星の向こう側3
***
それから、私の希望通り大学いもと菓子パン、お総菜パンを買い足すと、ユートレクトは私を珍しい場所へ連れていった。
「わあ……ここ来るの久しぶりだよ! 何年ぶりかなあ」
西二十番街……通称『西の森』は、冬まっただ中なこともあって、あたりに人影はなかった。
夏だったら、長期休暇中の人たちがキャンプをしたり、日帰りでバーベキューを楽しむ人も大勢いるのだけど、今は静まり返っていた。
「ここは、夏しか用のない所のように思われているようだが、冬もなかなか楽しめるらしいな」
ユートレクトが雪に埋もれた遊歩道を先に立って歩いてくれているおかげで、私はなんとか足を進めることができた。
この西の森で冬にすることなんかあったかな……と記憶を辿っていると、大分古い思い出が蘇ってきた。
「そうそう、小さい頃、町内のみんなで冬に来たんだっけ」
ユートレクトが私を振り返ったけど、特に何も言わずにまた歩き出したので、私は幼少のみぎりの思い出を披露することにした。
「ここからかなり行ったとこ……国境近くに大きな湖があってね、そこでスケートしたの!
それから、湖の氷に穴を開けて、ワカサギ釣りもしたわ。すごく楽しかった」
十数年も昔のことを思い出すと、なんだか純粋だった少女時代に戻った気がして、一人心を暖かくしていたのだけど、斜め上方から視線を感じて我に帰った。
「なあに、どうしたの、なんとも言えない顔して」
ユートレクトは本当になんとも言えない顔……なんと言ったらいいんだろう、あえて言うとしたら、がっかりしたような表情で私を見下ろして、
「どちらも体験済みか」
ぼそっと呟いたのを聞いて、初めて気がついた。
どうやら私は、せっかくユートレクトが考えてくれてたデート(くどいけど、そういうことにしておく)プランを、先走って言ってしまったらしかった。
「あ、でも、本当に小さい頃して以来だし、ほとんど覚えてないから! 今からするんだよね、楽しみだなあ!」
「……スケートはともかく、釣り立てのワカサギをぜひ食ってみたかったのだ。付き合ってもらうぞ」
本当に楽しみだったから、精一杯嬉しそうに振る舞ったおかげか、宰相閣下は気を持ち直したように見えたので、ひとまずほっとすることにした。でも、もう一言付け加えておこう。
「ユートレクト」
「なんだ」
「ありがとうね、いろいろ考えてくれて」
前を歩く人の雪をかき分ける音だけが聞こえる。
西の森の木は、針葉樹で一年中針のような葉を繁らせているのだけど、降り積もった雪が尖った葉だけでなく、枝や幹までも覆ってまるで雪の巨人のような形になっていた。
「まるで雪男の行列だな」
ユートレクトも似たことを感じたみたいだった。
「うん、晴れててよかったよ。雪が降ってたら、本当の雪男に見えちゃいそうだものね」
ありのままを言っただけだったのに、
「怖いのか」
「こっ、怖くなんかないわよ」
どうしてこの男は、私の気をわざわざ荒立てるのかしら。
そんなたわいもない話をしながら、どのくらい歩いただろう。気がつけば、身体が暖かくなっていて、額がうっすらと汗ばんでいた。
かわいらしい鞄からハンカチを出して汗を拭いていると、
「もうすぐ着く。暑いならコートを脱げ」
自分もコートを脱ぎながら宰相閣下はおっしゃったのだけど、コートを脱ぐと手に持つ荷物が増えるのが嫌な私は、大丈夫とだけ言って、ハンカチを鞄にしまった。
屋台で買った焼きそばやら大学いもやらは、前を歩いている人が持ってくれている。このうえコートまで手に持ってたら重くないかな、と思って、
「お昼ご飯かコート、持とうか?」
と聞いたのだけど、
「おまえと一緒にするな、俺がこの程度でバランスを崩して転ぶわけがなかろう」
ひどい一言だと思う。
私だって、センチュリア生まれのセンチュリア育ち、このくらいの雪でちょっと荷物が増えたくらいでこけたりしないわよ……と言ってもよかったのだけど、今日はなんといっても初めての!
