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皇帝の行幸2

**



「クラウス、お久しぶりです。道中お疲れさまでした。お元気でいらっしゃいますか?」


 センチュリアの地に足を下ろしたクラウス皇帝に、昨年『世界会議』でお会いした時よりも威厳を感じた。

 眼光も鋭くなられたように見えて、正直少し怖かったのだけど、私に気づかれるとすぐ頬を緩めて笑ってくださった。


「アレク、今日は本当にどうもありがとう。心から感謝しているよ。今日明日と宜しくお願いする」


 そうおっしゃった笑顔は、私の記憶にある『クラウス皇太子』と同じでほっとした。


「こちらこそ、宜しくお願い致します。ご滞在中はどうぞごゆっくりおくつろぎください」


 お互いに差し出した手をしっかりと握り合うと、沿道から拍手と更なる歓声が沸き起こった。


 ほどなく隅で待機していた官吏たちが、私とクラウス皇帝の数歩手前にロープを張った。

 すると、ノートと鉛筆を手にした人々が、ロープを引きちぎりそうな勢いで私たちの前に群がった。一応、全員が正門前広場に入ることを許された腕章をつけている。

 念のため言っておくと、保育園児のみなさんじゃない。

 センチュリアやローフェンディア、そして他国の新聞社の記者たちが、私たちの握手している姿を絵に収めようとスケッチを取りに至近距離まで近づいてきたのだった。


 国務省の官吏から事前に聞いてはいたのだけど、恥ずかしいものはやっぱり恥ずかしい。

 いつまで握手してたらいいんだろう……と考えていたら、クラウス皇帝と目が合った。

 まだかな、と小声で苦笑混じりにおっしゃったので、そうですね少し恥ずかしいです、とお返事させてもらった。


 拍手と歓声が落ち着いた頃、官吏がもう手を離していいという合図をくれたので、私たちはありがたく手を離した。

 クラウス皇帝がかわいい園児たちの元へ足を運ばれたので、少し後ろでお待ちすることにした。新聞記者さんたちへの応対は官吏に任せておく。


「ローフェンディアの旗も一生懸命振ってくれていたね、どうもありがとう。

 長旅で少し疲れていたんだが、みんなの元気な姿を見たら、私も元気になってきたよ。寒いから風邪をひかないようにね」


 クラウス皇帝が園児たちに語りかけると、先生が感極まった様子で手を口にあてがった。

 元気盛りの園児たちを今まで定位置につけて、おとなしく小旗を振らせるのには、すごく神経を遣ったと思う。園児たちよりも緊張していたのかもしれない。

 先生が深々とお辞儀をすると、園児たちはまた小旗を大きく振って、クラウス皇帝をお見送りした。


 園児たちと先生はこれで任務完了だけど、私の仕事はここからが本番だった。


「リースルさまはお元気でいらっしゃいますか?」

「ああ、毎日王宮の後苑を散歩しているよ。私より健康的な生活をしているのではないかな」

「私もこのところ運動不足で……体重が心配です」

「来月、侍医の定期検診を受けるのだが、私も今から結果が怖くてね。この職業はとかく気軽に動けないからね」

「本当にそうですね。お互い、健康管理には気を遣いますね」

「まったくだ」


 そんな雑談をしながら、私たちは赤い絨毯の敷かれた正門をくぐった。


 軍楽隊のファンファーレが高らかに鳴り響き、クラウス皇帝の入城を歓迎した。

 それに続いてローフェンディア帝国の国歌が流れてくると、私もクラウス皇帝も足を止めて斉唱した。

 帝国の繁栄と栄光を知らしめる勇壮で威厳のある旋律だけど、歌詞をよく聴くと少しとまどうかもしれない。


『……(前略)敵の亡骸を踏み越え 血をぬぐい 前に進め

 勝利の先の希望と繁栄は 我らの剣と盾にある』


 という歌詞に、今のローフェンディアが幾つもの戦いの末に築かれた国家なんだと思い知らされる。


 一方、次に演奏されたセンチュリアの国歌はとても簡素で素朴だった。


『神々の子である王よ我らよ 栄えあれ永遠に 安らかなれ 清き山の御許に』


 正門前にいた園児たちでも覚えられる歌詞は、これですべてだった。

 ローフェンディア国歌と別の意味で驚くのは、とにかくこの短い歌詞だと思う。

