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螺旋の果て2

***



 ユートレクトは一つ息をつくと、もしかしたら二度と見られないかもしれない、幻の珍獣なみに貴重な表情を収めてこちらに顔を向けた。声もいつもの冷静すぎるものに戻して、


「何が不満だ」


 また謎の言葉を出してきたものだから、困ってしまった。


「だから不満なんてないよ、私が悪いんだもの」


 私のことを怒ってるんじゃないとしたら、私が『信じないって、求めないって』と言ったとき、どうしてあんな乱暴に『あれか』と応えたんだろう。


「俺の言動が不満なのではないか?」


 他人のことを話してるみたいな声が聞こえてきた。御前会議でのことを言っているのはすぐにわかった。


「それは……」


 あの言い方はいやだったけど、と口に出しかけて寸前のところで止めた。

 また怖くなった。御前会議が終わった後、このことを話して彼の心を害してしまったのだから。きっと私が彼の言動をよくないことみたいに言ったから、あんなこと言われたんだもの。信じない、求めないって。


 だけど、今は彼からこのことに水を向けてくれた。私の言うことを今なら聞いてくれるかもしれないし、彼にも言いたいことがあるのかもしれない。

 それに、まだ確かめてないことがあった。

 どんな考えがあってザバイカリエにあんなことを言ったのか、それも聞いておかなくちゃいけない。


 私は勇気を奮い起こして口を開いた。


「もしかして、あんな風に言ったのは、ホルバンのときみたいに何か考えてのことなの?」


 少し覗きこんで見た彼の顔には、怒りも悲しみも現れていなかった。

 答えが返ってこないのは、私の言ったことを肯定しているというのはわかっていた。この前彼の家に行ったとき、学習したことだった。

 だとしたら……ううん、だとしても、あのときのユートレクトの発言は行き過ぎていたと思う。

 少なくても私はあんなこと言うべきじゃないと思っているし、二度と口にしてほしくなかった。なにより彼のために。


 また怒られるかもしれないと考えたら心がくじけかけたけど、私は自分の考えを伝えることにした。間違いじゃないと思うから。


「だとしても、あんなことまで言う必要ないと思うよ? 私的なことまで持ち出すのは……やっぱりよくないよ」


 それでも、最後は怖くなって声が小さくなった。きっと怯えているはずの顔を見られるのも怖くてうつむいた。

 何を言われるのかどきどきしながら待っていると、拍子抜けするくらいあっさりといつもの声がした。


「自分の考えを堂々と言うのはいいことだ」


 怒られてない……むしろ褒めているような言葉に驚いてとなりの人を見ると、何かを悔いているような顔をしていた。ああ、やっぱり言わなければよかったんだと思って謝ろうとした私を、水色の瞳に無言で押しとどめた。


「おまえの言うとおりだ。今日のあれもザバイカリエたちを動揺させて、レシェクの動きを変えるために言ったことだ」


 声も私を褒めてくれたものではなくなっていた。自分を蔑むような沈んだ声音に胸が苦しくなった。

 口を挟めないのが辛かったけど、次の言葉を聞いたら、どうして彼が私を黙らせたのかがわかったような気がした。


「度が過ぎていたことを認められたのは、つい先刻だった。ザバイカリエには謝罪してきた」


 少しの間を置いて継がれた声は小さくかすれていた。明らかに自分のしたことを恥じているのがわかる声だった。


 自分に非があることで人に頭を下げるのは厭わない人だとは知っていたけど、下手に出るのはあまり好きではないはずだった。自分が過ちを犯したと知っただけでも屈辱なはずなのに、その屈辱をさらけ出してザバイカリエに謝りに行ったんだ……


「信じないだのと吐いたのも、言ったときは、おまえが俺のやり方を信じていないことに腹が立って、そのことしか考えていなかった」


 あの言葉……『何も信じない、何も求めない』は、こうして並んで座っている今でも、思い出すたびに心を刺した。


「あれほど信じろと言っておいたのに、俺を信用しようとしないおまえに、理解してほしいと望むのは無駄だと思った」


 あのとき、ユートレクトがあんなことを言ったのは、私が彼を信じていないように映ったからだったんだ。


 それに私は、以前彼の家で気づいたはずのことをすっかり忘れてしまっていた。彼も自分のことをわかってほしいと思ってたこと……あのときはちゃんと気づけたのに。

 こうして言われるまで、彼の思いに気がつけなかったなんて。こんなこと言うのだって辛いはずなのに。

 けど、何か続きのあるような台詞が気になって、気持ちが落ちこんでいくのを必死にこらえていると、


「だが本当は、おまえに自分の非を指摘されて、頭に血がのぼっただけだった。そんなことで暴言を吐いた自分が情けない。醜い本心にも蓋をして、気づかぬふりをしていた自分が」


