皇帝の行幸4
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オーリカルクの鉱山と加工所の見学から戻ると、晩餐会が始まるまで少し時間ができた。
侍従侍女たちが、クラウス皇帝をはじめローフェンディア御一行さまを宿泊場所へ案内しているあいだ、執務室に戻って残務処理をすることにした。
ローフェンディアの人たちも長旅で疲れているだろうし、少しは部屋で一息着く時間もほしいだろう。
自分の席に着くと思わずため息が漏れた。これから残務処理をしないといけないからじゃない。
心の中にすっきりしないものがこびりついて、どうにも取れなかった。
鉱山見学に向かう馬車に乗り込むとき、見送りに出ていたローフェンディアの官僚の中に、数名だけど明らかに態度のよくない人たちがいたからだった。
ララメル女王とタンザ国王との会食の後、私とクラウス皇帝、そしてローフェンディアの大臣たちは、正門前に出て鉱山に向かう馬車を待っていた。
そのときのことだった。
視界の端に引っかかるものを感じてそちらを見やると、ローフェンディアの官僚の何人かが、こちらに不躾な視線を投げつつ、仕事のこととは思えない話に花を咲かせていた。
私だけにそんな態度を取るならまだわかる。
なんでこんな小国の小娘を見送るのに、わざわざ並んでおとなしく待ってなくちゃならんのだ、とか考えているんだろう。
だけど、私のそばにはクラウス皇帝やローフェンディアの大臣たちもいた。
自分の国の皇帝や大臣を見送るときにこんな態度で待つなんて、少しというか、かなり疑問だった。
馬車が正門前に到着したときには、全員列を整えて姿勢を正していたけど、許されるものじゃないと思った。
自分たちの主君をお見送りするのに、なんて無礼なんだろう、って。
……あんたたち、まさかとは思うけど、もしかしてひょっとして、クラウス皇帝をなめてない?
今そんな態度なら、譲位なさって上皇になられている、すごーく強面の前の皇帝陛下も、おんなじ態度でお見送りできるんでしょうね?
センチュリアの王宮には便所が少ないとか、美人がいないとか、王宮がこの程度だから宿泊する部屋が心配だ、とか言いながらお見送りできるんでしょうね!?
悪かったわね、ちっちゃくって、あんたたちの好みの女がいない王宮で!
全部聞こえてんだからね!
そう言ってやりたくてたまらなくなった。
センチュリアの兵士や官吏たちは、私やクラウス皇帝たちが正門前に出たときには、列も乱さず整然と迎えてくれたし、私語も一切なかった。馬車に乗り込むときにも最敬礼で見送ってくれた。
先日まで私が姫さまと呼ばれていたくらい、主君と臣下がくだけた関係のセンチュリアでさえ、このくらいの敬意は払ってくれる。
もしかしたら、クラウス皇帝がいらしたからきっちりしただけなのかもしれないけど、ローフェンディアの官僚みたいな態度を取られるくらいなら、外面だけでもいいに越したことはない。
だから、世界最強の皇帝を仰ぐローフェンディア帝国の臣下が、主君に礼を失する態度を取るなんて、余計に信じられなかった。
クラウス皇帝は、一緒に馬車を待っているときも、馬車に乗って出発した後も、臣下の非礼について一言もおっしゃらなかった。
そのことが、彼らの態度が私へのものではなく、クラウス皇帝自身に向けられたものだという裏付けに思えてならなかった。
あれが私に対する非礼だとお感じになったなら、絶対に黙って見過ごす方ではない。
ご自身で直接無礼を働いた官僚たちに注意されなくても、大臣や次官に耳打ちくらいする時間の余裕はあったもの。
どういうつもりだろう、あの態度悪いローフェンディアの官僚たち。
私だけでなく、センチュリアの官吏や兵士にも目につく場所で、自分たちの皇帝を軽んじる態度を取るなんて。そんなことしても、自分たちの評価を下げるだけなのに。
お昼前、ローフェンディア御一行が王宮に到着したときは、それはもう見事な行進だったし、正門前でも整然と列をなしていた。私語なんて微塵も聞こえてこなかった。
もしかして、あのときは沿道にセンチュリア国民もいたし、各国の新聞記者も取材に来ていたから、それで自重していただけだとでもいうの……?
