美女と奇才6
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再びララメル女王をお慰めしてディナーが食べられる状態になるまで、随分時間がかかった気がしたのだけど、時計を見たら五分も経っていなかった。
ララメル女王は落ち着かれると、その後のタンザ国王とのやりとりをぽつぽつと話してくれた。
タンザ国王に、失礼な! とどなり返すと、こんなようなことを言われたという。
きさまも、王配のなり手がいなくて困っているのだろう。結婚などせずとも、後継者が生まれればよいではないか。
私はタンザの国王だ、常にきさまといることはできんが、種として、配偶者として何ら問題はあるまい。
ちょうど私にはまだ妃がいない。きさまをわが国の正妃に迎えよう。
だが、きさまはファレーラの女王。
きさまは今までどおりファレーラを統治し、互いに都合のいいときに行き来すればよい。
このような接し方なら、私もきさまもストレスなく婚姻関係を続けられるだろう……
「なんという無神経さ! 情緒のかけらもない感性なんでしょう!
そんな婚姻関係願い下げですし、そもそもあなたなんて、男性として、人として、一片の愛情も尊敬の念も注げません、と言ってやりましたわ!」
ララメル女王は話しているうちに、少しずつ元気を取り戻されたみたいだった。
いつの間にか赤かぶのスープを飲み干されていたので、私も急いでかわいいリボン形の赤かぶたちを口の中へ誘った。
ウエイターが次の料理を持っていきたそうにこちらを見たので、『いいわよ、そろそろ持ってきて』とまた目で合図した。
にしても。
「女性には受け入れにくいご提案ですね……」
まさかタンザ国王の名案(?)が、私と別れた後でこんなに飛躍した話になるなんて、夢にも思っていなかった。
「そうですわ、ありえませんわ!」
ここで次の料理、『雲月魚のムニエル オーリカルクを纏って』が運ばれてきた。
残念ながらこの魚は南方地域のものではないけど、さすが南方地域のお方、ララメル女王は魚の召し上がり方がとても綺麗だった。
雲月魚の上に被せられた、オーリカルクを金箔のように薄く伸ばしたものはもちろん、魚の皮一切れ残さずお召し上がりになると、センチュリア伝統の白黒パンを優雅にちぎって口にされた。
「あの石灯籠と婚姻関係を結ぶ方がおかわいそうですわ。きっと褥を共にする日も、女性の月のものやら、あれやこれやを計算してから決めるんですわ。
たまらないでしょうね、色も情もなくあんな男に」
そこまで言うと、ララメル女王は急に言葉を切って、いやなものを口にしたような顔になった。
「どうしましたララメル、パンに何か入っていましたか」
心配になって聞くと、
「いえ、そうではなくてよ。
あの廃屋の夜の営みのことを想像するなんて、わたくし、なんていやしく浅はかなことをしたのだろうと、自分がいやになったのですわ」
『あんな男に』の続きはきっと……私も考えるのが恥ずかしいけど、『抱かれるなんて』とかいう感じにでもなると思う。
それはともかく、冗談抜きでララメル女王もタンザ国王も、ずっとセンチュリアに滞在しているわけにはいかない。
お二人とも一国の君主、『世界会議』に出席するとか正当な理由があるならともかく、宝物庫の鍵の奪い合いを関係ない国(センチュリアのことよ)でしていることが、何かの拍子で公になってしまったら……
確実に各国首脳の笑い者になってしまう。
それどころか、自分の国民にまで冷ややかな眼で見られてしまうかもしれない。
だからお二人には、できるだけ早く母国にお帰りいただいた方がいいのだけど……そうだ!
