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星の向こう側4

****



 慌ただしく昼食を終えると、私たちは空になった焼きそばの入れ物などの始末をしてから、池の上を滑ることにした。

 別荘に氷の上を滑るための専用の靴も置いてあったので、ありがたく貸してもらうことにした。


 初めのうちは、転びはしないものの、なかなか思うように足が運べなくていらいらした。ユートレクトが『二十数年ぶりだ』とか言いながら、最初からうまく滑っていたせいもあったと思う。

 そのせいで、私のいつもは多くない対抗心に火がついたのか、あまり時間をかけずに昔のように滑れるようになった。

 氷の上でくるくる回ったり、どちらが早く滑れるか競争したりしているうちに、陽の光が薄くなってきたので別荘の中へ入ることにした。


「二時間弱滑っていたのか、結構な運動になったな」


 ポケットから懐中時計を出したユートレクトの額に汗が滲んでいたので、


「うん、久しぶりに運動したって感じ!」


 そう答えて、ハンカチいる? と言ってみたのだけど、


「いや、もう風呂に入ってくる」


 湯浴み好きの宰相閣下はそう言って、浴室を探しに行ってしまわれた。


 これは……お風呂からあがるまでに皮餃子を作っておけ、ということかしら。

 いいんだけどね別に、どうせ一緒にお風呂入るわけじゃないし、と思いながら台所でお水を飲んでいたら、


「一緒に入るか」


 恐ろしい台詞が飛んできたので、思い切り水を喉に詰まらせてしまった。


「……むりむりむり、絶対無理だから!」


 むせながら裏返った声で叫ぶ。

 だけど、乙女の恥じらいに全く興味のない人は、


「さすが別荘なだけはある。二人で入っても充分広いぞ」


 浴室を見つけたのか、浴室独特の反響をしている声を返してきた。


「私は後からでいいよ、今から皮餃子作るから。ゆっくり入っておいでよ」


 あんまり頑固に一緒に入らないと言っていると、また色気がないとか言われそうなので、もっともな理由でやんわりお断りしておく。


 ユートレクトはそれ以上何も言ってこなかった。

 わかった、タオルや着替えは全て脱衣場にあるぞ、という声を最後に別荘の中は静かになった。湯浴みの準備を始めたんだろう。ドアを閉めて服を脱いで……


 なに考えてるの私、だめだめ、意識しすぎちゃだめよ!

 と、とにかく、皮餃子を作って気を紛らわそう、それがいいわ、うんそれがいい。


 私は流し台の横にある大きな氷室を開けると、皮餃子の製作に没頭することにした。


 この別荘は、壁が煉瓦でできていて、独特の温かみがある。食卓や食器棚、ソファやローテーブルも、濃い飴色で統一されている。

 重厚な感じがして落ちつかなくなりそうな色合いかもしれないけど、不思議と居心地は悪くなかった。むしろ、心が穏やかに寛いでいくのが自分でもわかった。

 鶏皮にあんを包むという、黙々とした作業のおかげもあると思うけど、今の私にとってはありがたい限りだった。


 ……私と彼が結ばれたとしたら、これから公的に彼とどう接したらいいのか。

 以前彼の家に泊めてもらったとき、二人で話したこと。


 私は四つの答えを用意していた。


 彼を公的にも私の配偶者にして、しかも国王……共同統治のパートナーにするか。

 配偶者にはしても、政治的権限はない王配とするか。

 今の主従関係を保ったまま交際を続ける……つまり私的な愛人とするか。

 あるいは、私が退位して彼の伴侶となるか。


 最後の一つは彼に止められたし、私も選ぶ気はないから外すとして、他の三つのどれかに定めなくてはならない。


 でも、何か関係を持ったら即結婚ということはあり得ないので、(いくら私が夢見る乙女でも、そのくらいはわかってる)当分は今の主従関係のままお付き合いすることになるんだろうけど。