クラウス皇帝はずっと皇太子として公務はされていたものの、今年の初めに即位されたばかり。
だから、まだ臣下の心を完全につかみきれていないのかしら。
キアラさんや一般のローフェンディア国民は、クラウス皇帝を敬愛しているみたいだけど。
そうじゃない、権力闘争や陰謀に身を染めまくっている宮廷人たちにとっては、皇帝の代替わりは自分が持つ権力を取り上げられるかもしれない、疎ましいものとしか考えられないんだろうか。
即位されたばかりといえば、フォーハヴァイ王国のオルリナ女王もそうだ。
前国王の勢力をまだ完全に追い出せていなくて苦労されているらしいし、ありえないことじゃない。
クラウス皇帝も即位のとき、重臣を総入れ替えしたとユートレクトに聞いたけど、もしかしたら、入れ替えできたのはクラウス皇帝に一番近い大臣級の重臣だけで、それより下の……今日非礼を働いたような官僚クラスの中には、クラウス皇帝のことを快く思っていない輩がまだいるのかもしれない。
そんな人たちが今回の行幸についてきていて、あんな無礼を働いたのだとしたら。
ローフェンディア帝国は、国内での皇位継承の争いや宮廷内の陰謀は激しいけど、対外的には完璧で非の打ち所がないと思っていただけに、あの官僚たちの振る舞いには驚いた。
自分たちの国はこんなに態度の悪い国です、と他国に見せても何もいいことないのに、と思ったけど、そういう振る舞いをすることで、クラウス皇帝の評判を落とそうとでもいうのかしら。
天下のローフェンディア帝国に仕える官僚が、そんなせこい真似するかしら、とも思う。
だけど全くないこととは言い切れない。
もし、ローフェンディア国内……というか、宮廷の中がまだ落ち着いていないのだとしたら、クラウス皇帝も早く宮廷内のことに力を入れたいだろう。
行幸なんてしている場合じゃないかもしれないのに、今までの慣習に従わないといけないのは気の毒に思えた。
ただ、歴代の皇帝がずっと行ってきたという即位直後の行幸を、クラウス皇帝だけ行わないとなれば、ローフェンディア国民や他国からどうして行幸されないのだろうと不思議に思われるかもしれない。
不思議に思われるだけならまだしも、『新皇帝の統治体制はまだ固まっていないのではないか』とでも噂されたりしたら、他国に弱みを見せてしまうことになる。
だから、クラウス皇帝も歴代の慣習に倣って行幸することにされたのかな。
歴代の慣習といえば、私にも一応そういうものがあって、センチュリア国王には年に二回、ご先祖さまである代々の国王たちに向けて行う儀式がある。
儀式の前日から断食して、当日は暗いうちに起きて湧き水で身を清めてから儀式に臨む。
太陽が一番高く上がるまで続く儀式のあいだは、何があってもその場から離れることは許されない。
伝説によると、センチュリア王族は神々の末裔で、センチュリア国民すべての祖先とも言われている。
神経をすり減らす厳しい儀式だけれど、国民の代表として、ご先祖さまに敬愛と感謝の念をもって臨んでいる。
……話がそれて申し訳ないけど、私でもこのくらいは守らないといけない慣習があるのだから、クラウス皇帝には行幸だけでなく、もっとたくさんの避けて通れない慣習があるだろう。
でも、本来なら必要ない慣習もきっとあるはず……と考えたとき、『世界機構』のことが頭によぎった。
あの組織の、あの不文律。
『国家元首は告発・拘束しないという』という、当時の君主たちの都合だけで決めた、暗黙のお約束ごと。
そして通達の拘束力も、その通達を発令する代表理事の権限も大きすぎる。
大体、権力者たちの都合のいいように作られた不文律や、代表理事の(恐らく)私欲のために作られた嘘の通達を、どうしておとなしく受け入れなくちゃならないのか。
それは『世界機構』に加盟しているから、と言われればその通りだ。
けど、だからといって、昔の君主たちの保身のために暗黙の了解になったことや、明らかに言いがかりである通達にさえ、本当にこのまま黙って従わなくてはいけないの?