 伸びやかでゆったりとした旋律は、ローフェンディア国歌の一番の長さにも満たなかった。


 演奏が終わると、一緒に歌ってくださったクラウス皇帝が、少し驚かれたように私にささやいた。


「前から思っていたんだが、本当に短い歌詞だね」

「そうなんです、これだけなんです」

「だが、今日沿道の民とアレクを見て、なんとなくわかったよ。センチュリアの民にぴったりの国歌だ。素朴で嘘がない」


 それは私にとって最大級の褒め言葉だった。


「恐れ入ります。ローフェンディアの国歌にも、とても重厚で深い歴史を感じます」


 ふと視線を感じて振り返ると、ローフェンディアの高官と思われる人たちと目が合った。

 先に視線をそらされてしまったけど、どうも私は皆さんに観察されていたらしかった。


 ひがみ根性で申し訳ないけど、『こんな小国の小娘が、わが国の皇帝陛下とファーストネームで呼び合って、しかも親しげに雑談までするなんて無礼な……信じられない』とでも思われたのかもしれない。

 だけど、礼を失した態度は一切取っていないはずなので、気にしないことにした。


 王宮内に入ると、センチュリアの重臣を始めとする高官たちと、わが国に滞在中のあの賓客たちがクラウス皇帝を出迎えた。

 今日はベイリアルを始めとする重臣や高官たちも、文官服の中でも正装をしている。そのせいか、みんなの顔もいつもと違って……と言ったら失礼だけど、お世辞抜きで格好よく見えた。


 ララメル女王とタンザ国王も、お国の衣装をまとってお出迎えの列の一番奥にいらした。お二人とも、おとなしくしてくださっているようだった。

 お二人より少し手前にいるキアラさんは、思いがけない場所で自国の皇帝陛下にまみえることができたのがよほど嬉しいのか、瞳をうるませているみたいだった。


 ベイリアルが歓迎の列から進み出て、私たちのもとにやってきた。昼食会場まで自分が案内する旨を申し出ると、私たちの前に立って歩き出したので後に続いた。


 列の一番奥にいたララメル女王とタンザ国王の前まで来ると、ベイリアルは足を止めてお二人をご紹介した。

 今回お二人がセンチュリアを訪れている理由も、改めてクラウス皇帝にご説明した。もちろん私が適当にこしらえた方の理由だ。


 ララメル女王とタンザ国王が、『話が違う、実は宝物庫の鍵が』とか言い出したらどうしてくれようかと思ったけど、お二人ともさすがにいろいろ察してくれたのか、何も言われなかったので心底ほっとした。


 クラウス皇帝と私、ララメル女王、タンザ国王とで少し言葉を交わした後、今度は四人でベイリアルの後に続いた。


 ちなみに、キアラさんの前まで来たとき、クラウス皇帝は義弟の親友にお声をかけられた。キアラさんのことはよくご存知のようだった。

 自国の皇帝陛下に声をかけて頂いたキアラさんは、いつも私が目にしている姿からは想像できないくらい、とてもしおらしくハンカチで目元を拭いながら、かよわく震える声で応えていた。

 ユートレクトを見てるとあんまり感じないんだけど、ローフェンディア人にとって、皇帝陛下はとても大切で神々しい存在なのね。


「ところで、お二人の付き添いの姿を見ませんが、もしや、お二人とも単身でセンチュリアに入られたのですか?」


 しばらく進んだところで、クラウス皇帝が発した素朴かつ当然の疑問に、私は(多分前を歩くベイリアルも)凍りついた。だけど、当のお二人は全く気にしていないようだった。


「ええそうですわ。久方ぶりの一人旅、とても楽しかったですわ」


 間違いなく何も考えていないララメル女王の返答に、予想だにしなかった爆撃が加えられた。


「ララメル女王、女性の一人旅は大変危険である。帰路は私がアランシア港までお送りしよう」


 アランシア港は南方地域への船が一番多く出ている港だけど、そんなことよりタンザ国王。


 私がお送りするって。


 それって、ララメル女王と二人で旅をする、ってことですか?


 しかもあなた、これからファレーラ王国に戻って、ケケなんとか寺院を調査したいんですよね。ということは、いっそ二人でファレーラ王国に向かおうと考えているの?


