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共に歩むもの1



 晩餐会がお開きになったときローフェンディア側から、非公式会談の開始を一時間ほど後にずらしてほしいと申し出があったので、一旦執務室に戻ることにした。

 きっと、このあいだに、クラウス皇帝はタンザ国王から『中央縦貫道』についての提言を聞かれるんじゃないかと思う。昼の会食では、結局妊娠出産の話しか出なかったから。


 クラウス皇帝は、明日になると午前中は私との首脳会談があるし、昼の共同声明発表が終われば、次の訪問先に旅立たれてしまう。タンザ国王がクラウス皇帝とゆっくりお話されるなら、今夜しか時間はない。


 執務室の机の上には、各省からの書類が層をなして積まれていた。急ぎでないものは引き出しにしまい、至急のものだけ決裁を済ませると、出しっぱなしになっていたコーヒーカップを片付けた。


 机の上を綺麗にすると、自分の頭の中も整理することにした。今夜の非公式会談の結果によっては、明日の朝一からしないといけないことがたくさんある。

 そう……もしも、あの『手立て』を使うことになったら。


 トゥリンクスを通じて、ホルバンに確認を頼んでいたことがあった。

 問題はないという返事だったのだけど、念のため『特別な法律』を作っておいた方が後々問題になりづらいだろう、ということだった。

 なので、ホルバンには療養中申し訳ないけど、『特別な法律』の草案を作ってもらっていた。

 事を内密にしておきたいだけに、一般官吏には頼めないことだった。


 『センチュリア最高貴族選定結晶会議』も朝一番に開かなくてはならない。

 ここで過半数の賛成が得られなくては、あの『手立て』は使えない。

 センチュリアの王族貴族たちは賛成してくれるのか……私が女王になったときは、みんな温かく迎え入れてくれたけど、この件はどう受け止められるだろう。


 他の永世中立国の元首の皆さんにも、私が取る『手立て』のことを伝えておきたかった。

 決して特定の国に便宜をはかるためではないこと、『世界機構』の国際機関らしくない行いに抗議するためのものだ、という書状を送るつもりでいる。

 他の国にどう思われても仕方ないけど、同じこころざしで国を統治する永世中立国の元首の皆さんには、どうしても知らせておきたいと思っている。


 その他にもいろいろしなくてはいけないことはあるけど、細かいことは重臣たちが内密に準備してくれている。


 『手立て』を使うとしたら、明日の共同声明のとき、同時に発表した方が世界中に伝わるし、時間的にも一刻も早く意志を表明した方がよかった。

 だから、使うことになるかわからなくても、準備だけは万端にしておかなくてはいけなかった。


 頭の中でしないといけないことをまとめると、永世中立国の元首の皆さんへ送る(かもしれない)書状の原稿を作ることにした。文章を考えるのは苦手だけど、弱音を吐いている時間の余裕はない。


 『手立て』を使うことになったら、明日の共同声明の内容もかなり変わってくるだろうし、私自身が『手立て』について語る声明も出さなくてはいけない。時間のあるときに、できることはしておかないと……


 そうやって、頑張って書状の原稿を作ったのはよかったのだけど、小一時間くらい経ったところで、とても重要なことを思い出した。非公式会談までに着替えて、お化粧直しをしてもらわないといけないのをすっかり忘れていた。


 慌てて執務室から顔を覗かせたところに、ちょうど国務省の官吏が通りがかった。

 今の時間まで残っているということは、クラウス皇帝の行幸を担当している官吏だろうから、ちょっとしたお使いを頼んでも問題ないだろう。

 決裁した書類を各省へ回してもらうようお願いすると、快く引き受けてくれたので、最高位の淑女に許される最大限の早足で私室に向かった。女は何かと大変だ。


 夜の非公式会談だから、かしこまった服装でなくてもいいだろうけど、クラウス皇帝はタンザ国王との対談(というか、多分タンザ国王の一方的な講義)が終わってすぐ、私との会談に入るかもしれない。

 もしかしたら、最悪晩餐会のときの正装のままかも。

 となると、あまりこちらがくだけすぎていても申し訳ないかな……


 ということを、私の衣装美容担当のレイラに話すと、午前中クラウス皇帝をお出迎えしたときの衣装と同じくらい格のあるもので、着心地の楽なものを用意してくれた。落ち着いた葡萄色のスーツだった。襟元と袖口には短い共布のフリルがついている。