一度そう思ってしまうと、今まで抑えていた……というより、従うことが当たり前だと思って封印してきた気持ちがあふれ出してきた。
無駄とは思いながらも壁際の本棚へ足を向けた。
一番下の棚で冬眠していた『世界機構加盟国規約』という背表紙の分厚い本を引っ張り出す。
目次を見て、知りたいことが書いてありそうなページをめくった。
だけど、『通達に関する業務は発令者に一任する』という意味合いのことは書かれていなかった。通達に異論があるときはどんな手続きを取ればいいのか、というようなことも一切記されていない。
ユートレクトやホルバン、それにキアラさんとか『世界機構』の職員みたいに、法律に詳しい人には常識なのかもしれないけど、そもそも通達に関する業務は発令者に一任する、なんておかしいじゃない。通達に抗議の書状を出しても、代表理事に握りつぶされて反論も事実上できないなんて。
それに『世界機構』に告発・拘束されたら、必ず何らかの刑を負わされることがまかり通っているなら、通達は、代表理事の考え一つで国家元首以外はどんな人でも拘束できる、救いようのない凶器になり得る。
もしかすると、私が知らないだけで、今までにも通達でいわれのない罪を着せられた人がいるかもしれない。
今回ばかりは、ユートレクトだって必ず助かるとは限らない。
彼自身、もう少しで黒幕がつかめそうだと言っていたのに、居場所を突き止められて囚われてしまった。
キアラさんの言う通り、穏健派に保護されているならいいけど、万が一、武闘派がユートレクトの居場所を掴んで実力行使に出たら。
考えたくないけど最悪の事態になるかもしれない。今この瞬間にも。
もう一度、キアラさんに聞いた方がいいのかもしれない。通達に反抗できる方法が本当に『あれ』しかないのか。
そんなことを考えていると、
「アレクセーリナ女王!」
おなじみになったあの声に、反射的に背筋が伸びた。
「ピアスカ司法官、お疲れさまです」
キアラさんとは昨日の朝以来、まともに話していなかった。
昨日は午後から御前会議とタンザ国王との夕食会があって、執務室にほとんどいなかったし、今朝はいつもより早い時間に私室を出て、きちんとしたお化粧をしてもらったり、衣装合わせをしていたので、執務室と化粧室を行ったり来たりしていた。
キアラさんが朝夕の挨拶で私の執務室に来てくれたときも、私は席にいなかっただろう。クラウス皇帝をお迎えして王宮内に入ったときにも、姿を見かけはしたけど言葉は交わしていなかった。
ちょうどいいところに来てくれたけど、キアラさんには、なによりも先に言っておかなくてはいけないことがあった。今のところ、ユートレクトを助けられる可能性のある唯一の手立てをようやく知ったこと。
だけど、かえって不快にさせてしまったらどうしよう、という思いが心の中で絡まって、すぐに声が出せなかった。
そうやって無様に心を迷わせているうちに、キアラさんは私の机の前までやって来ると、文字がびっしり書かれた紙の束を机に放り投げた。
「ここに書いてあるものを、明日の朝までに用意なさい、いいわね」
そして、すぐさま部屋を出て行こうとするキアラさんに、
「ピアスカ司法官」
ようやく声をかけた。私が『もうわかった』ことだけでも伝えなくちゃと思った。
「なによ、私は忙しいのよ。
あ、昨日借りた本は全部目を通したから、もう撤去しておいてちょうだい。いつまでも置いていたら、ただでさえ狭い部屋が余計狭くてたまらないわ」
キアラさんの不機嫌そうな口調に心がくじけかけたけど、弱気な気持ちを殴りつけて前を向かせた。
「はい、わかりました。それから」
「?」
「司法官のおっしゃっていた、彼を助ける手立て、わかりました」
キアラさんの表情が明らかに変わった。
だけどその顔は、『今更何を言っているの、私が許すとでも思っているの?』という風ではなく、『そんなこといちいち報告しないでちょうだい、せっかく忘れていたのに不愉快だわ』とも語っていなかった。
怒っているというよりも、なぜか不思議に思っているような面差しで……
どちらにしても、予想していなかったキアラさんの反応にとまどっていると、
「その言い方、何かひっかかるわね」
キアラさんは考え込むようにして、私の机に身体をもたせかけた。
「あなた、わかったって、いつわかったの?」
「昨日です。今ま」
「なんですって!?」
『今まで気づかなくて申し訳ありませんでした。本当に私は愚かでした』と続けようとした私の台詞は、キアラさんの絶叫にかき消された。
「昨日!? ならば兄……あの人はまだ知らないってこと?」
執務室のドアが開いているのに気づいてくれたらしく、キアラさんは人物が特定できる固有名詞を避けてくれた。
「はい。もしかしたら、彼のことですから気づいていたかもしれませんが、私にはそのような素振りは見せませんでした」
そう、ユートレクトはこんな手段は選びたくないだろうから、わざと知らないふりをしていたんじゃないかと思うのだけど、
