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幕前の鉄槌1



「アレクセーリナ女王!」


 翌日の朝、執務室に轟いた第一声はあの人のものだった。

 給湯室でコーヒーを淹れようとしていた私は、頭だけ給湯室から出すと予想通りの姿を見つけた。


「ピアスカ司法官、おはようございます」


 思わずひょこっと頭だけで挨拶してしまって、失礼だったなと少し反省したのだけど、今朝のキアラさんは私の無礼を全く気にしていなかった。もちろん、おはようの一言も返さず、つかつかと給湯室までやってきて、


「あなた、レシェクを知らない?」


 それはさっきの偉そ……じゃない、高圧的な声とはまるで違う、かすかに震えた声だった。


 アンウォーゼル捜査官、昨日は結局王宮に戻ってないのかしら。本当にどこへ行ってしまったんだろう。私も昨日からずっと不安だし、キアラさんが心配するのも無理はない。


 落ち着いてもらうためにもいいかもしれないと思って、キアラさんにコーヒーを勧めてみた。

 素人が淹れるものなんて飲めないわ、とか言うんじゃないかと思ったのだけど、『カフェオレがいいわ』と言って私の視界から姿を消したので、最高位の淑女自ら美味しいカフェオレを作って差し上げることにした。


 キアラさんの様子から見ると、まだ心の底から落ち込んではいなさそうに見えたので、ひとまず安心しておくことにした。でなかったら、私もつられて動揺してしまいそうだったから。


 自分のコーヒーとキアラさんのカフェオレを持って給湯室を出ると、キアラさんはおとなしくソファに腰かけていた。下座に座っていたことに敬意を表したいと思う。


 キアラさんの卓の前にカフェオレを置くと、ありがたく上座に腰を下ろした。そして、先の問いかけにお答えすることにした。


「昨日の朝お会いして以来、お姿を見ていないのですが、ピアスカ司法官も」

「見ていないから聞いているのよ!」


 キアラさんの声は、私でもわかるくらい不安に揺れていた。


 実はアンウォーゼル捜査官の行方は、昨日のうちにトゥリンクスが指示して追跡を始めている。

 世界警察の特別捜査官ともなれば、追跡をかわしたりするのはお手のものだろうし、探し出すのは難しいかもしれない。

 だけど、センチュリア王国軍も優秀だと各国から評価されている。彼らを信じて報告を待つしかない。


「ただいま、わが王国軍が捜索しております。まもなくアンウォーゼル捜査官の行方もわかるかと思います。ご心配かと思いますが、しばらくお待ちください」


 キアラさんはカフェオレの入ったカップを両手で包むように持ったまま、私を睨みつけていた。

 灰色の鋭い視線は、出会った頃だったら怖いと感じたかもしれない。

 けれど、今はなんとも思わなかった。それどころか、キアラさんの不安を取り除いてあげられたら、とさえ考えている自分に驚いた。


 私は立ち上がると執務室のドアを閉めた。これから各省の官吏たちが決裁書類や郵便なんかを持ってくる時間帯だから、官吏たちには申し訳ないのだけど。


「ピアスカ司法官、単刀直入にお伺いすることをお許しください」


 そう前置きしたのは、キアラさんに『ご学友の安否をご心配されるお気持ち、お察し致します』とか言ってもうっとうしがられるだけだろうし、はっきり聞いてしまおうと思ったから。

