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美女と奇才2

**



 アンウォーゼル捜査官は、その後ずっと姿を見せなかった。


 正午の鐘が鳴ると同時に、キアラさんが一人上機嫌に執務室へやって来て、お兄さまとタナールブータ(『世界機構』の本部がある場所よ)に築く愛の巣がうんたらかんたら……と言っていたけど、アンウォーゼル捜査官がどこへ行ったのかは知らないらしく、黒いイカ帽子を揺らしながら執務室を出ていった。


 今朝のアンウォーゼル捜査官の表情が、声が、忘れられなかった。何か……取り返しのつかないことが起きてしまいそうな気がしてならなかった。

 だけど、執務の波は今日も容赦なく私を襲い、今も凪ぐことがなかった。


 午後の執務が始まってしばらくすると、ザバイカリエがやって来て、年明けから始まった『主要道路交通実態調査』の中間結果を報告してくれた。


 センチュリアにある八本の主要道路は、王宮から東西南北と北東、北西、南東、南西へそれぞれ放射状に伸びているのだけど、このうちの南東の道路がサブスカ王国との交易路になっていて、今回分岐道に拡張整備することが決まっている。


 ここは交易路ということもあって、徒歩での人の行き来も多いけど、それ以上に荷車や馬車での往来がはるかに多いことが改めて明らかになった。

 そのせいか、道沿いには個人の家よりも宿屋や馬の休憩所、工場が多いという。

 そして幸運なことに、周辺に空き地が多く、道路を拡張するための用地取得も、予想していたより難航せずにできそうで安心した。


 なのだけど。


「またその話が出たの?」


 ザバイカリエのある報告に、胃にちくりと痛みが走った。


「はい、現在各地に点在しているオーリカルクの加工所を東十九番街に集約したなら、流通効率も上がり経済活性化にも繋がる、と申しておりました」


 先日、ユートレクトから聞いたことがまた提案されたことに、ついため息をついてしまった。

 ザバイカリエも温和な顔を曇らせている。

 まだ何か言いたいことがありそうな表情をしていたので促すと、重々しい口調でこう告げた。


「私が気になりますのは、これを申している官吏が、わが国の利益を最優先に考えて提案したというよりも、東十九番街の住民を……大変申し上げづらいのですが、非難している点です」


 この提案をした官吏が、どうしたら分岐道を最大限に活用できるかを考えた上で、発言してくれたのならまだよかったのだけど、そうではなかったことに胸が痛んだ。


「あなたがそういう風に感じさせる言動を、提案した官吏が取ったのね?」


 ザバイカリエは、私の見た限りでの判断なので、誤った見解でしたら申し訳ありませんが、と前置きした上で、


「彼の言葉をそのまま申し上げますと……

 東十九番街の連中はいつまで働かずに生活しているのだ。女王陛下から託された復興費用を盗まれ続けて、恥ずかしいと思わないのか。少しは自力で守ろうとも思わないのか。

 今まで盗まれ続けている復興費用は、全てわれわれの税金だ。自分たちが誰に生かされているのかわからない奴らに、この国で暮らす資格はないでしょう……と。

 この発言に、賛同したり頷いたりする者も何名かおりました」

「そう……」


 この官吏の主張には、東十九番街の人たちに対する差別的な感情だけでなく、正論も混ざっていた。

 こちらが渡している復興費用を、一度ではなく何度も盗まれていることは、管理が甘いと言われても反論できないと思う。


 王宮が国の治安を守るべきなのはもちろんなのだけど、何事にも限界がある。

 自分の家の鍵は自分で締めてもらわないと話にならないのと同じで、東十九番街にとって大切な復興費用は、街の住民たちでも守ってもらわないと困る。


 この官吏と同じ意見の人たちがこれ以上増えないうちに、東十九番街の住民には『行い』を悔い改めてもらわないといけない。

 そうできなかったら、彼らの居場所は本当になくなるかもしれない。


 時が経つほど、いろいろなことが人々の目に触れることになる。それは東十九番街の現状も同じこと。


 私が東十九番街で見てきたことが、他の国民にも知れたら。

 それでもあの街を支えよう、助けようと思う人はいるだろうか?


