主従関係1
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ユートレクトがローフェンディアに出発する前日……今日は午後から御前会議を開くことになっている。
この会議、いつも週に一回開いているのだけど、出席できるのは大臣と軍の将軍だけ。
議会がないセンチュリアでは最高の決定機関になる、一応大事な会議なのよ。
ここに出席しているのが、いわゆる私の『重臣たち』で、私の即位以来、苦楽を共にしてきてくれたおじさまたちなのだけど。
「姫さま、宰相閣下」
薄曇の朝、執務に入ってから五分とたたないうちに、重臣の一人、産業大臣のザバイカリエが執務室を訪れた。
「おはようございます。朝早くから申し訳ありません、ご相談したいことがあるのですが宜しいでしょうか?」
ザバイカリエは重臣たちの中では一番若い。誰かさんを抜かせばだけど。
手腕も確かなのに、誰かさんと違ってとても慎ましく優しくて、以前からよく執務のことを教えてもらっていた。
ユートレクトが来るまで、私の教育係みたいなことは国務大臣のベイリアルが務めてくれていたのだけど、ベイリアルは最新の国際事情とか、新しい世界の動きのことを捉えるのは得意ではないので、そういうことはベイリアルと一緒にザバイカリエに聞くようにしていたの。
いつベイリアルと執務室に押しかけても、いやな顔一つせずわかりやすく丁寧に教えてくれたし、他の執務でも何度となく助けてもらった。
私だけじゃなくて、ベイリアルも相当助けてもらってるのだけど、それでも、おごる風もなくいつも控えめな姿勢は、好感と信頼が持てるものだと思ってる。
「おはようザバイカリエ、どうしたの朝から。『調査班』に何か問題でもあったの?」
『分岐道建設調査班』の最高責任者はユートレクトなのだけど、実際に一般の官吏たちを指揮するのはこのザバイカリエだった。
調査のことで早速トラブルでもあったのかと思うと、少し心配になった。
「いえ、おかげさまで『調査班』の活動は順調です。それにつきましては、本日の御前会議で詳細をご報告致しますが……」
「遠慮しないで言ってちょうだい、どうしたの?」
温厚な性格がにじみ出ている顔に、言いづらそうな表情を浮かべたので、ザバイカリエを促した。
「もしかしますと、既に宰相閣下はお聞き及びかもしれませんが」
「いや、知らんから問題はない、何があった」
あのねえ、宰相閣下。
ザバイカリエはまだ何も言ってないじゃない、何を根拠に知らんって……まあいいけど。
私がザバイカリエに頷いてもう一度発言を促すと、ユートレクトの『知らん』発言に少し面食らっていたザバイカリエは咳払いを一つしてから、
「アンウォーゼル捜査官が私たちに報告したい件があるそうで、本日の御前会議に出席させてほしいとおっしゃっているのです。いかが致しましょう」
なるほど……
それでザバイカリエは、ユートレクトはもう知ってるかもしれないけど、って言ったのね。
そうよね、ザバイカリエより奴の方が、アンウォーゼル捜査官にとっても話しやすいはずだもの。
アンウォーゼル捜査官はどうしてザバイカリエに頼んだのかしら。
それに、報告したいことってなんだろう。
もしかして、早速ペトロルチカのことを何かつかんだのかしら。
そう思いながらも、私は別のことを別の人に確認してみた。
「ユートレクト、この話は知っていたの?」
「いや、初耳だ。
ザバイカリエ、アンウォーゼル捜査官に報告の概要は聞いているか?