『デート』
のはずなので、おとなしくしておくことにした。
恐らく、ユートレクトは本気で私がこけかねないと思ってるだろうけど。
ああ、だめだわ、私、どう考えても舞い上がってる。
『デート』なんて単語、思いつかなければよかったのに。そんな風に考えるから、余計意識しちゃうんだわ。
やがて、道の終点に煉瓦の塀と門扉が見えてきた。ユートレクトが鍵を取り出して門の鍵を開けた。
まさかこれって、ユートレクトの別荘か何かかしら。いつの間にこんないいものを買ったんだろう。
そう思って聞いてみると、知り合いの商人さんに借りたらしかった。
今日(自称)デートするのが決まったのは、昨日の夜のはずなのに、いつこんな場所を手配したんだろう。臣下の手際のよさに感心していると、
「もうこんな時間か」
「え、何時になったの?」
「十五時だ」
「ええーっ!?」
「急いで食って滑って、ワカサギのために腹を空かせるぞ」
というわけで、私たちは急いで屋台で調達した昼食たちをいただくことにした。
なんだか、また色気のない展開になってきてるけど。
それにしても。
もしかして、この素敵な別荘が『気の利いた所』なのかしら。
ここで私たちはその……夜を過ごすのかしら。
そう思ったら、一気に顔が熱くなってきて、顔を手で扇いだ。
「どうした、ついに脳が暑さで溶けてきたか」
「溶けてないわよ!」
脳天気なことを言ってくれるわね、こっちがこんなに乙女らしく焦ってるのに。
でも……ここにいつまでいるかを聞くのは、別に変じゃないわよね? だって、やっぱり気になるもの。
私は思い切って聞いてみることにした。
「ねえ、ここには何時までいていいの? 急いでるってことは、借りられる時間が決まってるとか?」
直接的に、今日はここに泊まるの?とは恥ずかしくて聞けないので、言葉を選びながら訊ねたのだけど、ユートレクトの返答は私に別の問題を投げつけるものだった。
「別に時間は決まっていない、明日中に引き払えばいい。
そんなことより、急がなければあと三、四時間で夕飯の時間だ。おまえは一日三食のうち、一食を食い逃がすつもりか。皮餃子の材料も揃えてある、作らねば腐ってしまうだろうが」
「ワカサギだけじゃなくて、皮餃子も食べるの!?」
「おまえと台所があれば、おのずと皮餃子ができるだろう」
どういう法則よ。
皮餃子作るのはいいんだけど、ワカサギ食べてそのうえ脂っこい皮餃子も食べて、お腹壊さないのかしら。
それに、材料まで用意してるって、この短期間でどれだけ用意周到なんだろう。
よっぽど好きなのね、皮餃子が……って、ちょっと待って。
夜ご飯=皮餃子ってことは、夜ご飯もここで食べるってことよね。
で、この別荘明け渡すのは『別に時間は決まってない(以下省略)』って言ったわよね。
ということは、夜ご飯食べた後は……
「あの、ユートレクトさん」
「なんだ、そのまな板の上の鯉みたいな顔は」
「皮餃子を召し上がったその後は、どうなさるおつもりなのでしょう?」
私の目の前に座って、串焼きを頬張ろうとしていた臣下の手と口が止まった。
「おまえだ」
「はい?」
「食うものの話をしているのだろう」
「いや、あの、皮餃子を食べた後のご予定なんですけど」
と、そこまで口に出したとき、『おまえ』と『食う』という単語が頭の中で突然合わさって、私の両頬は焼きたての切り餅より熱くなった。
私の赤面するさまを見た宰相閣下は、やっぱりあきれたように、
「どれだけ鈍感だ」
嘆息して呟いた。
「いえ、なんとなくはわかっていたんですが、その、まさかこんな素敵な所をわざわざ用意してくださるなんて、思ってなかったものですから」
ユートレクトはしどろもどろでしゃべる私の顔を覗きこんだ。
「言っただろう、気の利いた所に連れて行くと」
先ほどのあきれた口調とは違う色の声だった。
あきれても怒ってもいない、かといって優しいというには鋭い、そんな感情のにじむ声だった。
「うん……ごめんなさい」
鈍感なのはいつものことなので素直に謝ると、とんでもない言葉が飛んできた。
「おまえ、意識しすぎだ。そんなことでは本番まで神経がもたんぞ」
