幕前の鉄槌2
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キアラさんが執務室を出ていくとすぐ、各省の官吏たちが決裁書類や郵便物、大小の相談事を持ってやってきた。
その対応や自分の執務に追われているうちに、午前中の時間は矢のように過ぎていった。
キアラさんの書きつけを見たとき、槍で刺されたように胸が痛くなった。あの文面から考えて、私の右手の指輪に気づいたとしか考えられなかった。
指輪をはめない方がよかったのかとも思ったのだけど、この指輪が手元になかったら私が平常心を保てそうになかった。
ごめんなさいキアラさん。
ただ、書きつけの中でどうしてもわからない部分もあった。
『あなたたち気づいたのね』ってどういうことなんだろう。私とユートレクトが何に気づいたというんだろう。
自分で言うのはうぬぼれじみていていやなのだけど、私たちがお互いにとって必要な人間だと『気づいたのね』とでも思ってくれたのか……そう解釈する以外にどう読めばいいのかわからない。
でも、やっぱり違う気がする。
キアラさんが私を祝福するような言葉を、私に手向けてくれるとは思えなかった。敵……私に塩を送るような真似はしない、と断言した人だから。
今は昼休み。
いつものように食堂へ行き、トレイを持って列に並ぼうとしたときだった。
いるはずのない高貴な顔が現れてびっくりした。
「あらアレク! あなたこんなところで何をしていますの?」
それはこっちの台詞だ。
「ララメルこそ、どうしてこんなところに!?」
おかしいわね、ララメル女王には、別室で三食きっちりご用意しているはずなんだけど。
何か手違いでもあったのかしら、と少し焦っていると、
「まあ、そんなに心配そうな顔をして。お気になさらないで。わたくし、みなに頼んでこちらに連れてきてもらったのですわ」
ララメル女王の周りには、産業省のザバイカリエの執務室に勤務する老若男女の官吏たちが七、八人いた。
ララメル女王は、午後からオーリカルクの鉱山と加工所の見学に行かれることになっている。
午前中は長旅の疲れを取っていただくために予定を入れていなかったのだけど、今朝、昨日約束されたフォルキノコロッケをもらいにザバイカリエの執務室へいらして、その流れで官吏たちと食堂に来られたみたいだった。
ということは、今日もララメル女王はザバイカリエのところにいらしたのね。
めいめい好みの昼食をトレイに取ると、座る場所を探したのだけど、昼休みど真ん中の時間に来たこともあって、私とララメル女王、産業省の官吏たち全員が固まって座れる場所は残っていなかった。
どうしよう……ララメル女王にどこに座っていただいて、誰と昼食を食べてもらったらいいだろう……と悩む産業省の官吏たちの空気を察した私は、速やかに分かれて食事を摂るよう女王権限で言い渡すと、ララメル女王と二人で席を探すことにした。貴重な昼休み、席取りでもたもたしている暇はない。
ララメル女王はトレイを持って列に並ぶのも、混雑した中に座るのにも、全く不満を漏らさなかった。というより、これっぽっちも不快に思われていないみたいで、この混雑や喧騒を楽しんでおられるように見えた。
ララメル女王はCランチセット、私は日替り定食をトレイに乗せて席を探していると、ちょうどよく食堂の隅にある長テーブルの席が二つ空いたので、急いで席を確保しに向かった。
私が女王になる以前から、食堂では上も下もないのがセンチュリア王宮の暗黙のルールだったようで、今も席取りは完全に早い者順だった。
となり合わせた女子官吏の挨拶に返礼すると、私たちは貴婦人にしては慎ましいランチをテーブルに置き、ようやく腰を落ち着けることができた。
「フォルキノコロッケ、いただきましてよ。とても美味しかったですわ」
「それはよかったです。朝からお召し上がりになるには、少し重くはありませんでしたか?」
「いえ、全然問題なくてよ。そのために朝食を控え目にしてもらいましたの」
嬉しそうにおっしゃるララメル女王に、
「さすがです。私でしたら、朝食を減らすなんて思いもつきません」
何も考えていない思考回路を暴露すると、
「若いうちは朝からたくさん召し上がってよろしいのよ。
でもね、わたくしくらいの年になると、少しの量が命取りになりますの。特に炭水化物には気をつけないといけませんわ。脂分もほどほどにしませんと」
ララメル女王の美しさの源を垣間見たような気がした。
そうよね、こういうちょっとしたことから気をつけていかないといけないんだろうなあ。
そこでララメル女王に、
「他にお身体のことで気をつけておられることはありますか?」
と聞くと、いろいろなことを教えてくださった。
朝起きたらコップ一杯のお水を飲むこと。
軽いストレッチのようなことをしてから朝食を摂ること。
石鹸はよく泡立ててから顔に乗せて、こすらずに泡で撫でるように洗うこと。
化粧水は熱で肌に染み込ませるように、手のひらで顔を押さえながらつけている……などなど。
女子力が壊滅的に不足している私には、勉強になることばかりだった。
「アレク、あなたはまだお若いから、何もしなくても肌もお綺麗ですけど、この年になると、あらゆるものが曲がり角にさしかかるんですのよ……ところで、あなた方はおいくつ?」
そう言ってララメル女王は、いきなりとなりに座っている女子官吏たちに話を振った。
私はもちろん、女子官吏たちも、突然妖艶美女に話を振られて驚いたみたいだったけど、この貴婦人がララメル女王だということはわかったらしい。少しだけおろおろしていたけど、
「は、はい、私は三十です」
「私は二十九になりました」
ララメル女王に対する緊張と尊敬の念が混ざった声と表情で応えた。
その返答を聞くと、ララメル女王は顔色を明るくされた。
「まあ、わたくしと同じ年代ではありませんか!