「ララメル、思いついたのですが」
私が口を開いたとき、肉料理が運ばれてきた。
『センチュリア白毛牛と野菜たちの円舞曲』と名付けられた肉料理は、白毛牛と数種類の野菜を石窯で焼いた、彩り豊かなものだった。
ウエイターの説明によると、五種類のソースを好みでつけて頂くらしい。
この季節のセンチュリアでは、肉料理は煮込みものが多いのだけど、南方地域のララメル女王……先ほどまで涙しておられた美女のために、色鮮やかな料理にしたことが見て取れた。ありがとう料理長。
「なんですのアレク、あの錆びてねじ曲がった鉄塔を、おとなしく母国に追い返す方法でも思いつきまして?」
ララメル女王が期待のこもりまくった眼差しを私に向けてきた。すごくプレッシャーを感じる。
「いえ、そうではないのですが、もしかしたら、宝物庫の鍵をお渡しになられたら、ご結婚の話をなかったことにできるのではないかと思いまして……」
私がそう言うと、ララメル女王はすぐに美しい眉をひそめた。
「アレク」
「はい」
「わたくしは、あの石膏ブロックに二度と! わたくしの国に足を踏み入れられたくないのです」
あああだめか……
すぐさま謝ると、ララメル女王は明るく笑ってくれた。
「あなたが謝ることではありませんわ。
こうなった以上、きっと重臣たちが『世界機構』に働きかけて、わが国に派遣する建築委員を別の方にしてくださると思いますわ」
「ですが……」
私の心配をよそに、ララメル女王は白毛牛にナイフを入れると、
「クラウスのお顔を拝見したら、国へ帰りますわ。
安心してちょうだいアレク。これ以上わたくしのことで、あなたとあなたの国にご迷惑はかけません」
先ほどから怒ったり涙したりしていた様子からは信じられないほど、あっけらかんとしたお顔で白毛牛を美味しそうにほおばった。
こんなララメル女王を見ていると、心配しなくてもよさそうな気もしてくるけど、先ほどのタンザ国王とのやりとりや、タンザ国王のあまりに突飛な求婚話を聞いたら、とても手放しでは安心できなかった。
私が顔を緩めなかったのに気がついたのか、ララメル女王はナイフとフォークを置いて真剣な表情になった。
「アレク、わたくしはね」
その声は華やかでいながらとても落ち着いていた。
ララメル女王が、ご自分の国では国民に敬愛されている君主なのだろうと感じさせるのに、十分な威厳があった。
「このような形であなたの国に参りましたことを、心底悔いています。
本来なら、建築委員会の申し出を断るなど、『世界機構』の会員であればしてはならぬことも、わかっているのです」
ララメル女王の声に初めて聞く色が混ざったような気がした。
「けれど、あの顔を見たら、声を聞いたら、どうしようもなくなってしまうのですわ……」
何かにとまどっているような、ためらっているような、そんな声色だった。
もしかして……いや、そんなこと万に一つもありえないと思うけど、『嫌い嫌いもなんとかのうち』とか、そういう話だったりしたら。
それはそれでいいんじゃない? とちらっと考えたんだけど、
「あの顔を見るだけで、金槌を投げつけたくなりますし、あの声を聞いただけで、胃がむかむかしてくるんですわ! 自分でも止められないのですわ!」
ララメル女王の声が、また荒れたものになってしまった。やっぱりそっちの方向なのね。
こういう嫌い方は『生理的になんとか』なのかしら。
だとすると、どうしようもないけど、お二人にはセンチュリアに滞在されている間だけでも、穏便に過ごしてもらわなくちゃ。
となると、やっぱりお二人が極力顔を合わさないようにした方がいいわよね。
侍女と憲兵隊員たちが、お二人の部屋の配置や明日以降のおもてなしの予定を、いい感じにしてくれてると思うんだけど……
気がつけば、ララメル女王がいつの間にかお皿をすっかり綺麗にしていたので、私も急いで冷めかけた白毛牛をほおばった。
それ以降ララメル女王は、泣かれることなく終始お元気でいらしたけど、タンザ国王への悪口雑言は止まらなかった。
ララメル女王の口からは、夕食を終えてお別れするときまで、『しなびたかかし』『破れたテント』『腐った大黒柱』『建設途中で打ち捨てられ、雑草の生い茂った高架橋』などなど……とにかくタンザ国王を残念な建造物になぞらえる例えがいくらでも湧いて出てきた。よくそれだけ例えられるなあって感心したもの。
ララメル女王と別れると、侍女たちの詰所に顔を出した。
真っ先に聞いたのはお二人の部屋のこと。
お二人の部屋は考えられる限り最高に離されていると聞いて、心の中で安堵のため息をついた。
侍女たちには、お二人のデリケートすぎる関係はくれぐれも他言無用であることを念を押した。
ララメル女王とタンザ国王は貴賓室だけでなく、王宮の廊下でも言い争ったみたいだから、他にも目撃者はいただろうし、既に広まってしまっているかもしれないけど。
他のこともひととおり報告を聞き終えると、マーヤが明日以降のお二人のおもてなし予定表を見せてくれた。