 キアラさんが不快そうな顔をしたけど、何も言わなかったので言葉を続けることにした。


「アンウォーゼル捜査官の行方に、お心当たりがおありですか」


 キアラさんの表情が動いた。

 不安の上に本心を聞いてほしい気持ちが乗せられたように見えた。だから、それ以上は口にせず返答を待った。


 窓の外を見やると、ちらちらと雪が降り始めていた。

 明日はクラウス皇帝がいよいよおみえになる。積もらないといいのだけど。


「決着をつけてくる」


 一瞬、誰が発した言葉なのかわからなかった。だけど、この部屋には私とキアラさんしかいない。


「昨日の昼休憩のとき、食堂で会って。一緒に昼食を摂って、別れ際にそう言ったわ」


 キアラさんの両手は、先ほどからカップを包み込んだままだった。


「それだけじゃ意味がわからないじゃない。なんの決着をつけるのか。けれど、何度聞いても答えてくれなかった」


 私にはすぐにわかってしまった。


 アンウォーゼル捜査官はユートレクトとの決着、そして彼自身の中にある相反する自分の気持ちとの決着……二つの決着をつけようとしている。


 キアラさんは何も聞かされていないんだろう。

 アンウォーゼル捜査官が学士院時代に交際していた人のことや、『バルサックの悪夢』の影にあったこと。

 だから、キアラさんはこのアンウォーゼル捜査官の言葉を、『世界機構』武闘派に加担しているかもしれない友人の言葉としてしか解釈できない。


 アンウォーゼル捜査官が本当に『世界機構』の武闘派と結びついていて、その上での発言だとしても、何との決着をつけるのか……

 穏健派との争いに決着をつける、という意味に取れないこともないけど、そう受け取れる言い方、声色、表情、態度だったら、キアラさんにもわかったはず。

 そうじゃなかった……いつものアンウォーゼル捜査官の様子じゃなかったから、こんなに心配しているんだろう。


「ハーラルにも聞いたわ。レシェクがそんなことを言うほど憎むものがあるのか、って。だけど、彼も知らないみたいだった」


 昨日タンザ国王が、キアラさんから相談したいことがあると持ちかけられた、と言っていたけど、やっぱりアンウォーゼル捜査官のことを相談していたんだ。

 それだけタンザ国王はキアラさんにとって信頼できる友人なんだろう。

 私だって、もし友達が自分の知らない負の一面を見せたら、誰かに相談せずにいられないと思う。


「……の」


 キアラさんの辛い気持ちに心を寄せていると、何かつぶやきが聞こえたような気がした。

 あまりに声が小さかったので、私への問いかけなのか独り言なのか、聞き返していいものか迷っていると、


「あなたにわかるのかって聞いているのよ!」


 しびれを切らせたような声だった。

 だけど、小さな声でぶつぶつ言われても聞こえないものは聞こえない。

 謝ろうとは思わなかった。私も平静を装ってはいても余裕がないのかもしれない。

 せめて、感情的にならないように気をつけないと……


「……ピアスカ司法官」


 自分の心も落ち着けるために、一呼吸置いてからキアラさんの名前を口にのぼらせた。


「私にも、アンウォーゼル捜査官のおっしゃられた言葉の真意はわかりません。

 ですが私は、アンウォーゼル捜査官は悪事に手を染める方ではないと信じています」


 アンウォーゼル捜査官がフォーハヴァイ王国の武闘派に加担しているとしたら、それは彼が自分の『目的』を果たすためだけのためだと思っている。

 アンウォーゼル捜査官も後ろ暗いことはしないと誓ってくれた。それだけしか根拠はないけど、私には十分だった。


 キアラさんはどう思っているんだろう。

 不安だから私に声をかけたのだろうけど、どうやって安心させてあげたらいいんだろう。


「フォーハヴァイの武闘派と手を組んでいるとしたら、それは何か事情があってのことだと思います」


 言葉を選びながら足していく。

 キアラさんにいつどなられるかと思うと憂鬱になるけど、私には私以上のことはできないと開き直るしかない。


「司法官はこのようなことご存知でしょうから、申し上げるのは大変失礼だとは思いますが、アンウォーゼル捜査官は特別捜査官でいらっしゃいます。

 司法官や他の『世界機構』の職員を欺いていてでも、果たさなくてはならないことがあるのかもしれません」


 自分で信じていないことを、それらしく言うのはとても心が痛む。


「ですが、司法官や私はその道の専門家ではありません。

 私たちが自ら動いてしまえば、かえってアンウォーゼル捜査官の迷惑になるかもしれませんし、そもそも司法官にそのようなことをさせるわけにはいきません。

 この王宮の責任者として申し上げますが、もしも、アンウォーゼル捜査官をご自分で探そうというお考えをお持ちでしたら、決してそのようなことはなさらないでください。

 アンウォーゼル捜査官の捜索は、今はわが王国軍にお任せ願えないでしょうか」


 月並み以下なことしか言えない自分に、心の中でため息をついた。

 だけど、アンウォーゼル捜査官とユートレクトの間にあったことは決して言えない。

 それを除いてキアラさんの心を落ち着かせようとしたら、今の私にはこれ以上のことは考えつけなかった。


 『そんなことわかりきったことよ!』とでもどやされるかと思いながら黙っていると、キアラさんがずっと両手で包んでいたカップに口をつけた。

 カフェオレは飲みやすい温度になっていたのか、キアラさんは一口ではなく大分飲んでからカップを卓の上に戻した。

 私も一方的にしゃべって喉が少し乾いていたので、コーヒーを一口すすると、


「あなた、相も変わらず脳マカロニなのね。『世界機構』をなんだと思っているの? あなたよりも何百倍も優秀な人間の集まりよ。

 そんなところに勤務する私が、その程度のこと知らないとでも思っているとしたら、相当な脳内お花畑、ミジンコ以下の無細胞生物だわ」


 キアラさんがいつもの人を見下した涼しげな声を発した。

 『脳マカロニ』以下全くおっしゃる通りなので、反論する気もなく黙っていたら、


「だけど、態度はかなり図太くなってきたわね」


 これは、褒め言葉かしら。

 『脳マカロニ』からの『だけど図太い』だから、いい意味で解釈していいのかなと思って、


「恐れ入ります」


 と答えたのだけど、


「何を恐れ入っているのよ! 誰も褒めてなどいないわ!」


 キアラさんはそう言い捨てて、残っていたカフェオレを一気に飲み干すと、ソファから立ち上がった。


「私が脳マカロニ軍の真似事などすると思うの? 私は国際上級司法官よ。私がなすべきことは」


 目の前に一枚の紙が差し出された。そこには、数十冊の本の題名が記されてたいた。


 キアラさんの灰色の瞳は、いつの間にか生気を取り戻していた。毅然とした表情に一瞬見とれた。この人もやっぱり綺麗だ。


「レシェクがいわれのない罪を被せられようとしたとき、どうやったら彼を守れるか、手段を見つけておくことよ。

 この国の無様に倒れている司法大臣は、私を女神と拝み倒すべきだわ。

 そこに書いてある本、全て午前中に用意なさい。いいわね」


 返答を待たずに踵を返したキアラさんの背中に、なぜだかわからないけれど、今までに見たことない凛とした空気……決意のようなものを感じた。


 私は執務室を出ていくキアラさんに黙って頭を下げた。そうさせるほど、キアラさんが放った空気は清らかに研ぎ澄まされていた。


 キアラさんに渡された紙は一枚ではなかった。後ろにあったもう一枚を見ると、




『あなたたち気づいたのね。


 兄上も気づいたなら、死ぬほど悔しいけれど、私にはどうすることもできないわ。

 私はあなたのような脳マカロニにはならない。

 兄上よりももっといい男を見つけて、きっとあなたを見返してやるわ! 覚えてなさい!』




 流麗な字でそう記されていた。

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