仮にも御前会議だ、部外者を入れるには相当の理由がなければ、『世界機構』の人間とはいえ許可はできん」
私が訊いたことにユートレクトはごく短く答えてから、ザバイカリエに問いただした。
こういうとき思うんだけど、こいつってやっぱり生まれが皇族なのよね。偉そうっていうか……実際偉いんだけどね、宰相だから。
十歳以上年長のザバイカリエにも、私と同じように接するし。
今に始まったことじゃないんだけど、私より威厳があるというか、落ち着いた口調に改めてそう思ったのよ。
ザバイカリエの表情が心持ち硬くなったように見えたのは、そんなことを考えていたからだと思う。
「はい、例のペトロルチカ関連のことではあるようですが、『世界機構』本部諮問機関からの伝達事項だそうで、ご本人の口からわれわれに伝えなくてはならないそうなのです。
そこで、機密性も高く、大臣級の閣僚が全員顔をそろえる御前会議の場をお借りしたいと仰せでした」
私とペトロルチカとの因縁は、重臣たちには伝えてある。
だから、みんなに伝わればいいんだったら、ザバイカリエがアンウォーゼル捜査官から事情を聞いて、私たちに教えてくれてもいいはずよね。
それがおいそれとできないほどのこと……『世界機構』の本部諮問機関からのお言葉ってなにかしら。
あ、また面倒ちっくな言葉が出てきちゃったわね。
『世界機構』の本部諮問機関っていうのはね、『世界機構』の総元締みたいなところで、アンウォーゼル捜査官が所属する国際警察とか、その他全部の組織を取りまとめてるのよ。
それこそ、エリート中のエリートたちの集団よね。こんな長い機関名、全然覚えなくていいわよ。
「なるほど、任務不履行が係る事項か。
陛下、アンウォーゼル捜査官が託された伝達事項は、彼自身から聞かなくてはならないことのようです。
われわれはザバイカリエを通じて聞いても何ら問題ありませんが、それではアンウォーゼル捜査官が任務を全うしなかったとして、『世界機構』から処罰を受ける類の事項かと思われます」
ユートレクトはザバイカリエが言ってくれたことを更に細かく解説してくれたけど、つまるところ、
『『世界機構』の職員は、自分の任務を全うしなかったと判断されたとき、任務不履行として処罰される。今度聞くときまで忘れずに覚えておけ』
ってことよね?
こういうやけに説明臭い言い方したときって、いつも後になって突然聞いてくるのよね、抜き打ちテストみたいにして。実は最近気がついたのよ、今更だけど。
それはとりあえず置いとくとして。(私にとっては不安なところだけど)
もし、アンウォーゼル捜査官が自分の『任務を全うしなかった』りしたら、それってどうやって『世界機構』側にばれるのかしら、とも思うんだけど、聞けそうにない雰囲気だから黙っておくことにする。
今は女王としての指示を出すことにした。
「それなら仕方ないわね、会議の初めに報告してもらうことにしましょう。
報告が終わったら退室してもらって、後は通常の会議に入りましょう。
ザバイカリエ、どうもありがとう。アンウォーゼル捜査官にはそう伝えておいてもらえる?」
「はい、かしこまりました」
私がそう言うと、ザバイカリエは私に笑顔で一礼して執務室を出て行った。
それにしても。
なんでアンウォーゼル捜査官は、ユートレクトじゃなくてザバイカリエに話を持っていったのかしら。
もうザバイカリエたち大臣と面識はあるみたいだけど、そんなお願い事なら、友人のこいつに相談した方が早いはずなのに。
あの人の振る舞いからして、神経質に公私混同を気にかける人だとは思えないんだけど。
そう考えると、なぜだかいてもたってもいられない気持ちになって、慌てて執務室を出ると、ザバイカリエを追いかけてその背中を呼び止めた。
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「どうなされたのですか、姫さま」
私が声をかけると、ザバイカリエは少し驚いたように振り返った。
「ええちょっとね、その、小腹が空いたものだから、食堂で握り飯でももらおうかと思って。途中まで一緒に行きましょう」
私の怪しげな嘘に、ザバイカリエは穏やかに微笑んだ。
ザバイカリエの執務室と握り飯の調達先……つまり王宮の食堂は同じ方角にあるの。
だから、これでザバイカリエと自然に話せる口実ができたってわけよ。本当は『自然と』じゃないんだけど。
「まだ朝食がお済みでなかったのですか」