 そこまで考えて、おそるおそるララメル女王のお顔を伺うと、信じられないことに、ララメル女王は美しいお顔に微笑みを浮かべていた。怖いくらい愛想のいい笑みを。

 そして、怖いくらい華やかな声で茶目っ気たっぷりにおっしゃった。


「まあ陛下、わたくしなどと旅を共にしてはいけませんわ。わたくしと旅をなすったら、陛下の寝床は、馬小屋にしてもらわなくてはいけませんもの」

「それは困る、せめて普通の寝室に寝かせてもらわなくては」

「それなら百歩譲りますから、わたくしの部屋の上下左右のお部屋は、おやめくださいな。わたくし、夜も忙しいものですから」


 まずい。なにこの話が完全に変な夜の方向へいってる空気。


「ならば同じ部屋で休めばよい、どうせ私たちは」

「あらいやですわ陛下、なんてはしたないご冗談を。陛下ともあろうお方が、そんなことおっしゃってはいけませんわ、オホホホホホホ!」

「何を言う、冗談などではないぞ。一昨日も申したではないか、私はきさまを」

「陛下、お気は確かですか? 寒さでおつむが凍りついてしまったのではなくて? 昼食会はご欠席なさって、もうお休みになってはいかが?」


 私たち君主同士の会話が始まってから、気を利かせて少し距離を置いて歩いていたベイリアルも、異変に気がついたようだった。振り返ってこちらを見ると、『これは緊急措置ですじゃ陛下!』と目で訴えてきた。おかげで何をすべきか思い出した。


「クラウス、長時間馬車に揺られてお身体が硬くなっていらっしゃいませんか? よろしければ、昼食前に少し寄り道なさいませんか?」

「そうだね、確かに身体がなまっているよ。時間は大丈夫かな?」


 クラウス皇帝も、お二人の様子がおかしいと思われたのか、私の緊急提案に賛同してくださった。

 身体も本当になまっていらっしゃるらしく、拳で肩を叩いておられる。

 時間はまだ余裕があります、と私が告げると、では寄り道しようか、と明るくおっしゃってくれた。


 幸運なことに、ララメル女王とタンザ国王の怪しい舌戦は終わっていた。

 お二人の理性に感謝して、私はベイリアルに『緊急措置発動! あそこ寄っていこう!』と目で命じた。




 王宮の中庭は、こういう時のために、侍従や庭師たちが丁寧に遊歩道を除雪してくれていた。


 周囲がガラス張りになっていて、昼食会場からは少し離れたところにあるのだけど、冬以外は昼食どきになると、官吏たちがお弁当を持ってきてベンチで食べたりもする、憩いの場所にもなっている。

 今は冬もいいとこなので、木々には雪がこんもりと積もって、西の森で見た雪の巨人がここにも出没しているけど、それもまたセンチュリアならではの光景で、皆さんに楽しんでもらえるだろう。


 池はなぜか凍ってなくて、鯉たちがゆったりと泳いでいた。今日は暖かいから氷が溶けたのかもしれない。


「まあ素敵、こんな場所がありましたのね!」


 ララメル女王はガラス越しに中庭を見つけると、嬉しそうな声を挙げた。タンザ国王はさっさとドアを開けて中庭に出て、誰かに話しかけている……って。


 タンザ国王、誰と話してるの?


 私より先に気づいたベイリアルは、慌てて中庭に出ていった。私も急いで後を追った。


 タンザ国王の前にいたのは、鯉の餌箱を持って平身低頭している、動物飼育係のおじいちゃんだった。


「これから餌の時間だそうだ。私たちが餌をやってもいいそうだが、時間はあるかな同志よ」


 おじいちゃんはいつもの作業着姿のままだった。

 というか、正装して動物のお世話をするのもおかしいし、作業着のままでいいと思うんだけど。

 もしかして、他の君主の方々はこういうこと気にするのかしら。


 少し心配になってタンザ国王のお顔を見ると、そういう細かいことは微塵も気にしていないご様子で安心した。


「もちろんです、皆さまさえよろしければ」


 私がそうお応えすると、タンザ国王はまだ屋内にいるクラウス皇帝とララメル女王を手招きで呼んで、三人で鯉に餌をやり始めた。


「こんなに寒いのに、凍っていない池なんて珍しいですわね」

「凍ってなくとも水は冷たいだろうに、元気な鯉だな」

「それにしてもよく育った鯉だね。見事なものだ」


 なんて話しながら、楽しそうにしている三人から離れた中庭の隅で、おじいちゃんはベイリアルに何度も頭を下げていた。


「閣下、申し訳ありませぬ。このような晴れの日に、わしのようなもんがこの場所をうろついてしもうて……もっと早ように来れればよかったですが、馬の調子がようなくて、今まで離れることができませんで」


