皇帝の行幸3
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昼食会場は『雪うさぎの間』というかわいらしい名前の部屋だった。
名前には癒されるのだけど、部屋の中は白を基調にした格調高いしつらえになっていて、床を汚したり傷つけてしまったらどうしようとか考えると、少しそわそわしてしまう。
椅子やテーブル、調度品も高価なものばかりだ。その中で、壁にかけられた『雪原を飛び跳ねるうさぎたち』の油絵が、落ち着かない心を和ませてくれた。
奥の席にクラウス皇帝とララメル女王、手前にタンザ国王と私の順で席に着くと、ほどなく前菜が運ばれてきた。
ララメル女王やタンザ国王との晩餐で出されたものより、少し豪華な見た目だけど、実は熱量控えめに作られている。
馬車に乗って来られるクラウス皇帝は、さほどお腹を空かせていらっしゃらないのではないか、と料理長や厨房のスタッフが配慮したからだった。
『雪うさぎの間』に入室したとき、たまたま会話が途切れていたので、四人ともそのままおとなしく前菜を味わっていた。
そろそろ何かお話した方がいいのか、お話するにしてもどんな話題がいいだろう……と頭を悩ませていたら、
「クラウス、リースルは元気にしていらっしゃいますの?」
ララメル女王が口火を切ってくれて、とても助かった。
「はい、とても元気にしています。よく食べるせいで、先日侍医に間食を減らすよう言われたくらいです」
「元気そうでよかったですわ。少しくらい食べ過ぎてもよろしいのよ、運動すれば」
「ですが、妊婦に運動は難しいでしょう。後苑を散歩はしていますが」
「そうですわね、お散歩だけでも十分ですけれど、体重が増え過ぎているのでしたら、もう少し厳しい運動をしてもいいのかもしれないですわ。
わたくしの親族は、妊婦体操とやらをしたり、腹筋を鍛えたりもしたそうですわ」
「腹筋!?」
クラウス皇帝と私の声が見事に重なった。
「腹筋って、あの、寝た姿勢から上半身を起こす、あの腹筋ですか」
「ええそうよ。わたくしも初めて聞いたときは驚きましたわ」
私の疑問に、ララメル女王は驚く気持ちよくわかるわ、というように頷いた。
「腹に力を入れるようなことをして、お腹の赤ちゃんは大丈夫なのですか、その、流産など」
「そうね、さすがに妊娠していないときのようには、しなかったそうよ。
本当に軽く、少しだけ上体を起こしたら、すぐ戻していたらしいですわ。
少しでもお腹に負担や違和感があったら、その日はやめるようにして、細心の注意を払っていたそうよ」
「そうですか。侍医に聞いてみて、リースルに勧めてみようかな」
賢明なクラウス皇帝も、さすがに妊婦のことにまでは詳しくないらしく、ララメル女王からの耳寄りな情報に、とても興味を持たれたようだった。
「ところで、その、腹筋は、妊婦にどのようなよい効果があるのだ?」
今まで黙っていたタンザ国王が、とうとう会話に入ってこられた。
少し心配になったけど、今日のララメル女王の外面は完璧だった。これっぽっちもにこやかな雰囲気を崩さず、
「出産のとき、かなり楽になるそうですわ」
「どういうことです?」
クラウス皇帝も興味津々に訊ねられた。
ララメル女王は、男の方々にここまで申し上げてよろしいのかしら、と少し迷っていらしたけど、
「何を臆することがある。出産は男にとっても人生の一大事、知っておくべきことだ。気にすることはない」
というタンザ国王の言葉に、驚いたように目を見開かれた。
「そうですよララメル。リースルのためにもぜひ教えて頂けませんか」
クラウス皇帝も、タンザ国王の意見に賛成された。
クラウス皇帝に言われたら断れないと思われたのか、ララメル女王は『リースルにさせる前に、必ず侍医に意見を聞いてちょうだいね!』と念を押してから、
「いきむ回数が全然違ってくるのですって」
「いきむ?」
今度はクラウス皇帝とタンザ国王の声が共鳴した。
いきむっていうのは、息を詰めてお腹に力を入れて、赤ちゃんを押し出すことらしい。
例えるならそう……食事中には避けたい行為の描写になるので、やっぱりやめておく。
ララメル女王が『いきむ』について、ほぼ私が持つ知識と同じことを説明すると、二人の紳士は難しそうな顔をして、この感覚を想像し始めたようだった。
「そうか、わかったぞ!」
タンザ国王が嬉しそうに声を挙げた。
まさか、おっしゃるつもりじゃないでしょうね、あの行為の感覚だと。
どうやら、あからさまにその思いが顔に出てしまったらしかった。
私のこわばった顔を見たララメル女王が、タンザ国王に向けて人差し指を口元に当てた。
「おわかりになったのでしたら、それ以上はおっしゃらないことですわ。お若い淑女からの信頼度が下がりましてよ?」
ララメル女王の仕草と声音には、気品と茶目っ気が絶妙な割合で混ざり合っていて、同性の私でもつい見とれてしまった。
このララメル女王に逆らえる男性はいないと思うのだけど、相手は何と言ってもタンザ国王。たとえクラウス皇帝がいらしても、言いたいことを言うんじゃないかと心配していたら、
「そうだな、ここは食事の席であったな。失礼した」
あっさり引き下がられたので、少し驚きながらもほっとした。
ここはクラウス皇帝との公式な昼食会の席。いくらお互い多少気心の知れた仲といっても、それなり以上の品格を保ってもらいたい場だった。
タンザ国王もそれは承知してくださっているようで安心した。
「私もわかったよ。だからあなたは言いづらそうにしていたのですね」
「そうですわ。お二人とも好奇心旺盛でいらっしゃるのですもの。困りましたわ」
苦笑するクラウス皇帝に、ララメル女王はいつもの南国の鳥のように華やかな声で笑った。だけど、
「だが、いきむとはそれほど辛いことなのか?
