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東19番街2

***



 どうして突然永世中立国のことが出てくるのか、まるでわからなかった。

 私の代でセンチュリアが永世中立国でなくなるって、どういうことなの?


 理由はすぐにわかった。


「なに言ってんだいきなり。永世中立国じゃなくなるなんて」

「そりゃあおまえ、居酒屋に勤めていたような尻軽な女王が治めてる国なら、簡単によその国に乗っ取られるさ。あっちの国の国王やこっちの国の大統領にいいようにやられてな。いずれどっかの国と合併するぞきっと」

「なるほどな、違いねえ」


 キアラさんみたいな身分の高い人だけじゃなく、普通の人たち……しかも、センチュリアに住んでいる人までそんな風に考えているとは、夢にも思わなかった。

 給仕娘はそれほどみだらな職業だと思われてるんだろうか。だとしたら、そんな考えはすぐに改めてもらいたい。


 センチュリアは、この世界で最初に永世中立国を宣言した国だ。

 この国に暮らす人たちは、みんなそのことを誇りに思っている……今までそう思っていた。


 センチュリア国民なら永世中立国であることを誇りに思え、と言うつもりはない。いろんな意見の人がいるのは当たり前だから。

 だけど、私がそれほど軽々しく永世中立国の地位を捨てる国王だと思われていることに、胸が痛くなった。


「どうせならローフェンディアと合併してえな、世界最強の国家と」

「あそこの皇帝が近々来るんだろ?」

「来週な。もしかして、そのときに交渉されちまうんじゃねえか?ベッドの上で」

「あり得るな、まさに」


 ……だな、とここに表現できないほどいやらしい言葉が続いて、それに人々の下品な笑いがかぶさった。


「そういや、ここの宰相は、ローフェンディア皇帝の弟じゃなかったか」

「あの男もいけすかない野郎だな、一度見たことあるけどよ」

「おまえが宰相閣下なんかにお眼にかかれる機会があったのかよ」

「二年前の災害のときさ、ここまで来てたぞ。やたら俺らの生活のこと聞いてきて、不自由があればいつでも王宮に言いに来い、なんて言ってたな」

「やだ、こっちから王宮に頼ったりして目立っちまったら、今の暮らしができなくなるかもしれないじゃないか。余計な心配してくれなくていいから、金だけ置いてけって感じよねえ」

