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残されたもの2

**



 マーヤが私とユートレクトの間にあったごく私的なことを、他人に言うはずはない。

 ベイリアルが私を陛下と呼ぶことにした理由が、まさかマーヤと同じだなんて考えたくないのだけど……


 私は席を立つと、給湯室にある鏡を覗き込んだ。そこにはいつもと変わらない自分の顔があるだけだった。


 たった一度、そんなことになっただけで、顔つきが変わるなんて思えない。

 だけど、わからないのは当人だけで、実はみんなに丸わかりだったりするんだろうか。自分がそういう方面で鈍感だとわかってるだけに否定しきれない。


 恥ずかしさと憂鬱を募らせていると、聞き慣れた声がした。


「陛下、お呼びでございますか」


 陛下という響きにげんなりしながら給湯室から出ると、いつものベイリアルが立っていた。


「じい、早速来てくれたのね、ありがとう」

「いやいや、一番華やかなあの文のこととあっては、すぐさま馳せ参じなくてはと思いましてのう」


 今日もとぼけた調子のベイリアルは、私が勧めると少し曲がった腰をソファに落ち着けた。


 執務室のドアを開けているので、ララメル女王とタンザ国王の件や、ユートレクトがしばらく戻ってこないことは、固有名詞なしで伝えた。


 ベイリアルはララメル女王がセンチュリアを訪れることにも驚いたけど、じいめよりもっと胃が痛い思いをするのはトゥリンクスでしょうな、と笑った。

 ララメル女王とタンザ国王の関係から察するに、宿泊してもらう部屋も離した方がよさそうだとなれば、警護の手間も余計に増える。


「それよりもひ……いえ陛下、かの方はどこにおいでになられたのでしょうな」

「私も全然聞いてないのよ」


 今の私たちには、こちらの件の方が重大だった。


「この件は私から直接みんなに知らせたいから、今日全員が集まれる時間を調整してもらえないかしら」

「かしこまりました、陛下」


 私がそう告げるとベイリアルは、それではみなに確認できましたら時間をお知らせにあがります、と言ってソファからゆっくり腰を浮かせた。


「じい」

「はい陛下」


 聞くなら今しかないと思った私は、最長老の臣下を引き止めた。


「どうして私のこと、突然陛下って呼ぶことにしたの?」


 ベイリアルが浮かせかけた身体を止めた。


「さっき書類を持って来てくれたあなたのところの官吏も、少し不思議に思っているみたいだったけど、私も同じ気持ちよ。いやというわけではないけど、どうして?」


 つとめてあまり気にしてないように言ったつもりだったけれど、ベイリアルにはどう聞こえただろう。

 不安に思いながら返答を待っていると、予想していなかった台詞が返ってきた。


「……少し前から陛下とお呼びすべきだと、考えておったのですじゃ」


 ベイリアルは大体とぼけた機嫌よさげな表情をしているのだけど、こんなに優しい顔を見たことは今まで一度もなかった。


「今だけ姫さまとお呼びすることをお許しくだされ。

 姫さまは国王になられて今日まで、並々ならぬ努力を重ねてこられた。

 それが昨年『世界会議』にご出席されたことで、恐れながら、一国の君主として花が開かれたような気が致しましてのう」


 昨年の『世界会議』ではたくさんのことを学んだ。

 特に自国のことだけでなく、世界の中でセンチュリア王国がどのような立場にあるのか、何をしていくべきなのかを改めて考えさせられた。それから……

 心の中で頭を振った。今は考えない方がいいことが脳裏に湧いてきそうになったから。


「そんなことないわ、私なんかまだまだ」

「いえ、姫さまは本当に頼もしくなられました。今朝お顔を拝見して、改めてそう思ったのです。

 これでじいめはいつ引退しても安心ですじゃ」


 そう言って笑ったベイリアルの顔には、出会った頃よりもたくさんの皺が刻まれていた。

 その皺のほとんどが私のせいで増えたのだと思うと、申し訳なさで胸が一杯になった。


「ごめんなさい、今までずっといっぱい迷惑かけて。これからも迷惑かけるだろうし」


 ベイリアルも私が主君でなければ、引退間近でこんな一大事に巻き込まれることもなかったかもしれないのに……


 こみあげてくる思いで喉が詰まってそれ以上話せないでいると、ベイリアルはかっかっかっと明るく笑った。


「なんのなんの、かのお方からの無理難題に比べれば、姫さまからのご依頼は、庭の草木に水をやるような心温まるものですじゃ」


 かのお方……ユートレクトと仕事柄一番話すことが多い重臣は、ベイリアルだった。


 二人で打合せをした後には、よく『寿命が半年縮まり申した』とか『今夜眠ったあかつきには、枕元に宰相閣下がおでましになられそうですじゃ』なんてぼやいていた。

 いつも飄々としているので、無理難題にぶち当たったら、さりげなく他人に押しつけそうな印象もあるのだけど、もちろんそんなことはなく、最後にはいつも確かな判断を下してくれている。

