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星の向こう側1



 翌日。


 いつもの土曜日より早く起きると、私はクローゼットの中で洋服たちとお見合いしていた。

 女王にはあるまじき格好……下着姿で座りこんでいるので、いい加減着替えないと、風邪をひいてしまうのだけど。


 私の記憶が確かなら、ユートレクトと私的な立場で出かけるのはこれで二回目のはずだった。

 そういうのを世間では普通『デート』と呼ぶはずで……

 呼ぶわよね、呼んでいいわよね?


 初めて私的に出かけたのは、去年の『世界会議』のとき。

 仮面舞踏会が終わったあと、ローフェンディアの市街地で食事して。

 それから、帝国学士院の鐘楼に登って……


 思い出すと、今でも恥ずかしくなってきて首を振った。


 昨日は東十九番街のこともあったし、ユートレクトが抱えていた苦悩も話してもらったりしたから、浮かれてばかりなのもよくないと思うのだけど、弾んでしまう心をどうしても抑えられなかった。


 改めてクローゼットを見直す。


 とても残念なことに、私は今時のおしゃれな服をほとんど持っていない。

 公務のときはスーツやドレスだし、私的に外出する機会もあんまりないから、仕方ないんだけど。

 それに、私は一応女王なので、今時の女の子みたいに脚や胸を露出した服装はできないのよ。


 最近はやってるミニスカートとかで、デートしたかったなあ。

 まあ、ユートレクトが街娘の服装を好きかはわからないけどね。

 あの人は生まれながらの皇族だから、もしかしたら、平民の服装なんて興味ないかもしれないし。


 そういえば、今まであんまり考えたことなかったけど、どんな格好が好きなんだろう。


 去年の『世界会議』でローフェンディアに行ったとき一緒に街を散策したけど、私が服屋さんのショーウインドウを見ているときに勧めてきたのは、かわいい女の子の格好ではなくて、綺麗な大人の女性って感じの服だった気がする。


 ってことは、スーツにしておいた方が無難なのかしら。でも、休日までスーツ着てたらいつもと変わらないし。

 かといって、スーツでもドレスでもなく妙にめかしこんでたら、市民の皆さんに目撃されたとき、視察じゃなくてデートだと思われしまうかもしれない。


 本当は、せっかくのデート(ってことにしておこう)なのに。


 周囲の目を気にしないといけない女王の称号を疎ましく感じたけど、私が女王じゃなかったら、彼とも出会えなかったんだ……


 なんて考えながら、彼と自分の好みと、世間体との交差点を探っていると、私室のドアをノックする音が聞こえた。


 ま、まさかもう迎えに来たの!?


「は、はい!?」


 裏返った声で返事をすると、眼の前にあった薄い緑色のセーターに袖を通し、白のフレアースカートに足をつっこんだ。

 急いでドアを開けに行くと、そこにいたのはマーヤだった。


「おはようございます、姫さま」


 マーヤは私がいつも休日の朝食べているヨーグルトを持ってきてくれた。


「おはよう、マーヤ。今日も寒いわね」

「ええ、姫さま。ですから、お出かけの際は暖かくなさってくださいませ」


 マーヤはヨーグルトをテーブルの上に置きながら、とても嬉しそうな顔でこちらを見た。どう見ても何か知っている顔だわこれは。


 ……誰よ、マーヤに私が今日外出するって言ったの。


 マーヤは私をソファに座らせると(結局、私室のソファは処分されていなかった)テーブルの横に立ち、人のいいふくよかな顔を真剣なものにした。


「姫さま、よろしゅうございますか」

「な、なによマーヤ、突然」

「身だしなみは整っていらっしゃいますか。お手回りのお品は最小限になさいませ。お荷物が重くなっては後からお疲れになりますからね。どちらに行かれるかわからないときは、身軽になさっておくべき」