「まったくだ、口じゃそんなこと言ってても、実際王宮は俺らのことうたぐってるんだろ? 復興費用ねこばばしてるって」

「まあ確かにねこばばしてるんだけどな!」


 となりに立つ人を見上げると、ユートレクトはいつもの冷静すぎる表情のままだった。


 この人は、恩を仇で返されたようなことを言われてるのに、どうしてこんなに落ち着いていられるんだろう。

 心の中では怒ってるかもしれないけど、私みたいに表情に出さないのは本当に尊敬する。


 東19番街の人たちの話は、ますます加速していく。


「だが、それなら本当にセンチュリアは、帝国のもんになるんじゃねえかな。天下のローフェンディアが、うちを欲しがってないはずがねえ」

「そうだなあ、オーリカルク使い放題できるしな」

「……もしかするとこれは、帝国の激しい皇位争いの前触れかもしれねえぞ」


 どうやら、私の怒りに沸騰している頭では、ついていけない話の展開になってきたらしかった。


「そうかねえ、この前皇帝が代わったばかりだろ? そりゃあ帝国はいつでも跡目争いしてるらしいけどさ」

「まあ聞け。まず、宰相がうちに来て女王をたらしこんだ。女王さえ手なずければ、オーリカルクは思いのままだからな。

 それを見て、こりゃ危険だと思った今の皇帝が、前の皇帝に取り入って皇帝の座を手に入れた。

 だが、宰相はうちの女王……オーリカルクを握っている。

 これはまずい。いつ帝国に叛旗を翻してもおかしくない。だから皇帝は今回うちに来て、直接女王を懐柔する……どうだ、俺の推理は」


 心の中で開いた口が塞がらなくなった。


 ローフェンディア帝国の皇子が、センチュリアの宰相に就いた。

 それが普通の暮らしをしている人たちにとって、いかに衝撃的なことだったのか、今更ながら思い知らされた。


 私もユートレクトを宰相に迎え入れたときは、とても大それたことをしたと思っていた。今でもそう思っているけど、当時に比べて違和感はなくなっている。

 それは、私とユートレクトが毎日顔を会わせて、互いのことを理解してきたからなんだろうと思う。

 だけど、接したことのない人たちにしてみれば、ユートレクトはまだ『ローフェンディア帝国の皇子』という印象が強くて、だからこんな想像をしてしまうのかもしれない。


 ……にしても、ひどい政局予想だけど。


 災害のとき、真っ先に自分たちを助けに来た人のことを、どうしてそんな風に考えられるんだろう。

 不自由があればいつでも王宮に言いに来い、という言葉さえも、余計なお世話みたいにしか思っていないなんて。


 それに、もしもユートレクトが私を籠絡したとしても、オーリカルクが思いのまま使えるわけじゃないのに。


 オーリカルクの採掘権は、センチュリア国王……つまり私にある。

 だけど、毎年毎月の採掘量は、オーリカルク採掘者労働組合と話し合って決めることになっている。私の独断でオーリカルクの採掘量を増やせるわけじゃない。


 東19番街の人たちは就業率は確かに低いけど、オーリカルクの採掘で成り立っている国に住んでる人が、こんなことも知らないなんて思いもしなかった。もしかしたら、知っててわざと言ってるのかもしれないけど。

 そして、ありえないことだけど、もしもローフェンディアがオーリカルクを独占しようとしたら、全世界から吊るし上げを食らうことになる。いくら世界最強の帝国でも、全世界を敵に回す愚かなことはしない。


 いい年した大人が、そんなこともわからないの? と心の中でつぶやいてしまってから、慌ててその独り言を打ち消した。

 そう考えてしまうのは、私が政局を担う側にいて、ある程度いろんなことを知っているからかもしれない。

 自分の立場から見ただけで、他人をあざけるのはよくないことだから。


 そう……今こそ、冷静でなくちゃいけないときだった。

 ここで感情に身を任せてしまったら、国王として最もしてはいけないことをしてしまいそうだった。

 自分の国民を傷つけることだけは、決して言葉にしてはいけない。


 気がつけば、身体の震えはなくなっていた。

 吐き気も怒りも消えていた。

 東19番街の人たちの、あまりに突飛な政局予想のおかげで、われに帰れたみたいだった。


 目深にかぶったフードの奧からよくよく見れば、みんなの顔は既に赤くなり、酔っぱらっていることが見てとれた。これ以上ここにいても、得られるものは何もないかもしれない。