図星どまんなかを突かれて、とうとう私は食べ物を広げていたテーブルに突っ伏した。
あああああああ……穴があったら入りたい。
もぐらさんに弟子入りして、地下の住人になりたい。
けれど、私の前に座る人は、乙女に恥じらいの時間さえ許してくれなかった。
「何をしている。おのれの色気のなさを嘆く暇があったら、早く食え。食い意地だけが取り柄だろうがおまえは」
ひ、ひどい、あんまりな言いようだわ……
まだ熱い顔をのろのろと上げた私に、ユートレクトは串焼きを差し出すと、
「おまえとは、公務から離れたところで接してみたかった」
いつの間にか食べ終えた自分の串を、空になった袋に入れた。
「お互い分かち合えることが、公務のことばかりでは色気がなさすぎるだろう」
そう言って、いたずらっ子のように笑った。
「今は平時とは違う緊迫したときだが、だからこそ、互いの理解を深める必要があると思った。
ここが襲撃されることは今のところないはずだ。それは安心していい。万が一襲われたとしても俺がいる、心配は無用だ」
淡々とした口調だったけど、言葉の一つ一つが私の心に静かに落ちて、優しい波紋を作っていく。
「そういうことだ。今日は夕飯まで思う存分遊ぶぞ! さあ急いで食え」
遊ぶ、なんて単語をこの人から聞くなんて夢にも思わなかったから、驚いて何も言えないでいると、
「……安心しろ、俺も今日は多少浮ついている。人のことをとやかく言えたものではないな」
苦笑してつぶやいたその顔が、なぜかわからないけど、とても愛おしく感じた。
「じゃあお互いさま?」
と言ったら、
「おまえが俺の域に達するなど、百年早い。早く食え。
釣りと滑るのと、どちらを先にすべきか……今日両方は無理かもしれんな。腹を減らすために今日は滑って、明日釣りをするか……」
なんてぶつぶつ言いながら焼きそばを食べ始めたものだから、私もおとなしく目の前に差し出された串焼きを受け取って、その他の食料も胃に収めることにした。
日差しが暖かいので、こうして外で食事をしていてもさほど寒く感じないのが、とてもありがたかった。ここまで歩いて来たから、身体が温まっているせいもあると思うけど。
そんな事を考えながら、お惣菜パンを頬張っていると、
「重要なことを忘れるところだった」
「?」
「おまえたち、もう『世界機構』について調べたりしていないだろうな」
「もちろん、してないよ」
「ならいい」
ユートレクトは、今から言う事は重臣たちにも言うな、と口止めしてから、
「はっきり言っておく。『世界機構』には、俺が探りを入れている。
もう少しで黒幕が特定できるところまで漕ぎ着けた。
だから、絶対に余計な手出しはするな」
まさか、そんな核心まで掴んでいるなんて思わなかった。私や重臣たちが調べても、何もわからなかったのに。
どんな手を使ってそこまで探りを入れたのか見当もつかないけど、この謀略の達人は『世界機構』の上層部にまで入り込めるんだわ。
「この黒幕が落ちれば、『世界機構』の情勢も大きく変わることになる。
俺の出頭期間までには肩をつけたい、いや、つけなくてはならない。でなくては、俺は捕えられるしかなくなる」
「それは困るわ」
「『世界機構』にとってもこれはいい機会だ。この際、元凶の武闘派も、事なかれ主義の穏健派も関係なく、上層部を全て解体して新体制を組ませてやる」
そう断言すると、ユートレクトは水色の瞳をらんらんと輝かせ始めて、
「この俺を無謀にも貶めようとしたり、なんとかなんぞという老人くさい役職に就けようなど、千年早いことを思い知らせてやる……」
政治のセの字も知らない幼子が見たら、『あのおじちゃんの顔こわいよ』と言うに違いない形相になった。
「わかったわ、本当に、絶対に、歴代の国王四十四人に誓って、『世界機構』には手出ししないから」
最強の臣下の復讐に燃える歪んだ顔だけでもなんとかしようと、神妙に宣言したのだけど、この臣下がさりげなく重大なことをのたまっていたことに気がついた。
「『世界機構』の上層部を全て解体して新体制を作る、って、そんなことできるの?」