 『当分』のその後はどうしたらいいんだろう。


 先のことまで考え過ぎなのかもしれない。

 もしかしたら、明日……今夜にでも愛想を尽かされるかもしれない。

 だけど、この話をした後、彼は言ってくれた。


『おまえがどの道を選ぼうと、それを支え守るのが俺の務め……俺の覚悟だ』


 実はいうと、結論は既に出ている。


 共同統治も難しいなら、彼を王配にして政治から遠ざけることもできない。

 となれば、愛人関係でいるしかないのだから。

 たとえ私がその関係に抵抗があったとしても。


 『愛人』という立場に置かれることで、彼に嫌な思いをさせたくないなら、何がなんでも手に入れるしかなかった。

 主君として、彼の顔を汚さないだけの優れた能力を、人格の広さと深さを。そうすれば、彼が不当に後ろ指をさされることはないはずだから。


 私がそれほど優れた君主に、人間になれるの? と、いつもの私なら自信を失くしているはずだった。

 けれど、もう弱気な心は湧いてこなかった。


 確かに不安がないと言えば嘘になる。こんな平民あがりの町娘が何を偉そうに、とも思う。

 それでも、今までと同じようにそばにいてほしい。何よりも大切な人だから。それに……


「できたか」

「っぎゃあああああ!」


 ちょうど最後の皮餃子を包み終えたときに、背後から声がして思わず奇声をあげると、


「相変わらず色気のない反応だな。どこの野獣の雄叫びだ」


 人の気も知らないでひどいことを言ってくれる。

 最初から結論が出ているはずのことに、くよくよ悩んでいる私が悪いんだけど。


「……ひ、ひどい、せっかくあなたのために、心を込めて皮餃子を作っていたのに」


 私はララメル女王よろしくよよよと泣き崩れる真似をしてみたけど、鶏皮宰相の反応は、


「何か変なものでもつまみ食いしたか」


 予想どおり冷たかった。


「してないわよ。今から揚げるからお皿出しておいてくれる? あ、すり鉢はやめてよね」


 私はさっさとノーマルモードに戻ると、皮餃子を温まった油の中へ静かに入れた。ユートレクトは食器棚の前で腕組みをしている。


 今日……今夜は、彼と私がより深い関係を結ぶ(はずの)日。

 そうなるまでに『結論』は言っておかなくちゃいけないと思っている。彼が快く受け止めてくれるかどうか、自信はないけれど。

 先のことを考えなくていいなら、ぜひ国王になって頂いて共同統治してもらいたいのに。だけど、一国の統治者として軽率な決断はできなかった。


 どうして私なんかを選んでくれたんだろう。こんな自由のきかない、しかも取り柄も少ないのに。

 それでも、彼は私を選んでくれた。その事実が私の気持ちを後押しする。


 こんな私でも望んでいいのなら。私だって、本当はずっと……


 そのとき、身体の一番奥底で私の何かがうごめいた。うごめいたものの正体がわかった途端、恥ずかしさで全身が溶けそうになった。

 こんな気持ち、言葉になんか絶対にできない、こんな……


 初めて感じた衝動をどうにか打ち消そうとしていると、


「皿はこれでいいか」


 いつの間に戻ってきたのか、ユートレクトが彼にしてはセンスのいいお皿を持って私の横に立っていたので、また声を上げてしまいそうになった。


「う、うん、そこに置いといて、ありがとう」


 異性には知られたくないことを考えていたので、余計に恥ずかしかった。しかも、さっき『意識しすぎ』とまで言われているのに。やっぱり、今日の私はおかしすぎる。


 私は皮餃子の揚がり具合にだけ集中することにした。




「ところで、この皮餃子の材料は誰が用意してくれたの?」

「パトリシアだ。彼女は本当に有能な家政婦だな。彼女ならすぐにでもローフェンディア王宮の侍女になれる」


 今回もなんとか美味しくできた皮餃子をほおばりながら、パトリシアさんの雇い主は言った。


 パトリシアさんというのは、この独身貴族の住み家の家政婦さんで、最近知ったのだけどマーヤのお友達でもあるらしい。


 こんな雪深い西の森まで出張させられたのかと思うと、パトリシアさんに申し訳ない気持ちになった。

 この調子だと、後片付けもパトリシアさんにお願いしているだろうから、なるべくあちこち汚さないようにしなくちゃね。


「ローフェンディア王宮の侍女になるのって、やっぱり難しいの? うちみたいに、簡単な筆記試験とベイリアルとマーヤの面接で即日採用、って訳にはいかなさそうだけど」


 ちょっと興味が湧いたので聞いてみると、センチュリア王宮の侍女採用には全く関わってない宰相閣下は、待ってましたと言わんばかりに、


「当たり前だ。世界最高の王宮を保つための侍女だ。優秀な者しかなり得ない。