 そう思っていると、別のテーブルからの声が耳に届いた。


「見てみてこのワンピ!」

「あーかわいい! どこの?」


 どうやら、私より年下の女の子たち……『マロ食』のおじさんキラー、フランシスカくらいの子たちが、今日の戦利品をテーブルいっぱいに広げて見せ合っていた。


「これはねーフォブルトの! いくらだったと思う?」


 そう言って、女の子が頭の高さまでワンピースを掲げてみせた。

 黒のサテン地にレースやリボンがついた、かわいいワンピースだった。

 フォブルトというのは、若い女性に人気の銘柄だけど、フランシスカくらいの女の子が簡単に買える金額の洋服じゃない。


「うーん、1万5千くらい?」

「えー2万はするでしょ?」

「残念! 定価3万のところ、ジャスト1万でしたー」

「うそー!? すっごい安いじゃん!」

「信じらんない! どこの出店?」

「一番奥の出店。在庫処分で安く売ってるんだってさ」

「いいなー! あたしも後で絶対行ってこようっと!」


 フランシスカが聞いたら卒倒しそうな金額だった。一万出したら、フランシスカだけじゃなくて、私の平民時代の洋服も四着は買える。


「これだったら、今度の合同デートもいけるんじゃない?」

「そうかなー」

「男はこういう服に弱いもん、いけるって!」


 女の子たちがはしゃいでいると、となりのテーブルのおじさんたちが話に入ってきた。


「そうだ嬢ちゃん、せいぜいいい男捕まえて玉の輿に乗りな!」

「ここも愉快なとこだけどよ、出られるなら若いうちに出て行っちまった方がいいわな」

「わしらも若い頃は、野心があったがなあ。今はここの暮らしが楽しくて仕方がねえや」


 そんなことを言うおじさんたちに、女の子たちは『そうそう! ここも好きなんだけどね!』と、特にいやな顔もせず答えた。

 この世代の女の子は、おじさん(特に酔っぱらい)に絡まれるのは好きじゃないと思うけど、そういうところは偉いと思う。


 ここで話を聞いているだけでも、東19番街の人たちはみんな仲がよさそうだった。

 もっとも、そうやって結束していなかったら、街ぐるみで復興費用の横領なんてとうの昔にばれていただろう。


「どうせ乗るなら、すごい玉の輿乗らないとね! 少しくらいの金持ちと結婚するなら、ずっとここいいた方が働かなくていいもん」

「あたしも今はここを出てみたいな! サーシャさんみたいに玉の輿に乗って、みんなに楽させてあげたいよ」

「サーシャさんね、あたしも憧れるわー! 貴族の人と結婚するなんてすごいよねー!」


 サーシャさんという名前の人は、今のところセンチュリア貴族にはいないはずだった。既に亡くなっている女性なのかもしれない。

 その女性がセンチュリア貴族と結婚して、東19番街に多額の寄付でもしたんだろうか。それは素晴らしいことだと思うけど……


 私の忍耐心は限界に近づいていた。


 大人だけでなく、こんな年齢の子たちまで、贅沢できるほどの生活をしているだなんて。

 本当にそうだとしたら、どうして街中で見た人たちは、みんな同じ服を着ていたんだろう。それも他の街の人たちの目を欺くためだというの?


 ユートレクトが先ほどよりも強く私のコートを引いた。今度は私も逆らわなかった。

 小さく頷いてここから去る意思を示すと、最強の臣下は来た道を足早に引き返し始めた。急いで後を追う。


 東19番街の人たちの笑い声が背中を刺した。


 その声が、たとえようもないほどの敗北感を私に背負わせた。



****



 東19番街を出てからも怒りと……それとは逆の打ちのめされたような気持ちに、胸が引き裂かれそうだった。

 けれど、痛みに耐えているだけじゃ何も解決しない。

 怒りは鎮めて、傷ついた心はなんとかなだめて、頭も切り替えなくてはいけなかった。でなかったら、帰ってからの執務に支障が出てしまう。

 そう自分に言い聞かせながら、ユートレクトの後を追うのが精一杯だった。




 東19番街の人たちには、どなりつけたい気持ちでいっぱいだった。


 あなたたちが、何度も復興費用を盗まれていると思っていたから、みんな支援の手を差し伸べていたのに。

 それを街ぐるみで着服していたなんて。

 しかも、他の街の人たちより、ずっといい生活をしているなんて。


 あなたたちのご先祖さまたちは、いわれのない差別で本当に苦労されたと思うけど、今のあなたたちなら、罵られても文句は言えないわ。


 私のことはどう思おうと構わない。

 尻軽だろうと売国女だろうと、なんとでもと言えばいい。


 だけど、私の大切な臣下……王宮のみんなや、国民のみんなを騙すのはやめて、お願いだから……!




