美女と奇才1
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次の日。
今週の金曜日、いよいよクラウス皇帝がセンチュリアにおみえになるせいだろう。官吏たちの様子が普段とは明らかに違っていた。
私に書類を持って来た官吏たちも、どことなく落ち着かないように見えた。
ちなみに、覚悟してた通り、国務省以外の官吏にも『陛下』と呼ばれるようになったけど、官吏たちがそわそわしてるのは、それだけが原因じゃないと思う。
特に女子たちの浮足立ちぶりが半端ない。クラウス皇帝が男前だという噂が、侍女たちから飛び火したのに違いなかった。
それはさておき、ローフェンディア皇帝という、世界最高の賓客をおもてなしするなんて滅多にないことだから、クラウス皇帝が男前ということを差し引いたって、官吏たちがどきどきそわそわするのも無理ないと思う。私もすごく緊張しているし。
しかも、ものすごく怖いことに、早ければ今日にでもララメル女王とタンザ国王がセンチュリアにやってくる。
タンザ国王の手紙には今週中にこちらに着くと書いてあったし、ララメル女王から届いた手紙を見ると、今日明日にでもセンチュリア入りなさりそうだった。
国賓クラスの人物がこれほど一度にセンチュリアを訪れるなんて、過去にも例がないことですじゃ、とベイリアルも言っていた。
ララメル女王とタンザ国王がいつ来られても、忙しくなるのに変わりはないんだけど、二人がクラウス皇帝と同じ金曜日に来ようもんなら……恐ろしすぎて想像したくもない。
もし、クラウス皇帝がこちらに滞在している間に、ララメル女王とタンザ国王がおみえになったら、四人で会食しようという話はつけてるんだけどね。
実は、この話をローフェンディアに提案するときも、すっごく気を遣ったんだけど、振り返ると長くなるからやめておくわ。とにかく、クラウス皇帝がお優しい方で本当によかったと思う。
行幸でのおもてなしを執りしきるのは国務省なので、大臣のベイリアルと国務省の官吏たちを中心に、王宮の管理と私の身の回りを世話してくれている侍従侍女、皇帝陛下にお召し上がりいただく料理を任された料理人たち、果ては庭園の管理人や家畜の飼育係に至るまで、国務省全体がまさに右往左往していた。
あ、家畜の飼育係っていうのはね、先代国王の頃から飼っている馬とか牛とか池の鯉とか、王宮に住まう生き物たちのお世話をしてるおじいさんよ。
このおじいさんと馬さん牛さんたちは、直接クラウス皇帝にお会いすることはないと思うけど、『いつ何時、皇帝陛下にご覧いただいても見苦しくないよう、毛並みも整えておきますでのう』と、おじいさんも張り切ってくれているのよ。もちろん覚えなくていいからね。
えっと、話がずいぶんそれたわね、何の話だったかしら。
国務省のみんなが忙しくしてるって話だったわね。
そうそう、とにかく今は、国務省だけじゃなくて王宮全体がばたばたしてるのよ。
国務省がかつてなく忙しくしてる一方で、『主要道路交通実態調査』の中間報告が先日まとまった。
最高責任者のユートレクトがいなくなったことで、決裁しなくてはいけないことが大幅に増えたザバイカリエも、ここ連日夜遅くまで王宮に詰めていた。
もちろん他の重臣たち……警備体制に気を抜けないトゥリンクス、年度末が近いのでこの時期はいつも忙しいカルガートも、張り詰めた中で執務をしている。
療養中のホルバンも、復帰したらたまっている業務を処理するのに、さぞかし忙しくなるだろう。
私も他人の心配をしている余裕はなかった。
クラウス皇帝は今回『行幸』ということでおみえになるのだけど、オーリカルクの鉱山を見学してもらって、名物料理に舌鼓を打ってもらう……だけじゃないのよ。軽くだけど首脳会談もあるので、決して気は抜けない。
私はどうも、クラウス皇帝はいろいろと知っている気がしてならなかった。
つまり『世界機構』がユートレクトに通達を出したこと。
そうでなければ、いくら私やユートレクトと親しいからって、わざわざ小国の、しかも外交上特に問題のないセンチュリアを行幸先に選ぶとは考えにくかった。
ローフェンディア帝国からすれば、他に訪れておいた方がいい国はいくらでもあるし。
ローフェンディアが送ってくれた資料を見ると、今回の行幸では北方大陸地域を特に重点的に回るみたいので、センチュリアに寄るのはおまけっぽいのよね。
それなら、うちよりあの国に寄った方がいいんじゃないの、と思う国もあるのよ。
そういう訪問した方がいい国をほっといてでも、センチュリアに来てくださるということは、それだけ何かあるんじゃないかと勘ぐってしまう。
クラウス皇帝が書簡に書いていらした通り、センチュリアは気を遣わなくて済む憩いの場だと思ってくれているなら、それはそれでいいんだけど。
でも、なによりもね。
一番重要なこととして書状に書かれていた、『二人に迫っている危機について、他言できぬ情報を入手した』という文面が全てを物語ってると思う。
超大国の皇帝陛下ともなると、『世界機構』の動きくらい把握しているものなのかしら。
『世界機構』の職員の詳しい職務は表向き極秘で、通達の発令も中身も、当事者しかわからないことにはなっているけど……
もし、クラウス皇帝が少しでも何か知っているなら、ぜひとも教えてもらいたかった。
ユートレクトに他国を巻き込むなとは言われているものの、情報は喉から手が出るほど欲しい。
クラウス皇帝やローフェンディアに危害が加わらない範囲で構わないから、教えてもらえるといいのだけど……虫がよすぎると言われたら反論できない。