お二人の関係がよくないとわかるとすぐ、国務省の官吏や侍従たちと相談して作り直したらしかった。
既に憲兵隊とも内容のすりあわせをして、お二人の行動がこの予定表通りでも問題なく警護できることまで確認してくれていた。
具体的なおもてなしの詳細は省かせてもらうけど、お二人がなるべく顔を合わさなくて済むスケジュールになっていた。
食事の時間や場所をはじめ、お暇な時間を慰めるための催物も、少しずつ違うものが考えられていた。
一つだけ例を挙げてみると……
同じオーリカルクの加工所見学でも、ララメル女王には、オーリカルクの原石を宝石にする工程や、服の布地にオーリカルクを染み込ませる過程を見学してもらう。
オーリカルクを染み込ませたドレスの試着もしてもらう予定になっていて、貴婦人にとても喜ばれる見学コースになっていた。
一方、タンザ国王には、建築部材に使われるオーリカルクがどうやって加工されるかを見てもらい、そのついでに、オーリカルクが今後どのように建築分野に貢献できるか、将来展望を語ってもらうミニ講演会もお願いしてみよう、という話になっているらしい。
タンザ国王には『ララメル女王から、宝物庫の鍵をもらうためにセンチュリアまで来ました』という訪問理由を隠すためにも、何らかの形で建築関係の講義をしてもらいたいと思っていたから、この話はとてもいいと思った。
タンザ国王も、他人に教えることが嫌いじゃない……むしろとてもお好きなように思うから、丁寧にお願いすればきっと了承してくださるだろう。
マーヤをはじめ侍女や侍従は、日頃は私の身の回りや王宮の管理が主な仕事だし、国務省の官吏もベイリアルの秘書の一人で、外交に関わったことは一切ない。
偉そうな言い方でいやだけど、そんな彼らでも、半ばいきなり訪問してきた他国の君主に対して、細やかな心配りをしてくれていることが、すごく嬉しくてありがたかった。
そして、特別な知識を持っているタンザ国王には、ちょっぴり厚かましいお願いもしてみようかな、という攻めた思いつきにも、いい意味で驚かされた。
彼らのことがとても頼もしく、誇らしく思えた。
マーヤと侍女たちに改めてお礼を言うと、お二人にはこの予定表通りにお過ごし頂くようお願いして、次は憲兵隊の詰所に向かった。
憲兵隊の詰所には、憲兵隊長だけでなくトゥリンクスもいた。
トゥリンクスは憲兵隊長からお二人のことを聞いたらしく、強面の顔を渋いものにしていた。
だけど、既にお二人の不仲は口外しないよう、全隊員に徹底してくれていた。
それだけでなく、お二人の口論を目撃した他の官吏たちや、出入りしている商人まで突きとめて口止めしてくれたそうで、心の底から感謝した。
トゥリンクスのいざというときの対応はいつも早くて、災害や事件のたびに助けられている。
ホルバンいわく『武芸ばか』(!)なだけでなく、将軍として人の上に立つのにふさわしい武人だと思っている。
行幸の直前に厄介ごとが増えてしまってごめんなさいね、と二人を始め居合わせた憲兵隊員たちに謝ると、トゥリンクスも憲兵隊長も豪快に笑ってこう言ってくれた。
「何をおっしゃいます陛下、これしきのこと、皇帝陛下の行幸の警備に比べたら、夏のバカンスのようなものですぞ」
「恐れながら、君主の方々の口論など、普通の職業では滅多に見られるものではありません。いい経験になりました」
二人の発言にどっと笑い声をあげた憲兵隊員たち、そしてトゥリンクスと憲兵隊長の力強い笑顔は、私の心の中に暖かく……それ以上に重いものを残してくれた。
私室に戻り湯浴みなどを済ませると、時計は翌日を回っていた。
ベッドに横たわり、暗い天井を見つめる。
頭の表面では明日の執務の段取りを考えながらも、裏側では別のことがぐるぐる回っていた。
ユートレクトがいなくなってから、彼のことを思わないときはなかった。
彼が今どこでどうしているのか……『俺を信じろ』と言われたものの、最悪の事態も頭をよぎる。
それは、私が彼を信じていないからではなく、主君としてあらゆる可能性を冷静に考えておかなくてはいけないからだった。
彼がいなくなったのにも関わらず、私は自分でも信じられないくらい落ち着いていた。
あくまで私基準だから、他の国家元首の人たちとは比べものにならないけど。
もちろん、右手の薬指で光る指輪や、この前の親友たちとの時間も大きな力をくれている。
だけど、日々の執務ですり減る神経をそばで支えてくれるのは、重臣や官吏たち……王宮で私を『陛下』と呼んでくれるみんなだった。
ララメル女王とタンザ国王の来訪の一件だけを見ても、侍女や憲兵隊が動いてくれなかったら、満足におもてなしもできなかったし、お二人の身に危険が及んだかもしれない。
それに、お二人の滞在中の予定を調整したり、警備計画を考えるのも私じゃない。
他の事や執務にしても全部そう。
私は国の代表として目立つところにいたり、最後に決断を下したりするだけ。