 そうやって、怒りと悲しみを心の壁にぶつけていたら、あることに気づいて。

 眼の前が真っ暗になった。

 そもそもどうして、東19番街の人たちは、国からの復興費用を着服するようになったのか。

 そんなことをさせる環境を作ったのは、いったい誰なのか。




 東19番街の人たちをそんな境遇に貶めたのは、この国の統治者である私に他ならなかった。




 私がもっとしっかりしていれば。

 もっといろいろなことに目を配れていれば。

 きっと、こんなことも起きなかった。自分の国民が、同じ国に住む人たちを欺くなんてこと……


「どうした」


 いつもの冷静すぎる声がして、自分の足が止まっていることに気がついた。

 最強の臣下が数歩先で待っていた。


 だから、ユートレクトは私の状態を案じていたんだ。

 自分が愚かだと気づかされる場に連れ出して、平静を保っていられる精神状態なのか。


 昨日ユートレクトに向けて放った暴言が、頭の中ではじけた。


『大人げないってなに? 私は無理してないって言ってるじゃない。

 本人が大丈夫だって言ってるんだから、余計な詮索しないで、私の言うことを信じればいいのよ。

 もし、それで私に何かあったとしても、私が大丈夫だって言ったせいで起きたことなんだから、あんたの責任にはならないわ、それでいいじゃない』


 偉そうによく言えたものだった。本当に私は他人の気持ちを思いやれない、わがままでいやな女だ。彼は私のことをあれほど心配してくれていたのに。


「なんでもない」


 それでも、まだ落ち着いていられた。王宮の螺旋階段を上ったときに比べれば。

 今まであまりにたくさん愚かなことをしてきたから、多少のことでは動じなくなってしまったのかもしれない。そんな強さはいらないから、賢くなりたいのに。


「どうしたと聞いている」


 冷静すぎる声に、かすかにいらだちの粒が混じったような気がして、急いで前にいる人に追いついた。


「ううん、なんでもないの、ごめんね」

「なんでもない人間が急に止まるか」


 その通りだった。でも、今はこの場を収めてまた歩き出さなくちゃ。

 この人にそばにいてもらえる主君になるんだから。弱くて愚かな私だけど、もう泣き言は言わない。


 決めたんだから、そう決めたんだから。


 戻らなくちゃ、王宮に。


「うん……そうだね」


 もう何があっても、絶対に弱音は吐きたくないし、昨日の朝みたいな大人げない意地も張りたくなかった。

 だけどこの人のことだから、なんでもないばっかり言ってても、納得せずにあれこれ訊いてくるような気がする。

 どうしたら、これ以上何も訊かれずに済むんだろう。


 いっそのこと、先に少しだけ本心を明かした方がいいのかもしれない。そうすれば、本心を隠す後ろめたさもないし、彼も納得してくれるかもしれない。

 落ち込んでることは認めてしまうけど、自分が悪いんだから仕方がなかった。

 弱さは見せても、もう自分で解決したことにして、慰めを求めるようなことを言わないようにしよう。


 そうよ、私のなけなしの理性ポメオラーヌ、今こそ働くのよ。この場を切り抜けるいい言葉を、一緒に探してちょうだい……


 私と怪しい理性ポメオラーヌが、乏しい頭のなかををひっかき回して作った台詞はこうなった。


「あのね、さっき見てきたこと、ショックだったの。

 でも、あれを見たら、こんなところで油売ってるわけにはいかないものね。

 足を止めさせてごめんね、行きましょ」


 不自然にならないくらいの軽い調子で言いながら、一歩前に出るとユートレクトを振り返った。


 やっぱり私は、女王なんかにふさわしくないただの町娘だった。

 誰に言われなくても、一番自分がわかっていたつもりだった。


 それなのに、東19番街の人たちにあんな風に思われていたことが、棘になって胸に残っている。

 心のどこかで、自分は女王としてそれなりのことをしていると思っていたから、こんなに傷ついたのに違いなかった。この私が女王としてそれなりのことをしてるだなんて、思いあがりもいいところだった。


 東19番街の人たちのことは…今はどうしたらいいかわからないけど、必ず……絶対にどうにかしてみせる。


 新たな決意に促されて、また足を踏み出そうとしたときだった。


「俺の家に来るか」


 聞こえた声に心が砕けそうになった。


 どうしてそんなこと言うの、そんなこと言えるの?

 あなたが心に抱えた傷から逃げ出した私に、誤解してしまいそうなことを言わないで。


 私は静かに息を吸いこむと、つとめて落ち着いた声を出した。


「ううん、大丈夫、ありがとう」


 今が何時なのかわからなかったけど、ユートレクトが家に来いなんて言うなら、きっと定時に近いかもう過ぎているんだろう。


 だからって、それがなんだっていうの?

