共に歩むもの3
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私はなんとも言えない気持ちを慰めるために、まだ残していたケーキを口にした。
ケーキはあと三分の一ほど残っている。いちごも残してあるし、バスケットの中にもまだお菓子がたくさんあるのを確かめると、少しだけ気分が持ち直した。
「マレイ・アスは現在、フォーハヴァイ国内の田舎で隠居生活を送っているが、裏では元皇太子と共にオルリナ女王を倒す機会をうかがっている」
クラウス皇太子のお話は、フォーハヴァイの国内事情に移った。
「元皇太子というと、本来ならマレイ・アス氏の次に国王になるはずだった方ですか」
「ああ。オルリナ女王はもともと王位を継ぐ予定ではなかった方だ。ただ、国民の評判は元皇太子よりはるかによかった。農業や漁業にも明るくて、福祉施設も自費で立てたりしているしね。
それにひきかえ、元皇太子はマレイ・アスの縮小版みたいな奴だ。奴を新国王にしたら、南方地域はますますきな臭くなる。
だから、南方地域の元首たちと連携して、オルリナ女王を後継にするよう、マレイ・アスに圧力をかけたんだよ。オルリナ女王以外の王族となると、フォーハヴァイには大なり小なり元皇太子のような輩しかいなかったしね」
そういえば去年の『世界会議』で、ララメル女王とホク王子が、マレイ・アス氏の後継の話をしていらしたわね。
クラウス皇帝が教えてくださった、フォーハヴァイの内情は知らなかった。
てっきり、ローフェンディアが単独でフォーハヴァイに圧力をかけたのだと思っていた。
南方地域の国々も、ララメル女王やホク王子を見る限りだと、フォーハヴァイの軍国化を快く思っていなかったみたいだから、喜んでローフェンディアと連携したんだろう。
ていうか、マレイ・アス氏、元皇太子と一緒になってオルリナ女王を倒すつもりって、どういうこと?
マレイ・アス氏にとっては、元皇太子もオルリナ女王も、自分の血を分けた子供のはずなのに。
片方の子供と一緒になって、もう一方の子供を倒す……亡き者にするのか退位させるだけなのか知らないけど、そんなことをしようという心境が、全く理解できなかった。
私はケーキで甘くなった口を紅茶で清めてから口を開いた。
「マレイ・アス氏の後継が、オルリナ女王以外にふさわしい方がいらっしゃらなかったことはわかりましたが、オルリナ女王は即位されたそのときから、実のお父上やご兄弟と立ち向かうことになられたのですね……」
オルリナ女王がお気の毒だと思って申し上げたのだけど、
「かわいそうだと思うかい?」
クラウス皇帝にそう問われて、自分の弱さを突かれた気がした。
確かに、実の父や兄弟と争わなくてはいけないなんて、私だったら心が折れてしまうだろうけど、本来ならそんなこと言ってはいけない。
国家元首にとって一番大切なのは、国民の生命と安全を守ること。その妨げになるなら、たとえ肉親であっても容赦できない……
オルリナ女王のお立場を考えたら、胸が痛くなった。喉にもこみ上げてくるものがあって、お答えできないでいると、
「あの方は本当に強いお方だ。先週、二人で会談したんだが、はっきりと言われたよ。『国王になった瞬間から、私は全国民の母となりました。母は子を全力で守るものです』とね」
クラウス皇帝の声音は重かった。オルリナ女王だけでなく、ご自分もいつ同じ状況になるかわからないことを、覚悟されているようだった。
「なかなか口にできるお言葉ではないと思います」
としか言えなかった。今のところ、私にはそんな争いが起こりそうな親族はいないけど、いざというときは、当然覚悟を決めなくてはいけない。
「いつもは気さくなおばさんという感じの方だが、国の母と呼ぶにふさわしい方だと思うよ。あなたとも気が合うと思うな」
ララメル女王も同じようなことをおっしゃっていたのを思い出した。
オルリナ女王とお話してみたくなった。今年の『世界会議』でお会いできるといいのだけど。
クラウス皇帝は正装の上着を脱ぐと、椅子の背もたれにかけられた。話しているうちに暑くなられたのかもしれない。
でも、申し訳ないことに、この部屋にはハンガーなる所帯めいたものがない。
うちの侍従か家臣の方にお預けになりますか、と申し上げると、
「いいよ。今日は、堅苦しいことはお互い抜きにしよう。まだ話も序の口だしね。お気遣いありがとう」
そうおっしゃって、またマカロンをほおばられたので、恐れ多くもお言葉に甘えることにした。
そういえば、(私にとっては)本題の通達のことから話がそれてるような気がしないでもない。