 ユートレクトも『あのとぼけた好々爺』だの『ごきげんじいさん』だのと言ってはいても、本気でベイリアルを罵ったことはなかった。


 ベイリアルの悪態をつく人の声が頭の中で再生されたところで、とうとう涙腺が切れそうになったけど、今はまだ泣けない、今は。


「……代わりに私が無理難題を言い出すかもよ?」


 涙声になるのを堪えたつもりだったけど、うまくいったとはとても言えなかった。

 だけど、ベイリアルは気づかないふりをしてくれたみたいだった。


「それは恐れ多い、ますます陛下とお呼びせねばなりますまいて」


 そして、会話を終わらせるように再びソファーから立ち上がった。


「陛下、わしと同じように考えておる者は他にもおりまする。

 官吏の中にも、最近姫さまはお変わりになられた、と申しておる者もおりますれば、陛下は堂々と陛下とお呼ばれになられればよろしいと、じいは思いますぞ」


 部屋の外が少し騒がしくなってきた。もしかしたら、またどこかの官吏が書類を持って来たのかもしれない。

 だから、これ以上この話はしない方がいいし、長い台詞は言えないけど、


「じい、いつも私を見ていてくれてありがとう。

 じゃあお言葉に甘えてありがたく呼ばれるわ。恥ずかしいけど」


 感謝の言葉を口にしたところで、財務省の官吏が入室してきて、ベイリアルを見て恐縮しながら会釈した。

 最年長の重臣はそんな官吏と私を交互に見た後、官吏に返礼すると、


「では陛下、また後ほど」


 いつものとぼけた調子に茶目っ気を大盛りにした顔つきでそう言って、ゆっくりと執務室を出ていった。


 残された財務省の官吏の反応から察するに、私を『陛下』と呼ぶことにしたのは、今のところベイリアルと国務省の官吏だけらしかった。

 その財務省の官吏が私を姫さまと呼んでいいのか、陛下と呼ぶべきなのか、迷った結果どちらも一回ずつ口にして私に書類を差し出すと、いつもの三倍は余計におじぎして執務室を出ていった。


 ベイリアルが私を陛下と呼ぶことにしたのは、マーヤとは違う理由だったので、そのことには安心できたけど……


 自分が『並々ならぬ努力を重ねて』きたとか、『堂々と陛下とお呼ばれになられればよろしい』とは、とても思えなかった。


 本当はとうの昔……即位した時点で陛下と呼ばれていないといけなかった。

 なのに、今まで姫さまとしか呼ばれてこなかったのは、みんなが私に親しみを感じてくれているから、というと聞こえはいいけど、私が陛下と呼ばれるだけの度量を備えてないからに他ならなかった。


 個人的には……陛下っていうと、正直おじさん臭い感じがするから抵抗があるんだけど、自分がそんなこと言える立場じゃないのはよくわかってる。

 (だけど、ここだけでいいから言わせてね。全世界の陛下の皆さん、ごめんなさい!)