 ユートレクトはいないけど、明日の御前会議で東十九番街を視察してきたと話してみよう。

 もともと重臣たちには報告しようと言っていたし、これは私が話しても問題ないはず。トゥリンクスに怒られるのは覚悟しておかなくちゃ。


 それと、彼も含めた重臣のみんなが、私を気遣って東十九番街の現状を言わないでおいてくれていたことにも、お礼を言おう。


 ……それだけのことを考えてから、私は改めて口を開いた。


「その提案は、今のところ認めるつもりはないわ。第一、加工所を全部東十九番街に移設するだけの予算がないものね」

「……はい、おっしゃる通りです」


 なるべく感情が表に出ないよう努力した返答に、ザバイカリエは少し意外そうな顔をしたように見えた。私がもっと怒りや悲しみをあらわにすると思っていたのかもしれない。


「東十九番街のことは、明日の御前会議でも議題にあげるわ。みんなに聞いてもらいたいこともあるし、そこで改めて話し合いましょう。報告どうもありがとう、お疲れさま」


 続けてつとめて冷静にそう言うと、ザバイカリエはいつもより深く頭を下げて、執務室を出ていった。


 言葉にできない思いが心を埋め尽くす。


 東十九番街の住民には、これ以上同じ国の人たちを騙したり、あざけったりしてほしくない。

 どうしたら、彼らに気づいてもらえるだろう。自分たちの行いこそが、彼ら自身の地位を貶めていることに。


 先代、先々代……それ以前のセンチュリア国王たちもずっと、東十九番街のことを思い悩んでいたんだろうか。

 それとも、ずっと見て見ぬふりをしてきて、今のような状態になってしまったのか……


 統治する側もされる側もこのままじゃいけない。

 東十九番街の問題は、私の治世で終わらせる。


 改めて大きな問題に心を重くしていると、


「陛下、陛下はいらっしゃいますか!」


 憲兵隊長の明らかに焦っている声に、いやな予感警報がやかましく鳴り始めた。


「どうしたの、今度はどこのお偉いさんが騒ぎを起こしたの?」


 冗談のつもりで言ったのだけど、次の瞬間あることを思い出した私は、地平線のかなたまで届きそうなくらい気を滅入らせた。


 ごくごく近いうちに、センチュリアにいらっしゃる人たちがいたわね、二名さま。


「ファレーラ王国のララメル女王陛下と名乗るご婦人と、タンザ王国のハーラル国王陛下を名乗る紳士が、なんとしても陛下にお目通りを願いたい、と仰せなのですが、お二人とも自分が先に陛下とお話をするのだと譲らず、口論になっておりまして……いかがいたしましょう」


 今日は騒がしい日になりそうだった。




 ララメル女王とタンザ国王の因縁は、去年の『世界会議』六日目に開かれた大舞踏会で作られた……といっても、そう思っているのは恐らくララメル女王だけで、タンザ国王は全く気がついてないと思う。


 『世界会議』の大舞踏会で、ララメル女王がお気に召されていて同伴されていた殿方を、タンザ国王が呼び止めて自分の談笑の輪に連れていってしまったのが、全ての始まりだった。


 あのときのララメル女王の怨念の深さは、忘れられないわ。手紙にもタンザ国王に対する負の感情があふれ出てたもの。


 その二人が、偶然にも同じ日、同じような時間にセンチュリアに到着して、しかもどこかでばったり出会ってしまったらしいのは、不幸としか言いようがなかった。


 憲兵隊長から激しい口論をしている紳士淑女の特徴を聞くと、二人はララメル女王とタンザ国王で間違いなさそうだった。

 お二人を貴賓室にお通しするように言うと、机の上に広げていた書類を片づけてから貴賓室に向かった。


 本当はもう一つ上の格調高いお部屋があるのだけど、そこは明後日のクラウス皇帝との会談で使うことになっている。

 既に侍従侍女たちが、調度品のセッティングを完璧に済ませているから、そちらに入ってもらうのはやめておいた。


 あ、誰かと会うなら謁見の間もあるわね。

 でもね、こんな風に言うと偉そうでいやなんだけど、あそこは私より身分が低い方と会うときの場所なの。だから、同じ元首であるララメル女王やタンザ国王、ましてクラウス皇帝とお会いするときには使えないのよ。

 貴賓室はちょっとこぢんまりしてるけど、昔からある部屋で重厚感もあるし、調度品もいいものばかりだから、お二人にも失礼にならないと思う。


 あの二人を連れて行った憲兵隊長の安否を気遣いつつ足を早めていると、貴賓室まであと少しのところで、


「先に無礼を働いたのは、そちらではありませんか!」


 聞き覚えのある華やかな声が耳に届いた。

 華やかなんだけど、明らかに怒りの念がこめられている。


 でもちょっと待って。どうしてこんなにはっきりと、ララメル女王の声が聞こえるの?