 音程の揺らいでいる声が、言葉にならない彼の気持ちをあらわにしていた。


「情けなくて仕方がない」


 その言葉に、こらえていた気持ちがあふれ出した。気がつくと、涙が一筋頬をつたってコートを濡らした。

 これ以上話してほしくなかった。心弱い私のせいで、自分の傷をえぐるようなことをしてほしくなかった。


「すまなかった」


 申し訳ないと思う気持ちがいっぱいに喉を塞いで、何も言えなかった。首を振るのが精一杯だった。

 それがすごく悔しくて両手で喉を押した。喉のところで臆病にわだかまっている思いを押し出したら、ごめんなさい、もう何も言わないで、と伝えられるような気がした。


 だけど、息が苦しくなるのと同時に、ユートレクトが私の両手を喉からゆっくり引き剥がして、優しく首を横に振った。私の両手を自分の膝の上に持っていくと、手を握ったまま口を開いた。



****



「自分を傷つけるな」


 その声がとても優しかったから、誤解されているのだと気づくのに少し時間がかかった。私が喉を押さえたことを、先ほど犯しかけた過ちを繰り返そうとしていると思わなければ、こんな風に言うはずないから。


「ち、違うの、そんなつもりじゃなくて」

「だとしても、自分を傷つけているのに変わりはない。もっと自分を大切にしろ」

「……ごめん、なさい」


 どんな気持ちで喉を押さえたのかは、言えそうになかった。

 さっきまでの私を見ていたら、彼が思い違いするのは無理もなかったし、言っていることは当然のことだったから素直に謝った。


 彼の声が、また過ちを犯そうとしていた私を叱りつけるにしては、不思議なくらい優しかったことに救われた。私がそこまで追い詰められた状態にあると考えてくれてのことに違いなかった。そう思うと、また申し訳ない気持ちがわいてきて涙が止まらなくなった。


 本当は、ありのままの自分の気持ちを伝えなくちゃいけないのに。さっき、洗いざらいぶちまけろって言われたばかりなのに。

 わかっていても、涙の余韻が収まらないのと、気持ちがまとめられないほどあふれ返っていて、思いを言葉に乗せることができなかった。


「ごめんなさい……」


 これだけしか言えない自分が情けなかった。私なんかの手を握ってくれる人がいることが、あってはならないことのように思えてならなかった。


 私の泣きじゃくる声が治まると、たかぶり続けてきた気持ちを静めるような、ユートレクトの落ち着いた声が耳をなでた。


「おまえが人一倍言葉に敏感なことは知っている。知っていながら俺がおまえを傷つけない言葉を選べないのは、おまえが何を言えば傷つくのか、いまだに理解できないからだ」


 私が少しの冷たい言葉でも悪くとってしまうことをわかってくれていることに、自分を悔やみながらも感謝の気持ちがこみあげてきた。

 けれど、言葉の意味を図りかねて黙っていると、思いもよらなかったことが次に継がれた。


「俺とおまえでは、生まれ育った環境も性格も違う。俺の周りには今までおまえのような人間はいなかった。それに、生まれてずっとこの性格で不自由なく暮らしてきた。

 方々で嫌われてもいるが、どうでもいい人間にはなんと思われようと構わない。だが少なくとも、自分が共にありたいと思う人間とは取り繕わない自分のままで交流できてきた」


 言葉の一つ一つを確かめるような声が降りてくると、クラウス皇帝やリースルさま、ララメル女王、それにアンウォーゼル捜査官やキアラさん……ユートレクトと仲良くしている人たちの顔が浮かんできた。

 確かにみんな彼をを嫌ったりしていない。むしろ、悪いところも含めて彼を慕っているように思える。


 少しの間声が止まった。


「だから、非があると認められないでいる自分がいる。この俺のどこが悪いのだと。

 自分にも直すべきところがあると頭では理解していても、30年間生きてきて染みついたものは容易に離せなかった」


 意を決したように足された声は、揺らいではいなかったけど、心の奥底から搾り出したようなとても苦しげなもので私の心に重くのしかかった。


 自分が他人を……ましてとても大切な人を、これほど悩ませ、辛い思いをさせていることが許せなかった。心の声は悲鳴をあげ続けて今では枯れ尽き、醜いかすれた音をあげるだけだった。


「おまえと会話するとき、言葉を選んでいた時期もあった。だが、すべてうまくいかなかった。

 俺には他人を思いやる気持ちがないのかもしれない。それからは、気をめぐらすのはやめることにした」


 信じられない言葉を、頭より先に理解したのは身体だった。

 全身を血のぬくもりがひいていく感覚が襲って、極寒の海の底に突き落とされたように身体が冷たくなった。


 なんてことなの……


 私を思いやって、懸命に言葉を選んでくれていたなんて。

 それなのに、私はまるで気づけずに、彼の思いを突き返すように心を怯えさせ続けて……

 他人を思いやる気持ちがないなんて、そんなことないのはよく知ってる。私が誰よりも彼の思いをもらっている。


 身体が今までにないほど震え出した。唇が謝罪の言葉を呪文のようにたどっているのに、声は音をなしてはくれなかった。

 私は何をすればこの人に報いることができるの? 何をすればこの人が私のせいで受けた苦痛を取り除けるの?

 だけど……私にそんなことが本当にできるの?


 追い詰められた心が、次の一言で砕け散った。


「今度は俺が壊れそうになったからだ」

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