でも、こちらから『通達のこと、何かいい手立てはないでしょうか』とお聞きすることはできなかった。
それに、クラウス皇帝がご存知なのは、センチュリアに通達が出された裏事情だけで、こちらがどうしたらいいかなんてことは、ご存知ないかもしれない。
いくらクラウス皇太子がユートレクトのお兄さんでも、こちらから巻き込むようなことはできなかった。
だけど、先ほどの会話から察するに、クラウス皇帝は相当事情をご存知みたいだ。
私にできるかわからないけど、可能な限りクラウス皇帝から情報を教えてもらえるように、話を持っていかなくちゃ。
そのためには、多少回り道になっても、この際徹夜になっても構わない。官吏の皆さんには本当に申し訳ないけど。
……私が『手立て』を使うとしたら、センチュリアの安全が最大限保証された中でなくてはいけない。そうでなかったら、国民を守れないから。
実はローフェンディアには、こちらから頭を下げずにその手助けをしてもらうつもりだった。
いくらセンチュリアが国の規模のわりには大きな軍事力を持っているとしても、フォーハヴァイやペトロルチカのような、がちがちの軍事国家(組織)には到底かなわない。
それに、私が使うかもしれない『手立て』は、世界中でもほぼ前代未聞のことだった。
唯一、二千年くらい前に同じ例があったらしいけど、詳しい話は残っていないから参考にならない。
だから、力のある国が味方……というか、後ろ盾になってくれるのはとてもありがたい。
永世中立国が他国に頼るなんて、本来ならよくないことなのだけど、この『手立て』を使うなら、なりふり構っていられないと思っている。
ただし、頭を下げてしまう……つまりこちらから協力をお願いするとなると、センチュリアが払う負担が大きくなるだけでなく、ローフェンディアに背負わせるものも増やしてしまう。
そんなことしたら、間違いなくユートレクトにぼこぼこにされてしまう。
だけど、よ。
もしも負担が増えない……それどころか、センチュリアを助けることがローフェンディアにとって得になるんだったら、頼みごとしても問題ないわよね?
ただ、そのためには、クラウス皇帝と私の……ローフェンディアとセンチュリアの利害が重なるところを、きっちり見極めなくてはならない。
私にそんな難しいことができるのか、まるで自信はない。
だけど、非公式会談が始まってからずっと、神経をとがらせてクラウス皇帝のお話を伺っていた。どこかにヒントはないか、突破口はないか……
クラウス皇帝がどうお考えかはわからないけど、私の中ではもう『交渉』は始まっていた。
話に一区切りついたところで、オルリナ女王についてもう少し聞いてみることにした。
さっきクラウス皇帝がオルリナ女王のことを、『気さくなおばさん』とおっしゃっていたのが気になって。
「オルリナ女王はおいくつなんでしょうか」
「私よりも十七、八歳上だから、五十手前かな。結婚はされていないが、とても子供好きでね。私が会談したのも、ご自身が名誉理事をされている孤児院の中だったよ」
頭の中に浮かんできたのは、孤児院の庭の片隅で、クラウス皇帝とオルリナ女王がお茶しながら話しているところへ、子供たちがわらわらと寄ってくる光景だった。
「本当に子供がお好きなんですね」
「そうなんだ、子供たちもオルリナ女王が大好きでね。少しでも彼女と話したかったらしい。会談の冒頭三十分は、子供達の自己紹介と工作のおひろめ会になったよ」
とても楽しかったけどね、とクラウス皇帝は、そのときのことを思い出されたように笑ってつけ加えられた。
それにしても。
「珍しい場所で会談なされたのですね」
「確かに。だが、とても寛いで話すことができたし、かえってよかったよ」
「子供たちのおかげでしょうか」
「それもあるけどね」
わかるかい? とクラウス皇帝はおっしゃって、クッキーを手に取られた。
フォーハヴァイの王宮じゃなくて、オルリナ女王の孤児院での会談がどうしてよかったのか……
「フォーハヴァイの王宮には、まだマレイ・アス氏を支持する勢力が多いのですか」
「そういうことさ」
クラウス皇帝が手にされたクッキーは、普通に食べたらぼろぼろとかけらがこぼれやすい、柔らかい生地のものなんだけど、天下の皇帝陛下はひとかけらもテーブルに落とすことなく、そのクッキーを召し上がられた。
さすがだと思ったけど、私の中で『クラウス皇帝甘党説』が芽生え始めているので、いろいろな種類のクッキーやお菓子を食べ慣れていらっしゃるのかもしれない……なんて考えていると、