 私にはもう、甘やかな時間や空間を求める資格はないんだから。


「王宮に帰るよ、机も散らかったままだし」


 確かに私の机には、書類の山ができたままだった。

 ユートレクトの机はどうだったか覚えていない。できるだけ彼の方を見ないようにしていたから。


「そんな顔で帰るのか、その顔で臣下にものを言いつけるのか」


 私はまだまだ演技が下手みたいだった。そんなにひどい顔をしてるつもりはなかったのに。

 だけど、元気なふりをするのはやめた。大人げないと言われてしまいそうな気がして。そうしたら、また反論しなくちゃいけなくなる。


「言いつけないよ、今日は早くあがるようにする」


 許されるものなら本当は……本当の本当は。


 王宮にもどこにも帰りたくない。

 何もかも投げ出して、誰かにすがって声をあげて泣きたい。

 でも、それはできないことだし、するつもりもない。


 女王に即位した日から、私の人生は様変わりしていたはずだった。

 こんなただの小娘にしか過ぎない私だけど、私は国民みんなの生活を、命を、それだけでなく、良心までも預かっていた。

 今日のことで、胸が潰れそうになるほど気づかされた。

 私が至らないせいで、東19番街の人たちに、あんなことをさせてしまっていたのだから。


 キアラさんに、私のふるまいが『女王ごっこ』だと言われたのも、今になって思えばもっともだった。

 弱音を吐いたり泣き言を言っている暇があったら、少しでもみんなのためになることを考えなくちゃいけなかった。私がそういう姿勢でなくて、臣下がついてきてくれるわけがなかった。


 分岐道建設候補地の中に、東19番街がひどい理由で挙がったときも、そんな提案をした官吏に腹を立てたけど、人のこと言える立場じゃなかったのに。


 私は愚かでおめでたい幸せ者だった。

 今でも私は愚かだけど、おめでたいままではいたくない、いられない。


 この人にいつまでもそばにいてほしかったら。


 ……頭でこれだけのことをめぐらせていたら、耳に入ってきた声が文字になるのに、少し時間がかかった。


「わかった」


 心の奥底にいる自分が残念そうに顔を歪めた。私は何度自分を嫌ったら済むんだろう。


「では帰ろう、王宮へ」


 その言葉に、ようやく安心と……余計な思いを感じて、心の中で頭を振った。

 ユートレクトの声に促されて、私はまた王宮への帰路に着いた。

 半歩先をいくコートの裾がひるがえって、私のコートに触れた。慌てて視線を反対へそらせる。


 王宮に戻ったら何をしよう。

 もちろん執務だけど、今日は定時の鐘がなったら早々に机を片付けて考えよう。

 そうして、落ち着いて考えよう。東19番街の人たちのことを。

 どうしたら、二度とあんなことをしないようになるだろう。あんなことをさせずに済むだろう。


 『感謝祭』で話を聞いた限りだけど、みんな働くことすら面倒だと思っているようだった。

 だとすると、職を紹介したところで、すぐに辞めてしまうかもしれない。


 今日のことは、次の御前会議で重臣たちにも話して、東19番街の現状を知ってもらった方がいいかもしれない。

 それまでに対策をいくつか考えてみよう。それでもいい案が思い浮かばなかったら、みんなにも意見を聞いてみよう。

 自分だけではいい案が思いつかないとき、みんなに意見を求めるのは、臣下に泣きつくことにはならないと思うから。


 そんなことを考えながら、黙々と歩いた。

 でなかったら、またおかしなことに心を動かされるのがわかっていたから。


 気がつくと、王宮の通用門が近くに見えてきていた。

 東19番街に行くときには曇っていたのに、いつの間にか晴れ間が見えて、通用門の門扉に夕日が薄くあたっている。

 久しぶりに夕日を見たような気がしたら、不思議と心が穏やかになってきた。『そんな顔』で王宮のみんなに顔を合わせなくてよさそうでほっとした。


 王宮に戻ったら、私もユートレクトもいつ重臣や官吏に声をかけられるかわからない。

 だから、今のうちに言っておこうと思って、


「今日はありがとう、連れて行ってくれて」


 素直にお礼を言った。


「わがまま言ってごめんなさい。でも、連れていってもらってよかった。本当にありがとう」


 あまり長々と言葉を並べると、本心があらわになってしまいそうだったから、これだけにしておいた。


 ユートレクトが顔をしかめたような気がして、また怒らせることをしたのかと心臓が震え出した。

 けれど、返ってきたのが、


「次はもう少し気のきいた場所に連れて行く」


 こんな台詞だったから、よくわからなくて何も言えないでいると、


「……よく堪えたな」


 囁くように小さい声だった。

 それでも聞き逃さなかったのは、心の奥底にいる私が……弱くて愚かな小娘の私が、未練がましく求めていた人の言葉だったから。


「ここで泣いてどうする、たわけが」

「ごめん……なさい」


 涙が勝手に頬を伝って落ちていた。


 これは悲しみの涙じゃない。


 一番認めてもらいたい人に、自分の覚悟を認めてもらえたことが嬉しくてたまらない思いがこぼれた涙だった。

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