ですけど、二人ともとてもお肌が綺麗ね。何か特別なお手入れでもしていますの?」
確かに女子官吏たちのお肌はつやつやで、お化粧うまいな、と思ったのだけど、ララメル女王に言わせると元の素肌が綺麗らしかった。そんなこともわからない自分が情けないわ。
「いえ、特にこれといったことは何もしておりません」
「まさか! そんなはずありませんわ。
こんなことを言うと失礼ですけれど、あなた方の年でそれほどの美肌を保とうとしたら、相当な努力が必要なはずですわ。ぜひとも教えてくださいな、どんなお化粧品を使っていますの?」
ララメル女王は、失礼だけど『世界会議』でも見たことないほど真剣な眼差しで二人に訴えた。
思いがけないララメル女王の食い下がりぶりに、二人の女子官吏は明らかに困っていた。南国の麗しい女王にここまで言われたら、そりゃ驚くだろう。
二人は顔を見合わせて、『どうしよう、本当に何もしてないんだけど?』『私もよ』というように目で訴え合っていたけど、正直に答えるしかないと腹を括ったのか、年長の女子官吏が口を開いた。
「ファレーラ女王殿下、申し訳ありませんが、私どもは本当に特別なことはしていないのです。化粧品も高級はものなどではなく、手作りのものを使っておりまして」
「それですわ!」
食器を揺らして立ち上がったララメル女王に、周囲の官吏たちの視線が集中したけど、もちろんララメル女王は全く気にしていなかった。喜びの色を満面に浮かべて女子官吏たちの方に身を乗り出すと、
「その手作り化粧品はどんな材料で作られていますの?」
「はい、水とカンバンチュラと、ウルリカの根と蜜です。
本当に簡単に作れて、一度にたくさんできるので、みんなで分けて使っているようなありふれたもので……」
三十歳の女子官吏が申し訳なさそうに言うと、ララメル女王の表情が一気に難しそうなものになった。なんでだろう。あまりに普通すぎる化粧水でショックを受けたのかしら。
ちなみに、多分私もこの女子官吏たちと同じ材料の化粧水を使っている。チェーリアが作って分けてくれたものだ。
化粧水にはいくつか作り方の種類があるらしいけど、材料はほとんど変わりないと聞いている。
やっぱり同じようなものを使ってても、女子力がないと美しさは身につかないのね……と考えていると、
「もちろんウルリカは、センチュリア自生のものを使っていますわよね?」
少し冷静になられたのか、ララメル女王は再び腰を下ろすと、女子官吏たちに問うた。
「はい、センチュリアでは庭にも勝手に生えますので」
「そうね、そうでしたわね……」
ララメル女王はそうつぶやくと、右手を額に置いて何か考え出されたようだった。
ウルリカというのは、どこにでも咲く花なのだけど、センチュリアに自生するウルリカにはオーリカルクの成分が吸収されているらしく、それがお肌にとてもいいらしかった。
ただ、ウルリカは一度土から根を抜くとすぐ枯れてしまうし、センチュリアではなぜか人工的な栽培が難しいそうで、苗や種も売られていない。
センチュリア産のウルリカを使った化粧水が欲しければ、センチュリアの露店で手作り化粧水を見つけて買うか、知り合いに分けてもらうしか、今のところ手段はないはず。量産して国外に輸出できるような化粧水には、ウルリカは配合できないと聞いた気がするし……
そっか。そうすればいいんじゃないの。
「あの、ララメル」
私がおずおずとララメル女王を呼ぶと、ララメル女王は悲しげな顔で私を見つめた。
「なんですのアレク? いいですわね、あなた方は美の女王と呼ばれる花が、家のお庭で惜しげもなく採れるだなんて。わたくしもセンチュリアに生を享ければよかったですわ」
「それは無理ですが、化粧水なら分けて差し上げられます。私も恐らく同じ材料の化粧水を使っていますから」
ララメル女王の美しい瞳が、まさに点になった。
しばらく動きが止まったかと思うと、美しい両手で私の手をぎゅううううっと握りしめた。
「ありがとうアレク、ありがとう! やっぱりあなたはわたくしのお友達ですわ!