 それでも、こんな私でも。


 長年私のそばにいてくれるベイリアルが、重臣官吏の中で最初に陛下と呼んでくれたのは、とても嬉しかった。

 その信頼の気持ちに応えるためにも、早く陛下の称号にふさわしい君主になろう……なるんだ。


 今日も慌ただしい一日になりそうだと考えながら、暦に目をやった。

 今日のとなりの日付……明日は赤字で書いてある。私の誕生日だからだ。明日センチュリアは祝日になり、市街地は国民の皆さんの手でお祭りムードに染められる。


 私の心はお祭りとは真逆のところにあるけど、明日は午後から休暇を取って、友人たちと会うことになっている。

 執務もたまっているのだけど、どうにか休める目処めどがついた。友人たちに会えることは滅多にないから、少し前から頑張っていた甲斐があった。


 女同士で盛り上がるのは恋の話だけれど、私の場合、ユートレクトが『世界機構』に連れて行かれたことはもちろん言えない。

 そもそも、友人のほとんどは私が彼を異性として見ていることを知らないから、そちら方面の話はするつもりもなかった。


 ……明日は聞き役と食べ役に徹しよう。


 こみあげてくる色々な気持ちを押し殺して心の中でつぶやくと、私は執務を再開させた。




 それからは普段通りの時間が過ぎていった。


 定時近くにアンウォーゼル捜査官とキアラさんが執務室を訪れて、ユートクレトがいないいないどこいった! と大騒ぎした以外は、忙しいけど平穏に一日が終わった。


 アンウォーゼル捜査官は、ユートレクトが『しばらくの間調査に出かけました』(私談)なんてこと、信じてないだろう。

 だから探りを入れてくると腹をくくっていたのだけど、拍子抜けするくらい何も聞いてこなかった。

 私が大して情報を持っていなさそうな顔をしていたからかもしれない。実際、情報なんてほとんど持ってないから知っていそうな顔をしようとしてもできない。


 キアラさんも、さんざんっぱら私にわめき散らしたけど、知らぬ存ぜぬを通していたら、


『まあ、あなたのような女王の端くれが、兄上の深謀遠慮を知ることなど、できるはずもないわね』


 とキアラさんらしく納得してくださった。


 重臣たちと話し合える時間が持てたのは、夕食どきになってからだった。


 まず、ララメル女王が近日中に来国する旨を伝えると、みんな一様にため息をついた。

 今週の金曜日にはクラウス新皇帝がわが国にお見えになる。そのうえ、タンザ国王とファレーラ女王も訪れるなんて、センチュリア王国史上前代未聞のことだった。


 トゥリンクスはもう悪態をつく気にもなれないらしく、最近育毛剤の買いだめをしていると言って、まだ毛がふさふさしている頭を指でマッサージしてみせた。


 私がララメル女王と懇意になったばかりに、こんな難しい状況になってしまったのかと思うと、臣下たちには申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 せめて、タンザ国王とララメル女王に親しみを持ってもらおうと思って二人のエピソードを話すと、笑いながら聞いてくれたのが救いだった。


「個性のお強い方々のようですねえ。

 そういう方同士こそ、何かのきっかけで和解できれば、親しい関係になれると思いますがねえ」


 カルガートが人のよさそうな笑顔で言ったけど、手紙の文面からしても、とてもあの二人が仲良くできるとは思えなかった。


 そして、ユートレクトの長期出張(?)のことを話すと、みんなの顔から笑みが消えた。


「どちらへ行かれたのか、本当にお聞きになられていないのですな」

「ええ、しばらく姿を消す、心配は無用だとしか言わなかったわ」


 トゥリンクスの鋭い眼光にひるみそうになったけど、重臣たちにも言うなと口止めされていたし、私もみんなには知らせない方がいいと思っていたので、本当のことを伝える気はなかった。


「あれの関連であることは間違いないと思いますが……」


 カルガートが太い眉を寄せた。


「それにしても、この時期に出奔されるとは!

 宰相閣下なくして、わしはどうやって、天下のローフェンディア皇帝陛下と対峙すればよろしいのじゃ」


 ベイリアルの嘆きはもっともだった。

 私だって、たまたまクラウス皇帝とお話する機会に恵まれたから緊張せずに話せるようになっただけで、全く接点がなかったらユートレクトに頼り切ることになっていたと思う。


「大丈夫よ、交渉ごとをするわけじゃないんだから、普通にお話すればいいのよ。

 それに、たとえユートレクトがいたとしても、王宮内のご案内はあなたにお願いしたと思うわよ。よろしくお願いするわね、頑張って!」


 八の字眉毛で私を見つめるベイリアルに、私は声援を送った。


「ひ……陛下、じいめはまた寿命が縮まりますじゃ。

 こうなればいっそ、行幸の当日、宰相閣下の霊体か何かがじいめに取り憑いてくれませんかのう。さすれば、口も軽やかに回るじゃろうて」


 いつもなら笑いが漏れる発言に誰も笑わなかったのは、ベイリアルが私を陛下と呼んだせいだと思った。


「もしベイリアル卿が宰相閣下に取り憑かれたら、どんな風に振舞われるのでしょう……少し気になりませんか陛下?」


 会議の場では冗談を言ったことがないザバイカリエが、遠慮がちに口を開いた。


「いや、たとえ宰相閣下が幽体離脱されたとしても、ベイリアルに取り憑こうとは思うまい。取り憑くとしたらうら若き陛下のような方にだな」

「私が取り憑くなら、女性よりも男性の若者に取り憑きたいですな。そして陛下のように素敵な女性とデートしてみたいものです」


 トゥリンクスがひげを撫でながら言うと、カルガートが嬉しそうに自分の希望を述べた。


「カルガート、おまえのことなぞ聞いておらん! 外見がどうであれ、陛下が貴殿のような中身の男と付き合うものか!」


 それに怒号をあげるトゥリンクス。


 普段の会議終わりの雑談と違うのは、私を指す呼称と、みんなの少しだけ照れ臭そうな表情だった。


「陛下」


 ベイリアルの声と同時に重臣全員が椅子を引いて立ち上がり、私に向き直った。

 慌てて私も立とうとすると、トゥリンクスがそれを制した。


「たとえ宰相閣下がおられずとも、われら重臣官吏一同、粉骨砕身、この身を呈して陛下をお守り致す所存」

「陛下はいつもと変わらぬ陛下であらせられませ」


 トゥリンクスの無骨な言葉の後を、カルガートが継いだ。

 ザバイカリエがもったいないくらい深々と頭を下げると、みんなもそれに倣った。トゥリンクスは武人らしく最敬礼を取った。


 こんな時、どんな言葉を口にしたらいいんだろう。

 どうしたら私の感謝の気持ちをみんなに伝えられるだろう。


 私は立たずにはいられなかった。

 みんなに止められても、頭を下げずにはいられなかった。

 ありがとうと言わずにはいられなかった。


 もう、泣かずにはいられなかった。




 私はだいじょうぶ。このみんながそばにいてくれるから。


 これから『世界機構』やペトロルチカが何をしてきたって、必ずこの国を守り抜く。

 私と国民のみんなと……あなたの幸せのために。


 だから。

 必ず戻ってきて。


 私のいるこの国が、あなたの帰る場所だから。

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