「あのねマーヤ、ちょっと待って」


 私は両手を広げてマーヤを制止した。


「今日私が外出することになってるみたいだけど、誰が」

「昨日……正確には今日の夜中ですけど、宰相閣下から姫さまをお借り受けしたいとお申し出がございました。姫さまも承知していると」


 ああ、やっぱり……


 がっくりうなだれると、マーヤはおひさまのような笑顔を私に向けた。


「よろしゅうございましたね、姫さま」

「え……」

「姫さまは今までずっと、あの方のためにお心を割いてこられたのですもの。今日は思う存分甘えておいでなさいませ」


 今まで心を割いてきたのは、多分、きっと、間違いなくユートレクトの方だけど、そう言われると私のことを見守ってくれている人もいたんだな、という気がして嬉しくなった。

 ただ、私があの偉大な臣下さまに甘えてる図は……どうやっても想像できない。


「うん、ありがとうマーヤ」


 それから、と出て行こうとするマーヤを呼びとめると、


「この前はごめんなさい。ソファ、置いといてくれてありがとうね」


 一昨日、マーヤにソファの処分を頼んだことを謝った。


 マーヤはまた暖かな笑顔で私を照らすと、お出かけのときはお声をかけてくださいね、と言い置いて私室を出ていった。


 窓からも太陽の光が差してきた。今日は一日いいお天気になりそうだった。


 ヨーグルトを食べて侍女に食器を下げてもらうと、もう一度洗面所で身支度を整えた。

 持っていくものも、マーヤが言ってくれたとおり最小限におさえて、かわいらしい黒のハンドバッグに収めた。

 これは、姉上が隣国へ嫁いだとき王宮に置いていったものを拝借しているので、結構高価なもののはずだった。品のいい光沢があって、蓋のところに同じ生地のリボンがついている。


 これで準備は終わりだったけど、まだお昼には遠い時間だったから、もう一度服装を考えることにしてクローゼットに戻った。


 戻ったんだけど。


 あっちのセーターやらこっちのカーディガンやらをとっかえひっかえしているうちに、どの服がいいのかわからなくなってきてしまった。


 そうなってくると、さっき本能で着た組み合わせが一番よかったような気がしてきて、結局、最初に慌てて着た薄い緑色のセーターと白のフレアースカートで出かけることにした。