あの感覚と同じならば、常日頃していることゆえ、問題ないのではないか?」
タンザ国王の好奇心は尽きないらしかった。
下品な話がしたいわけではなく、本当に疑問に思われていて、知りたいという気持ちが私には見て取れた。
だけど、ララメル女王はどう思われただろう。教えて差し上げるかしら。それともこの話を終わりにするかしら。
「それが、常日頃の比ではないんですのよ。
クラウス、アレク、このお話、未来の立派なお父さまのために、まだ続けさせていただいてもよろしくて?」
ララメル女王は、未来のお父さんのために、積極的にお教えするつもりのようだった。クラウス皇帝も私も静かに頷いた。
それからの会話は、完全に『ララメル女王の新米パパのための妊娠・出産講座』になった。
現役妊婦の夫と好奇心旺盛な将来の父候補、そしてなにより未婚の私にとって、知っておいてよかったと思うことばかりだった。
ララメル女王は、時々タンザ国王が好奇心のあまり直球すぎる……つまり先ほどみたいな質問を投げかけてくるのにも、面白さを残しつつ上品に答えを返された。
クラウス皇帝も二人の様子を見て思い出したのか、以前から心配しておられたことを質問されたりして、デザートの頃にはすっかり二人の妊娠出産通紳士ができあがっていた。
「……子を産み育てるのは、本当に大変なのですね」
「そうですね、男には絶対にできないことです。やはり女性は強いですね」
クラウス皇帝とタンザ国王は、女性への畏敬の念を込めたため息をつくと、同時にコーヒーに口をつけられた。
「そうですわ、ですからお二人とも、女性を大切になさってちょうだいね」
ララメル女王はそうおっしゃると、私に向かってにっこり微笑まれた。
「ありがとうございます、ララメル。私も勉強になりました」
私がお礼を言うと、
「知識ばかりでは寂しいですわね。早くこの知識が役立つといいのですけど」
嘆息混じりのララメル女王のつぶやきに、
「それならばアレク」
クラウス皇帝が私の方に身を乗り出しておっしゃり、
「私がすぐに役立たせてやろうではないか」
タンザ国王は目を輝かせて、ララメル女王へ訴えかけてきた。
もちろん、クラウス皇帝はご自分を売り込まれるのではなく、異母弟を推す気まんまんで。
私とララメル女王が即座に、だけどきっぱり遠慮したのは、言うまでもなかった。
こうして、昼食会はほぼ楽しい雰囲気で終了した。
席を立つ時、タンザ国王がまたララメル女王をつかまえて何か話しかけていたけど、私の耳には入ってこなかった。なぜなら、
「アレク、ちょっといいかな」
私もクラウス皇帝につかまったからだった。
「はい、なんでしょうか」
和やかな昼食会はここでおしまい。ここからは……
「晩餐会の後、時間は空いているかな」
視界の隅に、タンザ国王とララメル女王が話しながら部屋を出て行くのが見えた。
険悪な雰囲気ではなく、むしろにこやかにお話されていた。
この昼食会で、お二人が少しでも打ち解けられたのだといいのだけど。
「はい、大丈夫です」
「話がある、二人でだ。いいかな」
クラウス皇帝の声は、聞いたことがないほど低く押し殺したものだった。
「承知致しました」
自然と私の声も硬くなった。
妊婦の方へ…
今回のお話に書いたことは、私の聞いた&経験の範囲内では事実ですが、腹筋はくれぐれも担当のお医者様のご意見を聞いてから行ってくださいませ。
なによりも大切なのは、日々の生活を心安らかに過ごされることだと思います。