 慌てて貴賓室の前まで行くと、扉が閉まっていることを確かめた。

 うん、確かに閉まっております。

 それだけララメル女王の声が大きかったってことね……と思いながら、貴賓室に入ろうとしたのだけど。


 ドアノブを回さないといけないはずの手が、どうしても上がらなかった。

 本能がこの中で起きていることに巻き込まれたくない、と感じたからに違いなかった。


 そうやって理性と本能のはざまでまごまごしていると、


「私の何が無礼だというのだ。

 先ほどからのきさまの言動には、品性のかけらもない。女が発したものとも到底思えん。

 まさかきさま、女のふりをして実は男なのではあるまいな」


 涼しげで落ち着いているのだけど、ほんの少しだけ高圧的というか、上から風味な声が聞こえてきた。

 ララメル女王の音量よりは小さいけどよく通る声音は、タンザ国王のもので間違いなかった。

 タンザ国王の火に油を注ぎまくる発言を耳にして、私はいよいよ貴賓室に入る気をなくした。


「まあ、淑女に対してなんという侮辱!

 自分で言うのもおこがましいですけれど、世の人々はわたくしのことを、南国三大美女の一人に数えてくださいますのよ。

 そんなわたくしに向かって、こともあろうに男とは!

 女に相手にされない男のひがみは見苦しくてよ」


 憲兵隊長は『激しい口論』って言っていたけど、正確に言うと声を荒げているのはララメル女王だけだった。

 タンザ国王は言っていることは辛口なんだけど、口調は至って冷静で、それがかえってララメル女王の怒りを煽っている気がする。


「きさまのような歩く拡声器のような女など、こちらから願い下げだ」

「あらいやだ、こちらこそ、古びた図書館のかびくさい書庫で眠っているだけの、倒壊した建物の設計図のような男に用はありませんわ!」


 二人とも、一国の君主としては、もう十分失礼な言葉をお互いに浴びせていらっしゃる。


 これ、一体どうやって止めろっていうのよ。私には無理だからしばらく様子を伺うことにしよう。

 うん、それがいいわ、それがいい。


「私が設計図なら、きさまはそのへんの露店で売られている、頭の程度の低い女が好きこのんで愛読している、中身の薄い桃色表紙の本文……ですらない。さしずめいかがわしい広告だな」


 やたら具体的な例えだけど、タンザ国王はどうして下々の、しかも女子が好んで読む本のこと知ってるのかしら。


 桃色表紙っていうのはね、思春期から結婚前くらいの年頃の女子が好きそうな恋愛話とか、ちょっとセクシーでかっこいい殿方の絵姿とか、『夜の帝王学』の庶民版みたいな知識が載ってる雑誌のことよ。

 そこに載ってるいかがわしい広告っていったら、『このブレスレットで彼が振り向きました!』とか、『これをつけて寝るだけで明日からあなたも巨乳に!』とか、そういうたぐいのものね……


 それはともかく、この例えには、さすがのララメル女王も誇りを傷つけられたようだった。ララメル女王が下々の読む桃色表紙を見たことがあるかはわからないけど。


「なんですって!? この建築ばか!」


 さっきからの台詞とは明らかに違う、修飾形容もへったくれもない直球すぎる暴言に、


「黙れ、年中発情女!」


 タンザ国王も理性をかなぐり捨てたようだった。


「発情もできないような男に言われたくはありませんわ!」

「発情しかできん獣は、人間になってから人語を話すんだな!」

「それを言うなら、石と木でしかできていない、面白味のまるでない建造物は、自力で動けるようになってから人間に物申すことね!」


 貴賓室が人通りのほとんどない王宮の外れにあって、本当によかったと思った。こんな悪口大会、官吏や王宮に出入りしている商人たちに聞かれたら、ファレーラ王国とタンザ王国の面目丸潰れもいいところだもの。


「自分を人間だと勘違いしている愚か者……いや、愚かな獣がここに一匹いるな。憲兵隊長、そやつを今すぐつまみ出し、檻にでも入れておいた方がいいぞ」

「憲兵隊長! このあばら家をすぐさま解体して、国外に撤去してちょうだい、今すぐに!」


 そうだ、憲兵隊長のことすっかり忘れてた!


 いくらトラブルのエキスパートである憲兵隊長でも、この状況に一人置いておくのはかわいそうすぎる。

 私はノックもそこそこに恐怖の部屋の扉を開けた。


 喧騒うずまく貴賓室の中にいたのは。


「まあアレク! ようやくお会いできましたわ! 聞いてくださる? この木材の虫が」


 美しいお顔を真っ赤にして怒りをたぎらせているララメル女王と、


「おお同志、久しいな。このあばずれ女の言うことに耳を貸してはならんぞ。同志の耳が汚れるゆえ」


 ララメル女王の言葉をさえぎって、またも業火に爆薬をぶちこむタンザ国王。


 そして、頼むから通常任務に戻らせてください、お願いですもう勘弁してください、今年はわが国の厄年ですか……と、かつて見たことない悲痛な顔で私に訴えかける憲兵隊長だった。

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