「フォーハヴァイ王宮には、今もマレイ・アスの息のかかった連中が多く残っている。オルリナ女王も、なかなか彼らを退けることができないらしくてね。王宮内もオルリナ女王派とマレイ・アス派に割れているそうだ」
また同じクッキーを取られたクラウス皇帝が、アレクも何か食べるといい、とおっしゃってくださったので、お言葉に甘えてチョコレートのかかったクッキーをいただくことにした。
「オルリナ女王は、ご自分に一番近い側近や大臣はどうにか総入れ替えしたそうだが、それ以外の閣僚の中には、まだマレイ・アス派が多くてね。
王宮内だけでなく、企業の中にもマレイ・アス時代に私腹を肥やした企業が多くて、なかなか平和路線に舵を切れないようだ」
企業という単語を聞いて、『センチュリアだより』のあの人の記事を思い出した。A国を食い物にしているB国のこと。
「私腹を肥やしたとおっしゃいますと、商売のことでマレイ・アス氏に便宜をはかってもらっていたのでしょうか。それとも」
「そうだな、便宜をはかってもらっていたと言っていいだろう。エルニアーサの惨状は知っているかな?」
エルニアーサ……A国のことだ。
フォーハヴァイが担保に取った港から漁に出る権利や、エルニアーサの土地を買い漁るために、マレイ・アス氏に後押ししてもらった企業がいるってことだろう。
「はい、実はお恥ずかしい話ですが、つい最近知りました」
国家元首なのにこれほど重大な世界の動きを知らなかったことは、とても言いづらかったのだけど、嘘はつかないでおこうと思った。
「センチュリアでは、私が物心ついて以来、エルニアーサ共和国の現状は何一つ伝えらえてこなかったのです」
クラウス皇帝はさぞかし驚くだろうと思ったのだけど、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「知らなくて当然だ。奴は自国に都合の悪いことは、すべて情報統制をかけて、他国に知られないようにしてきたからね。
中央大陸でエルニアーサのことが知られてきたのは、ごく最近……ここ二、三週間くらい前かららしい」
「そうなんですか?」
「ああ、私も先日閣僚から聞いて、初めて知ったんだ。オルリナ女王に会う前で、本当によかったと思ったよ」
エルニアーサのことは、新聞社は情報を得ているけど、フォーハヴァイの工作員に口止めされているんだと考えていた。センチュリア国内に工作員がいるなら、優先して対策を取らないといけないと思っていた。
だけど、クラウス皇帝のお話だと、マレイ・アス氏自身が、他国に情報が漏れないようにしていた、ということらしい。情報の発信源で情報が封鎖されているなら、受け取る側が発信源から情報を得るのは難しいだろう。
フォーハヴァイの工作員がセンチュリアにいる可能性がなくなったわけではないけど、少しでも可能性が低くなったことに、ひとまず安心しておくことにした。
申し訳ないけど、今はフォーハヴァイの工作員よりも重大な問題がある。
「アレクはエルニアーサのことをどうやって知ったんだい?」
クラウス皇帝は、私がエルニアーサ共和国……A国の現状を知っていたことに興味を持たれたようだった。同じ南方地域はともかく、それ以外の国にはA国の事情は知られていなかったんだろう。
これは……ユートレクトが王宮職員用の公報に記事を載せました、と申し上げていいものかしら。
一瞬迷ったのだけど、センチュリアでは既に一般官吏にも知られていることなので、包み隠さずお伝えすることにした。
「そうか、あいつが……」
私の話を聞き終えると、クラウス皇帝はつぶやかれた。先ほどの好奇心に満ちた明るい声色ではなかった。
言ってはいけないことを口にしてしまったのかと思うと、胸の動悸が早くなってきた。テーブルの下で両手を握りしめると、手の中に不快な汗がにじんできた。
クラウス皇帝が漏らされたため息に、次はどんなことを言われるのかと思うと、首元に断罪の斧を当てられたかのような気持ちになって、歯を食いしばった。
だけど、クラウス皇帝が口にされたのは、私が考えてもいなかったことだった。
「……あいつに借りを作ってしまったな」
ご自分をあざ笑うようなクラウス皇帝の声に、胸が痛くなった。
ユートレクトがA国の惨状と、それを招いたB国の非道ぶりを暴露したのが、どうしてクラウス皇帝に恩を売ったことになるんだろう。
「どういうことですか?」
クラウス皇帝はティーカップの紅茶をすべて飲み干されると、ポットに入っている紅茶をカップに注がれた。
もう少し紅茶をお飲みになるのかと思ったのだけど、カップに淹れただけで口はつけられなかった。