 まず、王宮侍女専門の学校へ入学できなければ話にもならん。そこで二年間、家事全般を身体に叩き込む。

 更に二年、皇族や王侯貴族と接するにあたってのマナーや教養を学び、卒業前の資格試験に合格して、初めてローフェンディア王宮侍女になれるのだ」


 事細かに教えてくださった。


「私だったら、最初の二年はともかく、後の二年間のところで脱落しちゃうわ。それに、資格試験まであるのね、難しそう」

「おまえは無論だが、ここの侍女たちでは、まず全員合格できんだろうな」


 私はともかく、侍女たちに失礼なことを言うと、ユートレクトは皮餃子をお皿ごと自分の前に持っていった。


「特にあの新入り、名をなんといったか忘れたが、今キアラの担当になっている侍女は、ローフェンディア王宮を見ただけで腰を抜かしそうだな」

「ああ、リーリアね。あの王宮なら、普通の人なら誰が見てもびっくりするわよ。キアラさんに厳しくしつけられすぎて、体調壊してないといいけど」


 私は今日も登城していた新米侍女の身の上を案じた。今頃無事に家まで帰れてるかしら。


 そこまで考えて、自分がキアラさんの思いに心を痛めていないことに、ようやく気がついた。

 以前より自分に自信が持てているせいなのかもしれないけど、そんな自分を冷酷だという気もして少し落ち込んだ。


「どうした」


 なんでこの人は、私の異変にすぐ気づくんだろう。

 だけど、今日は『なんでもない』でごまかそうとは思わなかった。


「キアラさんの気持ち、知ってるよね、あなたのこと」

「だからどうしろというのだ」


 好きだって、と続けようとした声を、気圧の低い声が遮った。


「俺にキアラを好きになれとでも言うつもりか」

「そんなこと」


 今更気がついても遅いけど、自分が口にするのが平気だからって、言っていいこととよくないことがあった。

 もっとも、『なんでもない』でごまかそうとしてもうまくはいかなかったと思うけど、自分から言うよりはましなはずだった。


「そんなことないよ」


 自己嫌悪の蛇が心の中でとぐろを巻き始めたけど、今日の私はいつもよりは心が折れないらしかった。


「キアラさんの名前が出たから思い出して。そしたら気になっちゃって。

 でも、今言わなくてもいいことだった、ごめんなさい」


 私は素直に頭を下げた。

 逆の立場だったら……ユートレクトが私に他の男性のことを聞いてきたりしたら、間違っても嬉しくはない。私が好きなのはあなたなんだから、って思う。


 こんな調子で、本当にこの人のとなりにずっといられるのかな……なけなしの自信を限りなく減らしていると、


「おまえの空気の読めなさは重々承知している。だが、それもここまでにしておけ」


 もっともな仰せになにも言えずにいると、憎たらしいほど大人の余裕をたたえた笑顔で後を続けた。


「寝台に入ったら余計なことは言うなよ」


 意識するなという方が無茶な言葉に、顔がやかんのように熱くなった。


 私は返事もそこそこに、自分のお皿に取り分けた皮餃子を胃に収めると、洗い物してくる、と口実をつけて台所へ逃げ出した。


「俺はまだ食っているから、そこが片付いたら湯を浴びてこい」


 背中にかけられた声にからかうような響きを感じたのは、私の被害妄想じゃない、絶対に。


 これ以上一緒にいるのが恥ずかして台所に逃げたのに、その後の行き先が浴場になっちゃったじゃないのよ!


 かといって、のろのろ食器を洗っていたら、食事を終えた大食い魔人がこちらへやってくるかもしれない。

 急いで片付けたら『それほど早く風呂に入りたかったのか』とか、変な風に思われそうでいやなんだけど、それより今は早く一人になりたかった。


 黙々と手を動かしていたせいか、思ったより早く食器が洗い終わると、後にすることはもう決められている。


「お風呂、行ってくるね」


 肩ごしに振り返ると、皮餃子を食べている人とまともに目が合って、また恥ずかしくなったけど、


「ああ、ゆっくり水でも浴びて、やましいことばかり考えている軽い脳みそを冷やしてこい」


 火に油を注ぐっていうのは、こういう台詞のことを言うんじゃないかしら。


 さっきから……というか昨日の夜から、これでも一生懸命意識しないようにしないように、表に出ないように出ないようにって、精一杯頑張ってきた乙女心がついに爆発した。


「誰が浴びるかっ!」


 もう知らない!


 いいわよ、色気がなくたって。知ってて私を選んだあんたが悪いんだからね!


 私は色気のかけらもなく、ずかずかと脱衣場へ歩いていった。

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