 だけど、ベイリアルはおじいちゃんの肩を優しく叩いて頭を上げるように言うと、


「この池は、昨日まで凍っておったはずじゃ。異変に気づいて見にきてくれたのじゃろう?」

「はい、でも、ほんに申し訳ありませぬ」

「いいんじゃよ、皆さまとても喜んでおられる」


 ベイリアルとおじいちゃんの視線の先では、三人の君主がどの色の鯉が好みかなどと、楽しそうにおしゃべりしている。

 おじいちゃんが身体を縮こませているのを見ると、私も声をかけずにはいられなかった。


「実はね、さっきまでみんな少し硬い雰囲気だったの。だからとても助かったわ。どうもありがとう。これからもよろしくね」


 『硬い』じゃなくて『妙な』雰囲気だったんだけど、そこまでおじいちゃんに説明しなくてもいいだろう。


 おじいちゃんが私に頭を下げたとき、餌がなくなったぞ同志、という声と一緒に三人の君主がこちらに戻ってきた。


「どうして池が凍っていないんですの?」

「なぜあんなに鯉が元気なのだ、寒いだろうに。もしやこの池には温泉でも湧いているのか?」


 賑やかな賓客二人がベイリアルを質問攻めにしている横で、


「こんなに立派な鯉はローフェンディアにもいないよ。大切に育てているんだね」


 クラウス皇帝は直接おじいちゃんに話しかけた。


 私も驚いたけど、もっと驚いたのはおじいちゃんだろう。


 おじいちゃんは、突然の皇帝陛下のお言葉に一瞬目を白黒させたけど、すぐに縮こませていた背筋をまっすぐに伸ばした。そして、大きな声で堂々とこうお返事した。


「は、はい、ローフェンディアの皇帝陛下!

 王宮の動物たちはみな、先代の国王陛下と姫さまからお預かりしとる、大切な生き物たちでございますで!

 ご覧くだすって、餌までくだすって、ほんにありがとうございます! 鯉たちも喜んでおります!」


 決して洗練された言葉遣いではなかった。

 だけど、おじいちゃんが王宮の動物たちを大切にしている気持ち、自分が知っている言葉のすべてを使って、クラウス皇帝に感謝の気持ちを伝えようとする一生懸命さと誠実さはよく伝わった。

 少なくとも私はそう感じたし、賓客たちの相手をしているベイリアルにもそう聞こえただろう。


 これでもし、クラウス皇帝が不快に思われたら、私が謝ればいい。

 クラウス皇帝とお話するのはおじいちゃんの仕事じゃない、私の仕事だ。おじいちゃんは絶対に悪くない……そう考えながら、クラウス皇帝の表情と行動をうかがった。


 私の心配は、クラウス皇帝にもおじいちゃんにも、失礼で余計なものだった。

 クラウス皇帝はおじいちゃんに笑顔で頷くと、まだベイリアルに鯉と池のことを訊ねている、好奇心旺盛な君主たちに声をかけられた。


「もう行こう、あまりお年寄りを困らせるものではないよ」


 天下の皇帝陛下にそう言われると、ララメル女王とタンザ国王は少し残念そうだったけど、ベイリアルへの質問をやめて王宮内に戻られた。

 クラウス皇帝も『邪魔したね』とおじいちゃんに囁いて、お二人の後に続いて中庭を後にされた。


 おじいちゃんがクラウス皇帝に会うことはないだろう、と考えていた自分を心の底から恥じた。


 もう一度おじいちゃんに『ありがとう』と言うと、


「とんでもございません!

 姫さまにまでお声がけいただくなど、ほんにもったいないことでございます。

 これからも、精魂込めて動物たちを育てていきますで」


 こちらが申し訳なくなるくらい深々と頭を下げてくれた。


 数日ぶりに姫さまと呼ばれて、心が暖かくなった。

 おじいちゃんの『姫さま』には、私なんかを敬ってくれている気持ちがもったいないほどに込められていた。


 呼ばれ方なんて、呼ばれる方は気にしなくていい。私はいつまでも私のままでいよう。

 こうしておじいちゃんに『姫さま』と呼ばれる私で。


 こういう人たちがセンチュリアを支えてくれている。

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