますが、アンウォーゼル捜査官の罪が先ほどおっしゃられた通りであれば、あなたが重罪を求めるのは当然ですし、国際裁判所の判決が厳しいものになることも致し方ないことだと思います。ユートレクトも、それは私以上に承知していると思います」
「その通りだ、あいつもあなたが今言ったことと、同じことを言ったよ」
「それでも、彼は親友の命を『致し方ない』で諦めることはできないのだと思います。私もそう考えています」
クラウス皇帝の顔が更に曇ったけど、ここは思ったことをぶつけていく。
「あなたがローフェンディア皇帝として、一人の夫、父親として、アンウォーゼル捜査官を赦しておけないのと同じように、彼が親友の命を救いたいと願うのは自然な感情でしょうし、私も恩義ある臣下の大切な友人を助けたいと思っています。
クラウス、私たちの思いが交わる……妥協ではなく、お互いにとってよい方法はないものでしょうか」
言い終えた途端、クラウス皇帝が背にしているローフェンディア国旗から、今までの人生で受けたことのないほどの重圧を感じた。
『妥協ではなく、だと!? 言葉を飾り立てても、きさまの思惑など透けておるわ!
きさまのような小国の小娘が、わが大帝国の皇帝に妥協を迫るなど無礼この上ない!
愚か者め、身の程を知るがいい!』
地を這うように低くて威厳のある声が、何重にも折り重なって頭の中に直接響き渡った。
歴代のローフェンディア皇帝たちの魂が、彼らの国旗を通して私を威嚇しているみたいに感じた。
心だけでなく、全身の器官、筋肉、骨までもが締め上げられるかのようだった。このまま内側から破裂してしまいそうだった。
だけど、私だって一国の君主。小国だからって、小娘だからって、おとなしくしていられない。
私の立場でアンウォーゼル捜査官の命を守ろうとするのは、公私混同と言えなくもない。
でも、それがセンチュリアの国民を守ることに繋がるなら、申し訳ないけど、公私混同だろうがなんだろうがやってやる。
繋げられる道筋が、わかったような気がしたから。
クラウス皇帝はしばらくの間、何もおっしゃらなかった。私が考えていることなんて、全部お見通しなのかもしれない。曇ったままのお顔と背にされている国旗から、相変わらずものすごい重圧を感じる。
唇をぎゅっと結んで、その重さと全身を鷲掴みにされているような痛みに耐えた。
やがて、口を開かれたクラウス皇帝の台詞は、
「アレク、あなたは自分が持っている武器の威力を知っているかい?」
というものだった。
「武器とおっしゃいますと」
わざとらしくならないように首を傾げると、
「その様子だと知っているようだね、ある程度は」
「ある程度?」
私の態度に、クラウス皇帝は何を思われたのか苦笑されると、右手を額に当てて大きく息をつかれた。
「私は『世界機構』を一刻も早く正常化したい。だが、私には『世界機構』上層部を潰すだけの決定打がない。
レシェク・アンウォーゼルの個人的な行いだけで『世界機構』の上層部に手をつければ、ローフェンディアの私怨で『世界機構』を改造するのかと、他国から非難されるおそれもある」
「そうでしょうか」
「大国だからといって、自由に振る舞えるわけではないよ。大国だからこそ他国に足を引っ張られる機会も多いんだ。数か国が結託して非難してきたら、ローフェンディアの権威が落ちる可能性もある。迂闊なことはできない」
いくらローフェンディアが世界最強の国家でも、他の国々が束になってかかってきたら、危ないということね。
「しかし、あなたが『世界機構』から受けた被害は、国家として考えるとローフェンディアより甚大かもしれない。国政の片翼をもぎ取られるようなものだからね」
クラウス皇帝がおっしゃるところの、国政の片翼……宰相であるユートレクトの存在は、センチュリアにとってはものすごく大きい。だけど、
「ですが、リースルさまとお子さまのお命が狙われたことも、『世界機構』を糾弾して、上層部の改革を要求するのに、十分な理由になると思いますが」
「だから国家として、と言ったんだよ。リースルと子供は、当然だが国政には関与していない。
私的な関係にある者たちの命を狙われたからといって、国際機関の組織に手を出すなど公私混同ではないか、などと言ってきそうなややこしい国が、フォーハヴァイ以外にもあるのさ。皇妃や未来の皇帝は、十分公的な存在だと私は思うけどね」
世界は私が期待していたよりも単純ではないようだった。
思えば、フォーハヴァイ以外にもややこしい国はたくさんある。
今は名前を出さないけど、すぐ頭に浮かぶだけでも十か国はある。
「あなたはそのうえ、レシェク・アンウォーゼルのような一職員ではなく、恐れ多くも代表理事に、根も葉もない通達を送りつけられたんだ。糾弾するに足る実害を負っていると言っていい」
「そう解釈していいのでしょうか」
「もちろんだ。ただし、あなたが持っている武器は、実際に使ったなら、センチュリアに後々不幸をもたらすかもしれない」