 下のスカートはフレアスカートでゆったりと着られそうで、丈もふくらはぎまでくるほど長かった。身体にぴったりとした感じもなく、長時間着ていても疲れなさそうだった。


 着替え終えると、レイラは手早く化粧直しをしてくれた。ティアラも外し、髪も結い直してもらう。

 普段のお化粧は全部自分でするけど、今日みたいな大事な日はやっぱりプロにしてもらうに限る。


 今日はお天気になってよかったですね……この口紅は春の新作なんですよ……やっぱり! このお色目は陛下によくお似合いです……などと雑談しながらのお化粧直しは、私の心を少し明るくしてくれた。


 クラウス皇帝の準備ができたら、侍従長が呼びに来てくれることになっているので、それまでの間ソファに座ってゆっくりする……もといぼーっとすることにした。


 クラウス皇帝は何をどれだけご存知なんだろう。

 私にどこまでのことを知らせるおつもりなんだろう。


 晩餐会の間、ずっとそのことばかり気にしていた。


 なのにクラウス皇帝は、そんな大々的な秘密を持っている感じなど微塵も見せなかった。

 ユートレクトの皇族残留のことも、ハンス・ルクーノルト殿下からの縁談のことも、晩餐会の席で話してくださった。このあたりの話が非公式会談で出てもおかしくなかったのに。


 もしかしたら、『世界機構』からの通達のことなんて、全然ご存知ないのかもしれない。

 そもそも本来なら、たとえローフェンディア帝国でも知るはずないことだし。


 弱気というか、他人をあてにしている考えに嫌気がさして、頭を振った。

 私の心はもう決まっている。

 心配なことはたった一つ……ううん、本当は二つあるけど、もう一つは今は置いておく。


 私が心配なのは。


 『手立て』を使うことになったとき、そうすることが本当に正しいのか。

 答えは未来の人々が決める。それが怖い。


 怖い、辛い、痛い、苦しい……頭も胃も胸も喉も、軋むような悲鳴を挙げている。


 進むしかない……でも怖い。それでも進むしかない、進むしか。


 私室のドアが三回鳴った。侍従長が迎えに来た。

 恐らく今回の行幸で最大の難関が待っている。




 非公式会談を行う場所は『国賓室』と呼ばれる、最高の賓客をお迎えする部屋だ。明日の首脳会談もここで行われる。


 天井ではセンチュリアで二番目に大きなシャンデリアが煌々と灯っている。

 淡いエメラルドグリーン色をした壁には、薄い金色の糸で装飾が施されて、部屋を優しい印象にしてくれている。

 絨毯もモスグリーンを基調に、こちらにも金糸でセンチュリア伝統の文様が織り込まれている。

 テーブルと椅子も、淡い金色の金属で作られたものだった。椅子の背もたれと座面には、壁と同じ色使いの布が張られている。


 私とクラウス皇帝の席の後ろでは、暖炉が赤々とした火を燃やしており、その上では金の時計が時を刻んでいる。


 クラウス皇帝はまだお見えになっていなかった。暖炉の両脇に飾られた両国の国旗に一礼すると、『国賓室』に足を踏み入れた。

 実はこの部屋に入るのは初めてだった。これまでどんな事が、この歴史ある部屋で語られてきたんだろう。


 私室を出てここに来るまで、脚の震えが止まらなかった。自分の席に着いた今も、膝から下が小刻みに震えている。

 膝下丈のスカートでよかった。テーブルでも脚は隠れているけど、立ってご挨拶したときにも、クラウス皇帝の目に留まりにくいだろう。


 座っている方が脚の震えが大きくなる気がして立ち上がると、背後に飾られているセンチュリアの国旗に目と身体を向けた。白地の中央に緑色の六角形があしらわれている意匠は、雪に覆われた大地とオーリカルクの結晶を表している。