「いいえ、あの人はこういう方面には疎いから、本気で気づいてないかもしれないわ……ということは」
旧来の友人キアラさんに言わせると、そういうことらしい。キアラさんが今まで私に抱いている感情がわかった気がして、余計に申し訳なくなった。
もし私がキアラさんと同じ立場だったら。
恋敵が自分の好きな人とこういう方法が取れる立場にあるのに、全く気づかないでのほほんとしていたら。
おまけに、その方法を自分に聞いてきたりしたら。
どんなに歯がゆくて、憎たらしく思うだろう。
そう思い至った途端、
「どれだけ脳マカロニなの、あなたも兄……あの人も! 今頃わかったってどうするの、あの人いないじゃないの!」
「申し訳ありません」
「というかね、昨日まで何も知らなかったくせに、なんでそんなものもらっているのよ!?」
絶叫したキアラさんの指が示した先には、私の指輪があった。
私は正直に告げることにした。
「これはお母上の形見だそうです。預かりました」
「なにその偶然、信じられない! 腹が立つったら!」
当たり前だけれど、キアラさんはやっぱり私が憎らしいんだ。
彼を助ける手立ても知らなかったくせに、指輪なんてもらって浮かれ喜んでいた私が。
浮かれていたつもりはなかったけど、そう見えたなら仕方がない。この指輪を預かったときは、確かに嬉しかったから。
だけど、彼だけは譲れない。そんなことされても、キアラさんだって嬉しくないだろう。
それに、キアラさんの怒りの種類……なんと表現していいかわからないけど、キアラさんの怒り方が以前とは少し変わっている気がした。
間違いなく私に怒ってはいるけど、あのとき……盗み聞きをしてしまったときに向けられた、陰湿な憎悪や嫌悪とは違う感じがしていた。
「ピアスカ司法官」
だから、今日は執務室のドアを閉めなくてもいいと思った。そして、もう頭を下げるつもりはなかった。なぜなら。
「私の考えは決まっています」
自分でも驚くほど落ち着いた声だった。
「この手立てが国益に……センチュリア国民の安全と生活を守るため、『世界機構』に対して行える、今のところ唯一の手段だからです。本当にこれしかないなら、の話ですが。
他に彼を救う手立ては、本当にないものでしょうか?」
他にも方法はあるかもしれない。だけど、通達を取り消すよう要望を出しても聞いてもらえないなら、わずかでも彼を救える可能性があるのはこの手段しかない。
ただ、あの人との『絶対に手出しをするな』という約束は破ることになる。だから、この手段を使うのは本当に最終手段だ。
キアラさんの顔から怒りの熱が消えた気がした。
「……あの人がいやだと言ったら?」
私の最後の問いかけは完全に無視された。
他に方法があるなら、キアラさんにとってもその方がいいはず。ということは、やっぱりこれしか方法はないんだろう。
「言わせません」
少し自信がなくて、心なしか声が震えた。
「あの人に口で勝てると思うの? 脳マカロニのあなたが?」
「勝ち負けの問題ではありませんが、彼には従ってもらいます」
それでも虚勢を張った。
キアラさんに対抗できないようでは、この先もっと大きなものを相手にするのに、勝ち目なんてない。
「彼自身、自分がわが国にとって重要な存在だということは、十分承知しているはずです。
わが国のために自らの身を生かすためなら、たとえ不本意であってもどんな手段も厭わないし、受け入れるでしょう」
こんな『国家のためだ、問答無用で従え』みたいな言い方、本当はしたくないのだけど、自分の心の中に逃げ道を作らないために使った。私は人の上に立てるような器ではないのだと、改めて思い知った。
キアラさんは長い間言葉を返さなかった。
すぐにでも、『兄上を物みたいに扱わないで!』とか、『兄上がこの国に忠誠を誓っているとでも思っているの? 勘違いも甚だしいわ!』とでも怒鳴られると思っていた。
それとも、これから私が想像もしていない罵声を浴びせられるかもしれない。
だけど、どれだけ厭われても、罵られても、殴られたって、取り消しはしない。なんとでも言えばいい、それでキアラさんの気が済むのなら。
握りしめた両手に力が入った。
爪を切っておいてよかったと思うくらい、指先が手のひらに食い込んだ。
手のひらの汗が不快に指先と指の付け根を濡らした。
「……紙と鉛筆を貸しなさい」
キアラさんの右手が、すっと私の前に差し出された。
とっさに机の上に出していた自分のノートと鉛筆を渡すと、キアラさんはソファの上座に勢いよく腰を下ろして、何かを書きつけ始めた。
ほどなく、
「これ」
と言って返されたノートには、見開き全面が難しそうな本の題名で埋め尽くされていた。
「それが! 今度は左手にも増えるなんて、絶対に許さないわ! そうさせない方法を調べてやるのよ!
そこに書いてあるものも今からすぐ用意なさい、わかった!?」
私の指輪を指しながら叫ぶ瞳は、確かに潤んでいるのに。
なぜだかわからないけど、キアラさんの口元は笑みの曲線を描いていた。