ここまで会話が進んでようやく、自分の考えていることが世界最強の皇帝と同じだと確信できた。
それなら勝負はここからだ。
「それは存じております。ですが」
クラウス皇帝の視線をまっすぐに受け止めて。
「もし、私がそれを使うと決めたなら、あなたは必ず力を貸してくださると、信じています」
自信はなかった。だけど、怖気づいてはいられない。
クラウス皇帝の返答を聞く前に、言葉を足すことにした。
「恐らく、私の武器はあなたにとっても武器になるでしょう。しかも、ローフェンディアの負担はほとんどありません。そのような武器なら、私に使わせたいとお思いになられて当然だと思います」
身体が熱くなってきた。これで余計な脂肪が燃え尽きてくれればいいのだけど。
「ですが、この武器はセンチュリアの後世に傷をつけるおそれがあります。
もし使うのならば、今回は特例法を作り、後世の人々に悪用されないよう、手を尽くすつもりでいます。
それでも、補いきれないことは今後発生すると思います。未来は誰にも予想できませんから」
この武器を使うのを公私混同だと言われたら、その通りだと言うしかない。
もし、通達を出されたのが他の重臣や官吏だったら……彼らだって、たとえ身柄が拘束されなくなるとしても、『私に』この武器は使われたくないだろうし、正直言って私も決断できるか自信がない。
それでも今回は使う。これしか方法がないなら。誰になんと言われても構わない。
いつも他人にどう思われるかを気にしてしまう私が、こんな風に思い切れるなんて、自分でも驚いていた。どうしてだろう。
ふと、あの人の声が頭に響いた。あのときの……低くてかすれた声が。
『俺を信じることも重要だが、最後は自分自身を信じろ』
絶対に忘れない、忘れたくない、不適で精悍な笑顔がまぶたの裏によみがえった。
『おまえは俺の女王だからな』
まぶたの裏が熱くなった。顔もほてる。
身体中を駆け巡っていきそうになる感情を力づくで抑えた。
「この武器が最大限の力を発揮するためには、良識ある人々に異論を挟ませないだけの武装……理論的にも心情的にも、一人でも多くの人に賛同してもらう必要があると思っています。
現在、わが国の司法大臣が特例法を検討していますが、なにぶん病床にある身、万全の体調とは言えません。
しかしながら、事は極秘にかつ速やかに進めなくてはなりません。安易に一般の官吏に任せるわけにはいかない事柄だと考えています」
この『武器』を使うと決めてから、後の人々に悪用されないため、特例法の案を早急に作成してくれるよう、ホルバンに頼んでいた。
私が在位しているあいだだけ適用される法律で、王家の血を引かない人間に国王の権力が渡らないようにするためだった。
ホルバンはまだ自宅で療養中の身、無理はさせたくないのだけど、内密に進めなくては王宮が大混乱するだろうし、ぎりぎりまで一般官吏には知られたくなかった。
クラウス皇帝は今、ホルバンの手助けをしてくれるのに、おつりがくるくらいの人物をセンチュリアに連れてきている。ネフレタ教授だ。
だけど、私から頭を下げて協力をお願いはできなかった。
ここで頭を下げたら、こちらの足元を見られて、アンウォーゼル捜査官への求刑を緩めてもらえなくなるかもしれない。
それに、私の武器はセンチュリアの後世に危険が及ぶ可能性があるもの。
国の存亡がかかるものを使わせてあげるのに、こちらが頭を下げなくてはいけない理由はない。
そう信じて……というより、祈るような気持ちで口を閉ざした。
本当は、すぐにでも頭を下げて『お願いです、ネフレタ教授の力をお貸しください』と頼みたかった。
だけど、国王としてそれはしてはいけないことだった。
私のこういうすぐに下手に出てしまう性格のせいで、センチュリアの価値を卑屈に落とすことはできない。
クラウス皇帝は、今度もなかなか口を開かなかった。
私の高圧的な物言いがお気に触られたのか、それとも、実は私がとんでもなく見当違いなことを言っていて、あきれられているのか。
さっきから汗が止まらなくて、一人で真夏のように額から汗を垂らしていた。恥ずかしいけど、ハンカチで押さえなくては、汗が目や頬に降りてきそうになっていた。仕方なくうつむいてハンカチで額を拭いていると、
「私の治世になる前から」
重い声に慌てて顔を上げた。
クラウス皇帝は、真夏の暑さを感じている私とは対極の季節におられるような顔をされていた。
「ローフェンディア王宮には陰謀や権力闘争がはびこり、地方にもよからぬ影響が出ている。
長年、わが国は世界に主導者として君臨していると自負しているが、そろそろ内政に力を注がなくてはならない。
今はまだ予兆はないが、わが国の力が落ちてきたと見た輩が、いつよからぬことを企むかもしれない。
そうなれば、わが国がその輩に対抗しているあいだに世界の統率が取れなくなり、他国の世情も不安定になりかねない。いつまでもフォーハヴァイやペトロルチカ、そして『世界機構』の腐敗を放置しているわけにはいかない」