 私のせいで、将来この国旗が、この国が、なくなることになったらと思うと、大きすぎる重圧に押し潰されそうになる。


 そんなことにはさせない、絶対に。

 対策は考えている。あとはそれが通用するかだ。


 建国当時から引き継がれているという国旗から、霊廟に眠られている四十四柱の国王たち……私のご先祖の方々の存在を感じて、全身がわなないた。

 歴代の国王たちに恥ずかしくない決断をしなくては。そしてあの人にも。


 重厚な木の扉を二度叩く音がした。誰何の声をかけるとすぐ、


「遅くなって申し訳ない」


 誠実なお人柄そのままの声だった。クラウス皇帝は晩餐会のときの正装のままだった。

 タンザ国王との会談の後、直接こちらに駆けつけてくださったのだとわかると恐縮した。


「とんでもありません、お疲れさまでした。連続の会談となりますが、お休みになられなくてよろしいですか?」


 クラウス皇帝の顔色が少しよくないように見えたので、慌てて申し上げたのだけど、


「いや、平気だよ。今度は相手がアレクだからね。心配かけてすまないね」


 とおっしゃったので、ますます恐縮した。


 とはいうものの、どう見てもお疲れのご様子だったので、『身体にはよくないかもしれませんが』と前置きしてから、何かお召し上がりになりますか、ご希望のものがあれば用意致しますが、とお訊ねすると、


「どうにも頭が破裂しそうでね。頭の回転には甘いものが効くのだったかな」

「はい、私もそう聞いたことがあります」

「では、お薦めの甘いものをもらおうかな。あなたも一緒に食べよう……こんな夜中に女性を甘いものに誘っては、恨まれるかな」

「いえ、甘いものは大好きですので、お言葉に甘えて私も頂戴します」


 ということで、二人でお茶をしながら非公式会談を始めることになった。


 まだ開いていた扉から私たちの様子を伺っていた侍従長に、『とびきり美味しい、お薦めの甘いもの二人前よろしく!』と目で訴えると、侍従長は大きく頷いて扉を閉めた。


「タンザ国王は本当に博識だね」

「はい、私も官吏たちに建築関係のことをご講義頂き、とても感謝しています」

「私も先ほど講義を受けてきたよ。

 建築に明るい官僚を連れてきていなかったら、一人で四苦八苦するところだった」


 などと雑談しながら席に着いたのだけど、『本題』はお茶菓子がきてからにしようか、というクラウス皇帝のご提案に従って、しばらく雑談することにした。

 私としては、一刻も早く本題に入りたい気もするけど、入るのが怖いような……なんとも言えない心境だった。


 相変わらず、クラウス皇帝からは全く緊迫した様子を感じない。


 私は今、一体どんな顔をして話しているんだろう。

 タンザ国王のこと、『縦貫道』のこと、そこから派生して出てくる様々な話題。

 ちゃんと会話できているかも怪しいし、まともにお返事できているのかすら自信がない……


「……アレク」

「は、はいっ」


 私の心を見透かされた気がして、うわずった声でお返事すると、クラウス皇帝は何かを懐かしむような瞳でこちらを見てから、ぽつりとつぶやかれた。


「十年前の自分を思い出すよ」

「……え」

「私も、十年前はそうだったのさ」


 クラウス皇帝がそうだった……って、私みたいだったってこと?

 こんな挙動不審だったの、十年前に?


「どういうことですか……?」


 とお聞きしたのだけど、クラウス皇帝は『そういうことさ』とおっしゃっただけで、答えてくださらなかった。


 ここで重厚な扉がまたノックされて、お茶菓子の乗ったワゴンと侍女たちが入ってきたので、私たちはひとまず紅茶とケーキを楽しむことにした。


 いちごのショートケーキは、スポンジに薄く生クリームが塗られた上にいちご一つが乗っただけの、シンプルな飾りつけだったけど、いちごも生クリームもほどよい甘さでとても美味しかった。ちょうどいい甘さが、たかぶっていた頭と心を鎮めてくれた。

 クラウス皇帝もお気に召してくださったみたいで、何度も美味しいとおっしゃりながらケーキにフォークを入れられた。


 侍女たちは紅茶とケーキの他に、大きなバスケットを置いていった。

 私の顔二つ分くらいの大きさのバスケットの中には、クッキーやチョコレート、マカロン、キャラメルに飴玉、ゼリーにマシュマロ、果てはドライフルーツまで、手軽につまめるスイーツがぎっしりと詰まっていた。これだけあれば、朝までお茶会ができそうだった。


「何から話そうかな」


 まだケーキを半分ほど残していらしたけど、クラウス皇帝は紅茶を一口飲まれたところでおっしゃった。私もフォークを持っていた手を止めた。


「何からでも拝聴します」


 とうとう来る。


 そう思うとますます緊張してきたけど、もう動揺はしなかった。

 クラウス皇帝はいつもの優しいお顔で一つ笑うと、再び口を開かれた。


「通達が来ただろう」

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