「フォーハヴァイ……ではないな、マレイ・アスの悪行が多く知られれば知られるほど、奴とそのとりまきは大きな顔をしていられなくなる。そうなると、こちらも奴らを潰しやすくなるからさ」
そういうことね。
でも、ユートレクトには申し訳ないけど、世界最小国の王宮公報に載った記事が、それほど大きな影響を持つものかしら。クラウス皇帝にお聞きすると、
「アレク、あなたは自分の国の影響力を過小評価しすぎだよ。
永世中立国の発信することは、どの国が発信することより信頼されている。
どの国とも公正に距離を置く、中立の立場にある国の、まして王宮発行の公報に書かれていることだ。私の弟が書いたということを差し引いても、他国は信頼するよ。
同じことがわが国の王宮公報に書かれたとしても、信用されないのではないかな。打倒フォーハヴァイのための宣伝活動か、と思う人々もいるだろう。今は違うが、わが国とフォーハヴァイは長年対立してきたからね」
センチュリアが永世中立国だということは、もちろん十分わかっているのだけど、正直、そこまで国際的に評価されているという自覚はなかった。
小さい国だとばかにされているとしか思っていなかったけど、永世中立国という立場だけは、ある程度重んじられているのかもしれない。
ユートレクトはそんなことも十分わかったうえで、A国とB国のことを『センチュリアだより』に載せたのだと思う。
衝撃的な内容だったから、官吏たちも家族や知り合いに話しただろうし、そこから徐々に広まってローフェンディアにまで話が広がったんだろう。
「その公報はいつ発行されたんだい?」
「今年の一月上旬です」
私が目を通したのは昨日だけど、官吏たちの手には年明けに配られているから、みんなすぐに読んだはずだった。まもなく二月号も発行される。
「なるほど、それでよくわかったよ」
世界最強の国家元首は謎が解けたような顔をされたけど、私には何が謎でどんな風に解けたのか、全くわからない。
「あいつが武闘派に狙われた理由がね」
キアラさんから、ユートレクトが穏健派に確保されたと聞いたときから、武闘派の手から彼を守るためではないかと考えてはいた。
だけど、彼を強制的に拘束できるようになる前に、武闘派が動く理由がわからなかった。
これが……フォーハヴァイの悪行を白日の下にさらして、中央大陸に広めるきっかけを作ったことが、彼が狙われた原因だったんだ。
このとき、私の頭の中にアンウォーゼル捜査官の顔が浮かんだ。
彼には『センチュリア王宮だより』は配られない。だけど、内容は簡単に知ることができる。
食堂の雑誌を置くスペースにも置いてあるし、そのへんの官吏に頼んでも簡単に見せてもらえただろう。
彼がフォーハヴァイにとって危険な記事を見つけて、武闘派に知らせたのだとしたら……
クラウス皇帝にどうお返事したらいいだろう。
少なくとも、アンウォーゼル捜査官のことは言えない。言ってはいけない気がした、今はまだ。
だから、これだけ申し上げておくことにした。
「恐れながら『世界機構』は、国際機関とは呼べない組織になっている気がしてなりません」
これは私の正直な気持ちだったし、はっきり言っていいことだと思った。
不文律を作って自分たちの保身を図る国家元首や、特定の国家の利益しか考えない人たちのための組織なんて、国際機関を名乗る資格はない。
「その通りだ」
私の意見にクラウス皇帝は深く頷いてくださった。
「武闘派は言うに及ばずだが、穏健派も穏健派で腰抜けばかりだよ」
「そうなんですか?」
穏健派もユートレクトをなんとか理事(名前忘れたけど、覚えなくていいから省略)に担ぎ上げようとしているあたり、本当に無責任な人たちだと思う。
それでも、武闘派に比べたらまだ良心的だと思っていたから、クラウス皇帝の発言には驚いた。
「そうだよ、なんと言ったかな……代表理事だったかな? それにフリッツを就けて、ゆくゆくは本部総長にまでしようと企んでいるのだろう?
あきれて言葉もなかったよ。自分たちの組織だと言うのに、自ら更生する気がまるでないじゃないか。どういうことだ」
「おっしゃる通りだと思います」
私は力強く相槌を打った。そう、ユートレクトを持って行かれては困る。
「それで、フリッツが武闘派に狙われているとわかるや否や、自分たちが身柄を保護して、恩を着せようとした」
「そのようですね」
やっぱりキアラさんが言っていたことは本当だったんだ……
「冗談ではない、誰がそんなことをさせるものか」
「?」
「フリッツをおさえたのは私だよ」