クラウス皇帝の表情から察するに、ローフェンディア内部の状況は、私が思っていたよりも深刻なようだった。
思い起こせばローフェンディアでは、いつも代替わりのとき、権力闘争が激しくなるのが恒例行事みたいに言われてきた。
クラウス皇帝の治世になってからも、即位されてまだ日が浅いせいもあるだろうけど、王宮内が落ち着いているようには思えなかった。
こちらに行幸したいという連絡も、もっと早く来てもいいはずだった。
他国や王宮内の調整に手間取ったのだとしても、『世界の皇帝』のご意向がすぐ通らない時点で、クラウス皇帝の意思が制限されていると考えられなくもない。
それに、ハンス・ルクーノルト(元)皇子からの縁談も、皇族の統率が取れていれば、皇帝に何も知らせないままセンチュリアに打診するなんて、できないはずだった。
クラウス皇帝をないがしろにしたハンス・ルクーノルト(元)皇子はもちろん許せないけど、皇族の頂点に立つ皇帝として、一族の管理が行き届いていなかったと指摘されれば、申し訳ないけどクラウス皇帝も反論は難しいだろう。
そして、決定的だったのが今日……もう昨日になるけど、オーリカルク鉱山行きの馬車に乗り込む前の、ローフェンディア官僚たちの不敬で無礼な態度。
今のクラウス皇帝とローフェンディア帝国の現状なら、私の武器は喉から手が出るとまではいかなくても、確かに手に入れておきたいものだろうと思えた。
私からはこれ以上申し上げることはなかった。
というより、今口を開いたら我慢できずに、力を貸してくださいと言ってしまいそうだった。
だから、何も言わずにいた。クラウス皇帝の言葉をひたすら待った。
今までで一番長い沈黙だった。
その沈黙を破ったクラウス皇帝の第一声は、
「あなたの武器を強化しよう」
望みが叶えられたことにほっとしすぎたのと、まだ信じられない気持ちとで、すぐにお礼が申し上げられなかった。
「その代わり、そのことは明日、共同声明を発表するとき宣言してほしい。あいつが強制拘束されるまでに、一刻も早く宣言した方がいいだろう」
おっしゃる通りだった。
『世界機構』がユートレクトを強制的に拘束できるようになるまで、残り二週間になっている。
余裕があるようにも見えるけど、もしもこの武器が通用しなかったとき、次の手段を考えるにはあまりに短い時間しか残されていない。私も少しでも早く世界に発信した方がいいと思っていた。
いざクラウス皇帝……ローフェンディア帝国の協力を取り付けたとなると、考えていたことが現実に動き出すのが怖くなってきて声を出せなくなった。首だけ大きく縦に振ると、
「あなたは、明日の朝までに、国内で必要な手続きをすべて整えておくこと。いいかい?」
いつの間にか、クラウス皇帝は私の横に立っていらした。肩に手を置かれて、急いで椅子から立ち上がった。
「失礼しました、クラウス、あの、私は、本当に」
「私があなたの武器を強化……悪く言えば、正直利用させてもらおうと決めたのは、あなただからだ」
動揺して言葉に詰まる私に、クラウス皇帝はいつもの優しい笑顔を見せてくださった。
「あなた以外の人がセンチュリアの君主だったなら、このようなことは言わなかっただろう。たとえフリッツがいたとしてもだ」
久しぶりに私の知っているクラウス皇帝にお会いできた気がして、こわばっていた全身が少しだけ緩まった。
「あなたなら、後世のセンチュリア国王と民に、恥ずかしくない行動を取れると確信している。
フリッツもそうだと信じているが、この国の国家元首はあなただ。
まず、あなたに国王としての品格と強さがなくては、あの武器を安心して使わせられない」
頬を伝う感触に気づいたときにはもう遅かった。涙はもう首筋を伝って服の下にまで染みていた。
どのくらい前から泣いていたんだろう。
クラウス皇帝の協力を得られるという安心感と、それでもうまくいくのか……あの人を助けられるのか、フォーハヴァイやペトロルチカ、『世界機構』の武闘派を抑えることができるのかという不安、後世の人々に対する責任の重さ、そして……あの人が私の判断をどう思うのか。
今までに味わったことのない重圧に、四方八方から押しつぶされそうだった。だけど、
「……クラウス皇帝陛下」
取り繕っている余裕もなかった。
ハンカチで目頭と頬を押さえた。
泣きはらした顔は、きっとお化粧も崩れてひどいことになっているだろう。
「『世界機構』からのいわれない断罪、許すことはできません。
彼らが罪を免罪するのが国家元首のみだと、勝手に不文律で決めているのなら、こちらもそれ相応の方法で『世界機構』からの通達に対抗します。
貴国が力を貸してくださるのなら、私の武器は『世界機構』と武闘派に強力な打撃を与えるでしょう。
マレイ・アス氏の勢力やペトロルチカの弱体化にも、間違いなく繋がると思います」
そんなみっともない私の持つ武器は、
「ユートレクトを私の配偶者とし、王配ではなくセンチュリア国王……国家元首として私と共同統治をする権利を与えます」
これしかないのだから。