 このセーターとスカートは、マーヤではない侍女の誰かが買っておいてくれたもので、シンプルな形と色合いが綺麗だった。

 あとは、ブーツと長めのケープを合わせれば、ちょうどいいおしゃれ具合……に見えるといいんだけど。


 そうこうしているうちに、ユートレクトが迎えに来てくれた。時計を見ると、いつの間にか十三時を過ぎていた。

 私、どれだけクローゼットにこもってたんだろう。自分のセンスのなさが恥ずかしいわ。


 扉の隙間から顔を覗かせた宰相閣下は、


「行くか」


 挨拶もなしに目で外へ出るように促してきたので、慌ててケープを手に取って外に出て。


 何か違和感があった。


 宰相閣下の頭から足の爪先、そしてまた頭までを見上げて、しっくりこない原因がようやくわかった。


「頭がいつもと違うね」

「髪型と言え。昨夜洗ってそのままだからな、整えねばならん。この文官服も着替えなくては。一旦家に寄るぞ」

「うん」


 そっか、いつもきっちりかっちり髪型整えてるもんね。さすがの宰相閣下も、整髪剤までは常備してないのね。

 でも、その頭……じゃなくて、髪型もいいと思うけどな。


 きっちりセットされてない髪を見たのは、『世界会議』の会期中一緒のベッドで寝たときとか、この前ユートレクトの家に泊まったときにも見たけど。


 きちんと整えられてはなくても、ぼさぼさなわけじゃないし、自然な雰囲気で、いつもより近寄りがたい感じがしない。

 もっと率直に言うと、いつもより優しそうに見えて、これはこれで男前だった。


 と思ったので、それとなく言ってみることにした。

 あくまで、それとなく、よ。男前だなんて、恥ずかしくて言えないんだから。


 詰所にいたマーヤに手を振って、門番たちの返礼に応えて王宮の外に出ると、私は早速自分の意見を述べた。


「そのままでもいいと思うけど」

「何がだ」

「あた、じゃなかった、髪型」


 頭、と言いかけた時点で、ユートレクトが渋い顔になったので、それ以上言うのをとまどってると、宰相閣下は額にかかる前髪をうっとうしそうに後ろへやりながら、


「このままではすっきりしない。頭を整えてこそ、脳内も整然とするのだ」


 大まじめな顔で主張したので、思わず笑ってしまった。


「何を笑っている」

「だって、頭を整えてこそ、って」

「……」


 猿も木から落ちる、とは言ったものね。


 あんまり笑ってると怒られそうなので、努力して笑いをこらえて歩いていると、コンパスの長い脚が後ろで止まっていた。


「どうしたの?」


 振り返ると、木から落ちた猿もとい臣下は、私の頭からつま先までをしげしげ眺めて、


「暖かそうだな」


 と少し目を細めて言った。


 セーターとスカートはシンプルなデザインのものだったから、ケープは少しかわいらしいものにした。

 襟元と裾がふわふわしてて、とても暖かいの。

 これも姉上のお下がり、というか置き土産なのよ。


「えへへ、いいでしょ。ユートレクトのコートもあったかそうだよ。

 それきっとすっごく高いんでしょ、普通のコートと生地が違うもの」

「そうだな、おまえの私費二か月分は飛ぶな」

「えーーー!?」

「昔買ったものだ、今そんな贅沢はできん。

 これでも皇族とやらだからな、持ち物にはとやかく言われていたのだ」

「ふーん、やっぱりローフェンディア帝国ってお金持ちなのね」

「おまえが女王のくせに貧しいだけだ」


 そんなことを話しながら、また並んで歩き出す。


 なんてことはない会話なんだろうけど、こんな風に話すのが久しぶりのような気がして、とても嬉しかった。


 しばらくしてユートレクトの家に着くと、家の主は中に入るなり、待っていろと言い残してそのままずかずかと洗面所へ行ってしまった。

 仕方がないので玄関先でたたずんでたんだけど、十分くらい経っても戻ってこないので、足が冷えてきてしまった。歩いてれば大丈夫なんだけど、ずっと立ってるのは辛いので、


「ねえ、まだかかる? ゆっくり用意してくれていいから、あがって待たせてもらってもいいかな。寒くなってきちゃった」


 と声をかけてみると、


「そのへんで適当に転がっておけ」


 すごくぞんざいな扱いな気がするのは、気のせいかしら。

 まあいいわ、じゃあ適当にあがらせてもらうわよ。


「はーい、お邪魔しまーす!」


 仰せのとおり、私は一番暖かい場所……暖炉の前を陣取ることにした。

 その間もユートレクトは洗面所で髪と戦っていたけど、髪を整え終えると、私が暖炉の前で手をこすり合わせてるのを見て、


「やけに大きな蝿だな」


 失礼なことをおっしゃったので、手の動きを速めてみた。

 家の主は、そんな私は相手にせず二階へあがっていった。服を着替えに行ったらしかった。


 やがて階段を降りてきたユートレクトの服装は、マルーンカラーのセーターに黒に近いグレーのショートコート、下は薄灰色のパンツという、今まで見たことないくだけたものだった。