こんなとき、外国との交渉ごとがうまくできたらいいのだけど、今のところ私はそこまで切羽詰まった状況になったことがない。
中央大陸地域や永世中立国の元首の皆さんもいい方が多くて、あんまり困ったことがないのよ。
ユートレクトから外交で大切なことを教わってはきたけど、それを本格的に自分の中で形にして、他国の元首にぶつけたことはまだなかった。
そんな私が、私と比べたら確実に百戦錬磨のクラウス皇帝から、有益な情報を引き出したりできる自信はまるで湧いてこない。
……なんてことを考えながら、執務室でいつものように経済カルテに目を通していると、
「おはようございます陛下、今日も寒いですなあ!」
「まったく、この国の寒さは本当におぞましいわ。シゲロン社の肌着がなくては、耐えられなかったに違いないわ」
いつものように、アンウォーゼル捜査官とキアラさんが騒がしく朝の挨拶にやってきた。
「おはようございます、お二人ともお風邪など召されていませんか」
こちらも席を立って挨拶をすると、アンウォーゼル捜査官は心配ご無用、と笑って見せて、
「ところでキアラ、シゲロン社の肌着とはそんなに暖かいのか? 初めて聞く名前だが。
マンリーン社の肌着もいいぞ。特に下半身に履くあれは、雪山でのスポーツにもってこいだ」
「そうね、マンリーン社の肌着は発汗作用が素晴らしいから、運動の時にはいいと思うわ。
でもね、シゲロン社の肌着の秀逸なところは、体温を外に逃さない保温性なのよ。デスクワークの多い私には、こちらの方が向いているみたい」
キアラさんと二人、肌着論議に花を咲かせ始めたので、おとなしく聞いておくことにした。
もちろん、シゲロン社もマンリーン社も聞いたことない会社よ。
ちなみに、私だけでなくセンチュリア国民の皆さんは、オーリカルクを練りこんだ生地で作った肌着を愛用しているので、恐らく世界で一番暖かく冬を過ごしていると思うのだけど、今キアラさんたちに言うと、あれこれうるさそうだからやめておく。
二人の口から、合わせて五社くらいの肌着会社の名前が出たところで、この話題もひと段落ついたらしかった。キアラさんは、
「では、あなたの家にお勧めの肌着を送っておくわ」
と言うと、意気揚々と去っていった。
もちろん『あなた』というのは、私じゃなくてアンウォーゼル捜査官のことよ。
アンウォーゼル捜査官は、ああよろしく頼む、とキアラさんの背中にひらひらと手を振ると、ややまじめな面持ちで私に向き直った。
「陛下はどう思われますか?」
そう問われて、
「肌着のことですか? 申し訳ありません、私、身の回りのものには無頓着で」
と答えた私を責める人はいないと思うのだけど、アンウォーゼル捜査官は違いますよ、と苦笑して首を振った。
「では何のことでしょう」
「奴のことですよ」
アンウォーゼル捜査官の声に隙のない響きを感じて、心の中で身構えた。
「陛下、ご無礼を承知で申し上げますが、本当に奴がどこへいったのか、ご存知ありませんか」
「ええ、私が教えてもらいたいくらいです」
私の即答にアンウォーゼル捜査官はそれ以上私を追求しなかった。その代わり、というにはいささか大きな爆発物を投下した。
「キアラがね、奴が『世界機構』に連行されたなどと言うのですよ。おかしな話です。
それならば、通達を託された私に連絡がない訳がありませんからね」
「……なぜそんなことをおっしゃったのでしょう」
私は慎重に言葉を選びながら口を開いた。
キアラさんは『世界機構』の職員とはいえ、本来なら通達のことを知らないはずなんだから。
そうではないと私が知っているのは、キアラさんがユートレクトと話しているのを盗み聞きしたからにすぎない。
アンウォーゼル捜査官が、何を考えて今更私にこんなことを言ってくるのかわからない以上、用心に用心を重ねておかないといけなかった。
私が心の中のおそまつな城に急いで防御壁をはりめぐらせていると、アンウォーゼル捜査官は、急ごしらえの壁をぶち破る大砲を打ってきた。
「キアラはね、今回私を説得してくれるよう、上から頼まれたそうです。
そして奴を本部諮問機関代表理事に就けようと、穏健派と画策しているようです」
キアラさん、ユートレクトに言ったこと、そっくりそのままアンウォーゼル捜査官にも言ったんだ。
それは、キアラさんにとって、アンウォーゼル捜査官は大切な友達だもの。自分の立場をさらけ出してでも説得したいと思うのもわかる。
キアラさんの気持ちを考えると心が痛んできたのだけど、ふと開け放たれたままの執務室の扉が目についた。
こんな会話を一般の官吏に聞かれるわけにはいかない。
動揺が顔に出たのだろう。アンウォーゼル捜査官は私の視線の先を見ると、察したように頷いた。
そして、もう終わりますから、と言うと言葉を継いだ。
「陛下が本当に何もご存知ないのはよくわかりました。
仮にキアラの言うことが本当だとして、彼女も全てを知っているわけではないと思います。
ですが、奴が『世界機構』の関係で姿を消したことは、間違いないと私は見ています」
アンウォーゼル捜査官の瞳に、ほんの一瞬だけれど、先日食堂で見た不穏なきらめきが宿った気がした。
「アンウォーゼル捜査官」
一礼して去ろうとした彼を、呼び止めてしまったのはどうしてだろう。
振り向いたアンウォーゼル捜査官の顔が、優しさと決意に満ちていると感じたのは。
「いつか申し上げました。
あなたに誓って卑劣な真似はしないと。
私のいないところで奴の命が飛ぶようなことはさせません、絶対に」
この言葉が、悲しいほどに真実だと本能で悟ったからに違いなかった。