「ううん、朝食だけは抜けなくて毎日食べているのだけど、育ち盛りなのかしら。これ以上育ちたくないのだけどね」
胸はいくら育ってくれてもいいんだけどね。
心の中でぼそっとつぶやいてから、平面に近い自分の胸元にちらっと視線を下ろして……改めて泣きたくなったけど、それは乙女の極秘事項よ。
ザバイカリエは、そんな私の哀愁には気がつかなかった様子で、
「私などでも、朝食を抜きますと午前中頭が回りません。お若い姫さまでしたらなおのこと、しっかりとお召し上がりになられるのがよろしいかと。
ご心配いりません、朝食は多く摂っても身にはなりませんよ」
「そうかしら」
「そうですとも」
微笑んだザバイカリエの表情は、とても温かく優しいものに見えた。
ザバイカリエはいつも優しいのだけど、こんなに屈託のない笑顔は久しぶりに見たような気がして嬉しかった。
そうして自分の心も温かくなったとき、私は大切なものを忘れていたことに気がついた。
わかってはいたけど、自分がまだまだ主君として未熟だということを思い知らされて、心が立ちすくんでしまった。
私が動揺して口が開けないでいると、ザバイカリエは私の別の心配を取り除こうとするように言葉を継いだ。
「私の配下の女性でも、体型を気にしているのか、朝食を食べていない者がいるようなのですが、美容のためには、むしろ朝食を摂ることを勧めたいですね。
やかましく言うと煙たがられるので、強くは言いませんが」
「あら、そうなの? あなたからのアドバイスを聞かない女性なんていないわよ。
みんな絶対喜んで朝ご飯食べてくるようになると思うけど」
重臣の意外な告白に、私は少し驚いた。
ザバイカリエは、重臣のなかで一番女性に人気があるらしい。理由は簡単。
『優しい』『男前』『年齢より若く見える』『とっても紳士』『有能なところも素敵』で、なおかつ独身だから、ですって。
侍女たちの中でもザバイカリエの人気は高いらしくて、みんな玉の輿を狙ってるとかいないとか。
侍女長のマーヤが、『ザバイカリエ卿がおみえになると、侍女たちが騒がしくて仕事にならないのです』って、ため息ついてたくらい。
確かに、老若男女関係なく厳しい誰かさんより、話しかけやすいのは間違いないわね。ザバイカリエが誰かに怒ってるところも見たことないし。
私がユートレクトに(表向きは敬語で)どやされてるのは、どうせ日常茶飯事よ。
きっと、うら若き乙女をいじめてるところを目撃されてるからもてないのよ、自業自得だわ。
怖い人のことは置いといて、私はザバイカリエに彼の影響力のすさまじさを教えてあげたのだけど、ザバイカリエは自分の人気の高さに全く気がついていないようで、
「いえそんな……最近の若い者の扱いにはいまだに慣れなくて。姫さまにはいつもよくしていただき、とても感謝しております」
なんて言うものだから、どう返事していいか困ってしまった。
「そ、そんなことないわ。私こそ、いつも世話かけさせて申し訳なく思っているのに」
言ってから、少し胸が痛んだのは、最近ザバイカリエと会話することがなかったからだった。
でも、陰にひなたに力になってくれていることに変わりはない。
「とんでもありません、私の方こそ、お気遣いに足るほどのことはできずにおります。
過分な地位をいただいている身、今後とも精進してまいりますゆえ、どうぞお許しください」
「そんな……過分な地位だなんて、そんなこと」
こんな頼りない主君にでも頭を下げてくれるのが申し訳ないのに、なんと言ったらいいのかわからなくて言葉を継げないでいると、ザバイカリエと目が合った。
きっとあからさまに困った顔をしている私に、ザバイカリエは優しい笑顔で、
「……では姫さま、官吏に朝食摂取令でも出してみましょうか」
突然話が戻ったので、わけがわからなくなった。
けど、動転しながら考えをめぐらすと、ザバイカリエがわざと今の話を打ち切ったのだと思い至った。
ごめんなさい、至らない主君で。きっと、私が何をどう言ったらいいかわからなくて、おろおろしていたからだよね……
こんな動揺を全部見透かされていると思うと恥ずかしくなったけど、心遣いはとても嬉しかったから、私は真剣に冗談細胞を働かせて考えた。
「いいわね。朝は必ず握り飯一個以上、野菜類及び乳製品を摂取のうえ登城すべし、って感じ?」
「姫さま、握り飯はパンに代えても宜しいですか」
「もちろんよ、そうだ、肉類も摂らなくちゃね」
「頼もしいですな、若い方はそうでなくては」