この国のありとあらゆる事柄の形を考え、作り上げ、実行できるようにしてくれるのは、重臣や官吏たちだ。
一つのことを決断を下せるまでに持っていくのが、どれほど大変なことか。
その裏に積み重ねられた多くの人の時間と労苦を思うと、感謝とか申し訳ないとか、そういう言葉では表し切れない気持ちで胸がいっぱいになる。
重臣たちの前で泣いて以来、私は一人のときも泣かなかった。
怒りや負の感情も、私にできる限りでだけど、見せないようにしてきたつもりだった。
私にとって陛下という恐れ多い敬称には、弱音や悲しみ、苦しみ、やるせないほどの怒りを封じ込めるとても大きな力があった。
陛下と呼ばれる身なんだからしっかりしなくちゃ、という単純な精神論だけでは片付けられない……うまく言えないけど、もっと大きな力が宿っている気がしてきている。
それなのに……だからこそ、なのかもしれない。
今でもまだ『陛下』と呼ばれるたびに、内心びくっとしている。顔や態度には絶対に出さないようにしているけど。
平民として育って作られた私の土台みたいなものが、そうさせてしまうんだと思う。もしかしたら、このまま一生慣れないのかもしれない。
私が陛下と呼ばれるのにふさわしい主君かどうか……ふさわしいなんてとても言えない。どう考えても思えない。
ユートレクトが残してくれた『君主が自分に自信を持てないということは、国や民に対する侮辱以外の何物でもない』という言葉は、今になって鋭い剣のように私を内側から突き刺していた。
あの言葉をもらってから何年も経つのに、いくら自分に自信を持とうしても、どうしても持てなかった。
そんな弱くて愚かな私はどうしたらいいのか。
どうしようもないけど、とにかく毎日、私が思いつける限り最善のことをして、後悔のないように全力で進んでいくしかなかった。
右手を目の前にかざす。暗がりでもあの人のくれた指輪は小さく光ってくれた。
この指輪の前で、くじけた気持ちでいるわけにはいかない。
私の弱い思いがあの人にも移ってしまいそうな気がして。
ねえ、どこにいるの、元気にしてる?
三度のご飯はちゃんと食べさせてもらえてる?
拷問とか受けてない?
受けてたら、思いっきりやり返していいからね。こっちから文句言ってやるから!
明後日……もう明日だけど、クラウス皇帝がとうとうおみえになるわ。
首脳会談も他のこともなんとか頑張るから。
皇籍返還、認めてもらえるといいわね!
今回の行幸、ネフレタ教授が同行されているみたい。
あんたたち帝国学士院エリートさまたちが苦しめられた先生って、どんな方かしらね。
あんたたちの悪行をたくさん聞かせてもらえるかしら、楽しみだわ。
楽しみといえば、クラウス皇帝をお出迎えするときの衣装、いつの間に手配してたの?
今日マーヤに初めて聞いてびっくりしたじゃないの。
姉上のお下がりから、よさげなものを探して着ればいいかって思ってたけど、名誉あるクラウス皇帝の行幸だもの、少しくらい贅沢して新調してもいいわよね。予算工面してくれてありがとうね……
どうして今、何かが頬を伝ったんだろう。
慌てて右手をベッドに下ろして、指輪を外すと枕元に置いた。彼に私の涙が伝わらないように。
今日はアンウォーゼル捜査官のことや東十九番街の問題、ララメル女王とタンザ国王の関係、行幸のこと、その他の執務でも、気に病むことが多かったから……?
このくらいでへこたれてる場合じゃないのに。
女王生誕祭のとき、心を入れ替えたはずなのに。
本当に自分がどこまでも情けなくなる。
だけど、それほど心が弱くても。
自分に自信が持てなかろうがなんだろうが、センチュリアの国家元首は私。
弱くて愚かでちっとも成長できていないけど、センチュリアと国民の運命を預からせてもらっているのは、他でもない私だった。
自分のふがいなさにどれだけ腹が立っても、嫌気がさしても、それなのに、みんなは私を支えてくれる。
たとえ私を嫌いでも、お給料のためでも、上からの命令でいやいやだったとしても、こんな私を『陛下』と呼んで、仕事を放棄することなくセンチュリアのために働いてくれる。私に笑顔を見せてくれる人たちもたくさんいる。
そして、彼もこんな私を……女王の私を選んでくれた。
私は何回落ち込めば気が済むんだろう。
どうしていつも同じようなことで落ち込んで、その度に大切なことを忘れているのに気づくんだろう。そんな自分をまた嫌いになって……
これからも私は、何度もこうやって落ち込んだり、自分がいやになったりしてしまう気がしてならない。
そんな自分がいやでたまらないけど、いやならどうにかして自分を変えるか、無理なら落ち込む自分に鞭を打っていくしかない。
だけど、ようやく見えたような気がする。私を支えてくれるみんな、友人たちやあの人に返せることが。
この国王の道は、他の誰でもない私が全て背負って進む。
私がセンチュリア女王であること。
それが今の私にできる……私にしかできないことだった。