ウルリカの入った化粧水を使えるだなんて、わたくしなんて幸せ者なんでしょう!」
なおも感動の言葉を投げ続けるララメル女王をよそに、私は念のため女子官吏たちに化粧水の詳しい材料と製法を聞いた。
幸運なことに、チェーリアが作ってくれたものと全く同じだったので、安心してララメル女王に分けて差し上げられる。
それからララメル女王は、女子官吏たちに他にどんな化粧品を使っているのか、お手入れ方法はどうしているかなど、事細かに聞き始めた。
最高位の淑女のご年齢をはっきり書くのは控えておくけど、ララメル女王は年長の女子官吏より四つ年上だという。
私も女子官吏たちもララメル女王のお年を知って驚いた。てっきり私と三、四歳くらいしか変わらないだろうと思っていたのに。
ララメル女王の気さくなお人柄に、女子官吏も打ち解けてきたようで、最後の方にはララメル女王にどんな化粧品を使っているのか訊ねたりしていた。
ララメル女王の挙げた化粧品の銘柄はどれも有名なものばかりみたいで、女子官吏たちは『えーーー!?』『やっぱりすごいです!』と感嘆の雄叫びを何度も挙げていたけど、私には何がすごいのかさっぱりわからなかった。
あげくの果てには、今度お茶しましょう! みたいな話まで出てくるほど意気投合していた。
そうして楽しく歓談しているうちに、午後の業務開始五分前の予鈴が鳴った。
全員まだ昼食が半分近く残っていたので、慌てて残りの食事をかきこんだ。
四人で急いでトレイを返却口に返すと、ララメル女王は鉱山に向かう馬車が待つ正門へと走っていかれた。
お化粧直し大丈夫かしら、と少し心配したけど、ララメル女王なら途中にあるお手洗いやどこかで要領よくどうにかなさるだろう。
だけど、女子官吏たちはお化粧直しなどしていたら、どう考えても業務に間に合わない時間だった。ララメル女王の心を和ませてくれたお礼に、休憩中勤務の証明書を発行することにした。
執務室で証明書を二枚作り、これだけは美麗な私の署名を入れて女子官吏たちに渡したときには、既に午後の業務の本鈴が鳴ってから数分が経っていた。
でもこれがあれば、今から自分の席に戻っても上司に怒られることはない。
「どうもありがとう。ララメル女王もとても喜んでいらしたわ。あんなにはしゃいでおられるララメル女王は、私も初めて見たわ」
私がねぎらいの言葉をかけると、二人の女子官吏は、最高位の南国美女を相手にしたにもかかわらず、疲れた様子もなく、
「いえ、こちらこそ、ララメル女王陛下とお話ができて、とても光栄でした」
「すごく気さくな方ですね。本当にお茶しに行けたら末代まで自慢できます!」
なんて言って笑っていた。
本気でララメル女王をお茶に誘いかねない、と思っていたら、
「その時は陛下もぜひご一緒してくださいね!」
「そうですよ、一緒に今日の女子トークの続きしましょうよ!」
まさかこっちにまでお誘いがくるとは思っていなかったから、ありがとうと言うのが精一杯だった。
女子官吏たちが軽い足取りで執務室を出ていくと、思わずため息が口から漏れた。
お世辞でもララメル女王のついでにでも、私なんかに声をかけてくれるなんて、夢にも思わなかった。素直に嬉しかった。
本当にララメル女王とお茶しに行けたら楽しいだろうな。普通の女王さまなら一般平民とお茶なんてしないと思うけど、ララメル女王は身分とか気になさらなさそうだし。
でも、今回は治安の面でかなり難しい。ララメル女王の身に万が一のことがあったら、ファレーラ王国の国民に申し訳が立たない。
だけど万が一にも実現してしまったら、美容のお話だけじゃなくて恋愛話にも花が咲きそう……三十路前後の女性たちなら、私より格段にたくさん経験を積んでいるだろうし。
さて、私はもう少ししたら御前会議に出席だわ。
気になることは山盛りだけど、とりあえず今日の夜はお肌のケアを念入りにしようと心に決めた。