「俺を誰だと思っている」
「謀略の匠でいらっしゃいます」
「匠なら、上層部を解体するだけで精一杯だろう。だが俺は、新体制まで構築してやろうと言っているのだぞ」
こういう時の奴は、ふてぶてしく禍々しいほどの自信に満ちあふれていて、まるで、
「謀略の悪魔が私の目の前にいる気がするわ」
「悪魔も出世したものだ、俺の比喩に使われるようになるとは」
死後の世界があるとしたら、こいつが死んでも引き取ってくれる世界はどこにもないと思う。
私は話の切り口を少し変えることにした。
「新体制って簡単に言うけど、新しい本部総長とかの心当たりはあるの?」
そう聞くと、ユートレクトは少し苦い顔になった。
「俺はネフレタ教授を推しているんだが、当人にその気が全くない。教授は常に教壇に立っていたいお人だから無理もないんだが」
自分を本部総長にするなら、大学ごと『世界機構』のあるタナールブータ王国に移転させろ、くらいのことは言いかねないな、と冗談ぽく笑った。
彼の様子を見る限り、それほど深刻に悩んでいる風でもないので、『世界機構』の新体制のことは心配しないでおくことにした。
それにしても。
「ここって、タナールブータ王国からすっごく遠いのに、『世界機構』のことを探るだけならまだしも、どうやって今の体制をひっくり返すつもりなの?」
「あいつらだ」
「?」
「おまえと酒盛りをしていたあいつらは、本当によく働く。ライムント皇子の下でくすぶらせておくには、惜しい奴らだった。おまえでも俺の役に立つ事があったのだな」
あの賊の皆さまは、それはそれはあんたを怖がっていたもの。お役に立とうと躍起になるのも無理はないわ。
そう、『バルサックの悪夢』のようにはなりたくない、って言ってたものね……
と考えて、ふとアンウォーゼル捜査官のことを思い出した。
そうだ、彼はどうなるんだろう。
ユートレクトの考えでは、武闘派の手先かもしれない彼は。
もし、ユートレクトの『世界機構』転覆が成功したら、どんな処遇を受けることになるんだろう。
「耄碌している上層部より……何よりまず先に、あいつを救い出す」
「アンウォーゼル捜査官のことね」
私と似たことを考えていたのか、ユートレクトが親友のことを口に上らせた。
「ああ、それが叶えば『世界機構』など、はっきり言ってどうでもいい。勝手に朽ち果てたところで、世界の大勢にさしたる影響もないだろう。
あれの改革は、子供の昼飯プレートについているおまけ程度のものだ」
『世界機構』のことはおまけって。
「そんなにアンウォーゼル捜査官のことは難しいの?」
「あいつは生に執着がない」
その言葉に、アンウォーゼル捜査官と食堂で話したときのことを思い出した。
確かに、彼の目は未来を見てはいなかった。
「それでも、もう誰も失う訳にはいかない」
『バルサックの悪夢』で。
そう呟く声が聞こえた気がした。
「私も……そう思うよ」
生きていればきっといいことがあるから、なんて綺麗ごとを言うつもりはない。
だけど、アンウォーゼル捜査官には生きていてほしかった。私やユートレクトのわがままなのかもしれなくても。
『世界機構』が憎らしくてならなかった。そこの武闘派と手を組んでいるであろうペトロルチカも。
幾度、寝台の中で歯ぎしりして呪いの言葉を噛み殺しただろう。
女王にあるまじき愚かな行為だと重々承知しているけど、辛うじて残った理性で、下品な言葉を口にするのは止めていたから、歯ぎしりくらい許してほしかった。
公正に世界を見るべき立場にありながら、自分の国の利権しか考えない『世界機構』の高官たち。
神の名前を借りて己の権力欲を満たし、身勝手な論理で人々を支配するペトロルチカ。
どちらの考えも、私には受け入れられなかった。まるで違う世界……違う星の住人のようにさえ思える。
どんな人生を送ってきたらそんな考えに至れるのか、理解できればいいんだろうか。
そうしたら、人間としての幅も広がるのかもしれないけれど、だからといって、彼らの行為を許すわけにはいかない。
太陽は、まだ木々の間から暖かな光を投げかけてくれていた。