ザバイカリエとこんな冗談を言い合うのは、本当に……いつぶりのことだろう。
ひとしきり笑い合って軽口に区切りがつくと、少し気がとがめながらも、私にとっての本題を聞いてみることにした。
「……さっきの話だけど、アンウォーゼル捜査官から相談を受けたのはいつだったの?」
穏やかな性格のザバイカリエが、あのアンウォーゼル捜査官のペースに巻き込まれているところを想像すると、少しかわいそうだった。
かといって、ザバイカリエ以外の他の重臣っていったら、見た目も中味もおっさんまっただなか、もしくはおじいちゃんだし、いくらアンウォーゼル捜査官でも話しづらいかもしれない。
「はい、昨夜、アンウォーゼル捜査官と食事と申しますか、酒の席を持ちまして、その際に」
え、また飲んだの? アンウォーゼル捜査官、そんなにお酒強そうには見えなかったけど。
男の人って本当、お酒の席が好きなのね。
今思ったんだけど、もしかして、男の人って意外と恥ずかしがりで、お酒が入らないとくだけた仲になれなかったりするのかしら。
だとしたら、そういうところ女は楽よね。恋と異性の話さえあれば盛り上がる! みたいなとこあるもの……私だけかもしれないけど。
なんてことを考えたけど、もちろん言えないので、口にしたのはごく当然の感想だった。
「そうなの、仲がいいのね」
「いえ、昨日初めてお誘いいただいたのです。長い時間話しましたが、その、なんと申しますか、とても気さくな方でいらっしゃいますね」
ああやっぱり巻き込まれたのね、お疲れさまザバイカリエ。
アンウォーゼル捜査官、人に合わせるってことを知らないわね。
「そうね、私たちの周りにはいないタイプよね」
ええいませんとも。
ユートレクトは基本(あくまで基本よ)謹厳大魔王だし、国務大臣のベイリアルは人のいいおじいちゃんって感じだし、ザバイカリエもこんなだし。
あとの重臣たちも個性はいろいろだけど、あんな正義と女性を愛して一本道、周りを顧みない人はいないもの。
そういえば、エリクシア・フォルキノさん(21)とはどうなったのかしら……と、人の恋路を心配していると、ザバイカリエが少々困った問題を持ち出した。
「アンウォーゼル捜査官は、私どもと親睦を兼ねて新年会を開きたい、ともおっしゃっていました。
私としては嬉しい話で、今年は彼も含めて新年会を開いてもよいと思うのですが、彼は姫さまと宰相閣下にお連れいただいた料亭とやらを大変お気に召されたようで、そちらに私どもを連れて行きたいと」
料亭って……それどこの高級店よ。
そんないいとこ連れてってないわよ、あんたを連れて行ったのは、私が平民時代働いてた『マロ食』っていう一般大衆向けの食堂なんです。
見てわからないの、普通の食堂だって。いくら酔っ払ってたにしてもどんな記憶力よ。
私はいいのよ。
でも他の重臣たちは、一応みんなセンチュリアの貴族さまだから、そもそもああいうとこには行かないのよ。
そんなおじさまたちが『マロ食』に足を踏み入れたらどうなるか……私にもわからないけど、すごくいやそうにするかもしれない。逆に、私が以前働いてたところということで、恐縮して固まっちゃうかしら。
(変わり者の宰相閣下は、この類の集まりには参加しないから無視)
それに『マロ食』のみんなだって、大臣級のお偉いさんが何人も押しかけたら、どう給仕していいかわかんないじゃないのよ。
『はい、『越冬焼き』お待ちー!』
『おじさん元気ないわね、ほら笑って笑って! でないと頭が余計に寂しくなっちゃうわよ!』
なんてフレンドリーには接しづらいだろうし。
おまけに『マロ食』の椅子は堅いから、腰の弱いベイリアルには辛いだろうなあ……余談っぽい心配だけど。
私は心の中で大きくため息をついた。
「そ、そうなの」
「どのような店なのですか?」
「ええ、あのね……」
興味ありそうなザバイカリエの期待を裏切るのは申し訳なかったけど、私はアンウォーゼル捜査官を連れて行った先のことを話した。
「そ、それは……姫さまには大変申し上げにくいことですが」
「いいのよ、気にしないで」
「私はいっこうに構いませんが、他の方々がなんとおっしゃるか」
「ええ、私もそう思うわ」
ほぼ予想通りの反応をしたザバイカリエに、私は苦笑して頷きながら、もし、本当にアンウォーゼル捜査官参加の
新年会を開くことになったら、『マロ食』を会場にするのだけは阻止してくれるように頼んだのだった。
今度『マロ食』行ってみる? と言い添えて。