 こんな格好もするんだ……


 妙に感心してじーっと見ていると、水色の瞳と目が合った。


「何を見ている」

「え、あ、うん、そんな服も持ってるんだなあと思って」


 私が感想の一部を正直に答えると、完全にプライベートモードの宰相閣下は、生意気な子供を見るような目つきで私を見下ろした。


「おまえ、俺が年がら年中文官服でいると思っているだろう」

「うん」

「そんなたわけたことがあるか」

「そ、そうだよねえ、あははは……」


 そして、から笑いをする私を見て気分がよくなったのか、


「俺ほどの男になると何を着てもさまになるからな、見とれる気持ちはわかるが」


 恐ろしくうぬぼれた軽口を叩いてきた。もしかしたら、本気でそう思っているかもしれないけど。

 臣下の慢心を断つのも、主君の役目よね。


「ないない、それはないから」


 私は手と首を思い切り振って否定しておいた。


 でも、今日はこの……プライベートな服装も憎たらしいほどさまになってる人の横を歩くんだと思った途端、胸の鼓動がやけに騒がしくなってきた。


 今更だけど、やっぱりもっとおしゃれしてきた方がよかったのかな……とやや落ち込んでいると、


「行くぞ、まんじゅう」


 ……。


 どうせ、私なんてまんじゅう体型よ。

 ええ、ええ、そうでしょうとも。


 なんとでも呼べばいいわ。


「おお、まんじゅうが地面を跳んでいる。なんと面妖な光景だ、いつまで続ける気だ」


 しゃがみながら玄関までうさぎ跳びをする私に、宰相閣下は大変ご満悦の様子だった。


 このときには、まさかあんなことが起こるだなんて、想像すらできなかった。




「それにしても、言い得て妙だと思わないか。

 おまえのそれが床に広がった有様が、まさにまんじゅうに見えてだな」

「まんじゅうの話はもうしなくていいよっ!」


 私のケープを指さしながら笑うの、いい加減やめてくれないかしら。


 ユートレクトの家を出た私たちは、まずは腹ごしらえというわけで商店街に向かっていた。

 それはそうと、


「ねえ、ところで今日はどこに行くの、気の利いた場所って?」


 気になるところを訊いてみたら、小声でこう返してきた。


「男女で気の利いた場所といえば、おのずと限られてくるだろう」


 思わずあたりを見回したけど、この声に反応した人は誰もいなかった。本当に小声でよかった。


 今日のユートレクトはいつもと違う。鈍感な私でもわかるくらいに。

 多分、私もいつもの私じゃない。

 私がいつもと違う理由はたった一つだけど、となりの人はどうなのかな。


 やがて商店街に入ると、昼時ということもあってか人も大勢いて、美味しそうな匂いがあちこちからただよってきた。


「わー美味しそう!」


 屋台には、食欲をそそる食べ物がずらりと並んでいる。自分の目がきらきら輝いているのがわかった。

 だけど、今日はなんといっても(自称)デートだから、お昼もどこか雰囲気のよさげなところで食べるのかしら、と思っていたら宰相閣下が、


「こういうものを買い食いしてもいいな」


 とってもありがたいことをおっしゃった。


「うん、そうしよう、ぜひそうしよう!」


 私は大喜びで、早速眼をつけていた屋台に向かっていった。


 甘いソースの匂いがこうばしいその屋台には『焼きそば』と書かれたのれんがかかっている。


「はいよ、いらっしゃい!」


 売り子のお姉さん(もといおばちゃん)の笑顔すら、美味しそうに見えてきた。お腹空いてたのね。


「おばちゃん、焼きそばひ……」


 一つ、と言いかけて後ろを振り返ると、なぜ一つだ、と呪うような視線が投げつけられたので、


 「ふ、二つ、二つちょうだい!」


 と言い直してハンドバッグを漁った。お財布出さなくちゃね。


「はいはい二つね、ちょっと待ってね。熱いの入れるからね……って」


 私がハンドバッグをごそごそしている間に、おばちゃんは焼きそばを入れ物に詰め始めて、あることに気がついたようだった。


「ひ、姫さま、姫さまじゃないですか!」


 おばちゃんの声があたりに響き渡って、他の屋台の売り子さんや道行く人たちが一斉にこちらを向いた。


「うん」


 でも、私はよくこのへんをほっつき歩いてたから、そんなに珍しがられることはない。

 私が頷くと、みんな会釈をしてから普通に商売に戻ったり、歩き去ったりしていった。


 この屋台のおばちゃんは世間話が好きらしく、私にあれこれ訊いてきた。


「今日はどちらへお出かけ?」

「えっとね、実は私もわからないの」

「わからない、ってことは誰かと一緒なのかい?」

「うん」


 と話してるところに、最強の臣下が私のすぐうしろにやって来た。


「ユートレクトと一緒なの」


 私が言うと、おばちゃんは少し改まった表情になって、この国で二番目に偉い人(一番じゃないかとか言っちゃだめよ!)に一礼した。

 ユートレクトは冷静すぎる表情のままだったけど、おばちゃんはそれに屈することなく、私の心を瞬間冷凍させる一言を放ってきた。


「今日はあれかい、デートかい?」

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